第40話 地上戦(地下)
硫黄島の国防陸軍部隊を指揮する地下司令部施設には驚くほどスタッフが少なかった。データリンクによって三軍を統合運用する「かが」の司令部施設の幕僚スタッフが、作戦指揮に必要な諸々を担っているからである。
もちろん通信が途絶した場合にも備えてはいるのだが。
その司令部施設の片隅に栗林忠道中将としか見えない人物が壁に貼られた硫黄島の地図を見ながら、悲しげな顔で佇んでいる。新藤義剛大佐は、既にこの不可思議な現象にいつの間にか慣れている自分に驚いていた。
以前の彼ならば自分の精神が正常かどうか疑い、カウンセリングでも受けていたかもしれないが、今はここは「そういう場所」なのだと妙に納得している。
なにしろ、この島は「一度目の世界」で日米あわせて三万名に近くの戦死者を出した戦場なのだから。
時震などという人智を超えた現象を体験すれば、大抵のことは納得してしまうほかないとも言えるが。
わずかに目線をそらしていたすきに、栗林中将の幻影は消えていた。
遠雷のように聞こえているのはアメリカ軍が執拗におこなっている艦砲射撃の音だった。
連続して発生する振動に、ふと不安を覚えた新藤大佐はコンクリートで固められた天井に目を向ける。しかし、先程から地表では地形を変えるほどの砲撃が繰り返されているにもかかわらず、天井にはヒビ一つ見当たらない。
「施工は完璧です。
そう言ったのはまだ四十代後半だというのに見事に禿げ上がった頭の古溝満大尉だった。
胸中を見透かされたような言葉に、新藤は思わず苦笑する。
「戦艦の主砲で砲撃される経験は、さすがに初めてなものでね」
「歴史上貴重な経験でしょうな。戦艦の主砲で撃たれて無事だった人間というのは千人もおらんでしょう」
新藤大佐は苦笑いを浮かべながら、手元のノートパソコンに映し出されている外部カメラの映像を眺めていた。
すでにいくつかのカメラから映像が途絶えていたが、洋上の
「しかし、我々は恵まれていますな。一度目の硫黄島の戦いでは、先人はだいぶ苦労したでしょうが」
「私も戦史叢書には目を通しました。思えば、こんな地熱溢れる火山島でよくぞ米軍を釘付けにしたものです。しかも戦争末期、将校以外は素人同然の招集兵ばかりの部隊で」
「我々はと言えば、冷蔵庫つきの要塞陣地の中で、危険を冒さずに敵情を知ることさえできる。贅沢なものです。」
「まあエアコンが無ければたちまちこの壕内は気温90度、湿度80パーセントの世界です。飲料水だって沸騰しかねない温度で飲めたものじゃない」
「…過酷な世界ですな」
「火山島ですからな。そんな世界で、よく気が狂わないでいられたもんです」
砲弾がもたらす衝撃で、スチール机の上に載っている飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルの水面が、複雑なダンスを踊っていた。
その後ろでは空調がフル回転して気温を下げようと奮闘している。それでも机の上に置かれたデジタル時計の温度計は29度を示している。
それでも湿気が少ないので、さほど汗をかかずに済んではいるが。
「米軍のドクトリンから考えると、この直後に上陸が開始されるはずです」
参謀の言葉に、新藤大佐は頷いて見せる。
「アメリカ軍揚陸艇、前進開始。間もなく上陸作戦を開始するものと思われます」
「作戦計画通り、各員戦闘配置のまま待機せよ」
壕内各所で待機している陸軍兵士へ向けて、新藤大佐は予定通りの命令を発した。
パソコンの液晶モニターには、水陸両用と思しき装甲車両を前にして、その影に隠れるように歩兵が進んでいく様が映し出されている。
敵弾が飛んでこないのを訝しんでいるかのような、慎重な行軍だった。
すべては予定通り。
とはいえ。ここから先は新藤にとって未知の領域であった。
戦闘で敵の兵士を殺傷することは想定のうちとはいえ、それを実際に実行するとなれば話は別だ。自衛隊という
――だが、慣れるのだろうな。
それは確信に近い。過去の歴史がそれを証明しているからだ。
「敵上陸部隊、キルゾーンへ差し掛かります。攻撃命令を出しますか」
参謀の一人にそう促されたとき、通信担当士官が手をあげる。
「司令、統合参謀本部から通信です」
「来たか。つないでくれ」
「統合参謀本部議長、厳島だ。総理から正式な攻撃命令が出た。予定通り、シキシマ作戦は第三段階へ移行する。あらためて確認するが、本作戦の目的は敵上陸部隊を無力化することにある。また可能な限りにおいて敵将兵を捕虜とする。尊敬すべきレザーネックの皆様を、東京見物へご招待せよ」
