第33話 嘉手納時震対策社会復帰支援センター

 ずんぐりとした形の巨人輸送機、C-2輸送機は全長44メートルに達しようかという巨体を見せつけるかのようにゆるやかに旋回していた。


  眼下に見えるのは、「一度目の」歴史ではいずれ米軍の基地が置かれることになる沖縄県嘉手納、その地に建設された巨大な滑走路である。

 

 管制塔から着陸の許可が出たらしく、C-2は着陸態勢に入る。

 そのC-2の貨物室に設けられた座席で「荷物」として運ばれているのは、種々様々な軍装に身を包んだ男たちであった。


 その中につい二か月前に海軍飛行学生として任官したばかりの菅野かんのなおし少尉もいた。

 鷹のように鋭い眼光と周囲が気圧されるような独特の迫力を持つこの男は、戦地帰りの将兵の多いこの輸送機の中ですらどこか浮いていた。


 まして、他の将兵は九割がたが陸軍の所属であり、飛行服に白いマフラーといったどこかあか抜けた印象のある海軍飛行兵の軍装である菅野に積極的に話しかけるものは少なかった。


 その数少ない例外が、南方帰りの日浦軍曹という中年の陸軍下士官であった。

 軍曹とは親子ほどに年が違うはずだが、菅野とも何のてらいもなく世間話をしてくる。菅野も最初は微妙な反応だが、独特の人なつこい性格に絆されて世間話をする中になっていた。


「そんな訳で、洋上航法訓練飛行から帰ってきたんだが。燃料切れで泡を食って、なんとか国民学校の校庭に不時着したんだが。爺様婆様ばっかりの寒村でなー。婆様連中にまとわりつかれて大変だったぜ」


 菅野少尉の話を愉快そうな顔で聞いていた日浦軍曹は、何度も相槌を打ちながら聞いていた。


「私らは南方の島の戦地におりました。激戦地でして、戦友を何人も失いましたな」


 日浦軍曹は世間話をするような口調で、さらりとそう言った。

 菅野少尉が絶句した時、輸送機が着陸したらしく、腹に響くような接地の衝撃が格納庫内にも伝わってくる。


 しばらく振動が続いたあと、揺れが収まる。

 機体後部のハッチが開けられ、見慣れない軍服の兵士が何人か格納庫内へ立ち入ってくる。

ハッチが開いたことで、外の熱気と嘉手納の暑く乾いた風を感じる。


「菅野直少尉ですね。私は国防陸軍所属、青木大尉です。海軍の貴方の案内は、私がさせていただきます。色々質問されたいことばかりでしょうが、まずは宿舎などをご案内させていただきます。


 青木と名乗った男は、軍人というよりは官僚といった印象の男だった。デスクワークに専念して久しいのか、とても軍人とは思えない綺麗な手をしている。


「海軍飛行学生、菅野少尉です。よろしく頼みます」


 菅野にとって知りたいことは山ほどあったが、青木大尉は笑顔ながらやんわりとそれを拒絶する雰囲気を放っており、面倒になって止めにした。


――この先どういう扱いになるのかは知らないが、まあなるようになるだろう。


 青木に促されて、菅野は巨人輸送機から地上へと降り立った。

 菅野がかつて見たこともないような、アスファルトで舗装された広大な滑走路が広がっている。


「まずは、諸々の施設をご案内します。そのあとで、海軍将兵向けの説明会がありますので、質問はそこでお聞きします。


 笑っていない笑顔を浮かべながら、青木大尉は菅野少尉の動きを確認することもなく、滑走路のアスファルトを足早に歩き始めた。

 

 菅野大尉がそれから案内されたのは、当座の住処となる宿舎や、酒や煙草などの生活嗜好品を販売する酒保PXなどであった。施設そのものが広大なため、車両で移動する必要があったほどだ。


 時間の都合上案内はされなかったが、理髪店に本屋、映画館などの娯楽施設まで生活に必要となるありとあらゆる施設がそろっている。


 まさに街そのものである。


 これは「民間が勝手にやっていること」ですが、と前置きして青木大尉がいうことには……男たちの欲望を満たす種種雑多な『夜のお店』がひしめく歓楽街が、敷地の外に広がっているという。


――およそ、戦時中の施設とは思えんな。


 それが菅野少尉の素直な感想であった。


 最後に「説明会」とやらに連れてこられたのは滑走路脇に建てられている巨大な格納庫であった。菅野少尉が見るに、鉄筋コンクリート製のその建物は爆撃にもいくらか耐えられそうな頑丈な格納庫のように見えた。


