満洲帝国編

第45話 JFK

 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディにとって、この戦争はボーイスカウトのキャンプのようなものになるはずだった。


 もともと、ジョンは陸軍士官学校と海軍士官学校を受験したものの、健康上の理由で不合格となっていた。実業家である父親は知人の海軍士官に頼み込んで、彼を海軍士官養成コースへねじこんだのである。


 海軍士官となったジョンは、安全な後方勤務で本土にとどまっていた。しかし、スパイ容疑のかかったスェーデン女性と付き合っていたことが問題となった。


 海軍士官としての経歴ベストにシミを付けることを嫌った父は、再び影響力を駆使してジョンを海上勤務につけるように工作した。

 そして、ジョンは魚雷艇乗組員としての教育を受けることになる。


 しかし、戦況が急速に変化して対日戦での魚雷艇の出番はほぼなくなったと海軍上層部は判断した。

 そのため、ジョンは輸送部隊へ転属となり、訓練もそこそこに硫黄島の戦いへと投入されることとなる。


 上陸作戦があらかた終わってから上陸した部隊へ物資を届けるのが彼の任務であり、戦闘に参加するとはいっても安全な後方にいるのが大半になる。

 そのはずだった。

 だが、アメリカ軍による硫黄島上陸作戦、「デタッチメント作戦」は完全な失敗に終わった。ジョンの所属する海軍輸送艦隊を含む海軍艦艇はその大半が太平洋の藻屑と化し、順調に島内の制圧を進めていたはずの海兵隊上陸部隊は圧倒的な火力の日本軍砲兵部隊に滅茶苦茶に撃たれたあげく、見たことのない大口径主砲を持つ戦車やロケットを装備した高速な回転翼機に叩かれる羽目となった。

 精強な殴り込み部隊である海兵隊も圧倒的な火力と鉄量、それでいて正確無比な射撃でもって圧倒されては、もろ手をあげるほかなかった。

 ジョン自身といえば、輸送艦の甲板上で作業していたところに「誘導爆弾」の攻撃を受け、海面へ放り投げられた。爆弾の破片や艦の構造物でズタズタに引き裂かれたりしなかっただけで、彼はずいぶんと幸運だった。


 とはいえ、冬の太平洋の海水は彼の身体から急速に体温を奪っていった。

 生まれてこのかた、彼を苦しめていた腰痛はモルヒネでもうたなければ耐えられないといったレベルまで悪化していた。ここで士官養成コースで受けた水泳教育が役に立ち、彼は懸命に硫黄島を目指して泳いだ。たとえ敵地とはいえ、凍死しそうな太平洋よりはずいぶんとマシなように思えたからだ。


 ようやくの思いで砂浜にたどりついた彼を待ち受けていたのは、ライフルを構えていた日本軍の兵士だった。ジョンが武装していないことを確かめた兵士は、流ちょうな英語でこう言った。


 「ハーグ陸戦法規―に則った扱いをするから安心してほしい。水や食料を提供するし、怪我をしていれば治療する。何か不満があればなんなりと申し出るように」


 かつて日本軍の捕虜に「人道的でない」扱いがなされたという噂と、日本軍による捕虜虐待の話を聞いていたジョンは、あまりに紳士的な態度に面食らうほかなかった。


 続けて姓名を聞かれたが、ジョンは黙秘でももって答えた。その兵士は肩をすくめると、手慣れた手つきでジョンの首にかかっていた認識票を手繰り寄せる。


 寒中遠泳で疲れ切っていたジョンはその手を払いのける余裕もなかった。

 しかし、その兵士はなにごとかを日本語で叫び、続いて興奮した様子でジョンの経歴を訪ねてきた。何故かその兵士はジョンの家族の名前や経歴を言い当てて見せ、ジョンが面倒そうな顔でそれを肯定するとさらに興奮を大きくした。


 プレジデントだのなんだのとつぶやきながら、兵士は大慌てで携帯型の無線機らしい機械にがなり立てるように日本語で報告していた。


 その通信からしばらくして今度は大型の輸送車が砂浜に現れた。輸送車から十数人の兵士が降りてきて、動く気力もないジョンを担架に乗せてこの飛行場に連れてきたのだった。


 飛行場には海兵隊員や水兵、士官や将校など雑多なアメリカ軍兵士の群れが集められていた。手ひどくやられたと思っていた割には、思ったよりも生き残っている兵士の数は多かった。



