第31話 プロパガンダ

「『ふ号兵器』というものを知っているかね。」


 特殊戦略調査会会議後の昼食時に、明穂はこんなことを言い出した。


 すでに八月も終わりに近いが外気温が35度を超えている気温の中、この締め切られた会議室は設定温度26度でエアコンがフル稼働している。


 特殊戦略調査会は毎日のように各界の専門家が集められ、軍事にはじまって経済、外交、社会心理など様々な分野が研究されている。


 その内実はほとんど公表されていないために、マスコミでは「平成の総力戦研究所」と揶揄めいたあだ名で呼ばれ、あることないこと面白おかしく書き立てる週刊誌もあった。


 その目的はただ一つ、この戦争を終結に導くことであった。


「風船爆弾のこと、でしたよね。」


 問われた物部耀一郎は、自信のなさそうな顔で答える。

 今日の耀一郎は自衛官の制服ではなく、紺にストライプの入ったスーツ姿だった。


 特殊戦略調査班、通称特戦の施設内では、最近自衛官でも制服ではなくスーツの着用が推奨されるようになっている。


 これは出来る限り自由な環境で、タブーのない研究をすすめるという政府、なかでも首相肝いりの方針の一つだった。調査班メンバーはIDがあればどんな私服でも施設内に出入り出来るが、明穂はもっぱら制服姿だった。


 最近は自衛官やNSCからの出向で構成される特戦職員にも彼女のことになれてきたからいいが、以前は小学生が迷い込んできたかと間違われてつまみ出されそうなになったこと数知れず。


 そのため、彼女は頑なに高校の制服を着て会議に参加していた。


 最初は数々の会議で大の大人と喧嘩寸前までやりあうことの多かった彼女だが、その数々の作品を仕上げるうえでの取材に基づいた知識力と、大人顔負けの論理構成力で、特戦に知らぬ者のいない有名人になっていた。


 そして、最近耀一郎は何かと手間のかかる彼女の「お守り役」として定着していた。そのため女性自衛官や施設職員の面々からはあらぬロリコン疑惑をもたれているのだった。


「当時の言葉で言えば気球爆弾、だがね。どのような兵器か把握してるかね」

 

 そう言われて、耀一郎はまたいつものが始まったなと心中で嘆息しつつ、適当に調子を合わせる。


 すこしばかり調べたのだが、ライトノベル作家という人種はオレの書く小説が一番面白いと自負する自信家である。そのくせ人の評価を人一倍気にする人種である、らしい。

 耀一郎はライトノベル作家を一人しか見たことがないので、彼女が特殊なだけかもしれないが。


 つい先日も身辺警護のため秋葉原の某漫画専門店でその姿を目撃している。

 彼女はレジが見える売り場の隅で、発売したばかりである自分の新刊の売れ行きに一喜一憂していた。その様はあからさまに挙動不審であり、仮にも女子高生としては見られた姿ではなかった。

 実際通りかかった店員が明らかに不審そうな顔でその姿を眺めていたのだが……武士の情けで本人には言わないでおいた。


 今の彼女も、言い出した端から耀一郎の反応を気にしながら、ミーアキャットのようにこちらをうかがっている。本心は耀一郎がきちんと相手をしてくれるか不安なのだろう。


 彼女がもともとは人見知りする性格らしいということは、最近ようやくわかってきた。会議で大勢を相手にしているときは余裕ある態度を見せるのだが、一対一の場面では距離感を測りかねるところがあるのかもしれない。


「爆弾を搭載して太平洋をジェット気流に乗って飛び越え、米本土爆撃を狙った気球兵器でしたか。無誘導であるため、直接の戦果よりも心理的効果を狙ったものと記憶しています」


 にこやかに語ることを心がけながら、耀一郎は記憶している限りのことを答えた。

 その途端、一瞬だけ明穂は無防備な笑顔を見せた。その後、耀一郎の視線に気づいたのか、いつもの小生意気そうな顔に戻ってしまったが。


――なんだ、可愛い生き物は……落ち着け、これは父性。保護欲をかきたてられているだけだ。


 こういうふとした瞬間の彼女の表情に「やられる」ものは男女を問わず後を絶たない。


 元々アイドル活動が出来そうなほど顔立ちが整っているうえに、良い意味ですれていない(そのおかげでさらに小学生に見られる)ので、ふとした瞬間に見せる無垢な表情が際立つ。


 おかげで、彼女の参加する会議があると、用もないのに会議に顔をだす職員までいる始末である。


「ふむ、だいたいその理解で合っている。アメリカ側はこの気球爆弾に実は手を焼いていた。直接的な被害はせいぜいが山火事程度だ。しかし、安全なはずのアメリカ本土に日本軍の気球兵器が飛来していることが知られれば、国民の戦意低下やパニックを引き起こしかねない」

「実際、一部ではパニックに近い反応があったという記録もありますね」


「通常爆弾ですらそれなのだ。そのうえ、もし細菌兵器を搭載していた場合は、パニックどころでは済まなかったろうな。だから合衆国政府は、この兵器の被害をひたすら隠蔽した。おかげで日本軍はこの兵器の戦果を確認できず、戦局悪化にともない作戦は中止された。」


「どれだけ相手に損害を与えたかが分からないとなれば、成果が目に見える既存の兵器が優先と判断されても仕方ないでしょうね。」


 耀一郎は数年前休暇中の位暇つぶしに行った江戸東京博物館で、件の気球兵器を見たのを思い出した。あれは実物の5分の1の模型だったが、その異様な存在感は今でも記憶の片隅にある。


