第48話 東京観光

 1943年1月15日 北海道夕張市郊外 捕虜収容所


 ジョン海軍中尉にとって、ホッカイドウの原野に作られた捕虜収容所での暮らしは快適そのものであった。


 食事は十分な栄養と、アメリカ人の好みに合わせたものが食堂で提供されたし、娯楽室では日本国内で発行されている英字新聞を読むことも、ビリヤード台やトランプで遊ぶことも出来た。


さすがに賭けポーカーをやろうと企んだ連中は、日本の国内法に違反するためやんわりと止められたが。(それでもこっそりと行うものは少なくなく、日本人は大いに苦労させられていた)。


 外出こそできなかったが身体を拘束されることもなく、収容所敷地内ならば自由に歩き回ることが出来た。


そんな日々のなか、ジョンがハマったのは、娯楽室の液晶テレビで日本の番組を視聴することであった。英語字幕や、英語副音声が出るように設定されているため、内容の理解にも支障はない。


 合衆国でも実現していないテレビジョン放送が全国に普及しているというのにも驚かされたが、特に驚いたのは戦時中なのに政府批判を行うニュース番組の報道姿勢だった。


 戦時中の国家ならば体制のプロパガンダに沿った報道がなされるというのが、ジョンの常識であったからだ。青木大尉に言わせれば「これでも開戦以降は政府よりの報道が増えた」というのだから呆れるほかなかった。


 そんな日々の中、ジョンは青木大尉に呼び出された。


 スチール製の事務机に書類の山が重なっている。その隣にはギシギシ音を立てる合成皮革のソファと、ガラステーブルで構成されている応接セットが鎮座していた。

 そのガラステーブルの上には英語や日本語で書かれた本など雑多な本が積み上げられていた。

「ケネディ家―栄光と悲劇の一族」、「ジョン・エフ・ケネディとその時代」等々。

 共通しているのは自分の名前や写真がその表紙のどこかに必ず書かれている点だった。


「こいつは何の冗談だ?」


 悪夢を見させられている気分で、ジョンはそこに置かれている本の中から適当に一冊を手に取った。


「JFK――暗殺の真相」と書かれた本をめくってみる。


 ダラスを訪れたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領が、オズワルドなる人物に暗殺された事件のルポルタージュ、というのがその本の要旨だった。彼らの黒幕は当時付き合いのあったマフィアの親玉だ、という文字を見てめまいを覚える。


「冗談も何も。将来大統領となるあなたに関する本ですよ。もっとも今度の『二度目の世界』であなたが合衆国大統領となるかどうかは、神のみぞ知るといったところですが。」 


 ソファーに座っている青木大尉は、その凹凸の少ない顔に悪魔ルシファーのような笑顔を浮かべて言った。


「ああ、失礼。『二度目の世界』について説明がまだでしたね」


 青木大尉はそれから、平成の日本列島が昭和――1942年の世界に現れた経緯についてかいつまんで話した。


ジョンにとっては信じられないことだらけだったが、青木の言うことが事実であるならば何もかも辻褄が合うことだけは確かだった。


「戦後は政界に進出し下院議員を務め、1960年の大統領選挙に出馬。現職の副大統領であったジョンソンを破って大統領に当選」


「そして1963年11月22日、ダラスを翌年の大統領選挙キャンペーンで訪れた際に、オープンカーでのパレード中に狙撃されて暗殺されるという、悲劇の大統領という訳か」


「言いにくいことを言ってくださって助かります。もちろん、先程言った通りこれはあくまで《一度目の世界》での歴史に過ぎません。前の世界では魚雷艇を指揮していたようですが、少なくとも硫黄島いおうとうの戦いで魚雷艇の出番は無かった。既に我々が知る歴史の貴方とは異なる運命を歩んでいる」


