亜墨利加(あめりか)編
第79話 秘密会議
1943年2月4日 15時 ワシントンDC
ルーズベルト大統領の機嫌は、この戦争が始まって以来最低値を記録しつつあった。長テーブルの端に車椅子のまま腰を下ろしている大統領は、苛立ちを隠そうともせず、深いため息を吐く。
その苛立ちの原因は合衆国軍人全員の心胆を寒からしめた、イオウジマ海戦での無残な敗戦であった。合衆国太平洋艦隊が文字通り消滅したこの戦闘で、太平洋方面のアメリカ軍の活動はつい最近まで不可能になっていた。
雁首をそろえている将校たちは、バルチック艦隊を失ったロシア帝国貴族のような面持ちであった。
その具体的な面子は、海軍の合衆国艦隊司令長官兼作戦部長のアーネスト・キング大将、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将、陸軍航空軍のヘンリー・アーノルド大将、そして海兵隊総司令官のトーマス・ホルコム中将といった各軍司令官級の人物ばかりであった。
この会議は非公式かつ、開催自体が秘密とされている。呼称は単に秘密戦略会議と題されている。議事録やメモの作成すら認められないとされているあたりが、この会議の性格を如実に表していた。
「大統領、時間です。会議を初めて宜しいですか」
補佐官の言葉に、大統領は手をあげるだけで答えた。
彼は頷きを返し、緊張した面持ちで会議の開始を告げる。
「それで、イオウジマの敗因は結局のところ何なのだ。これだけ長い期間待たせたのだ。間抜けな言い訳では済まされんぞ」
大統領の発言に、居並ぶ将官たちの顔が一気に青ざめる。
ウィリアム・リーヒ大将-大統領の軍事顧問は、渋い顔会議室を見渡す。
誰もが最近とみに気の短くなった大統領を相手に口火を切る役目を躊躇っている。
内心ため息を吐きながらリーヒは手元の紙資料の束をめくったあと、静かに発言の許可を求める。
「大統領閣下、我が軍がイオウジマ海戦で敗れたのは敵の新型誘導爆弾によるものです。おそらくはロケット推進により高速で飛行し、おそらくは電波誘導などの手段によって敵艦へ突入する無人誘導兵器です。射程は少なく見積もっても50マイル以上、飛翔速度は500マイル以上と見積もられております」
リーヒ大将の冷静な口調で語られる事実は、大統領までをも戦慄させるのに十分だった。 事前にその情報を知っていた者でさえ、改めて驚異を感じさせる内容だった。
「無線誘導だと? 母艦からの遠隔操作ということか」
マーシャル参謀長は半信半疑という顔で、紙資料に記された推定諸元と推定図を眺める。
「どのような原理で作動するかは不明だが、そうとしか考えられないというのがカリフォルニア工科大学グッゲンハイム航空研究所の出した結論だ」
「確かに、専門家の意見は尊重せねばならない、か。まったく忌々しいことだ」
マーシャルは苦々しい顔で資料を指で叩きながら、机の上の煙草の箱に手を伸ばす。
「こんなものが戦争の主役になるのなら君たちは失業だな、ハップ」
キングの軽口に、いかにも陽気といった外見のアーノルド大将はむきになって反論する」
「こんな玩具に飛行機の代わりがつとまるものか」
「静粛に。今から映写機で実際の映像を見せる」
リーヒの言葉とともに部屋の電灯が消され、部屋の壁に備え付けられているスクリーンが下げられる。
テーブルの真ん中に置いてある映写機を、補佐官が操作するとモーター音とともにオープンリールが回り始める。 スクリーンに映し出された映像はこの時代には珍しく、カラーフィルムであった。アメリカ軍は政治宣伝用にコダック社が生産したカラーフィルムを、この海戦の記録用に大量投入していたからである。
カメラは海軍の航空母艦上で回されているようだった。
太平洋の青い空と航空母艦上で発艦を待つ攻撃機のコントラストが印象的だった。
その光景は、わずか数十秒後に一変する。
キラリと陽光を反射した矢のような物体が水平線上に現れたかと思うと、あっという間に接近。
舷側に設けられた対空機関砲座が薬莢を撒き散らしながら射撃を開始するが、レーダー誘導されている訳でもない機関砲弾が高速で移動する「矢」へ命中するわけもなかった。
カメラもその「矢」を追いかけようとするが、速度が速すぎて追いかけきれない。
ようやくのことで捉えたその「矢」は空母上空へ上昇したあと、今度は逆落としに空母の甲板へと落ちてくる。
「CV-3」という艦籍番号がグレーで書かれている飛行甲板の、エレベーター付近へと激突する。飛行甲板を貫通して格納庫内へ飛び込んだらしい「矢」は、一瞬の間をおいて爆発し飛行甲板を大きくめくれ上がらせた。
爆風に煽られてカメラが倒れたのか、カメラの映像は急に横倒しになる。
そのカメラの前を消化ホースを抱えた応急作業要員が走っていくところで、唐突に映像は終わった。
映像が終わってからしばらく、会議室は再び重苦しい雰囲気で静まり返っていた。
「こんな兵器を相手に戦争だと…これでは財布を取り戻すどころではないな」
キング大将がようやくのことで絞り出した声に、会議室内の誰もが無言の賛同を視線で返す。大の日本人嫌いで知られるキング大将だが、かつて日本に駐在していた時に財布を落としたものの、帰ってくることがなかったという事に起因している。
そのエピソードはこの場にいる誰もが何度も聞かされているだけに、苦笑が漏れる。
「だが我々は勝たねば、勝たねばならないのだ。『ノーモア・パールハーバー』と叫んでおいて、今さら国民に勝てないと言える訳がない。『
大統領は同盟国の首相の言葉を借りてまで吠えて見せたが、誰の目にもそれが空回り気味であることは明らかだった。
