第21話 ついてないアーロン
アーロン・スチュアート中尉は、ついていない男だった。
家柄こそ代々海軍軍人の名家に生まれたものの、優秀な上の兄二人に比べて平々凡々とした学業成績、風采のあがらない容姿は、彼にとって大きなコンプレックスだった。
ケチのつきはじめは、なんとか入学にこぎつけた
親族の弁護士のとりなしでブタ箱にぶち込まれることにはならなかったものの、海軍士官学校入学は取り消され、「貴様は一生海軍へ入れると思うな」と中佐殿直々にきつい一言をいただいた。その事件が町中の噂になったことで、結婚まで約束していた恋人からふられることになる。
兄二人と父からは散々になじられたうえに家を勘当されて、彼は仕方なく海兵隊の門を叩いた。散々苦労したあげくなんとか士官として任官することができた。しかし、開戦数か月前の訓練中の事故により骨折し、つい先日までベッドの上の暮らしだった。
ようやく現場復帰がかなった途端、太平洋においてはまだ貴重な存在である戦車小隊を任せられたのはいいが、日本軍との危険で激しい戦闘のただ中に放り込まれることになった。
そして、出世して兄や父を見返してやるきっかけになればと、採用されなくて元々と提出した戦車を動員しての夜間威力偵察の実行が認められたは幸運なのか、不幸の始まりか。
――おまけに、自分が指揮する戦車の愛称が自分のファミリー・ネームと同じスチュアートときた。
我が愛車、M3軽戦車『スチュアート』はたいした戦車だ。
38ミリという前面装甲もまあ無いよりはマシだし、走破性や操縦性だって悪くはない。なんにせよ、日本軍のブリキの玩具めいた性能の主力戦車、
だが、このM3軽戦車が
そのうえ、M3軽戦車の装甲は溶接ではなく
そういう難のある戦車に命を預けるのは、あまり気分のいいものではない。
噂ではドイツ戦車にも対抗できるという戦車が開発中ということだが、しがない中尉の身分では目の前にある道具を使うほかはなかった。
アーロンはM3のハッチを開けると、双眼鏡を使って月明かりの中戦車に先行してこの部隊の目を務める偵察分隊の様子に目をやる。
油断なく周囲を警戒しているために、どうしても行軍速度が遅くなっている様子がここからでもよく分かる。
――ま、無闇に元気が良い阿呆がいないことは喜ばしい限りだ。
幸い、先行する偵察分隊は開戦前から海兵隊にいる古参兵が多いらしい。見たところ若い兵士も何人かはいるようだが。
一方、小隊戦車の後方には歩兵部隊を載せた最新型のGMC社
幸い、急造の威力偵察部隊にしては、まあまあ連携がとれた行軍隊形と言える。その隊形は典型的な戦車を盾として進軍する陣形だった。
今進軍している砂浜というのは、接地圧に怪しいところのあるM3軽戦車にとって理想的な地形ではないが、月が出ているとはいえジャングルを行軍するよりはましだった。
「エンジン音、これは航空機か?小隊停止!」
アーロンは戦車小隊に停止を命じると、航空機のエンジン音に耳を澄ませる。
いくら月明かりがあるからとはいえ、夜間に飛べる航空機など限られているはずだ。どういうことだ?
双眼鏡を振りながら探していると、歩兵部隊の指揮官から通信が入る。
「10時の方向、仰角約40度方向に航空機を確認。距離感が掴めないが、それほど大きなものではないようだ。迎撃するか。といっても対空兵器の類は持ちあわせがないが」
「仕方ないさ。爆撃されそうになったらM1小銃で弾幕でも張ってくれ」
アーロンは喉頭マイクに向かってそう返すと、内心でため息をついた。
相手が命中するとも思えない夜間爆撃を仕掛けてくるとは思えないが、自分たちに迎撃の手段がないことを知るのはいい気分ではなかった。
この1942年現在、対空兵器で有効性が認められているものと言えば、重過ぎて移動させるのにも一苦労な高射砲か対空機関砲ぐらいしか無かったから、アーロンが飛び切り不幸なわけでもない。ドイツ軍には対空防御に特化した、対空戦車とかいうものがあるそうだが。
夜間に行動している航空機の正体を探るという任務が与えられているアーロン達に、ろくな対空装備が与えられていないのにはそうした事情があった。そもそも、アメリカ軍というのは常に圧倒的な数の戦闘機による航空優勢のもとに戦う想定の軍隊であるから、別段問題があるわけではない。
そう、これまでは。
双眼鏡のレンズにとらえた、プロペラのない奇妙な形の航空機はあっという間に戦車小隊の上空に接近してきた
「こちらは日本国自衛隊です。こちらに交戦の意志はありません。繰り返します、交戦の意図はありません。現在、当方は邦人救出活動を行っております。ただちに引き返してください。こちらに交戦の意図はありません。」
その奇妙な航空機には大音量で放送できるスピーカーが搭載されているらしく、明瞭な英語で警告文を読み上げてきた。
「セルフ・ディフェンス・フォースだと?なんだ、その奇妙な組織名は。日本の軍隊はそんな名前に改名でもしたのか。それに引き返せだと」
――頭がおかしくなりそうだ。すでに戦端は開かれているのに、わざわざ航空機を使って警告文を放送する理由はどこにある。これがエンジン音の正体だとしたら、日本軍は何を考えている。
「繰り返します。ただちに引き返してください。当方に交戦の意志はありません。ただし、なんらかの攻撃を受けた場合正当防衛として相応の反撃をせざるを得ません。繰り返します、交戦の意志はありませんが、攻撃を受けた場合…」