「ならば、何で俺が呼ばれた?この世界の歴史では、政治家ではなくただの合衆国市民として一生を終えるかもしれない」


「もちろん、その可能性はあります。こうして、将来の運命を提示することで政治家の道を諦めるかもしれない。しかし、我々としてはありとあらゆる可能性について打てる手を打とうとしているだけです。将来貴方がアメリカ大統領になる可能性を、日本政府としては放置できない。それに、『一度目の世界』の貴方に関する情報は、いずれ何らかの形で貴方が見聞する可能性は高い。なにしろ貴方は良くも悪くも有名人ですからね。」


「放っておいても、どこかでその情報に触れる機会はあるかもしれない。ならば、積極的に情報を与えたほうがいい。そういうことか」


「察しがよくて助かります」


「それで、具体的には俺に何をさせたいんだ。将来の大統領かもしれないが、今はしがない海軍中尉でしかない俺に」


「我々はすでにこの戦争が終わった後のことを見据えて動いています。あなたには、この日本という国家の有り様をよく観察していただきたい。それが我々の唯一の希望です。もちろん帰国後、見聞したことを広めてもらえばありがたい。合衆国当局が緘口令を出さなければの話ですが。」


「緘口令か、当局がそんな命令を出すとは思えないが」


「もちろん、アメリカは表現の自由が保証された国家ですから。杞憂であろうかとは思いますがね」


「しかし、俺が合衆国大統領とはな。しかも、魚雷艇を沈められて英雄扱いだ」


 ジョンは思わず天を仰ぐような仕草をしてしまう。


 手元の書籍にある通りならば『一度目の世界』でジョンは魚雷艇の艇長として戦闘に参加し、日本軍の駆逐艦に艇を沈められて漂流の後に生還している。政界に進出したあとも、この従軍経験はマスコミで武勇伝として取り上げられていたらしい。


 もっとも、『一度目の世界』の自分はそのことを快くは思っていなかったようだが。


「しかし、俺が日本のことを話したくらいでさほど状況が変わるとは思えないが」


「先ほど言った通り、打てる手は打つということです。連合国との停戦のためならば日本政府はあらゆる努力を惜しまない、とご理解ください」


 青木大尉はこともなげにそう言うと、作り物めいた笑顔を見せる。


「これは個人的な意見なのですがね。私は、日本と合衆国は戦争状態を一刻も早く終わらせ、次の戦争の準備をせねばならないと考えます。」


「次の戦争、だと?」


「共産主義との戦いですよ。もし、日本と合衆国との停戦が成ったとしても、彼らとの戦いは避けられないでしょう」


「ソ連が敵国になる、とうことか」


「少なくとも、『一度目の世界』がたどった歴史通りならば。だからこそ、あなたには日本という国が同盟国に相応しいか、自身の目で確認していただきたいのですよ。合衆国への交換船の準備が整う前に、その機会を設ける予定です」


 青木大尉は不可解な笑みを浮かべて答えた。

 それに対して、ジョンは戸惑うばかりだった。

 

               ◆


 1943年3月12日 東京大手町


 ジョンは自分がタイムズスクエアにいるかのような錯覚に襲われていた。

 見上げるのも苦労するほどの高層ビル群に、人の多さに窒息すると思うかのような雑踏。


 雑多な日本語は、おそらく何かの店の宣伝や商品の売り込みに関するものなのだろう。ところどころに奇妙な英語が混じるために、ジョンにもおおよその内容が把握できる。


 歩行者信号が青に変わると同時に、歩行者が縦横無尽に自分の目的地へと歩き出すところなどは壮観だった。あれだけバラバラに人が動いていても直前に察知して避けたり譲り合ったり。


 スクランブル式交差点というらしいが、アメリカではとてもではないが使えないだろう。


「日本人が木と紙で出来た家に住んでいるというのは、ガセだったようだな」


 そう話しかけてきたのは、硫黄島で知り合った海兵隊のスコット中尉だった。

 いちいち感情表現の大きな奴だなと、ジョン中尉は呆れた顔で応じる。


 スコット中尉は先程車内で昼食として配られたハンバーガーを片手に、いかにも

『おのぼりさん』といった表情で、首を右に向けたり左に向けたり忙しい。


 ちなみに、ハンバーガーは『MOZU BURGER』と赤いロゴマークが入った包み紙に包まれていた。日本人好みの味になっているようだが、なかなかに美味かった。


 まさか捕虜の身でハンバーガーが食べられるとは思わなかったが、日本でもハンバーガー店は珍しい存在ではないと聞いてさらに驚いた。敵国でアメリカ文化が根付いているとはなんとも奇妙な話だ。


