第39話 殲滅

-今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは 

                               万葉集


 ストックホルムとの衛星回線を通した会見を終え、桐生首相はSPを伴って足早に危機管理センター大会議室に足を運んだ。


 会議室内には法律で別行動が義務付けられている副首相をのぞいた内閣閣僚のほとんどと、防衛省をはじめとした官僚がずらりと雁首を揃えていた。

 首相が部屋に入ってきたのに気づいた何人かが慌てて立ち上がろうとする。


「時間が惜しい。現状を報告してくれ、峯山君」

「了解しました。現在、硫黄島には日時や作戦参加艦艇の違いなどををのぞいてほぼ史実通りの上陸作戦が展開しつつあります。前日までの航空攻撃および、艦砲射撃によって島内の抵抗拠点を破壊したと判断し、上陸部隊を展開したものと思われます」


 通常ならば官僚がまとめた文章による総理レクなどと呼ばれる首相への説明がなされる段階であったが、桐生首相は就任以来そうした平時の慣習を意図して排除していた。文書や通信、あるいは会議で直接各部署からの報告をあげさせ、少しでもわからない部分があれば容赦ない質問を飛ばす。いつ首相の質問が飛んでくるかわからないとあって、桐生内閣の会議は独特の緊張感があった。


「なお、事前の計画通り硫黄島作戦に参加するアメリカ艦艇には、高出力拡声器搭載ドローンによる領土侵入に対する警告、停船命令などを直接の音声や国際周波数による電波通信などの呼びかけをしております。」


 政府の誰もがこの警告でアメリカ軍が止まるとは思っていない。この措置はまだ憲法が改正されてさほどの時間が経っていない国内世論への配慮という意味合いが強かった。平たく言えば、「戦争を最後まで回避しようと政府は努力しました」というポーズだけは見せておくといういわばアリバイ工作であった。


 「つまり、事態の推移は予定通りということだな。同時に進行している『まほろば作戦』も順調、という認識でいいか」


「はい、作戦通りこの戦闘の模様はアメリカをはじめとする各国にばら撒いた受信機による衛星放送、および日本国内のテレビ、インターネット動画サイトで中継される予定です。」


 国防軍の軍服-といっても自衛隊の制服とほとんど変わらないが―『まほろば作戦』を統括する立場にある


「『まほろば作戦』、それにしても奇っ怪な作戦だな。少なくとも常識的な官僚から出てくる作戦ではない」


 室井官房長官が苦笑いしつつ、事務官が持ってきたコーヒーの紙コップに口をつける。


 「彼女、菅生明穂が参考にしたのは中国のプロパガンダ作戦のようです」

 

 菅生明穂が『まほろば作戦』の参考にしたのは、中国共産党による遊牧民族へのテレビ受信機配布による宣伝工作だった。馬背テレビと呼ばれる、馬に載せて運べるテレビを無償で配布したのである。

 このテレビ配布作戦は中国以外のテレビが普及していない途上国へも行われている。


 巧妙なのは電源を入れるとまず最初に中国国営放送が映るように設定されている点だ。無論チャンネルを変えることも出来るのだが、うっかりチャンネルを変えないでおけば、中国の政治主張が自然と茶の間に入り込むことになるという寸法だ。


 「なんとも皮肉な話だ。だが、中国はプロパガンダ大国だからな。宣伝下手の我々にとっては良い教材とも言えるな」


 桐生首相は複雑な顔で、戦況を伝える無人偵察機からのカメラ映像に見入りながら答えた。


 かつての日本ではNHKによる国際放送を展開していたが、それは日本に興味を持つ外国人や海外在住者向けの放送であり、日本政府の主張をそのまま放送することは法制度上も組織文化的にもできない。


 海外向け政府広報専門のテレビ局を開設してはどうかという議論さえ起こるほどだった。日本政府の主張を海外へ宣伝するということに、官僚も政治家も(ときには放送局すら)慣れていないのである。


 そのため、「まほろば作戦」の立ち上げには相当の研究と苦労を要した。番組制作会社に勤務していた人物を採用したり、あるいは海外のプロパガンダを研究している研究者を連れてきたり。


「戦場の映像を流す以上、凄惨な状況が映し出されることもありうる。その辺の対処は」


 室井の質問に、耀一郎は資料に目を落とすことなく答えた。


「部分的にはモザイクをかける部分も出てくるかと。流血シーンなどは自動的にモザイク処理を行うAIプログラムを導入してあります。リアルタイムでの放送も問題ありません。基本的に高所のドローンからの映像になりますので、その処理が必要な場面は少ないものと想定されますが」


 耀一郎がそう答えたとき、音声通信が会議室に中継される。

 会議室のモニターのいくつかに「シキシマ作戦第三段階へ移行」と赤い文字で大きく表示される。


「国防軍統合参謀本部議長、厳島猛大将であります。アメリカ軍の硫黄島上陸部隊が予定位置まで到達しました。作戦計画通り、反撃の許可をお願いいたします」


 モニターに映ったのは、すっかり白くなった髪をオールバックになでつけている、いかり肩の将校だった。日焼けした四角い顔には厳めしい表情が浮かび、鬼瓦を連想させる男だった。

