第24話 S-44

 その日、アメリカ海軍の潜水艦、S-44はガダルカナル島東方で哨戒任務に当たっていた。


 つい数時間前に日本艦隊による夜襲があったばかりであり、チャック・R・ベーコン艦長は、安易な浮上を避けるよう命じていた。


 艦は潜望鏡深度を5ノットで移動しており、司令塔には機関部からのモーター音が聞こえてきていた。


艦長は夜光塗料で文字盤が光っている懐中時計を確認すると、潜望鏡に取りつく。


艦内の電灯は赤色灯に切り替えられており、最低限のものでしかなかった。


付近に敵艦がいなければ、このまま浮上して蓄電池の充電と換気を済ませてしまいたい。


前回の浮上から7時間以上が経過しているため艦内の空気の汚れが気になり始めている。まだなんとか息苦しいというレベルではあるが、あと3、4時間もすれば士気に影響が出始めるだろう。


酸素ボンベから圧縮酸素を供給することもできるが、艦内気圧が変化してしまうため、気圧を元に戻す装置を運転する必要がある。


その機械の騒音をソナーで探知されることは避けねばならなかった。


また、数の限りのある二酸化炭素吸収缶にはまだ手をつけたくなかった。


そのうえ、蓄電池の蓄電量が戦闘を行うには不安が残るレベルに達しており、実はこちらのほうが問題は大きい。


浮上してディーゼルエンジンで発電し、充電をしなければならない。


この時代の潜水艦はまだ潜水艦というよりは可潜艦といったほうが正しい。


連続して潜っていられる時間に限界がある。


推進機関自身も無酸素機関クローズドサイクルではなく、内燃機関ディーゼルエンジンを用いているからだ。


推進機も乗員も酸素を必要とする以上、一定の間隔での浮上が不可欠だった。


自らの位置を秘匿できるという最強のカードを持つ潜水艦にとっての、唯一の泣き所と言える。


合衆国海軍の中でも旧型艦の部類に入るS-44には、シュノーケルといった浮上せずに換気を行う装備などはない。


 水上に敵艦がいなければ浮上して換気をするべきだろうと艦長は判断していた。


「付近に感なし。浮上に問題ないかと思われます」


ソナーマンからの報告に、艦長は静かに頷く。


「バラストタンク、ブロー。潜望鏡深度となせ」


「バラストタンク、ブロー」

  

 おもりとして蓄えられていた海水が放出され、S-44は潜望鏡を出せる深度まで浮上する。


浮上を確認した艦長は、潜望鏡にとりつくと海面へ潜望鏡を露出させる。


 潜望鏡を旋回して海上を確認すると、月明かりの中で目視できるギリギリの範囲にその艦隊はいた。


「停止している?このまま進行すると接敵するな…」


 艦長は進路や速度を変更する必要はないと判断し、懐中時計に視線をもどした。


 敵艦はなぜか停止しているとはいえ、敵艦が頭上にいるという圧迫感は体験したものにしかわからない。


平然とした風を装う艦長の背中には、冷たい汗が滲んでいる。


十分が経過したあと、倍率を最大限にした潜望鏡からは、大型の巡洋艦クラスの船が6隻、平型甲板の船が4隻を確認できた。


新月の晩であったならここまで詳細に艦影は確認できなかっただろう。


 頭の中に叩きこんである日本海軍の軍艦の艦影とどれも異なる、やたら鋭角的な艦影の船が多い。


特に巡洋艦クラスなら最低連装砲が三門程度、合計六門程度は主砲を積んでいるものだが、


どの船もたった一門を艦首側に装備しているだけという、彼には奇怪に思える船ばかりだ。


「日本軍の空母だ。奴ら、ミッドウェーで沈め損ねた空母をもう復帰させたのか?いや、艦形が異なる。新型艦なのか」


 艦長は髭潜水艦乗り特有のオイルと体臭の染み付いた髭をしごきながら思案する。

 あわただしく、司令塔から降りると発令所の副長に声をかける。


「航海長、艦形表を出してくれ。念のため確認する」


「わかりました。敵艦隊ですか」


「見たことのない艦ばかりだ。そのうえ、空母が4隻いる」


 空母の言葉に副長の眼光が鋭くなる。

 ファイリングされた艦影表をめくる時間も惜しいといった表情で艦長は矢継ぎ早にページをめくり、今度は勢い良くファイルを閉じる。


「やはり新型艦だな。ただの勘だが、あの艦影は従来の日本軍のものではない気がする。フネというのはその国の用兵思想や美的感覚と無縁ではいられないからな。匂いが違うのだ、あの奇妙なフネ達は」


「艦隊司令部へ打電しますか。」


 艦長は派手なジェスチャーで副長を押しとどめる。


「いや、待て。敵はまだこちらに気づいていないだろう。敵艦が停止しているのはこの上ない好機だ。まさか揃って機関故障でもあるまいが、何か事情があるのかもしれんが、知ったことではない。魚雷攻撃をしかける」


