第43話 リトル・ビーバーズ

「人間にとって、国家にとって、そして海軍にとって最も重要なのは、友である。」


「毎時31ノットで急行中(当時の軍艦の実用上の速度限界は30ノットとされていた)」

                      ―アーレイ・アルバート・バーク


 駆逐艦「コンヴァース」の戦闘艦橋で、第23駆逐戦隊の司令官を務める第アーレイ・A・バークはコーヒーを楽しむ余裕があった。戦艦アリゾナや重巡洋艦チェスター、駆逐艦クレイブンなどに乗り込んだ経験を持つだけでなく、海軍省兵備局など後方業務に携わった経験を持つ俊才であった。


 実戦で優れた指揮を示したことが認められ、この作戦が始まる直前に再編された23駆逐戦隊の艦長を任ぜられたばかりであった。的確で機敏な戦闘指揮で知られるこの将校は、早くも将兵の信頼を勝ち取りつつあった。


 彼ら第23駆逐戦隊は第61任務群に所属しており、現在の主要な任務は戦艦部隊の護衛であった。とはいえ、頑強な抵抗を示すと思われた硫黄島に立てこもる日本人は主砲弾を叩き込んでいる最中も反撃に出ようとしなかった。


 護衛の駆逐艦の仕事は日本軍の潜水艦が海中に潜んでいないか警戒するくらいであり、その潜水艦が出没する様子も無かった。おかげで昨日は訓練をするような気楽さで戦艦部隊が砲撃するさまを観戦することが出来た。 


―とはいえ、戦艦の役割が決定的に変わったということは否めないな。


 コーヒーを飲みながらバークは、昨日の戦艦部隊による地上砲撃を思い出していた。


 確かに戦艦による地上砲撃は大威力であり、専門の陸軍砲兵師団すら部分的に凌駕するほどの鉄量を放り込むことが可能であることは思い知った。だが、それは戦艦にとっていわば余芸のはずだ。


 日本軍があの真珠湾でいみじくも証明して見せたように、これからは戦艦の時代ではなく航空機の時代であるということだろう。


 ただ、この大戦のさなかに戦艦という艦種が滅びることもまた考えられない。


 戦艦という艦種には、対空砲や研究中の新兵器であるロケット弾などを搭載する空間的余裕があるし、いかな世界最大の工業力を持つアメリカとは言え、一度国費を投じて建造した巨艦は限界まで有効活用するだろう。


 今のところ、戦艦はおろかバークが率いる駆逐戦隊にも、支援砲撃以外の役割は回ってきそうに無かった。昨日も今日の上陸作戦直前にもPBYカタリナ飛行艇などが執拗に航空偵察を行ったが、少なくとも硫黄島近海には戦艦はおろか駆逐艦の一隻すら見当たらなかった。


 日本本土へと突きつける匕首のような位置にある島を守らなければならない状況としては異常とも言える事態だった。


 バークにとって見れば、行きつけの酒場で親しげに話しかけられたにも関わらずその人物の名前や経歴がさっぱり思い出せないような、なんとも気味の悪い感覚だった。戦闘が始まれば忘れてしまうかと思いきや、支援砲撃が終わって輸送部隊が上陸を開始して、戦艦とともに後方へと下がってからも、その気味の悪さは強まるばかりだった


「日本海軍はまるで音沙汰なしだな。こうも楽に進むと帰って気味が悪い」


「ソナーにもまるで反応がありません。トウキョウでクーデターでも起きたかのように静まり返ってますよ」


 副長の報告を聞いたバークは、指で艦長席の手すりを叩きながら、何かを考えている目になる。


「東條が縛り首にでもなっていてくれれば楽なんだがね」


 バークは苦笑しながら、冷めてしまったコーヒーを飲む。

 日本人嫌いで知られるバークではあるが、彼らの能力を過小評価するようなことはない。


 バークは普段日本人のことを公的な場でも「黄色い猿ども」と口汚く罵ることも多いが、敵としての日本人を侮ったことはない。戦闘意欲に欠ける腑抜けた連中ではなく、むしろその逆であることをしっかりと理解していた。であるからこそ、気味が悪い。


 そんなことを考えながらコーヒーを舌で味わっている時、不意に艦内電話のベルが鳴る。


「旗艦から通信です。突如、父島付近から敵艦隊が出現。その数、およそ35隻。敵艦隊の現在位置は、約90マイル。硫黄島へ向けて毎時30ノットで高速移動中とのことです。」