 国防海軍出身のこの男は、尖閣紛争における指揮を認められてこの地位にいる。


「総理、ご決断を」


 峯山防衛大臣に促され、桐生は一瞬瞑目した。

 事前の作戦計画によれば、アメリカ軍の動向によってはこの命令下達のやり取りは省略される事も想定されていた。


 事前の通信傍受と暗号解読による作戦目的の割り出しと偵察衛星からの情報でアメリカ艦隊の出港の確認が成功した時点で、硫黄島防衛作戦『シキシマ』の発動に対する命令は発せられていたからだ。


 しかし、時震に巻き込まれて以来初めての積極的な反撃作戦ということで、可能な場合は首相による最終的な攻撃命令が下達されることとなっていた。

 

 なおこの『シキシマ』作戦まで、日本が反撃作戦をとってこなかったのは、法的な制約はもちろん国民の理解が得られないという問題があった。あの「第二次ドーリットル空襲」による死傷者によって国民世論は憲法改正に一気に動いてはいたが、それでも平和に慣れきった意識は容易に変わることができなかった。 

 

 密かに独自の世論調査を行った政府の下した結論は、昭和日本が占領した土地をめぐっての戦闘に兵士は送れない。それが内閣で出された結論だった。だが、硫黄島は平成時代では民間人の足立ち入りが禁止されていたとはいえ、紛れもない日本国固有の領土である。

 

 その線で国民世論は説得できると踏んで、政府は『シキシマ』作戦の実行にゴーサインを出したのだった。

 

かっと双眸を見開くと、桐生は決意した顔で命じた。


「総理の桐生だ。アメリカ軍の侵攻を確認した。憲法九条第二項及び国防軍法に基づき、反撃を許可する。領海侵犯並びに国土侵略を行いつつある、アメリカ海兵隊上陸部隊および、アメリカ海軍艦隊を殲滅せよ。」


「殲滅、ですか」


 厳島大将は、瞬き一つせずに、首相の言葉を反芻するかのように繰り返す。

 厳島は作戦計画立案時に散々部下とともにシミュレーションを行ってきたが、実際に命令を受けてみると、その重みが双肩に伸し掛かってくるような錯覚を覚えた。

 尖閣紛争いう「戦争のようなもの」は経験しているとはいえ、今度は国家同士が無制限でぶつかり合う「総力戦」だ。


 「そうだ、殲滅だ。たとえ昭和17年のアメリカ軍といえど、日本の領土領海を侵す者には相応の代償を支払うことをしらしめなければならない。無論、交戦規定ROE及び国際法遵守を徹底すること」 


 あえて殲滅という、戦後政治の世界で使われることのなかった言葉に、その場にいる誰もが桐生首相の強い決意を感じた。


「了解しました。国防軍は既定の作戦計画通り、米軍へ反撃を開始します。」

 一種の儀式のようなやり取りが終わり、通信が切られた。


 首相からの通信によって攻撃命令が下命された国防軍統合参謀本部の会議室内には、緊張感がみなぎっていた。


 咳払い一つするのにも勇気がいるような感覚を覚えるほどだ。


「第一水上打撃艦隊に繋ぎたまえ」


 厳島大将の言葉に、はじかれたように通信担当の士官がパソコンを操作してモニターに第一水上打撃艦隊司令部との衛星回線に映像を回す。

 父島に停泊していた海自護衛艦隊あらため、国防海軍第一水上打撃艦隊は父島の島影に停泊していた。アメリカ軍の上陸開始にあわせて、すでに抜錨して硫黄島近海へ向かっている。あと一時間もすることなくアメリカ艦隊を攻撃圏内に収めるはずだった。


「第一水上打撃艦隊司令、甘粕です。無人偵察機からのデータリンクでアメリカ艦隊の位置は把握しておりますが、間もなく本艦の対水上レーダーでもアメリカ艦隊を捉えることが出来るはずです」


「統合参謀本部議長、厳島大将である。作戦計画、ROEしてはいけないことともにに変更はない。全兵装オールウェポンズ使用自由フリー。国防軍最高司令官の言葉を伝える。当該海域よりアメリカ艦隊を殲滅せよ、だ。」


「了解しました。アメリカ艦隊を殲滅します」


 甘粕の言葉に迷いは感じられなかった。

 すでに国防軍という新しい組織は戦闘と破壊を行う巨大な機械と変貌していた。つまり、全軍の将兵にとって、事前の机上演習や戦闘訓練の通りに戦うだけといった段階に達していた。


 旧軍から自衛隊、国防軍と組織は変わってもやるべきことには変わりない。

 防人の役目を果たすだけなのだ。

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