第73話 狂宴
短機関銃の発射音はいつ果てるともなく続いていた。
皇宮のどこもかしこもが、陵辱と殺戮の舞台となった。
「皇帝を探せ!まずは皇帝だ!」
程は弾倉を交換しながら叫んだ。
満州語ではなく、いつの間にかその言葉は北京語へと変わっていた。気持ちが昂っているせいだろう。
短機関銃という兵器も彼にとっては玩具に等しかった。
次から次へと部屋のドアを蹴破っては、短機関銃の弾丸を惜しみなくばら撒く。
その姿は共産主義者というよりは、ハリウッド映画に出てくるギャングそのものだった。
派手な連射音を撒き散らしながら歩く彼らが、皇帝とその側近たちが立てこもる謁見室にたどり着くまでにさほどの時間は必要としなかった。
秘密党員の一人がこれまでと同様にドアを蹴り破ろうとしたが、何度蹴っても重厚な黒檀製の扉はびくともしなかった。その扉はことのほか頑丈に造られているだけでなく、即席のバリケードで補強されているのだろう。
「構わん、ダイナマイトで吹きとばせ!」
業を煮やした程は部下の一人に命じる。
即座にダイナマイトが設置され、マッチで導火線に火がつけられる。
黒檀で出来た重厚な扉もさすがにダイナマイトの爆発には耐えられなかった。
扉の左右に退避していた党員たちは、程の合図とともに短機関銃を構えて部屋へと突入していく。
バリケードにされていたグランドピアノの残骸を踏み越えようとしていた党員の一人は、飛んできた三八式歩兵銃の6.5ミリ弾に頭蓋を砕かれ、脳漿を飛び散らせる。足元に障害物があるために次から次へと狙い撃たれ、党員たちは浮足立つ。
これまでほとんど抵抗らしい抵抗もなく蹂躙の限りを尽くしてきた彼らが、初めての反撃を受けた瞬間だった。
また一人党員が足を撃たれ、哀号と叫びながらその場に転がりながら喚き散らす。
「怯むな、撃て!相手の装備は旧式だ。こちらは機関銃だぞ!撃ちまくれ!」
程は自分は扉の向こう側から見えない安全な場所にいながら、大声で怒鳴る。
だが、血気盛んな党員たちの気力を盛り返すにはそれで十分だった。
党員たちは短機関銃を発砲しながら、謁見の間へ入り込んでいく。
わずかな近衛兵たちは、短機関銃の火力に圧倒されて次々と斃れていく。
女官たちの悲鳴と近衛兵の魂消る絶叫が交錯する。
ボルトアクションライフルと短機関銃では、連射性能そのものが違い過ぎた。
奇襲効果が無くなれば、まさに多勢に無勢で近衛兵たちは全滅した。
形勢がほぼ決定的になったところで、程は扉付近で斃れている党員の亡骸を蹴り飛ばして脇へどけながら部屋の中へ入ってきた。 血を吸って湿った天鵞絨の絨毯の上を、がに股でのし歩いていく。
そして、謁見の間の玉座で震えている男の前に、短機関銃を持って立つ。
「自分の勝利を確信した笑みを浮かべていた。
「貴様が皇帝か。まあ、一応俺も元々は満洲国軍の将校という訳だが、貴様の顔をまじかで見るのは初めてだ」
皇帝溥儀は目に見えて恐怖に震えてはいたが、皇帝としての矜持を保つための精一杯の努力をしようとしていた。
「誰だ貴様は。何が目的だ、この裏切り者め!」
満洲語で決然と叫ぶ皇帝の悲壮な覚悟を、程は嘲り笑う。
「こんにちは、そしてさようならだ、お飾りの皇帝陛下。今日は貴様の命とこの国を譲り受けに来た。革命の大義のために。」
程は愉快でたまらないという顔で、MP28短機関銃の照準を向けた。
「や、やめ…」
「やめないね。貴様の死で、
何がおかしいのか、後ろに控えている党員たちはおかしくてたまらないという風に哄笑を浴びせる。
