第18話 オオタカは舞い上がった

「『カッコウ』、第八艦隊上空に到達しました。第八艦隊はほぼ史実通りの航路で、サボ島沖へ接近中」

「よし、くれぐれも対空砲の射程圏内に近づけるなよ。対空レーダーもない照準では当たらないだろうがな」

 甘粕は司令席で報告に頷き、制帽をかぶり直した。

 FICのモニターの一つには、日没からずいぶん経ったソロモン海上空からの映像が映し出される。すでに目視では艦艇の区別も難しくなっているが、暗視装置と「かが」艦内に設置された装置によるリアルタイム画像処理で、昼間のように鮮明に周囲の状況が把握できる。

 探照灯、あるいは黎明期の電波探信儀レーダーしか探知手段を持たないこの時代の艦艇にとって、夜の闇は何にも代えがたい防御装置である。

 その夜の闇を、平成の技術はやすやすと切り裂き、白日の下にさらして見せた。

 まだ正式配備前である、真田重工SHI製の戦術無人偵察機ドローン『カッコウ』からの映像である。

 その任務は偵察に加えて、対地ミサイルによる地上攻撃も可能である。

 あえて近似的な存在を探せば、アメリカの無人偵察攻撃機『プレデター』がそれに当たるだろう。防衛装備庁は『カッコウ』の低視認性、ステルス性能、静穏性を評価して採用を決定、増産に入っている。

 

「いよいよ史実に名高いソロモン海戦のはじまりか」

 史実のソロモン海戦は、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場をめぐる争いと言っていい。

 バンデクリフト少将率いる米海兵隊は、すでに野戦砲などの重装備をガダルカナル島へ揚陸することに成功していたが、戦闘に必要な食料や弾薬などの補給物資の揚陸作業はもたついていた。

 日本海軍の目的は、揚陸したばかりの装備品や補給物資、そして物資を満載した輸送艦群であった。

 事前の航空偵察によって米海軍の空母機動部隊が進出してきていることが判明。

 艦載機による空襲を警戒した第八艦隊は航空機による艦船への攻撃が困難な夜間にガダルカナル島沖のサボ島付近の米艦隊を襲撃。

 夜が明ける前に撤退するという作戦計画を立てていた。

 なお、史実では米海軍艦隊に損傷を与えることには成功したものの、揚陸した火砲などの重装備を破壊することまではできなかった。

 ミッドウェー海戦の敗北で空母艦載機による航空支援を受けられないため、戦闘に割ける時間が限られていたことが大きな原因であった。

 結局、重装備を破壊できなかったことで、その後のガダルカナル島の戦いは米軍の圧倒的勝利へと傾いていく。

 また、ソロモン海での戦闘は第三次まで続くが、結局日本海軍は消耗するばかりで制海権を取り戻すことができなかった。

 そのために、ガダルカナル島に上陸した部隊への補給は「鼠輸送」-搭載量は限られるが快速の駆逐艦による輸送-に頼ることになる。

 やがて、ガダルカナル島は戦死よりも餓死や病死が死因の大半を占める飢渇きかつの島、『飢島ガ島』と呼ばれる最悪の戦場へと変貌していくのである。

「大竹少佐、改めて確認する。先ほどの通信で一木支隊には、収容予定地点へ移動するように説得したのだな。」

甘粕司令官に問われ、大竹は頷いて見せた。

「抜かりはない。一木支隊にはタイポ岬へ下がるように通達してある。問題はむしろ移動途中に追撃部隊や敵航空機に襲撃を受けないか、だろう」

 ソロモン任務部隊は衛星写真の画像解析でアタリを付け、『カッコウ』による偵察で陸軍一木支隊が昨晩の戦闘での全滅を免れていることを確認した。

 また僅かに設営隊と陸戦隊の生き残りがいることを確認し、将兵救出のための作戦に最終的なゴーサインが出た。

 冷酷なようだが、あまりに生存者が少ない場合には作戦の中止も考慮されていた。戦闘が目的ではないとはいえ、戦闘の真っ只中へ隊員を送り込むからにはリスクに見合う政治的効果がなければならなかった。

そして、作戦の最初の一歩として『おおたか』に食糧や医薬品をはじめとする物資と通信機のコンテナを搭載して空中投下させたのである。

「それでは、作戦計画通り、タイポ岬で陸軍一木支隊および、海軍飛行場設営隊と陸戦隊の生き残りを回収する。大竹少佐、それでは発艦する『おおたか』に搭乗してくれ。そして速やかに将兵に撤退命令を通達し、救出に協力をお願いする」

「了解した。現地で戦闘に陥った場合は?」

「少佐と曹長はあくまで観戦武官のような立場と考えてくれ。応戦が必要な場合は自衛隊が責任をもって『対処』する」

 甘粕の言葉に頷いて敬礼し、甘粕は黙って海自式の敬礼で答礼した。


 『かが』艦内格納庫では、作業員が出撃準備に追われていた。

 格納庫内にはV-22J『おおたか』の進発前最終点検が終わるところであった。

 『おおたか』はアメリカのベル・ヘリコプター社とボーイング社が共同開発した輸送機V-22『オスプレイ』の、日本でのライセンス生産バージョンである。

 配備が始まったのはわずか三年前だが、尖閣紛争を契機に計画を大幅に前倒ししての生産が進められている。

 ちなみに愛称の『おおたか』は、左翼活動家による『オスプレイ』配備反対運動を背景に、少しでも印象を変えようと異例の公募で決められた名前であった。

 ずんぐりとした胴体に短い主翼、翼端に付いている巨大なプロペラが印象的な機体である。

 大竹の目からは、見たことのない異形の怪物という印象であった。

「大竹少佐殿ですな。私は小隊長の御坂二尉と申します。貴殿の護衛を務めさせていただきます。よろしくお願いします。」

 そういって握手を求めてきたのは陸上自衛隊の新型迷彩服にボディアーマー、そして最近採用されたばかりの20式小銃を抱えた幹部だった。被っている88式鉄帽3型にはネットワーク接続によってC4Iシステムと連携する機能を持つ18式暗視装置が装着されている。