 副長はただ頷いて先を促す。表情は何かを言いたげだったが、艦長は知らぬふりをして先を続ける。


 このまま潜航して敵艦をやり過ごし、新型艦からなる敵の有力な艦隊の存在を知ら

せるべきだとでも言いたいのだろう。


 哨戒任務という任務の性格からして、その意見はある意味正しい。


 しかし、ベーコン艦長は危険を犯してでも魚雷攻撃を行う価値はあると思っていた。


なにしろ、停船している船という、言わば据え物斬りをするチャンスなのだ。


「魚雷の射程圏内に敵艦隊が入ったら、すぐに魚雷を発射する。それと同時に急速潜航で遁走に移る。あとは敵艦をやり過ごして浮上、その後に打電する。以上だ。」


「わかりました。それで、敵艦隊の向かう進路は?」


「真方位1-2-3度。このまま北方へ抜けたあとトラック泊地へ戻るのかもしれん。」


「巡洋艦が六隻ということですが、駆逐艦はいないのですか」


「護衛の駆逐艦らしき艦影は確認できていない。だが、油断は禁物だ。さすがに機関が始動するまで2,3時間以上はかかるだろうが、万が一あの空母が対潜哨戒機でも積んでいるかもしれん。魚雷を発射したのち、すぐに潜航する。換気は逃げきってからのお楽しみだ」


「了解。復唱します」


 副長は命令を復唱すると、艦内電話で各部署へ命令を発しはじめる。

 押し殺した声で命令がやりとりされ、各部署が慌ただしさを増していく。


「発令所より魚雷発射管室へ、一番から二番、発射開始」

「了解。一番から二番、発射開始します」


-新型艦といえども、停船中に狙われてはひとたまりもないだろう。敵の機関が再始動するまでに逃げきれるはずだ。


 潜水艦乗りにとって魚雷発射の瞬間こそが一番緊張する瞬間といっていいだろう。

 

魚雷発射管に注水を開始しただけで音が発生するし、発射すれば発射音とともに魚雷そのものが推進音を発することになる。


 潜水艦の最大の武器は「どこに潜んでいるか分からない」という秘匿性そのものである。だが、それは攻撃とともに失われ、潜水艦は逃げ惑うほかなくなるのだ。


魚雷を発射した衝撃で、艦が僅かに動揺する。


艦長は再び懐中時計に目を落とすと、魚雷命中までの時間を測りはじめる。

射程範囲ギリギリではあるが、敵艦に重大な損傷を与えられる自信があった。


しかし、ソナーマンからの報告がその自信を打ち砕いた。


「敵艦隊、全艦機関始動!回避行動を開始した模様です!」


「馬鹿な。まだ10分と経っちゃいないぞ。そんな短時間に回避行動だと?だが、間に合う訳が…」


ソナーマンは続けて、驚くべき報告をあげる。


「後方より魚雷航走音1、本艦に向けて接近中!」


「馬鹿な。今発射した魚雷の聞き間違いだろう。」


 艦長はそんなわけはないと思いながらも、疑いの言葉を出さざるを得なかった。


 「いつ、後方につかれていたのだ?そもそも、潜水艦に対して魚雷を発射する、そんな艦が居るわけがない。潜水艦か?いや、そんなこと出来るわけがない。潜水艦相手には爆雷しか対抗手段がないはずなのだ」


 この時代の潜水艦の戦闘ではそもそも正確に敵潜水艦の位置を探知する手段がないため、潜水艦同士の戦闘そのものが発生しようがなかった。潜水艦はあくまで水上艦と戦うもの、というのが軍事学上の常識であった。


「おそらくですが、魚雷から探振音が発せられている模様!」


「馬鹿な。自ら探振音を発する魚雷などある訳がない。我が軍にすらないものを日本人が…だと?」


 ベーコン艦長は思わず冷静さを失って叫んだ。


「機関全速、取舵!急げ!」


 とはいっても、S級潜水艦の水中での最大速力はたかだか11ノット程度、40ノット以上の速度で接近する魚雷を回避するには気休めにすぎない。

ベーコン艦長は子供の頃に連れて行かれた教会の時以来、久しぶりに神に祈った。


「畜生、魚雷が追いかけてくる!何で転舵についてこられる!クソッタレ!!bastard


 ソナーマンが職務を半ば放棄し、恥も外聞もなくわめいているのが聞こえた。


この時代の魚雷とは基本的に無誘導であり、敵の未来位置を予測して発射する撃ちっ放し兵器である。


かつての歴史では一年後の1943年にドイツ海軍が世界初の音響追尾魚雷を開発するのだが、ベーコン艦長が知る由もない。


次の瞬間、激しい衝撃で下から突き上げられ、床に投げ出される。


 船殻のどこかが壊れたのか、上からも下からも浸水が始まった。


 額のどこかを切ったのか赤く染まる視界の中で、ベーコン艦長は自問自答した。


-いつ、選択を間違えた。副長の懸念通り、遁走して敵艦の位置を報告するべきだったのだろうか。


 そんな思考が浮かぶが、常識はずれの敵艦と戦っての結果に不思議と悔いはなかった。 


ただ、敵艦隊の位置を報告できないことだけが、心残りだった。


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