「毎時30ノットだと?艦隊行動が可能とはとても思えないが」


「31ノットで急行中というやつですか」


 いつもバークが味方の要請に対する返答に「31ノットで急行中」と答えていることを知っている副長は、そのことにかけて思わず冗談を言いたくなったのだろう。


 実戦で鍛えられた我が駆逐艦乗りたちリトルビーバーズですらだ。


 これまで呑気な戦争をやっていた戦艦や空母の連中の空気が弛緩していてもおかしくない。これではミッドウェーで返り討ちにあったナグモのことを笑えない。

「冗談を言っている場合か、戦闘準備だ。各員戦闘配置!」

バークはあえて普段滅多に発しない怒声と表現すべき口調で命令を下す。

一瞬で艦橋内が凍りつき、艦長以下の艦橋要員が弾かれたように動き出す。

「了解!各員、戦闘配置に付けます」

 艦長の言葉に、副長が命令を復唱する。

 それまで傍観者だった「コンヴァース」は一瞬で本来の戦闘艦艇としての姿を取り戻していた。

「本艦にもレーダーが配備されていれば良かったのですがね」

「駆逐艦に乗るようなサイズのレーダーも開発中だと聞いているがな。まあ、今手元に無いものをねだっても仕方あるまい。戦艦からの探知情報が届くだけでも、だいぶマシさ」

 そう言いながら、バークは艦長から双眼鏡を受け取る。

 敵艦の存在するはずの洋上へ向けても当然のことながら、まだ敵艦隊の姿は視認できない。双眼鏡を味方艦隊へ向けると、61任務群旗艦の戦艦ワシントンが白い波濤を蹴立ててながらゆっくりと回頭を始めていた。

「緊急入電です。61任務群司令官より、第23駆逐戦隊へ。接近中の敵艦隊を迎撃せよ。全兵装使用自由。輸送艦隊へ敵艦を近づけさせるな、だそうです。」

「了解した。艦長、コンヴァース以下第23駆逐戦隊は敵艦隊の迎撃に向かう。事前の想定通り、まずは敵艦隊の数を減らすぞ」

 艦長はその命令に短く了解と答え、無線電話で駆逐戦隊の各艦へと命令を伝達する。

 内燃機関が発生する音が一段と高くなり、艦内があわただしさを増していく。

 コンヴァースは駆逐艦ならではの身軽さであっという間に回頭すると進路を敵艦隊の存在する北方へと向けた。

 その時だった。

 再び旗艦からの通信が信じられない情報を寄越してきた。

 緊張で顔をこわばらせた通信担当の士官が報告する。

「ワシントンのレーダーが敵艦隊各艦が一斉に正体不明の飛翔体を射出したことを探知。その数、少なくとも100以上。時速…800マイルで当艦隊へ向けて接近中!防空戦闘を開始せよ、と」

「800マイルだと?ゼロが一つ多いんじゃないのか」

「いえ、確かに800マイルです。」

 バークはあまりの事態に一瞬二の句が継げなくなる。

―時速800マイルだと。…ということは五分もせずに敵の未確認新型兵器の群れが到達することになる!。

 バークはもどかしい思いでひったくるように無線電話の送受話器を通信担当士官から受け取ると、なかば怒鳴るように近辺の艦艇へ直接命令を伝達する。

「23駆逐戦隊司令官より戦隊各艦へ達する。1分間で13マイルも飛ぶ敵の新型兵器が来る!対空機銃でも主砲でも何でもいい。移動する目標を視認したら、とにかく撃ちまくれ。銃身が焼き付いてもかまわん!!」

 バークの命令を間近で聞いていた艦長は半信半疑という表情だったが、それでも命令に意見具申するまでには至らなかった。

「咄嗟対空戦闘用意!対空機銃、敵戦闘機でも何でも見つけ次第発砲を許可する」

 艦長の命令は艦内電話で各部署に伝えられ、駆逐艦という戦闘機械が戦闘態勢を整えはじめた。。

 Mk12-5インチ両用砲が仰角を上げながら旋回をはじめる。同時にこの戦闘艦橋からは見えないが、艦中央部に設置されているボフォース40ミリ機関砲に弾倉が装填されて、空を睨んでいるはずだ。

 特にMk12にはわずかな数ではあるが、マジックヒューズと呼ばれる近接VT信管を装備した砲弾が装填されている。対空レーダー射撃こそ未だ導入されていないものの、この時代の防空システムとしては強力なものと言っていい。