 これまた巨大な鉄扉は今は開け放たれており、その中には見慣れた明灰白色に塗装された海軍の戦闘機、零式艦上戦闘機二一型が十数機格納されていた。今は整備中であるらしく、数人の整備兵と思しき兵が機体に取りついている。


 格納されている機体の中にはよく見れば陸軍の戦闘機である一式戦闘機「はやぶさ」の姿も見受けられた。


 零戦も隼も戦地帰りの機体ばかりらしく、主翼や胴体に生々しい弾痕が残っている機体も珍しくない。 

 戦闘機の群れの奥には、折り畳み式の椅子がいくつも並べられ、講義用と思しき白板が据え付けられている。


 情景だけを見れば前線航空基地の搭乗前打ち合わせブリーフィングのような光景である。

 その椅子に腰かけながら数人の海軍搭乗兵が煙草をくゆらせながら談笑している。

 南方帰りなのか、皆一様に浅黒く日焼けした屈強な男たちであった。その男たちの中で唯一、貴公子然とした風貌の中尉がいた。


「見ない顔だが、貴様はさっきの輸送機で着いたのか?」


 中尉の問いかけに、菅野少尉は踵を揃えて海軍式の敬礼で答える。


「菅野少尉、飛行学生であります。中尉」


「こちらは見ての通りの南方帰り。俺は台南空の分隊長、笹井ささい潤一じゅんいち中尉だ。よろしく頼む」


 そう言ってにこやかに笑うと、白い歯が光るのが見えた。そうした物腰の一つ一つに育ちの良さが見受けられる男だった。戦場より象牙の塔か、あるいは霞が関の役人が似合いそうに見える。


 台南空とは其の名の通り、台湾を基地とする海軍の航空部隊であり、南太平洋方面での戦闘が激化するとともにラバウル島へ派遣されていた部隊である。菅野もかつて撃墜王エース揃いの精鋭部隊といううわさ話を聞いたことがある。


「俺は坂井さかい三郎さぶろう一飛曹。笹井中尉と同じく台南空所属、小隊長だ」


 巌のような顔つきのいかにも鬼軍曹といった印象を与える一等飛行兵曹の階級章をつけた男は、抜身の日本刀を思わせる視線を菅野へ向けてくる。


 向こう気の強い菅野はその視線を真っ向から受け止め、泰然としている。


 菅野が知る由もないが、坂井は「一度目の歴史」では撃墜数60機を超えるエースだ。また僚機りょうきを一度も失うことなく戦後まで生き抜き、海外翻訳までされたベストセラー「大空のサムライ」を記す男である。


「へえ、飛行学生さんですか。まだ、実戦に出てもいないのに、なんでまた我々と一緒の所に」


 そう口を出したのはこれまた一飛曹の階級章をつけた、にこやかな青年だった。言葉だけ聞いてみれば揶揄しているかのような言葉だが、その裏表の無さそうな顔は微塵の悪意も感じさせないのだった。


