第64話 謀殺

14時45分(現地時間)


「話とは何だ」


 長田は今にも怒鳴り散らしそうな顔で、乱暴に紙資料を梅津大将の執務机に放り投げる。


 矢継ぎ早に伝令の兵士がもたらす混乱した情報が、本来は豪放磊落な彼の精神を痛めつけて余裕を奪い去っていた。


 先ほどから響いている銃声は、徐々にこの部屋へ近づいているように感じられる。


「市内各所で襲撃を受けている。無論、この関東軍司令部もだ。現在警備に当てていた部隊に反撃させているが、向こうも相当の練度を持つ部隊だ。あまり状況は良くない」

 

 前原の口調はどこまでも淡々としており、まるで他人事のように聞こえた。

 それが長田の神経を逆撫でする。


「相変わらず妨害電波が飛び交い、無線通信による連絡は困難。伝令に出した兵士も大半が戻らない。帰還した数少ない伝令兵の報告によれば、敵は「錦の御旗」や「御真影」を盾にして進撃している。おかげで戦う前に戦意喪失する部隊まで出ているらしい」


「敵とは誰なのだ」


「おそらくは本土からの鎮圧部隊だろう」


「何故、ここまで接近されるまで気づかなかった。敵の兵士はどこから…」


「おそらく、回転翼機。先程の爆音はオートジャイロかその類の航空機だ。それがここまで敵の兵士を運んできたのだろう。こちらの数少ない電波探信儀は妨害電波で役に立たない。目視による対空見張りには限界がある」


「回転翼機、だと。あんな玩具に兵など運べるものか。運べたとしても」


「忘れていないか。あれが未来の技術で作られていたとしたら、『歩兵を部隊ごと輸送出来る回転翼機』などというシロモノがあっても不思議ではない」

 前原の言葉に、長田の顔がゆっくりと歪んでいく。憤怒とも後悔ともつかぬ複雑な感情が渦巻いているのが、ありありと見て取れた。


「あの情報は真実だったという訳か。あの気狂い参謀の言うことが、真実だったと?」


「そうだ。おそらく航続距離もたいしたものなのだろう。満州国内で補給が出来たとも思えない」


「桁外れの性能だな。固定翼機並みか、それ以上ではないか。道理で足が長いわけだ」


「単なる推測だが、兵士の練度も向こうの方が上だろう。奇襲効果を考慮しても、防御側であるこちらの方が有利だろうからな」


「相変わらず貴様は忌々しいほどに冷静だな。で、どうする。ここが陥されてはどうしようもないぞ」


「そうだな、ここが陥されては我々蹶起部隊にとっては致命傷となる。陥落を避ける手段は、存在しない」


 よどみなくそう言いながら、音も無く自然な動きで近づいてきた前原に対し、長田は何も反応することが出来なかった。ただ眼球だけが驚きに見開かれていた。


 前原は腰のホルスターから私物のルガーP08拳銃を引き抜く。そして長田が反応する前に、至近距離から彼の頭部に向けて引き金を引いた。


殺気も何も感じられない、まるで紙屑をゴミ箱に捨てるかのような「作業」としての振る舞いであった。


 花火のような乾いた音を立てて発射された9ミリパラベラム弾は長田の左のこめかみから脳髄を貫通し、右側から飛び出て行った。噴き出した大量の血液と脳髄が赤い絨毯をさらに深紅に染める。


「貴様…なにを」


 長田の最後の言葉は口の中からあふれ出る血液に呑み込まれていった。


「君は最後まで俺の思う通りに踊ってくれた。礼を言う」


 まだ硬直しきっていない長田の右手にルガー拳銃を握らせ、前原は周囲の状況を確認する。銃声を聞きつけて飛び込んでくる兵士でもいれば面倒なことになるが、差し当たって誤魔化すことはできるだろうと判断する。


「少しは罪悪感を抱くかとも思ったが、やはり何も感じない…か」

 前原はそうつぶやきながら、執務机の引き出しを開けて長田の私物の南部拳銃を回収する。 

 ドアが開く音に気付き、前原はそちらに顔だけを向ける。


「処理は済みましたか」


 部屋に入ってきたのは進藤大尉だった。

 椅子の上で変わり果てた姿となっている長田を一瞥したが、表情一つ変えることはなかった。


「ああ、問題ない。長田参謀はクーデターの失敗を悟って自決、ということになる。いずれは真相が明らかになるかもしれんが、時間稼ぎは出来る」


「いくら弱みを握られているとはいえ、同僚を殺しておいて涼しい顔ですか」


「命じた貴様が言うセリフか」


「…ここまで急かされる羽目になるとは思いませんでしたよ。こうなっては、本命を悟られる前に事を速やかに済ませねばなりません」


 進藤大尉の表情を読み取ろうと、前原は彼の顔をじっと見つめる。

しかし、彼の表情からは何の感情も読み取れなかった。


「手早く済ませましょう」


 進藤の言葉はどこまでも平坦だった。


 通信隊に所属しているからには、さほど多くの実戦をくぐり抜けていきたとも思えない。

 そんな男が死体のある部屋で平然としているのは異常とも言えた。

 どこでこの男は道を踏み間違えたのか。

 

 前原はそれが妙に気になった

 それを知ったところで、何がどうなるというものでもないのだが。


「隠し通路はこの部屋に設置されているはずです。梅津司令に喋ってもらう予定でしたが、呑気に尋問している余裕もない。自白剤でもあればよかったのですがね」


 進藤はそう言いながら執務机に近づくと、引き出しを開けて中身を探る。


「古来城には隠し通路が設置されるものとは聞くが、確かな情報なのか」


 疑問を隠し切れない顔で言う前原も、進藤に倣って本棚の物色を始める。


「施工業者から直接聞き出した情報です。進入口の情報まで喋ってくれればよかったのですが。実際に使う羽目になるとは思いませんでした」


 二人は黙々と作業を続けた。進入口を見つけるまでには十分とかからなかった。


「政変やソ連軍の侵攻といった変事に備えてのことだろうが、我々にとっては都合がいい」


 二人が隠し通路の探索を終えたのは、探し始めて30分以上が経過したころだった。


「まさか本棚の裏とはね。まるで冒険小説だ。さて、この部屋の痕跡を消去したら出発です。私が見張りを務めますので、作業をお願いします」


 前原は露骨に嫌そうな顔をして見せる。

 が、その作業は迅速だった。

 探索のせいで散らばった書類や本を可能な限り元の位置へ戻していく。


「作業が迅速で助かりました、同志前原。パーティーの開始に間に合わないと困るのでね」


 その時、前原の顔にどす黒い怒りの感情が露わになる。


「二度と俺を同志と呼ぶな、進藤大尉。俺は貴様に脅されてはいるが、同志になった覚えはない。


「わかりました、心に留めておきますよ」


 表面上だけは素直に頭を下げて見せる進藤だが、反省しているようには見えなかった。前原の方をみることもなくさっさと隠し通路の奥へ進んでいく。


 怒りの収まらない表情の前原は、進藤の後を追って歩き出した。

 

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