第23話 辻政信

「いいか、歩兵銃、手榴弾てりゅうだん、軍刀などの武器の類、弾薬や工具類も背嚢バックパックごとここにすべて置いて行け。重量を少しでも減らすためだ」


 大竹は『おおたか』に乗り込む兵士の前で声を張り上げる。


「少佐殿、畏れ多くも菊の御紋章ごもんしょうの入った三八式歩兵銃を敵中に置いて行くのでありますか!」


「いいか、兵隊」


 大竹少佐が滅多なことでは使わない兵隊という単語を言い出したことで、供出させた武装をまとめていた小柴曹長の表情が変わる。


「内地でどんな教育を受けたかは知らん。だが歩兵銃は所詮銃だ。壊れもすれば、故障もする。旧式化すれば新小銃に替えられるものに過ぎん。作戦で廃棄する必要があれば廃棄する。覚えておけ、坂上一等兵」


「し、しかし…」


「くどいぞ、坂上。抗命罪で処分されたいか」


 強権的な物言いに、坂上一等兵の顔が真っ赤に染まる。


「坂上一等兵、やめておけ」


 いつの間にか日浦軍曹が後ろに立っていた。坂上は軍曹が珍しく険しい表情を浮かべているのを見て、目を白黒させた。


「申し訳ありませんでした、少佐殿。ご命令通り、装備品は置いていきます」


 坂上は敬礼すると、自分の歩兵銃を装備品の山に置いた。


「よし、あそこの『おおたか』まで駆け足!近くに行ったら特務の連中の指示に従うように」


 大竹は新兵を教育する古参兵のような顔つきで命じる。


「まるで、海軍の連中が『陸式』と蔑む陸軍士官そのものだな。まあ、たまにはこういう演技も必要になるということさ」


 大竹はそう言うと、慌てて走り去る坂上の後ろ姿を見てニヤリと笑った。


 いつの間にか傍らに歩み寄っていた小柴曹長は、苦笑を浮かべる。日浦軍曹は深々と頭を下げると、坂上の後ろを追いかけるように去っていった。

 

 将兵の収容は順調に進んでいた。

 自衛隊員の貨物取扱責任者ロードマスターの指示によって『おおたか』の後方ハッチから、陸軍将兵が次々と乗り込んでいく。兵士たちの中には本土に帰られると実感した途端、感極まって涙を見せるものすら出る始末だった。


『おおたか』の離陸が始まった。

 何度か目にはしているものの、その離陸の光景には毎度驚かされる。

 滑走路を必要とせず垂直に離発着出来るということが、これほど利便性が高く戦場で死活的に有効であるとは思わなかった。 


 通常の輸送機であれば飛行場を奪回せねば使えないだろうし、海軍の足の早い駆逐艦でもこれほどの人数は容易に運べない。


 その時、小銃を構えて歩哨に当たっていた隊員が誰何すいかの声を発した。


 他の隊員も一斉に銃口を密林の方向へ向ける。


 緊張の糸が張り詰めたのは一瞬だった。

 

 密林の木々をかき分けながら出てきたのは、綺麗に剃り上げた坊主頭にロイド眼鏡をかけて陸軍の軍服を着た将校だった。

 

 体格は特段目を引くものではないが、なによりも印象的なのは爛々と奇怪な光を放つ相貌と、戦場にあってなお喜色満面といった表情を浮かべていることだった。

 

 大佐の階級章を見つけた何人かの陸軍兵士が慌てて敬礼する。

 

 彼の後ろから続いて姿を表したのは海軍陸戦隊の兵士たちだった。


 月明かりで一見すると陸軍の軍服に間違いそうだが、鉄兜に錨のマークがあるし装備品も三八式歩兵銃ばかりではなくベルグマン機関銃など見慣れぬ装備品が混じっている


 海軍の陸上戦闘部隊である陸戦隊と行動を共にしている陸軍士官を自衛官たちは胡散臭そうにしながらも、とりあえず銃口を下げる。


「航空機のエンジン音を聞きつけてやってきてみれば、やはり一木支隊第一梯団だな。自分は辻政信中佐である。貴様達はここで何をしている」


-何故、貴様がここにいる。貴様がガダルカナル島に来るのは史実では10月以降になるはずだ。いや、そもそも一木支隊の投入時期も、第一次ソロモン海戦も日付がずれているから、不思議なことではないか。

 

大竹の内心は激しく動揺しながらも、反面で冷徹な計算をしていた。


-この男は軍事に独特の嗅覚を持っているところがある。

 おそらくはどこかで史実とは異なる流れになりつつあるこのガダルカナル島の戦いに『何か』を嗅ぎ付けて、どこかへねじ込んで自ら乗り込んできたのだろう。


 大竹はこの男と陸軍参謀本部の会議等で見知っていた。


 所属する部署が違うので、軍務を共にすることはなかったが、常に取り巻きを従えている様を当時は三宅坂にあった参謀本部の廊下で見かけたものだ。


 陸軍大学出身のエリート天保銭組意識の強い人物らしい傲慢さを持つ男だというのが第一印象であった。


 ちなみに大竹自身も陸大出身者ではあるが、だからこそそれを鼻にかける連中のことを嫌っていた。

 