「太田、余計なことは言わないでいい。学生とはいえ、仮にも将校殿だ、分を弁えろ」


 態度から察するに先任の坂井一飛曹が、ぎろりという擬音が聞こえそうな視線で太田一飛曹をにらむ。


「気にしないでください。こちらはあくまでまだ殻の取れないひよっ子ですので」


 菅野は謙遜言葉の割にはふてぶてしい態度で応じる。

 その態度に笹井中尉は苦笑しながら、坂井一飛曹の肩を叩く。


 坂井一飛曹は無言のまま、マッチで新しい煙草に火をつけた。

 そこへゆらりと幽鬼のような青白い顔で現れた男がいた。その男は坂井一飛曹に「火を貸してくれ」と頼む。これまた一飛曹の階級章をつけた搭乗兵パイロットだった。


「ああ、見慣れない少尉殿がいるから一応自己紹介しておくか。西澤にしざわ広義ひろよし一飛曹であります。以後お見知りおきを」


「菅野少尉です。まだ飛行学生ですので、お気遣いは無用に願います」


 西沢一飛曹はじゃあ遠慮なく、と答えると坂井からマッチ箱を受け取り、ふてぶてしい態度でどっかと椅子に腰かけると、マッチを擦って煙草に火を点ける。

 そして煙草を美味そうに吸ったあと、ゆっくりと紫煙を吐き出す。


「前線ではまともに煙草も手に入らなかったからな。これだけでも本土に戻ってきたかいがある」


「そうですかねぇ。まだまだ戦いはこれからという時だったのに。急に呼び戻されるなんて…」

 太田はそう言いながら、まだまだ戦いたいというふうに肩を回して見せる。


「そう言うな。休養するのも搭乗員としてのつとめだぞ」


 たしなめるように言う笹井中尉に、坂井はニヤリと笑う。


「確かにあのまま航続距離ギリギリいっぱいの戦闘が続く毎日で疲労を重ねていた

ら、。搭乗員の命である目をやられてはかなわない」 


 本気とも冗談ともつかない表情で、坂井は首を振る。

 笹井は戸惑ったような顔で肩をすくめる。


「まあ、俺たちは上に言われればどこへだろうと行くだけですよ。戦争が終わったというわけでもないんですからね」


 坂井はそう言いながら、短くなった煙草を陶器の灰皿で揉み消した。


「そこまでだ。青木大尉が来たぞ。全員整列だ」


 その場の最上級者である笹井中尉の号令とともに、搭乗兵たちは一斉に椅子から立ち上がり、これまでのくだけた態度がウソの様に整列し、敬礼で青木大尉を出迎える」


「お待たせしてすみません。国防陸軍大尉の青木です。今はこの時対センターに出向の身分ですが。私の任務はあなた方、昭和の日本人を受け入れ、我々平成の日本社会に適応してもらうことです。たぶん、なんのことを言っているかわからないと思いますので、論より証拠。まずは動画を見てもらいましょう。」


 青木は手元のノートパソコンを操作しながら、あらかじめ用意してあった折り畳み式の式の白いスクリーンに、ノートパソコンにケーブルで接続してあるプロジェクターが映像を映し出す。


「映写機?あっ、カラーフィルムを使っていますよ」


 太田一飛曹が映し出された映像に驚きの声をあげる。

 彼が驚くのも無理はない。なにしろ昭和17年当時日本の映画界でこの時代に制作されたカラー映画は数えるほどしか存在しない。


「確か、アメリカのディズニーがカラー映画を作ったという噂は聞いたが…それにしてもこれは凄い」


「さすがは中尉。博識ですな。では、これは何なんですかね。そもそもフィルムが回ってすらいないのに、映像が映し出されるなんて、どういう仕組みになっているのやら」


 坂井一飛曹は手品のタネを探す観客のように、映像を映し出している機械を観察している。


 しかし、そのうちにスクリーンに映し出されている映像に引き込まれ、そんなことはどうでもよくなっていった。その映像は大東亜戦争の開戦から敗北、戦後復興からバブル景気等の戦後史。また、平成32年の日本が時震で昭和17年へ転移した経緯をまとめた映像だった。


 以前、戦略偵察局が作成した動画に、特殊戦略調査局のメンバーの心理学者や広告代理店勤務のサラリーマンなどの意見を容れて改良した、説明用動画である。


 口さがないものは『洗脳用ビデオ』と呼んでいたりもするのだが、これは菅野たち昭和日本の軍人たちは知る由もない。


 動画は25分程度の短い時間にまとめられているが、その映像が海軍搭乗兵たちに与えた影響は大きかった。放心したような表情の者、疑いの目を向けてくる者、そして達観したような表情の者。


 椅子から立ち上がった菅野少尉の顔にはそのどれもが浮かんでおらず、状況を楽しんでいるかのようにも見える、不敵な表情だった。


「質問してもいいか」


「つまり、だ。沖縄をのぞく日本列島は今、そっくり平成32年とやらの時代の日本と置き換わっているってことだよな」


「ありゃま、聞きにくいことをまたズバッと聞くねぇ」


 火のついていない煙草を吸いたげに弄びながら、西澤一飛曹はぼやくようにつぶやく。それはその場にいる誰もが思っていたことだった。


 自分たちが命を賭して戦うのは、「大東亜共栄圏」の大義などといった大仰なものではない。祖国の郷里にいる自分の家族、父母や妻子、兄妹といった護るべき者たちのために戦っている。


 口にこそ出すものは少ないが、この場にいる将兵の誰もが思っていることだった。


「ええ、残念ながら今の日本列島は先ほどの映像の通りです」


「まるで浦島太郎だ…」


 太田一飛曹のつぶやいた言葉はその場のすべての者たちの思いを代弁していた。

 故郷で両親が帰りを待っている者もいれば、あるいは妻子を家に残してきている者もいる。


 菅野は死亡率の高い戦闘機搭乗員となるにあたり、いつ死ぬかわからないのだから、未亡人を残すことになってはと結婚することはなかば諦めていた。

 しかし、そこは人間であるから安らげる暖かな家庭を築きたいと周囲に漏らすこともあった。


 国体護持、あるいは国家防衛という「お題目」のために戦うと公言している者もいる。だが誰もが本音では、家族や郷土といった帰るべき居場所を護るためにこそ戦えるのだ、と菅野は思っている。


