第28話 憲法改正

   1942年10月12日 20時05分 首相官邸


「今、速報が入りました!国民投票法に基づく国民投票の結果、国会で発議された憲法9条改正案の賛成票が得票率62パーセントを獲得。


 これにより、憲法9条は政府案の通りに改正されることとなりました。戦後の平和憲法は、時震という局面を経て大きく転換することになります。

 

 本日は解説の東南大学法学部室田喜三郎教授に来ていただいています。さて教授、今回の投票の直前に北朝鮮工作員による保自党本部へのテロ攻撃が行われたのも大きく影響したのではないでしょうか」


「先日のテロでは二ノ宮雅史選挙対策局長をはじめ、多くの党職員や報道関係者が亡くなりましたからね。国民の投票行動に影響したことは否定出来ないと思います。


またB―25による、いわゆる『ドーリットル空襲』の被害者遺族による運動も、大きな影響力があったと思います」


「なるほど。なお先のテロ事件に関して警視庁は『まだ捜査中であり、コメントを発表できる段階にない』としております。


 動機の解明など、真相の追求が待たれるところです。それでは、今回の改正の要点についてお教えください。」


「今回の改憲では、憲法九条の陸海空軍その他の戦力の不保持という項目が削除されました。


 新しい憲法九条の条文では第二項が、『ただし、国民の生命と財産を護る自衛権を行使するための組織として、国防陸海空軍の三軍を置く』



 つまり、実質的な軍隊であった自衛隊という現実に憲法を合わせる形に改正したということになります。ただし、名実ともに自衛隊が国防軍という国際法上の軍隊組織に改正されることは注目すべきでしょう」


「憲法九条の第一項の平和主義の理念は維持しつつ、アメリカ合衆国との戦闘が想定される現状にあわせた改正を行う。そう改憲の目的を理解していいのでしょうか」


「基本的にはその通りです。ただし、今後新たに発足する国防軍が自衛権の行使を超える武力行使をしないように、国民が監視していく必要があるでしょう……」



「結党の悲願がようやく達成されましたね」


 峯山防衛大臣は、感慨深げにNHKニュース速報を眺めながら言った。


 保守自由党結党の理念は、自主憲法の制定とされてきた。

 

 とはいえ、実質的には保守層向けのポーズでしかなく、まともに党内議論を進めようという動きはなかったが。


 長年にわたり与党に安住してきた保守自由党は、軍国主義とマスコミに叩かれる憲法改正から逃げ回ってきたのが本当のところだ。


 二年前に戦後初めての憲法改正として緊急事態条項が追加されたのも、尖閣諸島をめぐる紛争にケツを叩かれた結果に過ぎない。

 それでなお、9条改正という改憲の本丸には手が付けられなかったのだ。


「先日の党本部テロ事件も影響しているとはいえ。先の大戦以来、発議も出来なかったことがわずか一ヶ月程度で成るとは、皮肉なことだな」

 

桐生は1999年のあの日のことを思い出しながら、万感の思いをこめて息を吐いた。


 あの日から33年、自分の人生はただこの日のためにあったと思えるくらいだった。

 

 だが、これは終わりではない。


 むしろ、この新しい憲法の下で一億二千万の日本人をどう守っていくかが自分の両肩に重くのしかかっているのだ。


 まさに国民の生殺与奪の権を握る、圧倒的な重圧だった。

 

 こんなものを耐えて平然としていた歴史上の政治指導者という連中は、頭のネジが何本か欠けているのだろう。


 自らを凡人と思う桐生は、そんなことを思わざるを得なかった。

 

「憲法改正の影に隠れた形だが、国防軍法、国家安全保障法、時震対策基本法、先端技術流出防止法の戦時体制四法。


 そして150兆円規模の特別補正予算成立も大きい。二年前に成立したスパイ防止法、国会法第十条改正と含め、これで少なくとも法的側面で対米戦の制約は取り払われたといっていい」


 室井官房長官はそう言うと、ポケットから目薬を取り出して充血している眼に点眼する。ここ数日憲法改正と多数の法案提出などで、広い額と落ち窪んだ眼に疲労が現れている。


「これも民生党が割れてくれたおかげですね。それなしでは、ここまで早い改正は出来なかったでしょう」


 羽生田外相の言葉に、桐生首相は瞑目する。


 最大野党である民主生活党の分裂はある意味で予想外の出来事であった。


 マスメディアは与党の保自党が内部分裂を仕掛けたと言われているが、実際は違った。

 

 確かにかつて袂を分かった元保自党議員を通じて、憲法改正に賛同する議員に接触をはじめていたのは確かだ。


 しかし、党内の非主流派に追いやられていた中島幹也国会対策委員長を中心とした改憲派保守系グループが、穏健左派グループまで抱き込んで党執行部に離党届を叩きつけ、新党を結成したのである。


 戦後の政界再編においての政権奪取を狙う動きとも言われているが、真相は分からない。

  

