第19話 第一海兵師団

 アレクサンダー・ヴァンデグリフト准将は洋上の旗艦輸送艦「マーコレー」を連絡艇で離艦し、上陸地点であるレッドビーチを見渡せるなだらかな丘に設置された野戦司令部へ帰還した。


 出迎えの将校の敬礼にも答えず、不機嫌そうに鼻を鳴らしながら椅子へと腰を下ろす。

 ガダルカナル島に上陸したアメリカ軍の上陸部隊主力であるアメリカ海兵隊第1海兵師団を率いる男は、元々厳しい顔をさらに怒りで真っ赤にしていた。


「話にならん。海軍の連中も、英国野郎ライミ―も腰抜け揃いだ。苦労して上陸した途端、日本海軍の夜襲を受けてこのざまだ…」


 ヴァージニア訛りの早口でまくし立てる准将の剣幕に、周囲の参謀や従兵はビクリと肩を震わせる。

 放送に乗せるには憚られる類の罵詈雑言を吐き捨てると、従兵が差し出したコーヒーカップを受け取って口をつけた。

 熱いコーヒーを胃に流し込んだことでいくらか落ち着いたらしい准将に、時機を見計らっていたらしい参謀の一人が声をかける。


「それで、艦艇にはどれくらいの損害が出たのですか」


「重巡『アストリア』、『クインシー』『ビンセンス』が轟沈、駆逐艦二隻が大破だ。ああ、豪軍カンガルーの『キャンベラ』もやられたな」


「そいつは酷い。対して日本海軍の被害は?」


「さあな。まだ詳しい状況報告はまとまっていないはずだ。損傷を与えた艦もあったようだが、少なくとも敵艦をたった一隻すら撃沈できたとは思えないというのが、上層部の一致した意見だ。そのせいで、周囲の警戒を厳にするために物資の揚陸には時間がかかるとさ」


「忌々しい事ですが、奴らにとって夜戦はお家芸ですからな」


「せめて機動部隊がいればな…明け方から航空支援が得られれば揚陸作業も順調に進むだろうに」


 フランク・J・フレッチャー少将率いる機動部隊は、「日本海軍の敵機動部隊を発見。ポートモレスビー方面へ向かう模様」という情報を受けて、敵機動部隊の捜索に入っていた。

 第62任務部隊を率いるリッチモンド・K・ターナー少将もその行動を追認し、第62任務部隊には今基地航空隊以外の航空支援エア・カバーが得られない状況になっていた。

 バンデクリフト准将は、本当に敵機動部隊がいるのか疑わしいものだと思っていた。もし敵機動部隊がいるのならば空襲の一つもありそうなものだが、この島での戦闘が始まって以来一度も日本軍の空襲はなかった。

 水上偵察機ゲタバキによる偵察や、脚の早い偵察機の哨戒が行われている程度のものだ。居もしない幻の敵機動部隊におびえて、かえって輸送艦隊の上空が疎かになりはしないか。

 夜戦前の作戦会議上でそのような主張が口をついて出かけた。

が、暗号通信の解読による情報に自信を持っているターナー少将や参謀たちとの関係を悪化させてまで主張するべきことかと躊躇した。

 その躊躇を今、准将は後悔しはじめていた。

 ふと物思いから我に返ると野戦司令部に沈鬱な空気が漂い始めている。

 それを吹っ切ろうと、ことさら明るい表情で准将は口を開いた。

「だが、奴らは転舵して逃げ去った。奴らサムライのイアイヌキとやらで、こちらに深手を負わせたもののとどめを刺さずに逃げて行ったのだ。奴らにはガッツが足りなかったということだ」

―それでも、負けは負けなのだがな。だが、それを表だって肯定するわけにもいかん。俺は司令官なのだ。


「奴らは空襲を恐れたのでしょう。夜明けと同時に空襲を受けるよりも、早めに逃げることを選んだ。ミッドウェー海戦で空母を三隻も失ったのがよほどこたえていると見えます。」


「撃沈が確認できたのは二隻だ。相手を過少評価してはならん。逆もまた然りだ。日本軍の連中とて、苦境は同じ。こちらの奇襲上陸で連中が相当の痛手を負っている今が、攻勢をかけるチャンスなのだ」


「しかし、司令。現実問題として補給物資は部隊全体にいきわたっておりません。このまま進撃した場合、燃料や弾薬果ては食糧まで枯渇しかねません。特に食糧は深刻です」


 そう言って参謀の一人が書類綴りを差し出す。


「確かにな。空腹で戦闘をさせる訳にもいかん。補給物資が行き渡るまで、兵員の食事は一日二食に制限するしかない。だが、このまま呑気に揚陸作業を待つ訳にはいかん。なにか手はないか」


 そう言われて、参謀たちは顔を見合わせる。補給が足りていない今、現状を打開する術はかぎられているのが現状だった。

 しばらくして、参謀の一人が何かを思い出したような顔つきで手を挙げる。 


「第一戦車小隊のアーロン・スチュアート中尉から、意見具申がありました。歩兵部隊の掩護を得て、沿岸部の夜間威力偵察を実行したいとのことです」


 参謀の一人が書類綴りをめくり、乱暴に殴り書きされた読みづらい文書をしかめ面で読み上げる。


「夜間威力偵察だと?前代未聞だな、そいつは」


「ばかげた提案ではあります。なにしろ戦車というものは昼間でさえ視界が狭い。夜間戦闘などアイマスクをしながらタップダンスを踊るようなものです。そんな作戦に貴重な戦車を割くなど愚の骨頂です」


「なるほど。そいつは面白い喩えだな。だが、そのイカレた野郎は海兵隊魂ガッツだけはあるようだ。案外、敵の意表を突けるかもしれんぞ。日本軍の連中にとって夜襲は得意技だ、その得意技で仕返しできたら衝撃は大きいのではないか?」

 

 准将は意外にも乗り気の様子で、酷い癖字の意見具申書を読み始めた。


「確かに、先日のイル川の戦闘で逃げた部隊を夜襲できたなら、士気をあげる効果も見込めるでしょうね。戦車では問題の多い、というか不可能に近い夜襲を成功させられれば、の話ですが。アーロン中尉の案も、照明弾を活用しつつの威力偵察ということですよ」


 准将の態度とは裏腹に参謀達は否定的な感情を露わにしていた。


「さすがに夜襲は無理か。なら、照明弾や探照灯で照らしながら進撃すればいい。敵を殲滅しようというのではない、威力偵察なのだからな。攻撃を受けた場合は反撃しつつ撤退すればよい。敵の所在を掴めれたなら、日が昇ってから追撃部隊を出すことも出来る」 


「確かに照明を振りまいて進撃すれば、嫌がらせハラスメント攻撃の効果は見込めるでしょうね。ただ、照明を使えば敵の部隊の良い標的いなりかねませんが」


「威力偵察なのだ。敵の攻撃を誘い出すことが出来れば、それをもって敵軍の情報が手に入るだろうさ」

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