アーロンは航空機に向けて双眼鏡を向け、倍率をギリギリまで上げる。月明かりの夜とはいえシルエットしかわからなかったが、爆弾を搭載しているようには見えなかった。
「こちら
「スカウト1、了解。狙撃の腕に自信がある奴にやらせてみるが、期待はしないでくれ。」
少し遅れて偵察分隊の指揮官からの返答があったが、半ばあきれたような口調だった。
「威力偵察の目的を果たすためには、なんとかあれの破片の一つでも持ち帰る必要がある。日本軍の新型機かもしれん」
「了解した。あまり期待はしないでくれ。鴨撃ちとは訳が違うんだ」
ほどなくして、無線で命令を聞いたM3軽戦車6両が搭載するブローニング機関銃が発砲を開始する
それに続いて、偵察分隊も未確認航空機へ向けてM1小銃で発砲を開始した。
とはいっても、目標は空の上で身軽な航空機。元々が歩兵を薙ぎ払うのが本来の目的の車載機関銃や、歩兵用小銃では高速で飛翔する目的に当たるわけが無かった。
奇妙な航空機は撃たれはじめた途端に高度をあげると、およそ人間が乗っていては不可能な急激な機動で上昇すると、一気に洋上へ飛び去っていく。
「すまん、逃げられた」
「いや、構わない。流石に対空兵器なしでは無理だったな」
「それで、どうする。あの妙な警告文なんぞ気にしてはいないが、このまま進撃するか」
「…日本軍はこのまま我々に進撃されては困るということだろう。つまり、此の先には日本軍がいる可能性が高い。撃滅までは出来なくとも、威力偵察の本来の目的、一当てした感触くらいは持ち帰らなくては格好がつかない。このまま岬へ向けて引き続き進撃するぞ。」
「了解した。ハンター1の指示に従う」
交信が途切れたと同時にアーロンは、今度は自らが率いる戦車小隊宛の通信に切り替える。
「聞いたとおりだ。ハンター1、予定通りタイポ岬へ進軍する。戦車前進!」
アーロンはそう言うと戦車内へ戻りハッチを閉める。
再び戦車小隊は進撃を開始した。
本来ならくさび型の隊形を取りたかったが、砂浜のすぐそばまで密林が迫っている地形ではそうもいかなかった。機動の余地も含めると横は二列に戦車が並ぶのが精一杯で、複縦陣形をとらざるを得なかった。その後方から歩兵を収容したトラックがそれに続く。
しかし、その進軍は10分ほども続かなかった。
「こちらスカウト1、狙撃されている。敵は5時の方向の密林に潜んでいると思われる。支援を頼む」
悲鳴のような通信とともに、銃撃音が断続的に響く。
ハッチを開けて外を確認したい欲求にとらわれる。
しかし、ハッチを開けて顔を出した途端に銃弾が飛んできて頭を打ち砕かれかねないことを思うと、安易には出来なかった。
「偵察分隊を支援する。目標まで300ほど躍進の後に榴弾で狙撃兵を掃討する。2号車、3号車は続け。」
-夜間に狙撃兵だと。いくら月明かりがあるとはいえ、密林の暗闇から撃てるものなのか。
アーロンは内心の動揺をさとられないように注意しながら命じた。
しかし第一戦車小隊はその命令を実行することは出来なかった。
轟音とともに先頭を走っていたアーロンの乗るM3軽戦車が衝撃で動揺し、アーロンは戦車の壁に思いきり頭をぶつける。
-クソったれ、どこから撃たれた?狙撃兵といい、戦車兵といい、日本軍には吸血鬼でもいるというのか。
痛みに顔をしかめながらも、アーロンは再びハッチを開ける。
狙撃の危険よりも今は、このろくでもない状況を把握するほうが先だと判断した。
自分の心臓の鼓動が限界まで高まっていることが嫌でも分かるが、無視して素早く戦車の損害状況を確認するべく目を走らせる。
先行していた偵察分隊は瞬く間に半数以上が負傷している様子で、なかにはみっともなく喚いている奴もいた。
我が戦車はといえば、右の履帯上部のカバーやライトが吹き飛び、履帯や装輪も消失していた。操縦席までが顕になっており、操縦手のものらしい鮮血が飛び散っている。
うめき声が聞こえてくるのを見ると、幸い即死はしなかったようだ。
ほっとする間もなく、アーロンは重量物が空気を切り裂く音を聞いて背後を振り返った。
今度はアーロンの戦車の後方を走っていた戦車の左側の履帯付近に砲弾が命中したらしく、轟音とともに周囲に破片が撒き散らされる。
慌ててアーロンはハッチから出していた頭をひっこめて難を逃れた。
「日本軍の奴ら、わざわざ履帯を狙ってやがる。偵察分隊の奴らも即死している奴はいない。なぶり殺しにするつもりか。それとも…こちらを殺したくない、のか」
希望的観測にすがろうという自分の心の動きに苦笑する。しかし、日本軍の奴らがいつでも俺たちを殺せたのは確かなのだ。
混乱する思考を整理したくて、停止しそうになる思考を呼び戻そうと自分の顔を張り飛ばす。アーロンはさらに密林の闇に向かって野犬のように吼えた。
「とにかく反撃だ、反撃。日本軍の奴らを探しだして、なんとしてでも反撃して時間を稼ぎ、撤退する」
――こんなところで死んでたまるか。出世なんぞ糞食らえ。敵前逃亡はマズいが、これはあくまで威力偵察。適当なところでの撤退は言い訳が立つ!
震えそうになる身体をなんとかこらえながら、アーロンは反撃するべく砲弾の飛んできた方向、密林の奥へ双眼鏡を向けた。
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