第25話 対潜水艦戦-ASW
「いかづちより入電。ソナーに反応あり。おそらく、米海軍の潜水艦と思われます。方位272度、距離14500。速度5ノットで本艦へ向けて移動中とのこと」
データリンクシステムで送信されてきた
「かが」のFICに緊張が走った。
これまで順調過ぎるほど順調に作戦が推移してきただけに、やはり来たかという思いもある
「近づかれたな。日本海軍の
「周辺海域のデータが不足しているのが響いたのかもしれません」
司令部幕僚スタッフの三佐はタブレット端末に表示されたデータを見ながら答える。
このソナーによる探知は、海中の温度によって探知精度を左右されることがある。
何故なら、水中の温度はどこも一定というわけではなく、水中には変温層と呼ばれる温度の違う水塊が存在するからである。
この海中温度の違いによって、探知が不正確になることもあり、潜水艦側がその温度差を隠れ蓑にすることも不可能ではない。
温度だけではなく、潮流や海水密度などのデータも潜水艦探知には重要である。
尖閣紛争直前に日本の周辺海域に中国の海洋調査船が頻繁に侵入していたのは、潜水艦戦に利用するためのデータを取得する事が主要な目的であったとされる。
もちろん、アメリカ軍が制空権を握っているこの海域で、のんびりと海中データ収集などできようはずもない。
「これは訓練ではないし、ここはすぐに支援が来るホームグラウンドじゃない。アメリカ海軍は遠慮しちゃくれんぞ」
甘粕は珍しく厳しい顔で叱責すると、三佐の表情が引き締まる。
「接近する該当潜水艦のデータを知りたい。例の米海軍艦船データベースから、想定される艦のデータを出してくれ」
甘粕司令が命じると、FICの液晶モニターにいくつかの潜水艦の3Dモデルと各種データが表示される。
このデータは各艦のコンピュータに搭載されており、潜水艦から戦艦、空母や駆逐艦、輸送艦などの補助艦まで網羅されている。
「艦種ごとの生産数や戦闘記録を元に分析すると、一番この周辺に潜航している可能性が高いのはS級潜水艦というタイプです。アメリカ海軍の中では旧型艦に属しますが、このソロモン海戦では重巡加古がこの潜水艦で撃沈されています」
事務官の二尉の報告に、甘粕はスチール机を指でトントンと叩きながら思案する。
「搭載魚雷のMk-10の射程距離は3200か。まだ魚雷の射程圏外ということだな」
「もちろん射程が8000以上ある当時最新のMk-14魚雷を搭載している可能性もありますが、その場合でもまだ射程圏外です。海軍設営隊の収容を一時中断しますか?」
ガダルカナル島沖合にわざわざ艦を停止させているのは、収容を終えたばかりの一木支隊につづいて、海軍設営隊並びに陸戦隊の生き残りを収容するためだった。
当初の予想より多くの人員が生き残っていることが判明し、収容に時間がかかっていたのである。
米軍陣地を避けるようにわざわざマタニカウ川付近まで迂回せざるを得なかったことも、時間のかかる要因であった。
「いや、収容作業を続行させる。「かが」、「いずも」、「いせ」、「ひゅうが」は引き続き『おおたか』の着艦、人員の収容に全力をあげさせる。このままグズグズしていては、朝を迎えてしまう。ヘンダーソン飛行場はまだ使えないだろうが、他の島の航空隊の空襲がないとも限らない」
「可能性は低いとはいえ、避退している空母機動部隊が戻ってくる事も考えられますね」
「そういうことだ。今回の任務の特性上、無駄な戦闘は避けたい。他の六隻で対処する。任務部隊各艦に通達、第一種戦闘配置、
甘粕司令の命令が各艦にデータリンクで共有され、ソロモン任務部隊の各艦は戦闘状態に入る。
「
甘粕の内心には、専守防衛の憲法上の制約に囚われながらの作戦に忸怩たる思いがないわけではなかった。事実、陸上での戦闘でドローンに対する攻撃がなされている以上、積極的な反撃を行うべきだとする意見具申もあった。
しかし、法治国家の「軍隊」としては理不尽な法的制約の下でも作戦を遂行しない訳にはいかない。
自衛隊員に犠牲が出ていないのは単純に80年近い技術格差があるからに過ぎなかった。相手がもし平成32年の国家の軍隊であったなら、犠牲は避けられなかったかもしれない。
そういった困難の下での作戦だからこそ、出撃間際に首相自ら激励のメッセージを送ってきたのだろう。