「了解しました。しかし、敵兵を捕虜とすることには困難が予想されます」
「あくまで『可能な限り』だ。我が軍の将兵の安全を最優先とする。また捕虜の取扱いに関しては戦時国際法を遵守するように。それでは作戦行動に移れ。貴様達の戦いを国民が見ていることを忘れるな」
「最善を尽くします」
厳島大将からの短い通信は、唐突に切られた。
「聞いていた通りだ。作戦は予定通り。
攻撃命令を受け取った通信担当士官は、弾かれたように敬礼すると命令を復唱する。
後にこの「二度目の世界」の歴史において「第二次硫黄島の戦い」と呼称されることとなる戦闘はこの時をもって、本格的な戦闘へと発展していくこととなる。
モーター音が硫黄島の乾いた風に乗って響く。
入念に偽装された耐爆装甲の「蓋」が開き、これまたカモフラージュネットで偽装された99式155ミリ自走榴弾砲が地上付近へ姿を現した。
愛称となっている「ロングノーズ」という名の通り、箱型の車体から長く突き出された155ミリ主砲が特徴的な戦闘車両である。
主砲の最大射程は30キロメートル(と公式には発表されている)。
東西南北どちらへ向けて射撃する場合でも、島内全域が軽く射程内に収まる。
ちなみにこの自走砲の元々の配備先は主に機甲師団として知られる北海道の第七師団をはじめとした北海道である。
配備の理由は色々言われているが、なかでも最大の理由は射程距離が長すぎて最大射程の射撃では演習場の中に納まりきらないからだと言われている。おかげで本格的な訓練は、同盟国アメリカの演習場で行われているほどだ。
「時震の時に帰国していて良かった。まさか実戦での射撃の機会が巡ってくるとはね」
そう独り言を言ったのは車長の土橋幹也大尉だった。第七師団から硫黄島任務部隊に編入された、生粋の砲術屋である。
「『向こう』に取り残されていたら、そのアメリカと戦争しないで済んだんでしょうけど。どっちが幸せだったんですかねぇ」
砲手の佐古軍曹のぼやきに、土橋は思わず苦笑いを返す。
アメリカ人の誰にでも屈託なく接するところは土橋も嫌いではなかった。いや、むしろアメリカ人が国力の差などを抜きにしても、敵ではなく友人とすべきひとびとであることは、土橋も肌で理解している。
合同演習などで顔を合わせるアメリカ軍人の何人かとは、友人としての付き合いをしているのも何人かいるくらいだ。
「悲しいけどこれ、戦争なのよね」
どこっかのロボットアニメのセリフを思わずつぶやいてしまう。
もはや古典とも言えるその作品を土橋は見たこともないが、このセリフだけは知っていた。
「戦争、なんですよね…」
狭い車内のこと、お互い顔は見えなかったが普段から気心の知れている部下のこと、どんな思いでいるかは想像がつく。
「日本国内に取り残された米軍の連中のほうが辛いだろうよ。殺し合うのは彼らの爺さんたちなんだからな」
「そう言えば、タイムパラドックスてどうなってるんですかねぇ。生き残るはずの連中を殺してしまったら」
「八百万の神様たちがなんとかしてくださるだろうよ。さて、軽口はおしまいだ。戦争をはじめよう」
土橋大尉は会話をしながらもペリスコープからの映像をチェックしながら、敵軍の動向を観察していた。
すでに敵の装甲車両は英語による警告文が書かれた標識を踏み越えて、進撃島内各地へ進撃している。
標識には「ここは日本国領土硫黄島、これより殺傷区域。許可なく立ち入る場合は砲撃されます」と、冗談とも本気ともつかぬことが英語と日本語で書かれていた。
海兵隊を中心とする上陸部隊は摺鉢山を制圧する歩兵部隊と、装甲車両を先頭に押し立てて飛行場などがある島中央部へと進撃する部隊とに分かれていた。
偽装された戦車壕で迎え撃つ国防軍砲兵部隊の敵は後者の部隊だ。
「エレファント1より、コマンドポストへ。敵戦闘車両、R5ポイントに到達を確認。オクレ」
「コマンドポストよりエレファント1。R5ポイントの敵部隊へ砲撃を開始せよ。敵装甲車両は水陸両用車。まだM4シャーマンの姿はない。歩兵部隊の制圧を優先せよ。装甲車両はヒトマルが喰う。なお敵軍がSポイント以降へ進撃した場合はこの限りではない」
「エレファント1了解。これより砲撃を開始する」
通信を切った土橋は、再びペリスコープからの映像を確認しつつ、命令を下す。
「
土橋大尉の命令に、気心の知れた佐古軍曹は了解とだけ答えて、自分の仕事を開始する。
データリンクシステムに接続した新
佐古軍曹は発射ボタンを押すだけで、照準し装填、発射まで全自動で行われるという至れり尽くせりの火器管制装置である。