女官たちはガタガタ震えているばかりで、口を開くことすらできない様子だった。
「とはいえ、俺も鬼ではない、自ら栄誉ある死を選ぶか、短機関銃でボロ雑巾にされるか、どちらかを選べ」
程はどうだ俺は慈悲深いだろうという表情で、ワルサーP08を放りあげる。
凍り付いた表情でそれをなんとか受け止めた溥儀は、老人のように痙攣している手でその拳銃を握りしめる。
「満洲帝國皇帝を舐めるなよ、孺子。誰が貴様の手になどかかるものか」
そう日本語で吠えた溥儀は、ワルサー拳銃の銃口を程に向けて引き金を引いた。
しかし、拳銃が咆哮することはなく、むなしく金属音が響いただけだった。
「馬鹿が、銃弾が入っている拳銃など誰が渡すものか」
程はMP28の引き金をあっさりと引いた。
ドイツ製の短機関銃は信頼性の高さを裏付けるかのように、完璧に作動した。
箱型弾倉から給弾される9ミリパラベラム弾は、わずか一分にも満たない時間で撃ち尽くした。
弾倉に装填されていた32発の弾丸は、瞬時に溥儀の肉体を穴だらけの『ボロ雑巾』に仕上げた。
大量の血液が周りにまき散らされ、女官たちがまた悲鳴をあげる。
「革命はここに成った。さて…」
程がそう言いかけたところに、進藤と前原が部屋へと入ってきたのを認めた党員が制止の声をかける。
「待て、そいつらは味方だ。銃を下せ」
程の指示に従い、党員たちは渋々銃を下げる。
「皇帝の殺害に成功したようだな」
進藤は相変わらずの仏頂面で謁見の間の玉座に歩いていくと、溥儀の死体を確認する。
どこで入手したのか皇帝溥儀の写真を胸ポケットから取り出し、死体の顔と照合する。
「そうだ。まさか影武者ということもあるまい?一応、顔には当てないようにしたぞ」
「…確かに間違いなさそうだ。これで作戦目的は達成ということになる。我々は予定通りに離脱するが、貴様たちはどうする」
「我々は皇帝を殺害して終わりという訳にはいかん。新政府樹立には金もいるし、部下も昂っているからな」
程はその言葉を待っていたと言わんばかりの、党員たちの期待の顔に手を挙げて答える。
女官たちはその言葉の意味を悟り、また金切り声をあげる。
「貴様たちの好きにしていい。だが、羽目を外し過ぎるなよ」
程の許しとともに、獣と化した党員たちは我先に女官たちに飛びかかっていく。
怯えきった女官たちは誰もが諦めきった顔で、抵抗する気力もないように見えた。
「早く離脱したほうがいい。いずれ日本軍の鎮圧部隊がこの皇宮にやってくる。満洲国軍の近衛兵とは桁が違うぞ」
進藤の氷点下を思わせる眼光にも、程は鷹揚に肩をすくめるだけだった。
「わかっているさ。だがこうなっては俺にすら止められない。命がけの戦闘の後なのだ」
「忠告はしたぞ」
「分かった、分かった。新国家建設の資金になるブツを回収次第、遁走を図るさ」
程は手のひらを振るだけで答えると、部下を数人選んで従えながら金目の物を物色し始める。
どこまでも即物的なその行動は、唯物論者の行動としてはある意味正しいのかもしれなかった。
「放っておけ。我々には時間がないのだろう」
前原の言葉に、進藤は引き金に手をかけかねないと思わせる顔で答える。
「わかっていますよ。我々は予定通り国境へ向かいましょう。こんな連中、放っておけばいい」
絶対零度の声でそう言い放った進藤は、踵を返して出口の扉へと足を進めた。
その後ろにつかず離れずついていく前原の顔は、どこまでも無表情であった。
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