 その鉄帽の下の精悍そうな顔には暗黒色のドーランが塗られており、格納庫内の照明に白い歯だけが浮かび上がっていた。

 夜戦を想定した装備であった。

「御坂二尉、宜しくお願いします。失礼ですが、我々に武装を許していただくわけにはいきませんか。せめて護身用の軍刀くらいは」

「少佐、誠に残念ながら少佐と曹長は部外者です。それに、貴方たちの任務は戦闘ではありません。武装は無用と心得てください」

 御坂二尉はいかにも残念だという顔で、きっぱりと否定した。

「わかりました。それではよろしくお願い致します」

 大竹は頷くと、V-22J『おおたか』の外見に見入った。

「こんなデカブツが本当に飛ぶのですかね。なんとも不格好ですな」

「曹長、この機体の最大速度は565キロと零式艦上戦闘機と同じ程度です。航続距離も零戦が追加増槽を装備した場合と近い3500キロ飛べますよ。」

「海軍の零戦と同じ。それは凄い…のか?」

「凄いんですよ。なにしろ、日本本土からフィリピンまで無給油で飛べますからね。とはいっても、これは整備の連中からの受け売りですが。そのうえ、ヘリコプター…といっても分かりませんか。カ号観測機のようなオートジャイロの様に、垂直に上昇した後に、プロペラを水平に移動させて普通の航空機の様に飛行することも出来ます」

「垂直離着陸…それは密林の中などの限られた用地で離発着が可能ということか。さすがは平成の技術だな」

「といっても、開発したのはアメリカさんですがね。さて、時間がありません。機内へどうぞ。」

 御坂二尉に案内され、二人は『おおたか』の後部ハッチから機内に乗り込んだ。

 機内は外部から想像していたよりもよほど広く、外壁部に設置されている簡易座席には御坂が指揮する部下の面々が着座していた。兵士の数は御坂を含めて十二名ほどだった。

 彼らは御坂と同じくボディアーマーや各種装備品を装着しており、顔は暗黒色のドーランで誰が誰だか判然としない。

「柴山、お客さんもドーランで化粧して差し上げろ。少佐、曹長、これから夜間戦闘が想定されますからちょいとお顔をいじらせてもらいますよ」

「了解した。敵に見つかるよりはマシだろう。よろしくお願いする」

「分かりました。それじゃ、時間もないのでささっと片付けますよっと」

 そう言って大竹のもとに1人の兵士がネコ科の猛獣を思わせる、音を立てない足取りで近づいてきた。

 ボディアーマーを着ているために体型が判りにくかったのだが、ごく近くまで近づかれると女性だと分かる。身長は大竹と同程度だろうか。

「それでは少佐殿、お顔を拝借」

 そう言って彼女はプラスチック製容器から暗黒色の塗料を手に取り、なれた手つきであっという間に大竹の顔を真っ黒に染め上げていく。ややゴツゴツしてはいるものの、女性特有のしなやか手が顔をなでていく。

「これで完了です。さて、曹長さんもですよ」

「おいおい、こんなものを塗らないといけないのか。夜闇にこんなものを塗っていたら、一木支隊の連中に敵と間違えられるぞ」

 あからさまに渋い顔で、小柴曹長は顔を背ける。

 それに対し、柴山という女性兵士は抵抗を無視して曹長に近づき、作業を開始する。

「曹長、我慢してください。兵力で勝る米軍が夜襲をかけてくるとは考えにくいですが、備えは必要です」

 御坂二尉の言葉に、曹長は顔を塗られたまま頷いて見せる。

「これでよし。それでは少佐はこちら、曹長はこちらに坐ってください。」

 柴山は手早く二人を簡易座席に座らせ、ベルトで身体を固定する。

「ペンドラゴンよりロードマスター。準備を完了した」

 御坂はその様子を確認し、携帯通信機で準備の完了を操縦席に伝える。

 その通信の直後、『おおたか』の後部ハッチが閉じられ、格納庫のエレベーターの作動音が響きはじめた。その瞬間、御坂の暗黒色に塗られた顔に、わずかな緊張の色が浮かんだのを大竹は見て取った。

―そういえば、彼らにとってはこれが初めての実戦なのか。

もっとも、この俺も実戦は大陸で匪賊相手の戦闘が殆どで、米軍相手は『初めて』だが。

 相手は戦後に覇権国家となる、世界最強の軍隊か。

 そんなことを思っている間に、エンジンの爆音がひときわ大きく轟き、尻が浮くような浮遊感が襲う。

 窓一つ無い格納庫の中の大竹には見えることはなかったが、彼らの乗る『おおたか』は夜の帳に包まれるソロモン海の空へ飛び立っていった。

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