 海兵隊の摺鉢山の次の占領目標であった飛行場に、いまや捕虜の身となったジョン達は集められていた。

 木材を中で燃やしているドラム缶の周りには、兵士たちが集まって身を寄せている。


 寒さで震えるほどの気温でもないが、海水まみれになっていた身にこの炎は有難かった。胸ポケットに入っていた紙巻き煙草は大半がダメになっていたが、わずかに無事だったものを乾かしてようやく吸えるようになった。

 煙草をくわえながらライターを探るが、どこかへ行ってしまったらしい。


 そこへ火のついたオイルライターが差し出され、ジョンは有難く火を借りる。

 そう言ってきたのはがっしりとした体格の海兵隊員だった。さきほどの戦闘で負傷したのか、額に巻いている包帯に血が滲んで痛々しい。

 階級章は中尉。同じ階級だから声をかけやすかったのかと想像する。


「おい。あんただけ随分と丁寧な扱いじゃないか。あんたはお偉いさんの息子なのか」


「確かに俺の親父は実業家だがね、さすがに日本軍の連中に鼻薬を嗅がせられるほどのコネはないはずだ」


「まあ、それもそうか。…それより、よくもまあ無傷で助かったな。海軍の方も、手ひどくやられたって話だが」


 中尉の質問は詰問するというよりも、退屈を紛らわせるというたぐいのもののようだった。


「幸運だった、それだけさ。どのフネもあの奇怪な爆弾のせいで海の底だ。俺が助かったのはたまたまだ」

「それはこっちも同じだな。大地がひっくり返りそうな砲撃と、オートジャイロのロケット弾で全部吹き飛んじまった。こう言ってはなんだが、あれは本当に日本軍なのか」

「どういう意味だ」

 ジョンの質問に、その中尉は青ざめた顔で答える。

「俺がこれまで戦った日本軍はあそこまで常識はずれの連中じゃあなかった。…こういう噂を聞いたことはあるか。奴らが75年後の世界から来た未来人だとかいう与太話を」

「ああ、そんなパルプフィクションのようなことが起きるわけがないと、昨日までは思っていたが」

「俺は、それがただの噂とは思えなくなっているよ」

 ジョンはそれに対し、何か言おうとしたが言葉がでてこなかった。

 この戦いが初陣である自分が何を言っても説得力がない気がしていた。

 不意に爆音が飛行場に轟き、思わずジョンは空を見上げる。

 頭上では巨大な固定翼機が上空を旋回していた。


 いや、固定翼機と見えたのはジョンの見当違いであった。

 水平位置に固定されていたプロペラが主翼ごと垂直方向へ45度回転し、オートジャイロのような回転翼機へと変化する。


――あんな複雑な可変機構を採用して、よくもまあ落ちないでいられるものだ。

 ジョンが呆気に取られている間にその不可思議な航空機は、空気をかき回しながら飛行場の真ん中に白線でHと書かれた地点へと狙い違わず着陸して見せた。


 この臨時捕虜収容所では、さしてやることがないために日本軍の連中を観察していたが、連中は練度が相当に高い。捕虜の警備にあたっている歩兵も隙が見当たらないし、捕虜たちへ食料や水を供給するのもやけに手慣れていた。


 彼らに先ほど手渡された透明で軽いプラスチック製品らしい容器に入った水も、スコーンのような携行食料も戦場においてはとんでもないぜいたく品に思えて、口をつけるのを躊躇ったほどだった。実際、携行食料はアメリカ軍のどう考えても犬の餌のほうがマシといったレベルのものに比べるほうがおこがましいといった美味さだった。

 彼らを見ると、アメリカ軍のほうが雑で、いい加減に見えてしまうほどだ。


「どうやら、俺たちも移送されるらしいな。できればスイートルームにご案内してほしいもんだが」

 

