第74話 篠塚少佐の憂鬱

 篠塚少佐率いる部隊は、緝熙楼の正面玄関へと到着した。関東軍司令部への突入を行ったA小隊とB小隊、そして予備として待機していたC小隊を加えて三個小隊規模になっている。

 関東軍司令部から皇宮の移動は『おおたか』による空中輸送ヘリボーンで行った。


 可能な限り急いだとはいえ、貴重な時間を消耗する羽目になったのは事実であった。部隊が消耗するリスクを犯しても、重要な作戦目的にこそ、真っ先に精鋭部隊を送り込むべきだったのではないか。


 それが篠塚少佐の素直な感想だったが、彼女は精鋭部隊とはいえ前線の戦闘単位に過ぎない。意見具申することが限界だった。


 とはいえ、首脳部の苦悩もわかる。仮に国防軍部隊を突入させた場合、満州国軍軍人や宮廷官吏に被害を出さないというのはほぼ不可能だ。戦後処理を考えるとそれは悪夢としか言いようがない。


 銃剣をちらつかせればよかった関東軍と異なり、平成日本政府にとって満洲国は国家の生存をかけて外交力を試される場となるのだ。可能な限り下手を打つことは避けたいというのが、外務省からの無言の圧力としてあった。


――政治、何もかもが政治だ。くそったれめ。


 そんな思考を無理やり遮断すると、『眼鏡』が視界に透過表示する内部見取り図を参照し、突入経路を確認する。

 屋根の構造上、上階からの突入は難しいと判断されたため、正面玄関からの突入となっていた。


「A小隊とB小隊はそのまま二階へ突入。C小隊は一階部分を探索せよ」


 通信機ごしの篠塚少佐の命令に頷いた空挺団の精鋭は、無言のまま頷く。

 先頭のA小隊が突入隊形をつくると、最初に突入する栄誉を与えられた兵士が穴だらけで半分崩壊しかかっている扉を蹴り開ける。 


 その衝撃が決定打となったのか、その扉は内側に向けて倒れた。

 音も無く突入していく兵士に続き、小銃を構えた篠塚少佐は建物内部へと入った。


 つい数時間前には、シャンデリアやブロンズ像、景徳鎮の壺など豪奢な調度品で飾り立てられていたであろうロビーは、今やその残骸が無様を晒す場となり果てていた。


 床には何人もの兵士や宮廷官吏と思しき人間たちが銃弾に斃れている。

 壁紙には血が飛び散り、元の色を想像するのが困難なほどになっていた。


「素人の遊びだぞ、こいつは」


 プロの兵士から見れば、弾丸の無駄遣いを忌避した形跡が見られなかった。いや、むしろ弾丸をばら撒くのを楽しんで行った形跡すら見受けられた。

 兵士の呟きに、篠塚少佐は苦り切った表情で、通信機のスイッチを入れる。


CPコマンドポスト、カメラの映像は伝送されているな。ご覧の有様だ。事態はC段階に移行したと判断する。これ以降は実弾を使用する」


 『眼鏡』に内蔵されたカメラとマイクが拾った映像と音声は、無線で繋がる衛星通信機――バックパックに収納されている――で瞬時に立川の司令部へと伝送される。


「こちらCP。状況を把握した。少し待て」


 オペレーターが伝送されてきた映像を見て、一瞬息を飲む様子が伝わってくる。

 これほど凄惨な光景を見た人間は、国防軍でもさほど多くない。

 待たされたのはさほどの時間ではなかった。司令部も最悪の状況は想定していたのだろう


「CPより達する。事態のC段階への移行を確認した。以降、皇宮内での実弾使用を許可する。交戦法規ROEはWFへ変更。全兵器使用自由とする。作戦の障害は適当に排除せよ。作戦目標は皇帝並びにその一族の確保。第二に可能であれば敵指揮者の身柄確保だ。武運を祈る」


 なおここで言う適当とは軍事用語としての意味合いだ。可能な限りの手段を用いて『適切』に事に当たるべし、ということである。


「了解。作戦を続行する」


 篠塚少佐は衛星通信を終了し、戦術通信へと回線を切り替える。。


「聞いていたな。プラスチック弾頭弾はすべて破棄。これ以降は実弾を使用する。各小隊は予定地点へ移動せよ」


 篠塚少佐は小銃の弾倉固定解除ボタンを押してプラスチック弾頭弾倉をはずすと床に放り投げる。続いて背嚢から実弾弾倉を取り出し、小銃へと装填する。


 同じ作業を素早く行った彼らは、ハンドサインで命令を交換する。

 A小隊とB小隊は忍者を思わせる迅速かつ音を立てない動きで階段へと向かう。

 C小隊の隊長は廊下を右側へと向かう。

 時間との戦いが始まった。


 

 階段を登り切ったところで、出会い頭に戦闘が始まった。

廊下にいた数人の武装した軍人から9ミリパラベラム弾の洗礼を受けたのだ。

 篠塚少佐が命じるまでもなく、小銃での反撃が始まる。


 単発モードに切り替えた小銃で、無駄玉を使うことなく一人ずつ排除していく。

 ろくに弾数制限もしていない敵は、すぐに弾丸を撃ち尽くし、棒立ちになったところを銃撃される。


 プロの軍人と、練度の低い敵とでは戦闘技能にそれだけの格差があった。


「くそっ、役立たずどもめ!」


 北京語でそう言い捨てながら、太った指揮官らしき男が手榴弾を投擲しようとする。


 しかし、手榴弾を投げようとした右腕は5.56ミリNATO弾の直撃を受けて酷い傷を負った。


 足元に転がる手榴弾からみっともない格好で逃れた男は、悲鳴をあげながら手榴弾の爆発から逃れようとみっともなく転げ回る。数秒後に手榴弾が爆発した時には、幸か不幸か爆発の範囲から逃れることに成功していた。


