第44話 雷撃処分

艦隊の現状を一言で表すならば、「酷いありさま」だった。


 アメリカ軍第61任務部隊に所属する航空母艦の最後の一隻、『エセックス』は艦橋のある右舷側はかろうじて水面から顔を出していたが、左舷側はほぼ海中に没していた。


 艦載機の搭載機数は90機にも達し、大型かつ高速という技術大国アメリカの次世代艦隊の中心となるはずの最新鋭空母、といった面影は既に皆無だった。本来なら本格的に戦線に加わるのは1943年春ごろになるはずが、突貫工事でこの海戦に間に合わされた彼女は、その回もなく戦果をあげることも出来ずに日本軍の未知の新型兵器の餌食となった。 


 彼女には、もはや戦闘能力は皆無だった。

 ウェスティングハウス製蒸気タービンは幸い爆発することはなかった。が、極端に航行速度が落ちており、航行するというよりはもはや漂流しているといった風に見えた。飛行甲板にはいくつもの破口部が開いており、艦橋は無残に燃えていた。


 破口部からは時折火柱があがり、周囲に爆発音が響き渡る。

 最後まで懸命に彼女を生かそうとして奮闘していた水兵たちも、その行為の無益さを知ったのか、あるいは総員退艦の命令が届いたか。ついには横付けされたカッターへと乗り移り始めた。


 重油や木片が浮いている海へ、飛行甲板に残っていた最後のF4F戦闘機が海中へ滑り落ちていく。


 海戦が始まったころには真上にあった太陽はいつの間にか太平洋の波間に没しようとしており、周囲を航行する駆逐艦が早くも探照灯を点灯し始めていた。


 吹き付ける海風は油断をしていれば制帽を吹き飛ばしかねない勢いとなっており、救助活動にも微妙な影響を与えていた。 


 もっとも、第61任務部隊の指揮官であるレイモンド・スプルーアンス少将が司令部を移したこの重巡洋艦『ポートランド』も損害は似たようなものだった。かろうじて艦橋部分には被害がなかったものの、一番砲塔は敵の『誘導爆弾ガイデッド・ボム』-アメリカ軍は日本軍の新型誘導ロケット兵器をとりあえずこう呼んでいた―の着弾の衝撃でターレットごと海中へと没していた。


 『誘導爆弾』の残燃料による火災はアメリカ軍らしい応急修理能力でなんとか食い止めたものの、その被害は大きかった。もう一発の誘導爆弾は艦尾付近で爆発、スクリュー二本が損傷したうえに舵機も部分的に故障したため、右にしか転舵することが出来なくなっていた。

 

 推進力が完全に失われたわけではなかったが、優勢な敵の攻撃圏内にある状況でこの損傷は痛いどころではなかった。そんな船に将旗を移さなければならないことが第61任務部隊の置かれている状況を如実に表していた。


「やはり駄目か」


 ポートランドの戦闘艦橋で双眼鏡をのぞいていた少将は、かぶりをふって双眼鏡を下すと参謀に向かって淡々とした表情で尋ねた。

 若い伝令役の水兵が、参謀に向かってメモ用紙を渡す。


「はい、発光通信を受信しました。『機関部浸水のため自力航行能力喪失、われ総員退艦す』とのことです」


「分かった。付近の残存駆逐艦に通信。雷撃処分せよ、と伝えてくれ」


「了解です。発光信号で伝達します」


 参謀は傍らに控えていた水兵に通信文を伝える。


「喪失した艦艇に関する報告を行ってくれ。現在把握している限りで構わない」


「はっ。航空母艦はエセックスの処分ですべて撃沈。護衛艦艇も多数が撃沈され、第61任務部隊の残存艦艇は本艦と駆逐艦5隻になります」


「敵艦隊による第二次攻撃の兆候はないか」


「本艦の対空および対水上レーダーは無事ですが、敵艦隊によるものと思われる電波妨害ジャミングが収まっておらず、通信及び敵艦隊の探知は不可能です。また、水上偵察機による偵察が可能な艦艇は残存していないため、敵艦隊の所在地も不明です」


「つまるところ、何もわからないという訳か」


 スプルーアンスは生来の生真面目さそのままに、さきほど届けられたばかりの戦闘記録に目を落としていた。あの総員退艦の混乱のさなかでもきちんと書類を持ち出す辺りは平時の態度とまるで変わるところがない。


 この絶望的状況下でもまるで表情や動作を変えないところは、ミッドウェー海戦の英雄だけはあると参謀は思った。指揮官が取り乱さないでいるから、この『ポートランド』の戦闘艦橋の誰もが落ち着いていられる。 


