第55話 立川広域防災拠点

1942年12月30日 4時45分(日本標準時) 立川広域防災拠点地下会議室

 

 立川広域防災拠点は東京都立川市、中央線立川駅北側の昭和記念公園や民間の商業施設などが立ち並ぶエリアに隣接している。数年前に特撮映画で一気に有名になったが、それまではベテランのタクシードライバーですら、その場所を知らない施設であった。

 震災を主に想定した有事の防災司令施設として整備された施設である。最近になって設けられた地下施設、国防軍統合参謀本部所有の司令部施設内の会議室では、ある会議が行われていた。

 この施設は本来、「予備の予備」として有事に備えていたが、時震による戦時体制へ移行するとともに、急速に再整備と活用が並行して進みつつあった。

 霞が関の官僚の噂では「東京大空襲のような大規模空襲や核攻撃を想定したものだ。松代にも地下に『大本営』が整備されつつある」とまことしやかに噂され、週刊誌やテレビも騒いでいたが、政府はそれに対し否定も肯定もしていない。

  一つ言えることは、霞が関の官僚も、国防軍の軍人たちも高速大容量通信を活用して分散配置がなされつつあるということだった。

「スクリーンに衛星写真を出します。これは現地時間で3時12分に撮影されたものです」

 戦略偵察局の課長級局員の声とともに、照明が落とされた会議室の据え付け式のプロジェクタースクリーンに偵察衛星が撮影した写真が表示される。一見したところでは単なる航空写真にしか見えないが、局員がノートパソコンのエンターキーを叩くと、移動中の部隊が矢印と円で強調表示される。

 最近はヒューミント組織としての側面が強調されがちな戦略偵察局は、元々偵察衛星の運用や衛星写真の解析を専門としている組織として発足した組織であった。国防軍の情報本部も衛星情報は、基本的に偵察局が提供したデータを用いている。

「以前の撮影データとの比較、そして戦略偵察局SRAから提供されたヒューミント情報により、この移動中の部隊が関東軍のものであることは確定しております」

「規模は?」

 会議室の上座に座っているのは国防陸軍のトップ、荻原英司参謀総長だった。憲法改正後の慌ただしい組織改編時に抜擢人事で大将に昇進した人物だった。眼鏡をかけた姿だけ見れば学者然とした痩身に眼鏡という外見だが、「戦う恐妻家」の異名を取る、尖閣紛争での指揮で知られる人物だ。

 就寝中にたたき起こされたせいか、目元にはいくらか疲れが見える。硫黄島戦からずっと、防災拠点内に整備された宿舎で寝起きしており、ひと月以上家族の姿も見ていない。

「この当時の2個歩兵師団規模かと。なお、郊外で待機中の部隊も行動に加わる可能性は否定できません。新京市内へ突入することを企図しているものと思われます。装甲車両や野戦砲、重機関銃などの実戦を想定した装備が確認されており、これは演習に用いるものとしてはあまりに実戦向けすぎる内容です」

「2個師団だと?規模が大きいな。予備兵力を郊外に残すとしても、これは厄介だぞ…」

 国防陸軍の情報将校からそんな声が漏れる。

「戦略偵察局の見解を聞かせていただきたい。これは反乱、もしくはクーデターを意図したものか」

 萩原の問に、猪口局長が答える。

「おそらくは満州国そのものを制圧するクーデターを企図しているものかと。部隊の規模から、皇宮や満州国の中枢機能を掌握する意図が見て取れます」

「満州国にも独自の軍隊があったはずだが」

「満州国軍はお世辞にも練度が高いとはいえず、実戦経験にも乏しい。国境紛争等で実戦を潜り抜けている関東軍を阻止することは難しいでしょう」

 猪口は手をあげて指示すると、スクリーンの画像が満州国を中心とした中国大陸の地図に切り替わる。

「『満蒙は日本の生命線』と呼ばれていたことからもわかる通り、満蒙は昭和の日本人にとって食糧生産基地でもあり、増えすぎた人口を吸収する植民地でもある。そして、現状は中立国ではあるものの、つい数年前まで国境紛争を経験し、いずれ敵国となりうるソビエト連邦に対する緩衝地帯でもありますからね」