むしろ、天保銭組の頭でっかちな連中よりも、彼らが「地方人」として馬鹿にする民間出身者のほうがよほど頼りになると思っていた。


大陸方面での諜報活動を指揮した経験から、その思いは更に強くなっている。


また、陸軍内で特定の派閥に所属せず、世慣れた処世術を軽侮するところのある大竹に対し、辻政信は石原莞爾に師事したかと思うと、その政敵である東條英機に接近するなど政治的遊泳術に長けた男であった。


そのせいもあって大竹は主に諜報活動や参謀本部での本土防衛研究など地味な裏方的部署に所属していたのに対して、この男は言わば参謀本部作戦課の兵站班長など陸軍の表舞台を歩いてきた人物である。


 年齢や階級こそ違うが、まさに両者は対照的な人物であった。


 思い出深いのはノモンハン事件当時、報告のため関東軍司令部を訪れた時、司令部の廊下で静かに笑っていたのだ。


 当時は事件の詳細まで自分が知らされることはなかったが、ソ連との国境で激しい戦闘が行われていることくらいは漏れ伝わってきていた。


 その中で作戦参謀が勝利の報告を聞いたわけでもないのに、奇怪な笑いを浮かべている光景は、異様としか言えない雰囲気であったのを覚えている。


「参謀本部第四課所属、大竹将道であります。中佐殿、報告の前にご質問をよろしいでしょうか。見たところ陸戦隊とご一緒のようですが。どのような経緯で?」


 大竹は場を収拾するべく、自ら名乗り出ると辻へ向けて敬礼する。

 次の『おおたか』が到着するのを待っていた一木支隊の将兵たちは、不安そうな顔で大竹の背中に視線を送る。皆無言ではあったが内地へ生きて帰る希望を打ち砕くことを言い出さないかと思っていることは、自衛官たちにも痛いほどよく分かった。


「ああ、彼らか。私が無理を言って前線視察をさせてもらうために、一木支隊の第二梯団に同行させてもらったのだ。今後は彼らとともに米軍への再攻撃を督戦する予定だ」


「米軍への再攻撃ですと。しかし、我々は大本営より撤退命令を受領しております。我々はその命令に基づき撤収作業を行っている最中であります」


「なんだと、そんな命令が出ている訳がないだろう。我々が増派されているのがなによりの証拠だ。命令書があるなら見せてみろ」


 大竹の報告を聞いた途端、辻の顔に青筋が浮かび、激高した口調でまくし立てる。参謀という立場には相応しくない、感情の起伏が激し過ぎる男だった。


「はっ!ガダルカナル島の攻略中止は確かに大本営陸海軍部内で決定されたことであります。命令書はここに」


 大竹から命令書を受け取った辻は、奇声とともに命令書を真っ二つに引きちぎりポロポロと涙を零した。


「海軍設営隊と一木支隊将兵の兵、数百を犠牲にしての撤退とはっ!何故、何故に撤退を…」


 不安そうに辻の様子を遠目で伺っていた一木支隊の将兵は呆気に取られて絶句している。


「だが、私は見たのだ。米軍の戦車を撃退した我軍の新兵器を。そして、闇夜を飛ぶことが出来る航空機も。あれを使えば、撤退戦の道中の駄賃にこの島を占領することなど造作も無い。そうは思わんかね、少佐」


 辻はさっき涙を流したかと思うと、今度は満面の笑みを浮かべている。あきらかに狂気を含んだ目だった。


-やはりか。この男は危険だ。目端が利き、小器用で、妙なカリスマ性も持ってはいる。だがこの男は国を誤らせる。


 大竹はそのことを再確認した。この男はこの昭和17年の世界では「作戦の神様」と持ち上げられてはいるが、ノモンハン事件やポートモレスビー攻略作戦など各地で無謀な作戦をゴリ押ししては屍山血河を築いている。


そのうえで、戦後の戦犯追及を海外に潜伏してやり過ごし、独立後に舞い戻って、のうのうと政治家にまで上り詰めるのだ。


「なに、撤退命令は守る。ただ、撤退は米軍に渾身の一撃を見舞ってからでも遅くはない。違うかね大竹少佐」


 陶酔した口調で滔々と自分勝手な理屈を述べ立てる辻に対する一木支隊の面々の顔は、氷点下を超えて絶対零度まで届こうかという冷たいものだった。


後ろからこの参謀を撃ちかねないと思われる者すらいた。


 何が作戦の神様だ、と小声で吐き捨てる者さえいた。


「それでは決定だ。一木支隊第一梯団は第二梯団とともに、米軍飛行場奪回作戦を再度決行する。作戦は短期決戦を旨とし、今夜中に夜襲をかける」


 すでに辻の頭の中では作戦が出来上がっているのだろう、ポケットから取り出した手帳に何かを書きつけ始める。どこまでも独善的な男だった。


「残念です。作戦の神様と言われたあなたをここで失うのはね。だが、大本営で決定したことに異を唱えることは重大なる統帥権干犯。上官とはいえ見過ごすことはできません。小柴曹長、大佐殿を処分せよ」