 博物館だけでなくトンデモ兵器の代表格としてテレビ番組で取り上げられることもあるから、意外とマニア以外にも知られている兵器かもしれない。


「それで、この『以前の昭和』で使われた兵器をどうしようというんですか?まさか例の小説のようにアメリカ本土爆撃を行うつもりですか」


 耀一郎は突っかかるような言い方をしてしまう。さっき明穂の顔を見とれてしまったのを誤魔化そうとしてつい過剰に反応してしまったのだろうと自己分析しながら、軽い自己嫌悪に陥る。

「まさか。あの小説の中でそういう風に使ったのはリアリティーよりも娯楽としての面白さを重視したためさ。史実よりも大量に投入したとしても、アメリカ本土に意味があるほどの打撃を与えられるとは思えないね。

 それに、アメリカ本土爆撃などしたら、それこそ二度目の真珠湾攻撃になってしまう。合衆国政府は喜んで日本への敵愾心を煽る政治宣伝の材料に利用するだろう。どうせやるなら、H2Aロケットを大陸間弾道ミサイルに改造して核兵器か放射性物質を搭載して打ち込むまで徹底的にやるべきだ」

「…憲法改正ですら成立が危ぶまれているのに、そんなことが出来る訳がありません。技術的にはもしかしたら可能性があるのかもしれませんが、政治的には不可能です」

「ま、大陸間弾道弾云々は冗談だ。そもそも、私がこの気球兵器に目をつけたのは別に爆弾や焼夷弾を積んでもらうためじゃない。むしろ、一向に休戦交渉に応じないアメリカ政府を動かすためさ。アメリカは平成32年も昭和17年、いや1942年も民主主義国家だからね。だから積むのはもう一つの情報という兵器さ。具体的には停戦を呼びかけるビラに日本側の放送を受信できるラジオやテレビ受信機を搭載する」

 冗談と言いながら結構ノリノリだったけどなあ、とはあえて言わないでおこうと耀一郎は思った。

「それをわざわざ気球でやる必要がありますかね。こういってはなんですが、航空機で行えばいいのでは?航続距離の問題なら空中給油機で解決できますし、アメリカ軍の戦闘機の迎撃を受けたとしても高速で離脱、あるいは護衛機を連れていってもいい」

 耀一郎のその質問を待っていたとばかりに嬉しそうな顔を浮かべる。

「そう来ると思っていた。アメリカ側の立場に立ってみたまえ。自分たちの領空で敵国の航空機が我が物顔で行動している。しかも自分たちのものより速度や戦闘能力の勝った航空機がね…それこそ、『次に落ちてくるのはビラではなくて爆弾だ』と合衆国政府は国民をラジオや新聞で煽るだろうね。我々が過去二度のドーリットル空襲で受けた衝撃と似たような事が起きる訳だ-なるほど、この程度の質問は想定済みという訳だ。 耀一郎はドヤ顔で語る小学生(風高校生)が可愛いから、あえて誰もが抱く疑問を挟んだわけではない。

 「それは気球でも同じことなのでは?」

「いや、航空機と違い気球なら心理的な影響力は抑えられると私は判断する。無論一定の警戒心は呼び起こすだろうが、時代遅れの気球なら既存の航空機で容易に迎撃が可能だと誰しも思うだろう。もちろん、先述したように生物兵器云々といった懸念は残ってしまうが。

 ちなみに、同種の作戦の前例だが、韓国の民間団体が北朝鮮へ向けて風船でビラを飛ばす作戦をやっていたな」

「ええ、私もその件はニュースで見た程度にしか把握してませんが…」

 さて、そこでだ。この気球兵器を平成日本の技術で再現することは可能かね?」

「さすがに即答は出来かねます。ここから先は推測ですが、基本となる気球の技術は民間企業に蓄積があるでしょうし、GPS、正確には改めて『こちらの昭和17年』で打ち上げたばかりの準天頂衛星『みちびき』からのデータで位置を把握してバラスト投下を自動調整するようなシステムにすれば、アメリカ本土への到達率をあげることも可能と考えます。どれも既存の技術の応用ですから、開発生産ともにコストはそう高くならないのではないかと思います。この辺は技術屋に確認しないと断言はできませんけどね」「なるほど、そうか。元の気球爆弾は和紙をこんにゃく糊で張り合わせたというローコストな代物だというが、さすがに今作るとしたら化学繊維だろうな。なにしろ、こんにゃく糊生産のためにこんにゃく芋が市場から消えたという話もあったくらいだからな。さすがに今こんにゃくが手に入らなくなれば政府に抗議が殺到しかねないからな。こんにゃくが原因で政権が倒れてはかなわん、フフッ」

 そう言いいながら友人の誕生日のサプライズを考える小学生のように明穂は笑う。

 やはり作家という人種の考える事はよくわからんと、耀一郎は内心で嘆息する。

「とにかく、この気球兵器を利用した政治宣伝作戦について、今から口述する内容を提案書にまとめてほしい」

「わかりました。正式な提案書としてまとめて上に報告しますよ」

 そう返事した耀一郎はタブレット端末に鞄から取り出したキーボードカバーを装着し、文書作成ソフトを立ち上げると、彼女の突飛なアイデアを正式な書類にまとめはじめた。

 まさか、その時の報告書が、アメリカ本土への一大政治宣伝作戦として実行されることになろうとは、耀一郎も想像すら出来なかったのである。

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