 猪口局長は手元の資料に目を落とすこともなく答えて見せる。

「そんな戦略的要衝を放棄するに等しい決定への不満が、クーデターの原因ということか」

「加えて言えば、私たち平成日本の情報に接したことも原因の一つでしょう。基本的に外地に派遣されている旧軍へ発せられている撤退命令は、我々が戦前の大本営に『なりすまし』て発令したもの。書類及び連絡要員はこちらで徹底的に調査して『偽造』したものですが、本土から情報が漏れるのを防ぐのは完璧に、とはいかない。明確に命令拒否が起こったのは今回が初めてですが」

「何らかの手段で本土の異変を察知していても不思議ではない、か。最近、マスコミから政府へ海外取材の許可を求める声が大きくなっているとも聞くな。そのうちどこかの新聞社やフリージャーナリストが勝手に海外渡航を企てても不思議ではない」

 憲法改正とともに成立した法律で、法的にすべて紛争地として扱われる海外渡航は禁止されていた。法改正前には海外取材を試みるジャーナリストも多かったが、政府は米国との戦争状態が判明してからあらゆる手段を使って海外渡航の『自粛要請』を行っていた。それは『国民の生命保護』をうたっていたが、平時にはありえないほどの脅迫めいた圧力が陰に陽に加えられた。それでも特派員派遣を試みた一部のマスコミもあったが、様々な手段で阻止され、結局今日まで海外取材に成功したマスコミは存在していない。

 政府の報道管制の目的は重要な情報が連合国や海外に派兵されている日本軍に流出することを防ぐことにあった。 しかし、各地から日本軍が撤退しつつある今、政府の管制下でのマスコミの海外取材を許可することは検討されつある。

「すべてSRAの思惑通りということか」

「まさか。我々としては事前の情報収集からこの事態に予測し、政府へも報告書を挙げています。国防軍の情報本部とも情報は共有しているはずですが」

 心外だとでも言うように大げさに驚いて見せる猪口の表情に、兵部は苦々しい思いを隠さない。

 そもそも、関東軍の全面撤退という強引な政策を主導したのは戦略偵察局であるという思いがあったからだ。この反乱が起きることまで、最初から織り込み済みであったのではないかという疑念が拭えない。

「軋轢はそこまでにしておいてください。今は戦時、軍もSRAも一致協力して困難にあたる時ですよ」

 釘を刺すように言ったのは、テレビ会議システムでつながっている首相官邸の峯山防衛大臣だった。スマートな物言いながら、有無を言わせない圧力を感じる言葉だった。

 普段マスコミの前では隙の無い峯山も、髪の毛に寝ぐせがついていたり、ネクタイの締めかたが怪しくなっていた。

 「…いずれにせよ、日本としてはこの事態を放置できません。一地方軍の反乱にとどまらず、満州国政府にまで害が及ぶとなれば国際問題です。そのうえ、満州国内にはいわゆる『大慶油田』が手つかずのまま存在します。これを反乱軍、および近隣諸国に渡すのは日本の国家戦略に甚大な影響を及ぼします。」

「先日の通達以降、我々軍は作戦計画の立案と、事態を想定した訓練を行ってきました。問題はありません。行けと言われれば、いつでも行けます」

「よろしい。この後すぐに、関東軍反乱鎮圧作戦に関する閣議が行われる予定です。閣議の議決がされ次第、国防軍は反乱鎮圧部隊を緊急展開してください。」

「了解いたしました。派遣部隊に関する詳しいデータは速やかに送信します」

「宜しい。戦略偵察局は国防軍を情報面でバックアップしてください。衛星情報の共有は徹底するように。それでは解散。各自、最善を尽くしてください」

 国防軍の将校たちは、テレビ会議システムのカメラへ向かって一斉に敬礼を送る。

 猪口局長も表面だけは殊勝な態度で頭を下げて見せた。

「忙しくなるぞ。派遣部隊の状況確認を急いでくれ」

 そう言いながら慌ただしく立ち上がり、会議室を後にする。

―さて、始まったか。関東軍を排除し、満州国を作り変える。それが日本の持久体制の根本を支える。しくじる訳にはいかない。

 猪口はそう内心でつぶやきながら、会議室の椅子から立ち上がった。


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