 中尉の軽口に、愛想笑いを返していると、歩兵を数人引き連れた背の高い日本軍の将校が近づいてきていた。おそらくさきほどの回転翼機に乗っていたのだろう。


「お初にお目にかかります。あなたはジョン・フィッツジェラルド・ケネディ海軍中尉で間違いありませんな?」

 男の英語はアメリカ英語ではなく、嫌味なくらい発音の正確なクイーンズ・イングリッシュだった。


「確かにそうだが、あんたは?」


「日本国国防陸軍大尉、青木雅夫と申します。重要人物である貴方をお迎えにあがりました。」


「この俺が重要人物だと?一海軍中尉にすぎないこの俺が?」


「疑問に感じられるのも無理はありません。ま、その辺はおいおいご説明させていただきましょう。まずはトウキョウへご招待させてください」


「トウキョウだと?」


「まずは我が国の現状をその目でご覧いただきつつ、色々とお話をさせていただきましょう。我が国は国際条約を遵守する民主主義国家ということがご理解いただけるとい思いますよ」


 青木大尉はまるで殺気を感じさせない、それでいて油断していると足をすくわれそうな一流の詐欺師のような顔で微笑んでいる。

 命の危機はまるで感じられなかったが、それ以上の奇怪なうすら寒さを感じて、ジョンは肩をすくめる。


「どのみち、捕虜の俺に選択の権利はあるまいよ。拷問や虐待がないならなんでもいいさ」


 ジョンは投げやりに肩をすくめると、捕虜を囲んでいるライフルを持った歩兵たちに視線を向ける。緊張してはいないが、何か事が起これば躊躇なく反射的に引き金を引ける訓練の行き届いた兵どもと見える。


「拷問などしませんよ。第一、拷問による捕虜からの情報収集は非効率的ですからね」


 青木という大尉は冗談とも本気ともつかない表情でそう言うと、ジョンについてくるように促した。

 捕虜を移送する気にしては、手錠や足かせといった拘束具を使う気もないのに違和感を覚える。

 一応、先程簡単なボディチェックでナイフや拳銃などを隠し持っていないことは確認されているとはいえ、あまりに無防備とも言える。


 素手の兵士相手にはこれで十分という自身の表れということだろうか。

 徒手格闘の心得などまるでないジョンは肩をすくめて、青木大尉のあとに続く。

 青木大尉が向かう先には、先程の不可思議な航空機が鎮座していた。


 機体の後部では積荷のコンテナを下ろしている作業が終わろうとしているところだった。コンテナの中身までは分からなかったが、捕虜に支給する食料品や医療品、衣服の類だろう。

 一方、かわりに積み込む荷物はと言えば、今のところジョンと青木大尉と護送役の兵士たちだけだ。


「まさかとは思うが、俺一人のためにこの飛行機を寄越した訳じゃあるまいな」

「そのまさかですよ、ジョン中尉。あなたがそれだけの重要人物ということです」

 青木大尉は貼り付けたような笑みで、眼鏡のブリッジを押し上げながら答えた。


「分かってはいると思うが、俺はただの一海軍中尉にすぎない」


「まあ、時間はたっぷりとあります。道中、ゆっくりと説明させていただきますよ」


 青木はジョンの言葉を聞く耳はもたないというように、機体へ乗り込んでいく。

 ジョンは思わず肩をすくめると、無言で歩みを促す兵士の視線に押されて格納庫内へ足を進める。


――畜生め。どうなるか分かったものじゃないが、俺には選択肢というものはないらしい。おお主よ、哀れな子羊を故国へ戻し給え。


 ジョンは思わず肩をすくめながら、小さな声で幼少時にどこかで覚えた歌を口ずさんでいた。


「宮殿での享楽もよかろうが、粗末なれども我が家にまさる所はなし」


 小声で歌い始めたはずが、いつの間にか声が大きくなっていく。

 敵地にたった一人で連れていかれる緊張がそうさせたのかもしれない。

――おお主よ、哀れな子羊を麗しの故国へと返したまえ、だ。


「のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友 おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや」


 不意に自分の声に合わせるように歌う日本語が聞こえ、思わずジョンは振り返る。

 護送役の日本兵の一人が、にやりと笑いながら合唱してきたのだった。


 二人の奇妙な合唱を見ながら青木大尉は苦笑を浮かべていたが、いちいち咎めだてするようなことはしなかった。

 それからわずか数分後、飛行機は硫黄島への上空へと舞い上がったのである。

 

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