第26話 残照

 意識を失っていたのはわずか数分のことらしい。


 ベーコン艦長は真っ赤に染まった視界越しに周囲を見渡す。

 額をぬぐうと手のひらが真っ赤に染まった。

 幸い傷は脳までは達していないが、倒れた拍子にどこかにぶつけた額に裂傷を負っているようだった。脳震盪の影響が残っているらしく、起き上がろうとした足元がふらつく。


 ガラスの割れた計器類、壊れたバルブ、倒れている水兵たち。一瞬にして潜水艦S-44は、スクラップ寸前の有様となっていた。


耳を澄ますと轟々と海水が流れ込む音が聞こえているのに気付く。


「艦首の魚雷発射管室並びに後部機関室浸水。敵の魚雷は不発だったようです」

「不発か…本当にそうなのか」


 ベーコン艦長はにわかには信じられなかった。

 確かにこの時期の魚雷というものは信頼性が高い兵器とはいえない。合衆国海軍では第一次世界大戦の遺物のようなMk-10魚雷は枯れた技術で構成されているから問題ないが、最新型のMk-14魚雷では不発などの不具合も多いと聞く。

U-ボートで有名なドイツ海軍の潜水艦用魚雷でさえ不発が多く、それで命が助かった連合軍兵士も多いという話もある。


――だが、果たして自ら音波で敵を捉えて当てに来るような先進的な技術で作られた魚雷が、たまたま不発などといった偶然があるだろうか。しかも、艦へ与えられた衝撃の回数からしてこの艦に命中した魚雷は一発ではない。

少なく見積もっても二本以上、それがすべて不発ということはありえない。


「応急作業を急がせろ。最低限の人数だけ残して他は応急作業ダメージコントロール班を編成し、復旧作業に当たらせろ」


「艦長が意識を失っておられましたので。すでに指示してあります」


「すまんな、負担をかけた。それで首尾は?」


「よくありませんね。特に機関室の浸水が酷い。復旧作業を行おうにも、資材は限られていますから」


 水上艦と違って、潜水艦には応急作業用の角材などを格納するスペースにも限りがある。応急修理をしようにも限界はすぐに訪れる。


 たとえ魚雷が不発であったとしても、水中を数十ノットで進んできた物体が与える衝撃は凄まじいものになるはずだからだ。炸薬が船体にもたらす破局よりはマシだが、早急な死か緩慢にもたらされる死かの違いに過ぎない。


「機関室浸水ということは、ディーゼルエンジンは水没か…確かに痛いな」


「報告します!機関室はすべて浸水。艦内各所でも細かい破口部からの浸水が続いています。機関長の判断では、このままではあと一時間も持たないだろう、と」


 報告に来たのはどことなく少年の面影が残る若い黒人の水兵だった。


「ご苦労だった。少し待て…君の名前はなんだったかな?」


「アンドリュー二等兵であります、サー」


「なるほど、いい名前だ。副長、バラストタンクブロー、急速浮上だ。それから、アンドリュー君すまないが、テーブルクロスでもなんでもいい。大きな白い布をもってきてくれないか」


「艦長…わかりました。バラストタンクブロー!急速浮上!!」


 副長は一瞬息をつまらせると、大声で命令を復唱する。


「了解しました。食堂へひとっ走りしてきます」


 アンドリュー二等兵が駆けていくのを見送りながら、艦長は決意を新た

に床に転がっていた制帽を拾い上げてかぶり直す。


――戦いはまだ、終わった訳ではない。



護衛艦「いかづち」の所属であることを示す「いかづち01」と船名の入れられた内火艇の、25馬力ディーゼルエンジンが小気味のよい音を立てている。

 

 月は既に水平線の彼方に没しようとしており、手元の夜光塗料の塗られている時計は夜明けまでさほどの時間がないことを示している。「いかづち01」以外にも、他の護衛艦から降ろされた内火艇が周辺を捜索しているのが見て取れる。


 陸自と違い、臨時編成の内火艇班には暗視装置などという便利なものはないので、艇に設置されたLED投光機で海面を捜索する。人命救助のためとはいえ、敵兵の捜索に投光機を使用することには躊躇いがない訳ではないが、この光を気取られる前に護衛艦の水平線レーダーが敵を発見しているはずだ。


 89式小銃の金属の感触をなでていると、何故か安心することが出来るような気がした。


――夜明け前が一番暗い、とは誰の言葉だったろうか。


「先ほどの潜水艦のものと思われるオイルを発見しました。相葉副長、ソナーでとらえた通りに浮上してくるでしょうか」


 相葉副長と呼ばれた年かさの隊員は、どことなく不安な表情を隠し切れない若い隊員の肩を叩いた。

 

 彼ら内火艇に乗り組んでいる隊員たちは、灰色の鉄帽テッパチにこれまた灰色のライフジャケットといった戦闘装備に身を包んでいた。


「わからん。だが、その可能性がある以上、内火艇で待機せにゃならん。命令が出ている以上は、な。それに敵艦の乗組員といえども救助するのは、先代『雷』からの伝統だからな」


 班長が言っているのはかつて――「二度目の世界」では未来だが――1943年3月2日、日本海軍に所属していた吹雪型駆逐艦「雷」が敵艦である英駆逐艦「エンカウンター」の乗組員442名を救助した史実を言っていた。