 大竹は静かに手を挙げ、すべてを了解している小柴曹長に目配せをした。

 この行動はあの国立国会図書館の戦史叢書を読んだ時に決意し、後に曹長も了解していた行動であり、故に二人に迷いは無かった。


 すでに三八式歩兵銃を構えていた小柴曹長は誰もが呆気に取られるなか、理想的な立射の姿勢で引き金を引いた。


昭和17年当時の歩兵銃としては高い命中率を誇る三八式歩兵銃は完璧に動作し、辻の心臓を6.5ミリ弾が正確に打ち抜いていた。


 排莢された薬莢が砂浜に音もなく落下する。


 それと同時に、辻の身体は砂浜に倒れ伏す。

 おびただしい量の鮮血が砂に吸い込まれていく。


「何故、何故だ。大竹ぇ!何故私を…」


 辻はどうみても致命傷に思える傷を負ったにも関わらず、耳を聾するような声で絶叫した。


 およそ常人とは思えない、怪物めいた生命力に見えた。


「貴方はここで死ぬべき人だ。ここで死ねば、貴方は同胞をこれ以上殺さずに済む」


 辻を見下ろす大竹の表情は、病人を憐れむ表情に近いものだった。


「貴様は何を、何を言っているのだ…」


 辻は恨めしい表情で大竹少佐を睨みながら、砂を握りしめながら立ち上がろうとする。

 口から血の泡を吹きだしながらもがいていた辻は、何事かをうめきながらしぶとい生命力を発揮し続けていた。


 小柴曹長は何事もなかったかのようにまだ温かさの残る歩兵銃を、装備品の山に戻す。


 誰もが一言もしゃべることのできない時間は何分だったろうか。

『かが』から飛んできた『おおたか』が、爆音を轟かせながらヘリモードで着陸を開始していた。


 


「何故撃った!」


 大竹は左の頬を殴られた衝撃で、「かが」の飛行甲板に叩きつけられた。


 南洋の暖かな空気に暖められた甲板は、柔らかな熱を大竹の背中に伝えてくる。


 灯火管制が敷かれているために月明かりしか光源のない状況だったが、御坂という男の顔には怒りと、何か得体のしれない感情が混ざり合ったような複雑な貌をしていた。


救出作戦は成功裡に終わり、一木支隊と海軍設営隊の生き残りを収容した「かが」はソロモン海からの退避航路を一路北上していた。


「では撃たなければどうなっていた?あなたたちに辻を撃てたのか?」


「それは…だが撃つ以外にも方法はあったはずだ。俺たちはあの場で辻の横槍で作戦に支障が出るようなら、非殺傷兵器で殺すことなく拘束する準備をしていたのだ」


「御坂二尉、あなたは素晴らしい指揮官だ。実際に作戦行動をともにして、それを実感することができた。だが、あなた達は実戦をしらない。だから、甘い。今殺さなければいけない相手、というのはいるのだ。あの辻という男は今ここで殺さなければ、いずれ何千、何万という人間を死地に追いやる男だ。貴方はそれを知っているはずだ。」


「それは以前の歴史の話だ。昭和の日本と、平成の日本とは違う」


「いや、あなたは辻という男を過小評価している。あの男なら平成日本の社会に適合することも容易だ。かつて愚昧な作戦で数多の同胞を戦死に追いやりながら政治家にまでなりおおせたように、ラジオや新聞などを駆使して自らの影響力を高めていくだろう。そして最後は国を誤らせる。そういうことにならないと言えるか?平成の日本は、詐欺師も賄賂を受け取る政治家もいない清廉な世界だとでも言うのか」


 大竹の言葉は確信に満ちており、その言葉に御坂の心は揺らいだ。


 しかし、自衛官としての本分を守ろうとする心まで揺らいだ訳ではなかった。 


「仮定の話だ。自衛隊の協力者に過ぎないあなたと小柴曹長が、救出の対象である陸軍軍人を殺傷した、その事実は変わらない。今ここで拘束しないのは、この救出作戦が極秘の作戦であり、刑事犯が出たからといっておいそれと告訴もできないだけだ。現に実行犯である小柴曹長は拘束している。だが、いずれあなたも拘束され、処罰を受けるだろう。それを忘れるな」


「わかっている。昭和の日本でも、平成の日本でも戦闘以外で人を殺せば殺人罪なのは変わらない。もとより、この命はいわば余生。本来なら三年後に失われる命だ。それが早まろうと、日本のためになるなら絞首刑になろうと本望だよ」


 大竹は静かに笑うと、切れた唇から流れた血をぬぐった。

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