 ジョン中尉たちは日本政府の用意したバスに乗せられていた。

 余裕のあるつくりのバスなのだが、屈強な体格の多い兵士達にはいささか窮屈に見える。それもそのはず、久しぶりに味わう娑婆の空気に誰もが心を沸き立たせて大騒ぎしているからだ。


 それでも外には見渡す限り原野が広がっていた捕虜収容所に比べれば、変化に富んでいる都市部の風景は見ていて飽きない。


 車外の人間から見れば、物見遊山の観光客のように見えたに違いない。

 もちろん、バスの前部と後部にライフルで武装した兵士が数名控えて監視しているのを見れば、異常に気が付いただろうが。


 ジョン自身も手首に発信器のついた腕輪さえはめられていなければ、海兵隊中尉のように呑気にしていられたかもしれない。


 いや、スコット中尉のこのはしゃぎようも無理のないものかもしれない。

 なにしろ、この東京見物のあと、我々は横浜港から中立国へと向かう捕虜交換船で合衆国ステイツへと向かうのだから。


 手首の発信器とやらはそれまでの「念のための」措置らしいが、実際はもう解放されたも同然だった。交戦地域を避けるために地球を一周するような航海となるから、祖国の土を踏むのは数カ月先になる。

 それでも、五体満足で祖国へ帰ることが出来るのは喜び以外の何物でもない。


「おとなしくしていろよ。俺たちは一応捕虜なんだからな」


「そうは言ったってな。ジョン中尉。このごっつい風景を見てお澄まししてという風に言われても無理だろうよ」


「まあ、気持ちは分かるんだがな」


 ジョンはそう言いながら車窓から見える日本の市街地の風景を食い入るように見つめていた。


 道を歩く日本人の表情は、戦時中のものとも思えないほど明るい。


 背広を着たサラリーマンから水兵の服に似た制服に身を包んだ女子学生など、老若男女雑多な人間が歩いている。特徴的なのは奇妙な板状の端末を片手に持っている人間が多いことだ。


「あれはスマートフォンといいましてね。携帯型情報端末とでも言えばいいんでしょうか。電話機をはじめ、様々な情報を表示する機能があります。」


 不意にそう声をかけてきたのは、青木大尉だった。

 心の中をのぞかれたような気がして、思わずジョンは身構えてしまう。

 

 相変わらずにこやかな笑顔を張り付けてはいるが、眼鏡の奥の瞳はけして笑っていない。収容所内と変わらず、プレスの利いた軍服を着て、軍人としては長めの髪を整髪料で撫でつけている。


「あれが電話機だと?無線電話機にしてはアンテナも無いし、あの細い板のどこに蓄電池が搭載されているというんだ」


 ジョンの常識では電話機というのは据え置き型であり、持ち歩けるものではない。   軍用の無線電話機でも重い蓄電池が搭載されており、なんとか兵士が一人で持ち運ぶことが出来る程度のものだ。


「78年後の技術力の産物ですからね。ちなみにこの端末は合衆国の企業のものです。もっとも、製造元は人件費の安い中国ですけどね」

 

そう言うと、軍服のポケットから裏に林檎のマークがある『スマートフォン』を取り出す。

 青木が何度か画面をタップすると、若い女性がマイクを持って歌っている動画が驚くほど高精細な画像で板状端末タブレットの有機EL画面に表示される。


「何度見てもクレイジーだ。未来人の技術と言われても、納得するしかないな」


 スコット中尉はもの欲しそうにその端末を眺めていたが、青木はさっと端末をポケットへ引っ込める。


「おっと、目的地が近づいてきたようです。そろそろ、観光の時間ですよ。なにしろ、あなた方にはこの2020年の日本を精一杯体験して、合衆国へお帰りいただくのが我々の仕事ですので。まずはこの皇居インペリアル・パレス前広場から、という訳です」


