第76話 脱出

「やはり時限爆弾が存在していたか。それで残り時間は7分を切っている、だと?」

 さしもの篠塚少佐の顔にも緊迫の色が浮かんでいた。

 だがしかし、脳内の思考は高速に回転し、様々なプランを検討し始めていた。

「まずいですね。全力で駆け抜けたところで、安全なところへ退避するには7分では厳しい。我々だけならなんとかなるかもしれないが、彼女たちがいる」

 宝田は息も絶え絶えといった具合で床に横たわっている女官たちに目をやる。

「…あまりにも異常だ。中に味方がいるにも関わらず、時限爆弾で全てを吹き飛ばすだと。このクーデター、予想以上に厄介なものが絡んでいるな」

 少佐は自分の足に闇がまとわりつくような錯覚を覚え、窓の方に視線をやる。

 大きな硝子窓から外を見れば、先ほどから急速に天候が悪化し始めている。出撃前のブリーフィングで受けたウェザーリポートでは夜まで天候が持つはずだったが、それも怪しくなってきた。

 少佐の見たてでは、あと数時間後には吹雪になりそうな塩梅だった。

「今は脱出が最優先です。我々だけで突破しますか」

「いや、確実性に欠ける。最期の手段だな、それは」

 篠塚少佐は『眼鏡』を操作し、この宮殿の見取り図と先ほど『おおたか』のカメラが写した航空写真を透過表示させて思案する。

「やはり、窓だな。負傷を負う可能性はあるが、死ぬよりはマシだろう」

「窓、ですか?まさかとは思いますが、窓から飛び降りるということですか」

 呆れた顔で応じる宝田に、篠塚少佐は真面目な顔で応じる。

「東側の窓の下にはどういう設計だかわからないが、プールか池かはわからんが水が張られている。落ちる場所にもよるが、まあ足を骨折する程度で済む可能性はある。」

「この寒さで氷になっている可能性もありますがね」

 宝田の口調はあくまで否定的だ。

 しかし、頭ごなしに否定している訳ではなく、盲点を潰そうという腹なのだろうと思えた。

「ならば実証してみるまでだ。他に方法はない」

 そういうなり、篠塚少佐は傍らに転がっていた椅子の残骸を手に取る。おそらく、先ほどまでバリケードの一部として用いられていたものだろう。

 無造作に椅子を持ち上げると、窓硝子へ向けて放り投げる。

 強化ガラスなど存在していないこの時代の装飾用窓硝子は、あっという間に粉々に砕け散る。硝子を突き破った椅子の残骸は数メートル下のプールに落ち、派手な水音を立てた。

 水面に氷は張っているものの、そう分厚くはなっていないらしく、氷の下には確かに水があることが確認できた。

「これで実証できたな」

「無茶苦茶だ…」

 宝田は呆れているが、篠塚少佐は意に介した様子もない。

 『眼鏡』を音声入力で操作して、通信でB小隊を呼び出す。

「こちらA小隊。C小隊からの爆発物発見は聞いているな。脱出は可能か」

「B小隊、なんとか間に合わせます。少佐は?」

「こちらには要救助者がいる。この位置からでは全力疾走でも間に合わない」

「…了解。こちらは最大戦速で離脱します。ご武運を」

 B小隊の隊長はすべてを飲み込んだ声で通信を切った。

続いて、篠塚少佐は上空で待機している『おおたか』へ通信をつなげ、事情を説明する。

「この寒さで氷水の中に入ると、低体温症や心臓麻痺の危険性がある。対策を頼む」

「無茶を言ってくれる。だが了解した。着地して収容に備える」

「感謝する」

「幸運を祈る」

 篠塚少佐が通信をしている間に、部下たちは小銃や弾倉、コンバットナイフなどの重量物を廃棄し、また要救助者である女官たちを背負うなどの準備を進めていた。

「少佐、いつでも行けます。いくら二階からとはいえ、紐無しバンジーはぞっとしませんがね」

「GOだ。行くぞ、時間がない」

 耐衝撃性で世界に知られているブランドのデジタル時計のストップウォッチ機能によれば、すでに貴重な6分が失われていた。

「それでは先鋒を務めます。女を背負っての名誉の負傷なら、格好がつくというものです」

 宝田は軽口を叩くが、目は笑っていない。

 わずかな距離だけ助走をつけると、窓から階下のプールへと飛び降りる。

 一瞬の浮遊感と、引力にひかれる強烈なGを感じながら僅か数秒で地表へと到達する。降り始めた雪がうっすらと積る氷の上へ二人分の体重が加速度をつけて叩きつけられる。氷が割れることで衝撃がいくらか逃げたのが幸いしたのか、宝田は大きな怪我を負うことはなかったらしい。

 しかし、氷点下の気温のなか氷水へ漬けられている状況では、急速に体温が奪われていく。

 日頃の過酷な訓練で鍛えられていなければ、いつ気を失ってもおかしくない状況だった。

 だが、強靭な体力と鍛えられた精神力で、宝田は判断力を維持していた。

 すぐに続いて飛び降りてくる連中の邪魔にならないようにと、透明度など無きに等しいプールの中を泳いで移動する。

 最後の兵士が飛び降りるのと、宮殿すべてが消し飛んだかと錯覚するほどの爆発、そして耳がおかしくなるほどの轟音が響いたのはほぼ同時だった。

 衝撃波と炎が水面を舐めるように伸びてくるのを感じ、慌てて顔を水面下に沈める。

 身体がちぎれるかと思うほどの冷たさに、腕の感覚がなくなりかけていた。

 およそ一分後、気力を振り絞って浮上すると、衝撃波も炎も収まっていた。 

 背中に背負っていた女官が意識を取り戻したのか、激しく咳き込んでいる。

「宝田、生きていたか。要救助者を収容するぞ、ついて来い」

 いつの間にプールから上がったのか、篠塚少佐は鬼神のような笑みを浮かべてこちらに手を伸ばしている。

-本当にこの人は、化け物だよなあ。

 宝田は内心で呆れながらも、冷え切った身体に鞭を打って少佐の手を取った。

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