「ですが、大統領。我々はヒトラーをも相手にしているのです。太平洋のみが戦場ではありません」
マーシャル将軍はあくまで冷静な、そして空気の読めない発言で応じた。
「わかっている。ヨーロッパを軽視するわけにはいかない。それで君たちはどうしろというのだ」
大統領は内心の怒りを飲み込もうと深呼吸してから、会議室のすべての将官へ問いかける。
「まずは時間を稼ぐべきです、大統領。この新兵器の対抗兵器の開発、イオウジマで失った艦艇群の再建等々、とにかく合衆国には時間が必要です。」
キング大将は明確な言葉で正論を述べる。
「つまりだ、キング長官。君はこう言いたいわけだな。これまで占領したフィリピンやグアム、サイパンなどは諦めろと」
「その通りです、大統領閣下。場合によってはハワイの放棄まで検討するべきです」
「軍事的にはともかく、政治的には無理なのでは?」
「マーシャル将軍、君に私の支持率を気にしてもらう必要はないよ」
ルーズベルトはステッキの柄を握り直しながら、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「だが、ハワイの放棄はいかにもまずい。ハワイの民間人を退避させるのには膨大な費用、物資などのコストがかかり過ぎる。そのうえ、それだけの人数を動かすのに情報の秘匿はできない。新聞記者に追い回される羽目になりそうだ」
大統領の顔は笑顔のままだったが、目は笑っていなかった。彼の任期は来年までの予定だったが、大統領は二期8年までという慣例を破って三選を狙っていると噂されている。太平洋の要衝であるハワイの失陥は、彼の政治家としての
「少し話が逸れたな。ハワイの扱いは保留するとして続きを聞こう。キング大将」
「了解であります。さて、日本軍が再び太平洋各地の占領に乗り出せばそれをあえて許し、日本軍の補給線が伸び切るのを待つ。彼らが現状に満足し、持久体制を構築するのであれば我々も戦力の構築に励む。おおまかな戦略としてはそのようになります」
「なるほど。積極攻勢に出る余裕がない以上、仕方あるまい」
「日本軍には十分な数の輸送船が揃っていません。新兵器とやらも、彼らの工業力では再び大規模使用を可能にするまで相当の時間がかかるでしょう。イオウジマ海戦から二ヶ月以上、彼らが積極攻勢に出ていないのもそうした理由からだと思われます」
「海軍の情報分析はわかった。それでだ、我が合衆国の優秀なる軍人諸君。我々があの新兵器相手に勝てるかね?」 ルーズベルト大統領の言葉に、誰もが息を飲む。
ある意味軍人相手に一番言ってはならない言葉であるからだ。
料理人に、この料理は美味いのかと聞くに等しい。
「勝利の定義に寄ります、大統領閣下。我々がイオウジマと同じ、あるいはそれ以上の犠牲もいとわずに攻撃をかければ、トウキョウに講和、あるいは降伏を迫るだけの損害を与えることは可能でしょう。詳細な見積もりは配布した資料をお読み下さい」
キング大将の言葉で、部屋の空気が一気に薄くなったような錯覚を覚え、アーノルド大将は目頭を揉みながら目を瞑る。
「確かに、我々の方が工業生産力も保有する資源も上ですからな。新兵器の数にも限りはあるでしょう。老人や子供までパイロットとして駆り出す羽目になりそうですが」
「そんなことになれば、いよいよ私は政権の維持すら覚束なくなる。ただでさえ、公約破りなのだからな、私は」
ルーズベルト大統領は選挙の時に「合衆国の若者を戦場には送らない」と宣言して当選していたのだった。
「他の諸君も同じ意見かね。では今後の方針を述べよう。当面、我が合衆国軍は太平洋方面においては防衛線をハワイまで下げる。フィリピンのマッカーサーには残念だが撤退命令を出すとしよう。マーシャル将軍、くれぐれも彼には余計なことはするなと言い聞かせたまえ」
「は、了解しました。徹底させます」
「海軍には、なんとしても太平洋艦隊の再建までの時間を稼いでもらう。困難な任務だが、やってもらうほかはない「は、了解しました」
「アーノルド大将。航空機の増産は急がせてはいるが、やはり時間がかかる。パイロットの育成も急がねばならん。頼むぞ」
「大統領閣下、お任せください。新型長距離爆撃機が配備された暁には、日本本土を焼け野原にして見せますよ」
「ホルコム中将、海兵隊の諸君の出番はしばらくはないだろう。だが、いずれ君たちに花をもたせる時が来る。待つのも任務のうちだ」
「は、その日を心待ちにしております。閣下」
大統領のいささか芝居がかったやり方に、出席者たちは軍のトップとしての演技で応じた。
その内心はさておくにせよ。
「君たち合衆国軍人の覚悟はよくわかった。とはいえ、イオウジマの敗戦の記憶を塗り替えるには足りない。となれば、悪魔に魂でも売る他はあるまい。いや、むしろ
大統領の詩的な言葉に将官たちはわずかな間大統領の正気を疑い、そして次いで言葉の背後にある得体の知れない恐怖に戦慄した。
一見したところ、大統領が浮かべている笑みはいかなる手段を用いようとも国益を追及せんとする決意に満ちているように思えた。まさにマスコミが書きたてる有能な戦争指導者そのものの光景に見える。
であるならば、この背筋が泡立つような感覚は何なのだろうと会議の出席者の誰もが思った。
この光景を絵画にするのならば、「決意する大統領」が良いだろうか…いや、「メフィストフェレス」と題するのが適当だろうと、キング大将は考えた。
「日本は神に祝福された文明国に戦争を仕掛けた事を後悔することになるだろう」
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