「各艦に改めて通達します。」
二尉は甘粕司令に向けて敬礼すると、各艦へ向けて交戦法規の徹底を通達する。
十分な訓練を受けている精鋭といっていい隊員たちですら、自らの命を危険にさらす戦場の緊張感で不測の事態を招きかねない。
極秘作戦とはいえ、もしなにか問題が起きてそれがマスメディアによって暴露された場合、憲法改正の機運が一気に萎み、国家にとって政治的致命傷になりかねない。
だからこその、くどいくらいの念押しであった。
「目標、依然として5ノットで接近中。距離、MK―10の射程距離である3200まであと五分です!」
仄暗い「いかづち」の
「いかづち」の
護衛艦「いかづち」は、戦後第二世代
つい先日まで行われていた小規模な近代化改修によってソナーを含む兵装が最新式に改められており、今回の派遣にもそれが影響していた。
尖閣紛争にも参加しており、実戦経験を積んでいる乗組員もいることもあってか、実際にアメリカ海軍の潜水艦と相対しても至って冷静であった。
「艦長、敵性潜水艦の攻撃行動の兆候は代わりません。
「分かった。やむを得ないだろう」
艦長は即座に決断した。
「かが」の艦隊司令部からの通達は、探信音の発振はできるだけ控えるというもので、使用を禁ずるというものではない。相手への攻撃そのものではないので、個艦の判断に任せるということだ。
「艦首ソナー、スタンバイ。ビビって逃げ出してくれよ…」
水雷長は依然として艦隊へ接近を続ける潜水艦に対して、祈るような気持ちでアクティブソナーの発振を命じた。ソナー担当の水雷士がソナーを操作する。
アクティブソナーから発せられた音波は、海中を伝播して敵性潜水艦に数秒で到達するはずだった。ソナーが発振する音波はその多くが可聴域の音波であるため、海中に潜む潜水艦にとっては不気味な警告音がはっきりと聞こえただろう。
「敵艦、速度及び針路変わりません」
「…魚雷発射管注水音を確認!」
艦長はソナーマンの報告を聞き、一瞬唇を噛むとすぐに命令を下した。
「いかづち」のソナーシステムがとらえたこの情報はすぐにデータリンクシステムで、艦隊司令部と共有されているはずだった。
「短魚雷発射管スタンバイ。炸薬非搭載魚雷二発、発射用意。機関始動、最大戦速、針路70度ヨーソロー!」
艦長はいつの間にか口の中にいっぱいになっていたツバを飲み込むと、腹から声を出して命じた。
「機関始動、最大戦速、ヨーソロー針路70度」
満を持したという表情で航海長が応ずる。
「短魚雷発射管、
水雷長の報告とほぼ同時に、ソナーマンからの報告が入る。
「敵潜水艦より魚雷発射音!感2、右舷前方20度より魚雷接近感知。雷速40ノット、距離3000を切る!」
その報告にさすがに艦長の顔つきがわずかにこわばる。
しかし、つとめて笑みを浮かべようと演技を続けながら、命令を下す。
「うちぃーかたはじめー!」
水雷長は栄誉礼をするような面持ちで、小さく頷く。
「短魚雷発射よーい、てぇっ!」
実際に行われる動作は、制御卓に設けられたカバー付きの小さなボタンを押し込むだけであったが、本来なら潜水艦を葬り去る必殺の魚雷が放たれるはずであった。
しかし、甲板上に設置された三本の鉄の筒を三角形に組み合わせたような装置、短魚雷発射管に装填されているのは殺傷力を減じるために炸薬を搭載していない魚雷であった。
甲板の発射管から放り出された12式短魚雷は水中に放り込まれると、クローズドサイクル蒸気タービンエンジンを始動させる。
そして、アクティブソナーを発振して入力された情報に従って目標を探しはじめた。
「フランクリンよりサンダーボルト、非炸薬短魚雷を投下せよ」
通信士は艦長の命令を、上空で
「敵魚雷なおも接近…艦尾付近を通過しました!」
ソナーの画像を見ながら、水雷長は誰にもさとられぬように注意しながらも僅かにため息を漏らす。
「艦隊各艦も回避行動中!」
上空のSH-60Kに搭載されていたカメラがこの時撮影していた、最大速力の30ノット以上を発揮しながら一糸乱れぬ動きで回避行動を取る護衛艦隊の映像。
それは、後に機密指定を解除されてお茶の間の度肝を抜くのだが、それは遥か後のことである。
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