 その結果、多数の破片で無数の怪我を負ったにしては、致命傷だけは負わずに済んだようだ。


 とはいえ、右腕は小銃弾の直撃を受けて使い物になりそうではなく、手榴弾の破片の直撃を受けた左足は足首から先が消失していた。少なくとも手当てをしなければ死にかねない怪我を負っていることは確かだった。


「宝田、敵の指揮官である可能性がある。手当してやれ」


「……運のいい野郎だ。了解。援護を頼みます」


 宝田という名の兵士は小銃を構えながら慎重に接近し、敵に残った武装がないことを確認する。後ろから万が一の事態に備えて、二名の兵士が続く。

 宝田が慎重にうつむいていた顔を上に向かせると意識を失っているらしく、その男は白目を向いていた。


「意識は混濁状態。脈拍、呼吸は異常値ながらただちには問題ない。右腕上腕部を大きく欠損、左脚部消失。消毒の後に止血、モルヒネを投与します」


 宝田は背嚢から取り出したファーストエイドキットから包帯を取り出し、手際よく止血作業を行う。


「意識は戻りそうか」

「さて、ね。目算ですが、出血量だけなら死ぬ程じゃあない。後はこいつの生命力次第ってとこですかね」


「一応簡易手錠で拘束の後、連行する。貴様が作業を終え次第だ、急げよ」


「了解」


 宝田が応急処置を終えるまでに、それから3分とかからなかった。


 

 5.56ミリ弾が、女官に覆いかぶさっていた男たちのうち、最後の一人の頭蓋を粉砕した。


 銃声が響く中にもかかわらず、危険の中で子孫を残そうとする動物的本能に従属した行動をしていた男たちは、わずか数分で全滅していた。危険を察知して脇に置いていた武器を手に取ろうとした男も中にはいたが。

 プロ中のプロである空挺部隊の精鋭は、そんなアマチュアに反撃など許すはずがなかった。


「酷い状況だな…宝田、彼女たちの応急手当も頼む」


「了解です。モルヒネでおとなしくなってもらう方がいいかもしれませんな。PTSDになるには十分な状況だ」 


 宝田は肩をすくめると、すぐに床に転がっている女官たちの応急手当にかかる。


「死体をすべて確認する。顔が分かるように仰向けにさせろ。念のためブービートラップ仕掛け罠には注意しろ」 


 篠塚少佐の指示を待つまでもなく、兵士たちは謁見の間に転がっている死体の確認作業を開始する。


 宮廷官吏らしき者や、近衛兵と思しき者、そして女官たちを襲っていた連中まで含めて総勢26体の死体が転がっていた。


 苦悶の表情のまま目を見開いている顔、なにかしらの満足を覚えて死んでいったらしき者まで。様々な男の死にざまがそこにはあった。


 死者の顔のすべてをウェアラブルカメラで静止画として撮影し、衛星回線で伝送する。


「皇帝……溥儀と思われる死体を発見した。事前に資料で確認した通りの顔に見える。影武者の可能性もあるが…どのみち司令部で解析すればわかる事だな」


 篠塚少佐はやり切れない顔で、皇帝としての威儀を象徴する民族衣装を身に着けて皇帝として死んでいった男の顔を見つめた。

 目は怒りでカッと見開かれ、口元はまだ何かを叫んでいるかのように大きく開いている。

 篠塚少佐はそっと合掌すると、その瞳をそっと閉じてやる。


「皇帝溥儀は前の歴史のままなら戦後まで生き、中国共産党政権下で一市民として一生を全うするはずでした。捻じ曲げられた歴史の満洲国は、どうなるんでしょうね」


 いつの間にか少佐の傍らに立っていたのは、宝田だった。


「さあな、そんなことは政治家か歴史家にでも任せておくさ。なんにせよ、我々は作戦に失敗した」


「作戦の第一目標は皇帝溥儀の身柄でしたからね。皇帝の身柄を押さえられるだけならともかく、まさか殺害することを考えている連中がいるとは。」


「我々国防軍にインテリジェンスの連中、政府。すべて考えが甘かったということだ。戦略情報を読み違え、敵を過小評価した。ただ、それだけだ」


 篠塚少佐の言い方はどこまでも辛らつで、上の連中には聞かせられないことばかりだったが、言わんとするところは間違っていないと宝田は思った。


 ふと、謁見の間の大きなガラス窓から外を見ると、ついさっきまで満洲国旗がはためいていたはずのポールに、槌と鎌と星で彩られた紅い旗がひらめいていた。

 宝田はあまりの事態に、あんぐりと口を開けてしまう。


「我々に黒星を着けた連中には必ず落とし前をつけてやる」


 篠塚少佐は唇を噛みながら、拳を握り締めていた。


――うわ、おっかねぇ。こりゃしばらくは近づきたくないな。


 宝田はしばらくは篠塚少佐を刺激しないように、と決意するのだった。

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