コンピューターの指示通り、装填装置が作動し砲身に155ミリ榴弾が装填される。
この種の自走砲で自動装填装置を装備しているのは99式くらいであり、平成32年当時でも先進的な機構の戦闘車両と言える。
無論、デメリットはいざという時に自動装填装置の故障といった事態が起きかねないことだが、それでも人員が限られている国防軍にとって装填手が要らないというのは大きかった。
照準も自動で行われるのだが、そもそも自動照準の必要性を土橋はあまり感じていなかった。
予め島内には一定の距離ごとに標識が設置されており、自走砲部隊や戦車部隊の潜む戦車壕からの射線が交叉するポイントがいわゆる殺傷区域、キルゾーンが指定されていたからだ。
特段狙いをつけなくても標識のあるところへ射撃すれば、敵に十字砲火を浴びせることが出来るのである。
日本製鋼社製の主砲が咆哮し、マズルフラッシュととともに音速で榴弾が空中へ放り投げられる。発射の衝撃はこの種の大口径にしては驚くほど少ない。油圧式の駐退復座機構が作動して、発射の衝撃を和らげているためだ。
衝撃の少なさは乗員の負担を和らげるとともに、発射速度の向上につながる。公表されているデータでは3分間に18発以上とされている速度で射撃が可能だ。
しかし、今回の射撃では射撃速度は低めに抑えられていた。
机上演習で、敵を「殺し過ぎる」と考えられていたからである。
その予想を裏付けるかのように、空中へ音速で放り投げられた155ミリ榴弾は、綺麗な放物線を描きながら、自走砲の射程としてはごく近距離――およそ3キロメートル先の飛行場へと進撃しつつある海兵隊部隊の頭上へ到達した。
急角度かつ音速に近い速度で飛来する砲弾に対し、海兵隊兵士の取りえる行動はあまりにも少なかった。
砲弾が地表へと落下した瞬間に、着地の衝撃を探知する瞬発式の信管が作動して砲弾を爆発させる。TNT火薬が発揮したことによって生じた恐るべきエネルギーは、爆風と破片、散弾を巻き散らした。
高速で周囲にまき散らされた破片は恐るべき殺傷力をもって兵士たちの身体をバラバラに引き裂いた。
『アリゲーター』と呼ばれるLFV――水陸両用戦闘車両は一応装甲化されているために破片が命中しても即座に無力化されることはなかった(無論、それなりの打撃は免れない)。しかし、
わずか数分に満たない時間で、中隊規模の海兵隊は戦力の多くを喪失していた。
ビープ音が響きFADACが射撃中止命令を告げていた。
入れ替わりに別の戦車壕から飛来したと思しき砲弾が、残存しているLFVに命中する。
120ミリ滑空砲から射出されたAPFSDS弾が、最大でも13ミリ程度の装甲しかもたない『アリゲーター』の一両に命中。その内部へ装甲を突き破ったタングステン弾芯が侵入して乗員や機械類を引き裂いた。
おそらく、別の戦車壕に潜んでいた10式戦車による砲撃だな、と土橋はあたりをつけた。
対戦車戦闘というにはあまりに一方的な戦いは、アメリカ軍が10式戦車を視認するまでに決着がついていた。すべての『アリゲーター』が破壊されるまでにものの10分とかからなかった。
「予定通り陣地転換を行う。ただちに後退し、砲撃要請があるまで壕内で待機する」
土橋が命令すると、操縦手がすぐにギアを転換させて後退に移る。
アメリカ軍が既にこの戦車壕の位置を掴んでいるとは思えないが、念のための措置だった。後退した先は、戦車や自走砲ですら楽々と移動できるほどの地下坑道が掘りぬかれており、地下経由での陣地転換が可能だった。
既に耐爆扉はモーター音を響かせて締まりつつある。
そのモーター音をかき消すかのように、ヘリコプターのローターを回転させる音が周囲に響き渡る。
液晶モニターの端にチラッと映ったのはロングボウアパッチ戦闘ヘリコプターだった。
土橋は配備されていることは書類上で把握していたものの、違和感は拭えなかった。
地形が変わるほどの戦艦の砲撃で島中めくりかえされたこの島でよくもまあ、地下にこれだけの装備を温存できたものだ。自分たちもそこに当然含まれるのだが、現実として目の当たりにすると呆れのような感情を抱いてしまう。
統合参謀本部は、どこまでも本気なのだろう。国土防衛という大義名分を背景に、野球でいうところの
この1942年の世界にとって、この戦闘は日露戦争における日本海海戦を越える衝撃をもたらすだろう。
なにしろ相手は世界最強のアメリカ軍なのだから。
なんてこった、俺は歴史の証人という奴になるということか。
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