第60話 ノックダウン作戦
1942年(平成32年)12月31日 国防軍統合参謀本部立川司令部
萩原英司国防軍参謀総長は、大型液晶モニターに表示されている事態の推移を示す作戦要図を睨んでいた。表情は普段の柔和な家庭人としての顔ではなく、軍人としての厳めしいものになっている。
作戦を統括する真新しい地下作戦司令室には陸海空軍の将校たちがずらりと雁首を揃えている。基本的には陸軍将校の姿が多く、次いで空軍。海軍将校の姿はやや少ない。
その事に今回の作戦の性格が表れているともいえる。
「コンコルド1、予定通り25分後にディアブロ1を降下させる予定。先行潜入部隊の支援を受けつつ、敵
「ホークアイ1より報告。敵軍の対空砲火および戦闘機の接近を認めず。
次々と舞い込む報告に萩原は手元のタブレット端末に、タッチペンでメモを書きこんでいく。
「よろしい、『ノックダウン作戦』は第三段階へ移行する。ディアブロ1に通達。可能な限りにおいて、非殺傷兵器の優先使用につとめよ。ただし、敵の抗戦が激しく、将兵の安全が確保されないと判断した場合、実弾射撃を可能とする。他は事前に通知したROE通りだ」
「了解。あらためて念を押します」
「彼女は優秀な指揮官だが、手綱は締めておきたい。なにしろ、彼女は敢闘精神がやや旺盛過ぎるきらいがあるからな」
萩原はいつの間にか皮脂で汚れてしまった眼鏡をはずすと、ポケットの眼鏡ケースから取り出した眼鏡拭きで丁寧に汚れをふき取る。
ふき取った眼鏡ふきを丁寧にケースへ仕舞うと、眼鏡をかけなおす。
「予想外に敵の抵抗が見られませんな。事前の対空陣地爆撃もなしに降下部隊を投入するのは肝が冷えましたが」
国防空軍トップにして、国防軍統合参謀本部長を兼ねる
かつてウィングマークをつけていた頃から老け顔で、あだ名は校長先生、コールサインもティーチャーと呼ばれていたのは有名な話だ。
「偵察衛星の写真で、高射砲陣地が設けられていないことは確認済みです。作戦に支障はないかと」
「とはいえ、小火器や重砲でもまったく被害が出ないとはいえないはず。『菊の盾作戦』の霊験あらたかというところでしょうかな」
「提案を聞いた時には正直正気を疑いましたが、現実にシミュレーション予想よりあきらかに損害が低下していることは認めざるを得ません。特殊戦略調査班には面白い人材がいるようだ」
『菊の盾作戦』は、以前から特殊戦略調査班が国防軍に対して、旧帝国軍人による反乱が発生した場合の心理作戦であった。
菊の御紋をあしらった『錦の御旗』を押し立ててつつ、君が代を流す。
天皇の軍隊として教育されている旧日本軍に、そうしたシンボルは迂闊に攻撃出来ないだろう。さらには『我らは官軍、貴様らは賊軍』とアピールするという、いささかシンプル極まりない手法であった。
そのうえ、作戦のメインとなるのは拡声器を積んだドローンや自動運転車両である。攻撃された場合でも人的損害はほぼ皆無という、一石二鳥の作戦であった。
余談だが、この作戦を提案した現役女子高生作家は、『私のオリジナルという訳でもない。とある漫画のパクリだよ。とはいえ、頑迷な旧軍の軍人であればあるほど効果があるだろう』とドヤ顔で語ったものである。
萩原は率直に提案の有効性を認めつつも、複雑な表情だった。
「たいした効果と言えるでしょう。我々も心理戦研究は行っていましたが、あの突飛なアイデアというのは素人の強みでしょうな」
専門家ほど、専門分野のの常識にとらわれて柔軟な発想が出来なくなるのは普遍的真理である。その辺が分かっているからこそ、萩原の心中は複雑なのだった。
分かってはいても、プロであるだけに良識や政治的遠慮が邪魔をしてやりにくい。
「今後は心理戦研究にもっと予算をかけるように提案しますよ。さて、問題はここからです。なにしろ市街戦だ」
紫香楽は感情の読めない糸目で、刻々と変わる戦況を見ながら答える。
「装備と情報はこちらが有利、ですが…」
「時間は向こうの味方ですからな。満州国市民に犠牲が出ることは可能な限り避けねばならない。難しいことです」
何度もシミュレーションしたとはいえ、一抹の不安が拭えない。
萩原の表情がどこか冴えないのも道理ではあった。
市街戦とは、遮蔽物が無数に存在して視界がきかない意味においては密林と似たようなものだ。
その厄介な戦いの代表例が、『現在』スターリングラードで繰り広げられている戦いだ。かつての史実では装備の質で勝るはずのドイツ軍が、遮蔽物となる瓦礫が多くある市街地で狙撃や奇襲に苦しめられ、結局は撤退を余儀なくされている。
それに加え、今回は保護国の国民という要素さえある。
野戦砲や重機関銃の類を市街地で使用すればたちまち一般市民に犠牲が出る。
その犠牲は今後予想される満州国との外交交渉において、不利な材料として最大限利用されることになるかもしれない。
――外務省のお公家連中からお小言を言われる程度では済まないだろうな。
そんな事態を想定するだけで頭痛がしてくる。
「世はすべて事なし、といけば良いのですがな」
紫香楽はそう言いながら小型の魔法瓶のキャップを外し、ほうじ茶を注ぐ。
時間が経ち過ぎているせいか魔法瓶の中に入っていたにしてはぬるくなりすぎていた。
かつては官庁でも自衛隊でも会議などにはペットボトルのお茶が支給されていたが、それはもうはるか昔の話に思える。
民需品の石油化学製品は資源不足を理由に規制され、昨今ではペットボトルはスーパーやコンビニエンスストアから姿を消した。飲み物の容器は昔ながらの再利用可能なガラス瓶や、スチール缶が主流になっている。
そのスーパーやコンビニにしても24時間営業の店舗は都市部でもすでに皆無となり、空になったまま商品が補充されない棚も珍しくもない。
先の戦争時の統制経済への反省もあり、政府や業界の必死の努力でごく一部の生活必需物資を除いて配給制度への移行は免れてはいる。しかし、今後どうなるかは予断を許さなかった。
戦時体制は静かに国民の生活に影を落としつつあった。
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