第59話 緊急放送

                   12月21日 12時23分 新京中央第一放送第二放送室


 その日のラジオ局の局内では指一つ動かすのも躊躇われるような緊張感が満ち満ちていた。

 空気がやけに薄く感じるのは、何もストーブの火力が強すぎるせいではないだろう。

 放送室とは硝子で隔てられている副調整室では、機械調整係と番組スタッフが、アナウンサーが緊張した面持ちで原稿を読んでいるのをかたづを飲んで見守っていた。

 彼らの背後には三八式歩兵銃を携行しつつ、直立不動の姿勢を取っている関東軍の兵士がスタジオを見下ろしている。よくよく見ればまだ少年の面影が残る顔立ちだったが、油断なくスタジオを見渡している姿は一人前の兵士そのものだ。

 昨日の午後、この新京中央放送局に現れた関東軍の兵士たちは銃口を突きつけつつ、居丈高に告げた。

「このラジオ局は臨時行政委員会が一時的に接収する。今後は、臨時行政委員会の指示に従ってもらう」

 民間人であるラジオ局員たちは、黙って従うほかなかった。 

「皆さん、こんにちわ。こちらMTCY、新京中央第一放送です。予定を変更し、臨時ニュースを放送いたします。満州国国民の皆さん、そして満州に居留する日本人の皆さん。本日より満州帝国は戦局の悪化に伴い、臨時行政委員会が組織されました。

 今後は満州国政府に代わり、臨時行政委員会がすべての行政、司法、治安維持などを行うこととなります。

 英米をはじめとする連合国との戦いは激化の一途をたどっており、日本と一体となり高度国防体制を構築する必要があるのです。

 なお、行政の移行に伴う臨時措置として、満州国への出入国が禁止されます。また午後7時以降の外出を原則禁止する夜間外出禁止令が敷かれます…」

 読み上げる若い男のアナウンサーの顔は引きつりっぱなしだった。

「こんなこと許されていいんですか、渡辺サン」

 綺麗な日本語でそう言ったのは、満州人の少女だった。

 彼女はこのラジオ局で事務員や様々な雑用をこなしつつ、アナウンサー見習いとしてマイクの前に立つこともあった。

「声が大きい。あまり軍人さんを刺激せんほうがいい」

 自分の娘であってもおかしくない年齢の年相応の正義感を窘めようと、彼女の肩を軽く叩いてやる。

 彼女は不満げだったが、さすがに兵士相手に食ってかかることもなかった。

「この中で満州語が出来るものはいるか。満州語でも同じ内容を流せ。ただし、余計なことは話すなよ」

 それまで彫像のように直立不動の姿勢を貫いていた兵士が、急に注文をつける。

「急に言われては困りますな。少しお時間をいただきますよ」

「構わん、原稿を翻訳する時間はやる。それまで、同じ内容を繰り返し流しておけ」

 命令するのに慣れた口調で兵士は、再び口を閉ざして直立不動に戻る。

-俺も徴兵されていたころはこんなだっただろうか。除隊する前の事なんざとうに忘れてしまったが、教官殿の狂気じみたしごきは朧気に覚えているが。

「すまないが、満州語の手ほどきをしてくれんか。俺も簡単な会話程度ならどうにか分かるが、原稿となると自信がない」

「…分かりました。渡辺サンの満州語、とても怪しいデスからね。アナウンサーに読めるように、ローマ字で書きましょうか」

「いや、君が話したほうが早いだろう。まあ、緊張するな。多少トチったところで気にするような人間もおらんだろう。」

 彼女は自分で原稿を母国語で書いてマイクに向けて話せることに、純粋に楽しみを見出したようだ。既に自分のカバンから取り出したノートに、渡辺が差し出した日本語の原稿の対訳を鉛筆で記していく。話す方は少しあやしいところのある彼女の日本語は、書くほうでは信頼のおけるものだ。

 渡辺はあらためてスタジオを見渡しながら、自分が守るべき職場を再確認し、密やかな誓いをたてる。。

―軍人どもの思惑なんぞ知ったことじゃないが、俺のスタッフたちは誰も傷つけさせない。どんな手段を使ってもだ。

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