 この話は近年になって有名となり、「いかづち」の乗組員の誰もが、艦長の訓示で耳にタコが出来るほど聞いている。

 艦長がたまたまテレビで見たそのエピソードを、やたらと気に入っているからだ。


「もし浮上してきたら、両角一曹。貴様の英語の腕を見せてみろ」


「いや、転職前に資格取得の対策で駅前留学していただけですから…日常会話程度しか出来ませんよ」


 三十手前くらいの若い隊員が苦笑を返す。

 そんな話をしていると、投光機に照らされた海面が泡だったかと思うと急に盛り上がりを見せる。


 「衝撃に備えろ。ぼやぼやしているとソロモン海に放り出されるぞ!」


 滝つぼの中にいるような水音とともに、真っ黒い潜水艦の影が海面に映ったかと思うと、巨体が海面に現れたことで押し退けられた水が波紋となって内火艇を襲う。「いかづち01」が一番潜水艦に近かったせいか、もろに波の影響をくらうこととなった。


 幸い内火艇が転覆することはなかったが、もし耐衝撃姿勢を取るのが遅れていたら海面に放り出される者も出ただろう。


 S級潜水艦の全長は70メートルに満たず、排水量も計算方法にもよるが1000トン程度と、比較的小型の潜水艦だが、夜の海面では随分大きく見える。


 しかし、魚雷発射管があるはずの前方の喫水線あたりと、後方よりの右舷側面に大きな破口部が開いており、艦全体が20度以上傾斜していた。

 すぐに司令塔のハッチが開いたかと思うと、棒に括りつけられたテーブルクロスらしい布が振られる。


「いかづち01よりFIC、白旗を確認した。繰り返す、白旗を確認した。」


 相葉副長は艇に据え付けられた通信機で、艦隊司令部へ通信を送る。


「FIC了解。潜水艦乗組員を救助にあたれ。くれぐれも戦時国際法を遵守し、捕虜としての正当な扱いをするように」


「いかづち01了解。これより救助に当たる。よし、一曹投降を呼びかけろ。他の隊員は警戒態勢のまま待機!」


 ハッチから出てきたのは無精髭を生やした、一見して士官と分かる制服の男だった。額が突き出たいかつい顔ではあるが、目鼻立ちは整っていてハリウッド俳優を思わせる男だった。

 白旗を掲げたまま仏頂面で司令塔の上に立ち、英語で宣言する。よく通る濁声で、嵐の中でも聞き取れそうだった。


「アメリカ海軍潜水艦S-44艦長、チャック・R・ベーコンだ。只今を持って日本海軍に対して降伏する。見ての通り、いつ沈むかわからない。出来るだけ早く乗組員の収容をお願いしたい」


 早口でそうまくし立てる艦長に対して、ずいぶん訛りの強い英語だなと思いながら両角一曹は、内火艇の隊員たちに通訳する。


「了解した。戦時国際法に基づいた捕虜としての対応を約束する。これより内火艇を接舷する。乗組員は速やかに移乗されたい。分かっていると思うが、武器や手荷物の携行は許可できない」


「貴官の好意に感謝する。総員退艦、繰り返す総員退艦!速やかに日本海軍のボートに移乗する。急げ!」


 艦長が大声で怒鳴ると、艦内で様子をうかがっていた乗組員が続々とハッチから姿をあらわす。よく訓練された動きで甲板に整列すると、順序良く接舷した「いかづち01」に乗り込んでいく。


 一騒動を覚悟していた「いかづち01」の隊員たちは拍子抜けした思いで、アメリカ海軍の軍人たちを出迎える。


「イエローモンキーだとか言われそうですね。この時代のアメリカは人種差別全盛時代でしょうし」


「軽口を叩くな、両角一曹。貴様も誘導を手伝え」


 両角一曹は慌てて艇に乗り移ろうとしているアメリカ海軍の将兵の誘導を始める。

 腕が折れたまま固定もしていない兵士や頬がざっくりと切れて出血している兵士など、みなどこかしら怪我をしている。そのうえ、敵意むき出しの視線を送ってくる者もいたし、疲れきった表情をしている者もいた。


 あっという間に「いかづち01」の定員は一杯になり、他の艦艇からの内火艇が入れ替わるように接舷する。ヘリコプターのローター音が聞こえてきたかと思うと、掃海・輸送ヘリコプターのMCH-101が救難員を降下させる。

 特に体力の落ちている兵士を抱きかかえ、救助することを始めていた。


 ふと気がつくと、隣に先ほど白旗を掲げていたベーコン艦長が立っていた。

 何の敵愾心も感じられない、何かを悟った修行者のような表情だった。


「私は本国の日本大使館で、日本海軍の駐在武官と交流したことがある。だが、貴官らとは明らかに立ち居振る舞いも、身に着けている雰囲気も違う。しかし、君たちは日本人であることは間違いないようだ。いったい、君たちはどこからきたのだ。」


「およそ80年ほど後の未来から来ました。未来の日米は同盟国として肩を並べて戦ったこともある、と言ったら驚きますか」


「まさか、と君たちと戦う前の私なら思っただろうな。自ら音波を放ってこちらを追いかけてくる魚雷に、あんな大型のオートジャイロまで見せられては、君たちが魔法使いと言われても信じざるを得ないだろう」


 ベーコン艦長は肩をすくめて答える。


「くれぐれも部下の扱いだけは人道的にお願いする。尋問するのは出来ることなら私だけにしておいてくれると助かる」


 深々と頭を下げる艦長に、相葉副長は自分ながらわざとらしくしか見えないだろうなと思えるぎこちない笑顔で応じた。


「ご心配なく。80年後の日本は人権擁護の推進につとめる法治国家ですから」

 

 相葉副長は、平成の世の人間ならではの傲慢さに満ちた表現でそう答えた。


 ベーコン艦長はその答えを信用していいのか迷う顔で頷くと、その瞬間悲鳴とも嗚咽ともつかない声があがる。


 その瞬間、合衆国海軍の潜水艦「S-44」は艦尾を大きく持ち上げながら、ソロモンの海に沈んでいった。

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