  スプルーアンスはこの世界大戦が始まるまで、順当に昇進してはいるが無名の生

真面目さだけが取り柄の少将に過ぎなかった。専門分野も航空戦は門外漢で駆逐艦隊の指揮官としての経歴が長かった。


  しかし、あの航空母艦同士の航空決戦であるミッドウェー海戦の直前に闘将ハルゼー提督が急病で緊急入院した結果、急遽代役としてのお鉢が回ってきたのである。


 スプルーアンスはミッドウェーでフランク・J・フレッチャー少将の第17任務部隊とともに、日本海軍の南雲機動部隊を壊滅させる大戦果を挙げたのである。


 しかし、その英雄の輝きも目の前の現実には何の慰めにもなっていなかった。

 第61任務部隊は事実上壊滅し、残存する艦艇も個艦戦闘がようやく可能というありさまだった。


「ハワイとの連絡も不能ということであれば、致し方ない。第61任務部隊の全残存艦艇へ発光信号で伝達。各艦は独航にてグアムを目指せ。なお、各艦は通信が回復し次第、太平洋艦隊司令部への報告を行うこと。重複しても構わない」


「独航、ですか」


「通常の状態であれば独航など潜水艦のいい的だ。だが、今の状況では潜水艦にやられることよりも、例えただ一隻になっても太平洋艦隊司令部へ状況報告をする艦が必要だ。艦艇よりも情報を最優先とする」


 スプルーアンス少将は演習の結果でも報告するときのように顔色一つ変えず、狼狽を隠せない参謀へと命じた。


 だが、その命令はあまりにも過酷なものであった。

 対潜水艦戦では水中聴音機ソナーや爆雷などの装備も重要だが、なにより複数の艦艇同士の連携がキモだ。熊を追う猟師が、単独では逆襲を受けて容易に絶命するのと同じである。


 謂わば、残存艦艇すべてへ死ねと言っているに等しい。

 見たこともない新型兵器であれほどの攻撃をやってのけた日本軍のことだ。その気になれば、潜水艦だけでなくあの『誘導爆弾』でも攻撃してくるだろう。

 今この時点で攻撃を受けて全滅していないのが不思議なくらいの状況なのだ。


「しかし、せめて本艦だけでも随伴艦を付けられては。駆逐艦を一隻も護衛につけない重巡洋艦など、潜水艦の的です」


 重巡洋艦は元々主砲や魚雷で戦艦を補助する目的の軍艦であり、対潜水艦戦ASWは専門外である。

「いや、本艦も独航でグアムを目指す。言っただろう、この海戦の情報を必ず持ち帰ることが重要なのだ、とな。たとえ司令官が乗っている艦であってもだ」


 参謀は思わず反射的に敬礼をしていた。

 駆逐艦なら軽武装かつ装甲が薄い反面、高速を発揮して敵艦を振り切ることも可能だ。


 しかし、艦隊を組んでいない鈍重な重巡洋艦など砲戦能力を生かすことも出来ずに潜水艦の餌食にされる可能性が高い。祖国のために重要な情報を自分の生命よりも重視し、より可能性の高い方に賭けるというスプルーアンス少将の並々ならぬ決意を読み取ったのだった。


「中佐、君は例の噂を聞いたことがあるか。日本軍の連中が、未来人と入れ替わっているという馬鹿げた噂だ。海兵隊の連中が、闇夜の中で正確に狙撃されたという噂もだ」


「はあ。耳にしてはおりますが、あまりに突拍子もない噂なので無視しておりました。戦場伝説の類かとばかり」


「私も似たようなものだよ。だが、私達が今目の前にしている新型兵器の威力を見る限り、その噂に真実が含まれていると認めざるを得ない」


「真実、ですか」


「そうだ。あの真珠湾パールハーバー攻撃の時に、戦争は戦艦から航空機の時代になった。しかし、敵の『誘導爆弾』はその新たな時代すら飛び越えて、戦争をまったくの別物に変えようとしている。我々の技術で建造する艦艇は一瞬で時代遅れとなってしまった。


 だが、我々が得たその真実も太平洋艦隊司令部、ひいてはホワイトハウスにもたらされなければ危機的な状況を脱することには繋がらない。今合衆国は、この戦争を失いかけている、それだけは確かだ」


「確かに我々は大敗北を喫しました。しかし、我が国の工業力をもってすれば、艦隊の再建は十分に可能でしょう。それまで時間を稼ぐことができれば」


「艦は建造すればいいが、失った将兵を育てるのには時間が必要だ。それに彼らの新兵器を無力化出来るとは思えない。ジャップは本気を出したのだ。有史以来侵掠を受けたことがないというエンペラーの浴槽バスタブへ手を出した我々を許す気はないだろうよ」


「では、彼らは今度はハワイだけでなく、合衆国ステイツへの侵攻を企んでいると?」


「さあ、どうだろうな。私はもっと恐ろしいことが待ち受けているような気がしてならないのだよ。だからこそ、この硫黄島沖海戦の無残な結果を持ち帰らなければならない。それこそが敗軍の将たる私の国家に対して果たすべき責任だ」


 スプルーアンス少将は、海水と重油に塗れてすっかりくたびれてしまった制帽を被り直す。艦長の敬礼に答礼すると、任務部隊最後の命令を参謀に伝達させた。

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