 青木はそう言うと仮面じみた笑顔を浮かべて、バスの前の方の自分の座席へと帰っていった


 バスは皇居前広場の中の道幅の大きな道路に直接乗りつけた。

 事前に知らされていた皇宮警察の警察官たちが、派出所から出てきて防御するように展開する。

 事前の警備計画通りの行動なのだが、ジョンたちには威圧的な行動に思えた。


「近代的なビル街と同居する、エンペラーの居城か。まさに日本の象徴のような場所だな」


 ジョンは背後に広がる綺麗に整備された庭園と、目の前にある濠に囲まれた皇居をなめるようにぐるりと眺めた。バスに同乗していた日本軍の兵士たちは、捕虜たちの周囲を取り囲むような形で展開する。


 警察官たちとは敬礼を交わしてはいるものの、どこか疎遠にも見えた。

 ジョンが驚いたのは、兵士や警察官たちを物珍しそうに眺めながら、ランニングや散歩を楽しむ市民がごく近くにいることだった。


 日本とはかくも奇妙な国なのか。

 いくら石垣や壕、そして警備兵に囲まれているとはいえ、捕虜をエンペラーの住まいに連れてくるとは。


 ジョンは呆れつつも、この奇妙な国の居心地がけして悪くないことに戸惑いを覚える。


「この皇居は元々徳川幕府の城郭として建てられ、明治維新後に新政府が発足してから京都から東京へ遷座されたのちに皇室のお住まいとなったものです。元々の京都御所は、このような要塞ではなく外壁を持たない建築物です」


「外壁を持たないだと?襲撃を受けたらどうするんだ」


 ジョンの常識によれば、王族とは高い外壁や濠によって護られた居城に住むものである。合衆国は王室を持たないが、王室が革命によって打倒された歴史を持つ欧州では特にそうだろう。

 共和制国家の軍人であるジョンにとっても、それが常識だった。


「サムライが政治の実権を握って以降、天皇は権力から切り離されました。その後は権威のみを持つ存在でしたからね。幕末には宮中に困窮した庶民が入り込んで天皇に直訴するという事件があったくらいです」


「そんな馬鹿な。ステイツの大統領でもそれは無理だ。欧州の王族ならその場で処刑されかねない」


「いや、それが事実なんですよねぇ」


 絶句するジョンに対し、青木大尉は愉快そうに笑った。


「そうそう、日米開戦時の昭和天皇も、今上陛下も平和主義者という点では共通しています。特に昭和天皇はヒトラーやムッソリーニといった成り上がり者と同盟を組むなどもってのほかで、英米と強調せよというのが持論でしたし、開戦後も皇居の執務室に飾っていたリンカーン大統領像をそのままにしていたという話さえあるくらいですから。」


「馬鹿な。仮にも敵国の大統領像を執務室に置いていただと?」


「それだけ英米に親近感を抱いておられた証拠でしょう。おそらくは皇太子時代の欧州視察旅行が多分に影響しているものと思いますが」


「そんなエンペラーがいるのに、アメリカと開戦することになったわけか。君主が開戦に反対しているのに、戦争を止められなかった?」


「昭和天皇は立憲君主としてのお立場を厳格に順守されるお方ですからね。陛下が憲法の規定を越えた超法規的措置、『御聖断』を下したのはクーデターである二、二六事件と終戦時のポツダム宣言受諾の二度だけです」


 ジョンは青木の返事に、複雑な表情で応じつつ、開戦に反対していた戦争で国民が斃れていくさまを見守るしかなかった君主の心中はどんなものだったのだろうかと考えた。

 軍人である自分は命令が下されれば、余計なことは考えずに国家のために戦えばよい。が、エンペラーはそうはいかなかったろう。


 そして、今この城の中に住まう次の代のエンペラーは、突如巻き込まれたこの戦争をどう思っているのだろうか。そのことがいつまでもジョンの脳裏から離れることはなかった。

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