 この実質的なクーデターにより、最大野党であった民生党は一気に少数野党へ転落、中島率いる新党「自由民歩党」は衆参両方で最大野党として再始動した。


 元来民生党は保自党を離党した保守派グループと、左派の旧友愛党系グループなどの寄り合い所帯であった。


 党の執行部は左派グループが握っていたが、非常事態にも関わらず平時と同じ感覚で政権叩きに固執していた。


 そんな彼らに反感を覚える議員が多かったところを、的確に突いた中島の作戦勝ちと言える。


 同時並行で中島はマスメディアに察知されるリスクを回避するために、直接には議員同士での会合を開かなかった。


 暗号化された映像会議アプリを用い、ネット上だけで首相と密談を重ねていた。


 そのため、本会議場で議決のボタンを押すまで憲法改正発議が国会を通ると確信していたのは桐生首相と中島の二人だけであった。


 中島は憲法改正発議の参院通過と同時にマスメディアに公開しての直接会談を行い、保自党との連立政権樹立を発表した。事実上の挙国一致内閣の誕生であった。


 この電撃的な連立政権の樹立により中島党首の人気は急上昇しており、世論調査の「次の首相にふさわしい人物」で1位に躍り出ていた。


 民歩党に政権を乗っ取られるのではないかと、警戒心を露わにした保自党議員まで出てくる始末であった。


「しかし、どれだけ大臣ポストを要求してくるかヒヤヒヤしましたが、今のところ環境大臣ポストだけですね」


 羽生田外相は緊張感のない顔でそう言うと、ペットボトルの緑茶に手をのばす。


「戦時中の今、過度に要求を飲ませると国民受けが悪いですからねえ。ツケの取り立ては戦後というハラなのでしょう。ま、下手に大臣になろうものなら戦犯として東京裁判に引き立てられる可能性もある、というのも大きいのでしょうが」


 峯山防衛大臣は乾いた笑いを張り付かせたままで、羽生田外相を脅かすように言う。


「戦争犯罪人…勘弁してくださいよ」


 羽生田外相はペットボトルの緑茶を取り落としそうになり、情けない顔で応じる。


「いまから戦犯の心配をしてもはじまらないだろう。政治家になった時点で、畳の上で死ねないことくらい覚悟しておくべきだよ」


 こともなげにそう言うと、桐生首相はすっかりぬるくなってしまった缶コーヒーを一気に煽る。時震以降、好きな日本酒を飲めない生活が続いている。


 勢い、コーヒーの消費量が増えた。そのコーヒーとて、いつまで国内に在庫があるのやら、と脈絡のない思考が脳裏に浮かんで消えた。


「峯山君、ガダルカナル島救出作戦の報告書、読ませてもらった。自衛隊員に一名も犠牲を出さずに任務をやり遂げたこと、それから負傷者に対して、改めてねぎらってくれ。作戦の性格上、公表も出来なければ勲章も出せないが。」


「了解しました」


「もちろん、作戦参加者には特別手当の支給を。もちろん、適当な表向きの理由をつけてな」


「分かりました。戦時特別予算のおかげで問題なく支給できるかと」


「よろしく頼む。それでは、続けて作戦の結果を説明してくれ」


「……それではガ島作戦の結果を簡潔に説明いたします。結果から言えば、作戦は成功です。ガダルカナル島に派遣された日本軍、陸軍一木支隊第一梯団430名、第十一海軍設営隊598名、第十三海軍設営隊757名並びに海軍陸戦隊152名の生存者を収容しました。なお一木支隊の第二梯団2500名は戦闘に参加しておりませんが、急遽救出作戦の対象としました。合計で4437名を収容したことになります」


「予想よりもだいぶ多い。丸腰とはいえ旧軍の将兵を収容するのは大変だったろうな」


「はい。現場は相当苦労したようです。なお、彼らは予定通り沖縄の嘉手納時震対策社会復帰支援センターへ移送しました。作戦参加艦艇は乗組員の休養のためにそれぞれの母港へ帰投しております」


「この報告書で気になることが一つあるのですが。作戦中の『事故』で、辻政信という陸軍大佐が重体というのは?」


 羽生田外相の指摘に、峯山防衛大臣は質問を予期していたのか、淀みなく答える。


「その大佐ですが。強硬に米軍陣地への攻撃を主張したために、撤退命令を遵守しようとする陸軍兵士と衝突し、銃撃されたそうです。」


「銃撃…それはいわゆる殺人未遂罪に該当するのですか」


「いえ、射殺したのはこの昭和17年当時の人間で、撃たれたのも昭和17年の人間。そのうえ、極秘作戦中の出来事ですからとても表沙汰には出来ません。通常通り平成の法律を適用して、裁判に委ねるのには無理があります。今回の事態ではなんらかの超法規的措置が必要と判断します。」


「超法規的措置…それは後々問題になりますよ」


 羽生田は、面倒事は御免だと言いたげに、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「時震対策基本法が施行されて以降に起きた事件であれば、通常通り平成時代の刑法及び国防軍法が適用されます」