「さて、今の日本の状況はお伝えしたとおりです。これからの貴方たちの選択肢は二つあります。一つは私達平成の日本における国軍、国防陸海空軍に参加するという選択肢。今後、国防軍は帝国陸海軍を吸収する形で再編成されます。階級や所属は変更されますが、配置は出来る限り希望通りにさせていただきます。

 ただし、今後は平成日本の技術で作られた兵器を運用していただきますので、短期ですが専門教育を受けていただきます。特に優秀なパイロットの皆さんには期待していますよ」


 青木は慇懃無礼な態度で居並ぶ戦闘機搭乗員たちに視線を向ける。


「もうひとつは民間に戻るという選択肢。国防三軍は志願制ですから、希望されるなら軍を除隊されることも可能です。その場合、平成日本の職業に適応するための訓練を受けていただきます。基本的には政府から委託を受けた民間企業への就職斡旋が行われますので、食いっぱぐれはありませんよ」


「民間人へ戻る、だと?戦闘機搭乗員は大半が志願組だ。一番危険な兵科なのだからな」


 坂井は椅子から立ち上がり、今にも青木に掴みかかりそうな顔で睨みつけたが、青木の方は平然とした表情を崩さない。


「坂井、その辺にしておけ。中には前線勤務に嫌気がさしている者だっていないとも限らん。それを俺は責めようとは思わんよ」


 笹井中尉に肩を叩かれて、坂井は乱暴に椅子へと座り直す。


「今の日本は民間も人手不足です。銃後といえども、その役割は重要ですからね。ま、急いで決めていただく必要はありません。少なくとも、あと二週間は現代社会平成日本に適応するための研修を受けていただきますので。その後で結構です。鉄道の乗り方から、パソコンやスマホなどの扱い方などの実技から、座学までみっちりとね。それはさておき、最後にもう一つ。皆さんに見ていただきたい動画があります。」


 そう言うと、スクリーンに再び動画が映し出される。


 明らかに銘品と分かる飾り皿に、黒い自然石の置物、そして昭和天皇とその家族である皇族方が写っているモノクロ写真の入った写真立てなどが調度品として飾られ、背後の障子から柔らかな光が差し込んでいる部屋。画面中央には大きな机が置かれ、左右にマイクが据え付けられている。


 机の中央に座っているのは、柔らかいながらも凛とした眼光を放つ、黒いスーツにネクタイといった服装の、八十は過ぎていると思われる男性だった。


 両手で紙の原稿に書かれた文字を持ちながら、ゆっくりとした速度でそれを読み上げていく。その口調は穏やかではあったが威厳に満ちており、見る者に自然と畏怖を抱かせるものであった。


 動画の中で男性は、「昭和の軍人たちの戦塵の労苦を労いたい。平成の日本人と協力してこの戦争を終結させ、平和な世界を築く手助けをして欲しい」と述べていた。


 最初は意味が分からずに動画に見入っていた戦闘機搭乗員たちは、誰ともなしに椅子から飛び跳ねるように立ち上がり、直立不動の姿勢になる。


 原稿を読み上げる姿と、彼らの中にある皇室の歴史とが重なったのだった。

 中には感にむせぶ者、あっけに取られているもの、対照的に複雑な顔をする者と反応は様々だった。


 だが、この動画を見る前と後では彼らの居住まいはまったく違っていた。

 誰も彼もが、背筋が伸びて戦塵にまみれてきたとは思えぬ軍人ぶりであった。 


「今上陛下の玉音放送です。僭越ではありますが、私も同じ日本人同士、国家の危機に争うことなく協力していただければと思っております。さて、説明会は以上です。今後の日程に関しては、先ほどお配りした資料をご参考になさってください」


 青木はそう言うと自分の仕事は終えた、とばかりに足早に歩いて格納庫から去っていく。


 その姿を見送りながら菅野は立ち上がる気にもなれず、机の上の煙草の箱に手を伸ばして一本取り出してくわえ、マッチを擦るのももどかしく火を着ける。


 紫煙を吐き出しながら、格納庫の外に広がる嘉手納の高い空に目を向ける。

 空はあの飛行学生としての訓練飛行の時と同じように、どこまでも青かった。

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