 であるにも関わらず、バークは海軍に入ってから感じたことのない種類の恐怖を覚えていた。

「見張り員から報告!2時方向に飛翔体を発見!」

「砲射撃開始!」

 慌ただしく対空戦闘が開始される。

 揚弾機構のない旧式のMk12の砲塔内で砲弾が人力で運びこまれて装填され、照準を合わせるのもそこそこに発砲を開始する。戦艦の主砲ほどの衝撃はないが、それでも高速で移動中の発砲のために艦が動揺し、艦首が太平洋の荒波をかぶる。

 対空砲火としては心細くなるほどの侘しい射撃だったが、すぐに次弾が装填され連続して発砲する。マズルフラッシュが日中の洋上にしてはやけに眩しくきらめく。

 まだ目標らしきものは目視では確認できなかったが、戦艦も両用砲や対空機銃を発砲しはじめたらしく、空一面に対空砲弾の花が咲き乱れる。

「飛翔体発見、3時の方向!」

 甲板から駆け込んできた伝令役の水兵が報告する。

「あれか!くそッ、凄まじい速度だ」

 艦長が焦りを隠せない顔で艦内電話に手を伸ばした時には、既に最初の飛翔体がワシントンへ命中したのがバークの双眼鏡でも確認出来た。

 敵飛翔体を発見したという報告が入ってから、わずか数十秒しか経過していない。

 ハミルトン社製軍用腕時計の秒針を確認したバークは思わず呻き声を上げる。

 あまりにも高速だったため肉眼で視認出来た時間はごくわずかだったが、細長い円筒形に羽根のようなものがついた飛翔体の姿は強烈な印象で焼き付いていた。

「ワシントン被弾!今のを見ましたか。野郎、直前に機首をあげて逆落しに突入しやがった」

「私も確認したよ。すぐに次弾が来るぞ」

 バークは信じられない思いで飛翔体がワシントンへ次々と命中するのを見ていた。

 ワシントンの甲板はすでに飛翔体の燃料で火の海になっており、一瞬でワシントンが戦闘艦艇からスクラップへと変化したことは誰の目にも明らかだった。

 散発的な対空砲火をあざ笑うように、コンヴァースの頭上を後続の飛翔体がさらに別の目標へ向けてあっという間に飛び去っていく。

―コクピットらしきものもないことから無人のはずだが、まるで人間が載っているような複雑な動きをやってのけるあの奇怪な兵器は何なのだ。

 無線誘導か、赤外線を感知するのか、あるいは小型のレーダーでも搭載しているのか。推進力はロケットエンジンのはずだが、あれほど小さいのに航続距離はどう稼いでいるのか。そのうえ、駆逐艦などの小型艦艇は無視して、戦艦などの大型艦だけを集中的に叩いているように見える。

 疑問だらけだった。

 そして、なによりこの兵器が持つ背景に高度な技術の蓄積と、運用を可能とする訓練された人員が存在しているという事実にこそ、バークは戦慄した。

 そして、同時に違和感も感じていた。兵器の発達とは技術研究の積み重ねから生まれる。この大戦で投入されて絶大な効果をあげつつあるレーダーにせよ、航空機にせよ技術の基礎は大戦前に各国で研究されていたものばかりだ。

 しかし、あのような飛行を可能とする技術が開発されるには、何十年の技術開発が必要となるのか、見当もつかない。かつて、砲熕工場に勤務していた経験を持ち、軍事関連技術にも明るいバークにとっては、絶大な攻撃力よりその現実こそが衝撃的だった。

 奴ら、噂通り本当に未来からやってきたとでもいうのか…。

―「ワシントンはもうダメですね…あれだけ酷くやられては。他にもやられた艦が…」

 双眼鏡から目を離した艦長はうめくように言うと、わずかな時間で頬がこけたように見える顔を撫でる。

 彼だけではなく、艦橋の誰もが目の前の現実をどうにも受け止めきれないという顔つきだった。

 バークは我に返って艦長の肩をどやしつける。

 そして無線電話の送受話器を取ると、駆逐戦隊各艦へ命じる。

「31ノットバークより各艦へ。義務を果たせ、繰り返す義務を果たせ。敵の新兵器がどれだけ大威力だろうと、我々ビーバーズは護衛の任を全うせねばならん。命令に変更はない。対空砲火を緩めるな!」

 バークはそれだけを言うと通信を切った。

―だが、果たしてこの攻撃が終わった時果たして何隻生き残っているだろうな。

 敵の飛翔体、仮に『誘導爆弾』と名付けるとしよう。あの兵器にも弾数に限りはあるだろう。

 ならば、敵がその兵器を撃ち尽くすまで、英雄の如く戦うしかない。

 英雄か、ろくでもない響きだ。

 だが、せめて軍人として祖国への義務を果たさなければ。

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