「この件に関しては、私と猪口局長に一任してもらいたい。なお、これ以降この事件に関しては第一号特定秘密に指定する。機密保持には十分留意してもらいたい」


 ここで猪口局長の名前が出てくるとは思わなかった羽生田外相は目を白黒させた後に、くわばらくわばらと呟く。


「それでは羽生田さん、あらためて現在の外交状況を説明してくれ。」


「分かりました。まず、国営ラジオ放送『やまとごころ』をはじめとした短波ラジオ放送でアメリカ及びアメリカの占領地域へ向けて即時停戦を呼びかけていますが、相変わらず反応はありません。合衆国の短波放送であるアメリカの声VOAも受信していますが、日本との停戦及び休戦に関する事項は出てきません。」


「アメリカ側はその短波放送を受信しているのですね」


「はい。日本側の放送を傍受して分析しているのは『一度目』と同じと考えてよいかと。敵国への冷徹な分析力は米国の特徴ですから」


「アメリカ側は意図的に無視を決め込んでいる、ということか」


 室井の言葉に、羽生田は頷いて見せる。


「さらに、中立国の日本大使館に外交暗号で停戦交渉に関する電文を当時の暗号形式で打電し、現地の外交官を交渉にあたらせています。日本の外交暗号、アメリカ側呼称『パープル暗号』は1941年に解読されています。このルートでもアメリカは知ることが出来たはずです」


「つまり、少なくとも合衆国政府中枢は日本との停戦交渉に応じるつもりはないということだな」


 桐生首相の言葉はあくまで淡々としたものだったが、会議室の空気が一段重い物に変化したことは間違いなかった。


「はい。なお、中立国の大使館職員がアメリカ大使館やイギリス大使館に赴いたところ、どこも門前払いといった対応だったそうです。捕虜や民間人を戦時交換船で交換することについては、スウェーデンの合衆国大使館から正式に交換に応じるという書面が届けられたようですが」


「交換船が認められただけでも僥倖でしょうね……」


「交換船に載せる人員のリスト化作業は今外務省で作成中です。近日中に首相へ提出させていただきます。外務省からは以上です」


「この外交状況は国民に発表せざるを得ない。そのうえで、自衛権の発動としてアメリカと戦うことを納得してもらわなければ」


 首相の言葉にNSC出席者の誰もが頷いた。


「さて、最後に森さん。石油備蓄量について、改めて報告が聞きたい。報告をお願いします」


「分かりました。石油備蓄量ですが石油天然ガス・金属鉱物資源機構JOGMECの報告によると、概算値ではありますが115日分となります。天然ガスの備蓄量も122日分とほぼ同程度の残量となります」


「つまり、あと四ヶ月もしないうちに石油と天然ガスが尽きると。経済封鎖というのは苦しいものですね」


「おたくの海自艦艇が燃料を食っているのですけどね。ガスタービン機関なんて油を振りまいているようなものでしょう。ディーゼル機関にでもすればいいのに」


 森経産相に睨まれて、峯山防衛相は愛想笑いを浮かべて冷や汗をかく。


 言いたいことはあるのだが、先輩議員であるだけでなく貫禄でも負けている相手なのでどうにも腰が引けてしまうのだった。


「なお、原子力発電所のウラン燃料は現在の消費量をそのまま維持してもおよそ二年は持ちます。詳細は資料を参照していただければわかりますが。当面は現在稼働可能な四十二基の原発すべてを稼働させるべきです」


「分かった。震災以降、政治的に難しかったが、電気が足りなければ死人が出る。ただちに稼働させたまえ」


「ありがとうございます。……それはともかく、総理。至急、原油や天然ガスの緊急輸入をお願いします」


「森大臣、緊急輸入とはいっても平時ではないのです。米海軍の水上艦艇や潜水艦が待ち構えているかもしれない。護衛なしでは派遣できませんよ」


 桐生がたしなめるように言うと、森経産相は不満げな顔をする。


「石油や天然ガスに関しては、自衛隊との共同作戦になる。峯山君と、詳細を詰めてもらいます。そのうえで改めて計画書を提出していただきたい」


「分かりました。その件は持ち帰って改めて検討します」


「それから、先日の特殊戦略調査会第一班の報告書にあった方法も興味深いものだった。あれも、エネルギー供給計画に加えたい」


「あの報告書ですか。確かに、今は少しでもエネルギー供給の安定に寄与するものが欲しい。検討します」


「……首相、記者会見のお時間です。そろそろ移動をお願いします。」


 いつの間にか、隣に来ていた室井官房長官に肩を叩かれ、桐生首相は頷きを返す。


「分かった。それでは今回の会議はここまでとする。それでは各員は随時情報収集にあたってほしい。緊急の要件ならいつでも私を叩き起こして構わない。それでは室井さん、行こうか」


 桐生首相は立ち上がり、大きく深呼吸をすると足早に会議室を後にした。

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