第2章 ソロモン編

第16話 暁の出撃

1942年(昭和17)年8月23日07時25分 太平洋上

 

「作戦参加全隊員に達する。本作戦の要諦は現在ガダルカナル方面で戦闘を続けている日本陸軍一木支隊を中心とする、敵中に孤立した部隊の救出である。可能な限りアメリカ軍との戦闘は避けるが、やむをえない場合は自衛戦闘を行う。


 現在、国会では憲法改正発議に関する審議が行われているが、我々の任務はあくまで『邦人救出』である。憲法改正が国民投票にかけられる、かけられないに関わらず、我々の任務に変わりはない。総員、作戦の成功に鋭意努力せよ、以上だ」


 作戦海域に向かう途中の護衛艦「かが」の艦隊旗艦用作戦司令室FICで訓示を行ったのは、作戦に参加している全将兵を指揮する立場にある、甘粕あまかす隆明たかあき海将補であった。頬にその昔訓練中の事故で負った古傷が残る、いかにも武人という面構えの指揮官だった。


 普段から寡黙で余計なことをしゃべらないことで知られる指揮官は、マイクを所定の位置に戻して小さく息をついた。


 作戦司令室とはいっても、壁面に多くの液晶パネルが設置されているほかは、コピー機が置かれていたりスチール製の事務机が並んでいたりとパッと見は中小企業のオフィスに見える部屋である。


 なお、現在自衛隊は三自衛隊の統合運用がすすめられており、一人の指揮官のもとに陸海空の部隊がまとまって動くことになっている。


 甘粕海将補はFICで作業している司令部要員に多目的区画に移動すると声をかけ、艦内廊下を移動して、多目的区画へと急いだ。


 多目的区画というのはブリーフィングや、一般見学者向けの説明会などに用いられる広い船室であり、三枚の大型液晶ディスプレイが壁面に備え付けられ、今は「かが」のロゴマークが表示されている。


 そして、作戦に参加する三自衛隊の指揮官クラスの面々が椅子に腰掛けており、各々の資料のチェックに余念がない。これから戦闘が予想される海域へ向かうこともあって、緊迫した空気が流れていた。


「よい訓示でしたよ。お疲れ様でした」


 船室に入ってきた甘粕海将補を、そう言って労ったのは陸上自衛隊を指揮する櫻井さくらい晴子はるこ一佐だった。


陸上自衛隊のゴッドマザーとして有名な人物であり、その体躯はさながら重戦車。


体当たりでも喰らおうものなら、並の隊員だったら吹っ飛ばされるだろう。付け加えれば二児の母でもあり、在宅ワークの夫に育児を任せていたりもする。


その豪快な見た目とは裏腹に、細かい気遣いが出来る人物でもある。


「こういう時に長々とどうでもいい話をするダメ幹じゃなくて良かったですわ。さすがは甘粕さん、分かってますな」


そう言ったのは航空自衛隊の制服に二佐の階級章をつけた、細面に切れ長の目をしたこの場にそぐわぬ軽い態度の男、石動いするぎ駿作しゅんさくだった。


こんな態度の割には飛行時間が3000を超えるベテランのパイロットであり、今回の作戦に参加する航空自衛隊部隊のトップでもある。


「それで、ブリーフィングの前にちょいと気になることを聞いていいですかねぇ。そこの大日本帝国陸軍の将校殿について、ご説明を願っても構いませんか。」


 石動は相変わらず飄飄とした風ではあったが、その眼光は猛禽類を思わせる剣呑さを秘めていた。


 大竹はその視線を平然と受け流しながら、甘粕に視線を送る。 


「今回の作戦に協力をお願いする、帝国陸軍少佐の大竹将道少佐だ。その隣は彼の副官の小柴英二曹長。今回の作戦には救出対象である旧帝国陸軍軍人の協力者が不可欠である。それが最高指揮官の判断だ。」


甘粕の言葉に、石動は肩をすくめる。


「首相閣下の肝いりとは。これは仕方ありませんな」


「陸上自衛隊、この平成の時代の陸軍に相当する組織の一佐、つまり大佐です。ややこしいけど、一応階級ではあなたの上官ということになるかしら。よろしく頼みます」


 櫻井はにこやかにそう言うと、手を差し出す。

 その光景に、大竹は内心熊が大口を開けているさまを連想する。


「女性の将校というのは抵抗がありますか?まあ、この平成の時代でもまだまだ少数派ですけどね。自衛隊全体で20人に1人といった具合かしら」


「郷に入っては郷に従うと言います。抵抗がないとは言いませんがね。平成の世の常識に一々驚いていては身が持たない」


 大竹は差し出された手を握るが、とんでもない握力で握り返される。

握手を終えたあとに手を見るとしっかりと彼女の大きな手の跡がついていた。


「凄い握力だ。こいつはたいした女傑ですな」


 小声で耳打ちする隣の小柴曹長を、大竹は目線だけで制する。


「石動二佐、つまり中佐です。そういえば、80年前の日本には空軍はありませんでしたな。相当するのは…陸軍航空隊といったところでしょうかね」


 そう言うと、石動は椅子から立ち上がって敬礼をして見せる。軽い口調の割には、敬礼の動作は教範通りのしっかりとしたものだった。

大竹と小柴も立ち上がって答礼する。


「よし、それでは大竹少佐と小柴曹長も加えての最終ブリーフィングを行う。それでは改めて作戦内容を確認する。現在、アメリカ軍はガダルカナル島への上陸作戦を行っている。状況は、我々の歴史で言う第一次ソロモン海戦の勃発直前と推定される。


 偵察衛星の情報によれば、現地の日本軍は史実通りガダルカナル島へ飛行場を建設中だった。


 アメリカ軍は飛行場建設を阻止すべく、ガ島とツラギ島に海兵隊3000名からなる大兵力を上陸させた。


実は米軍の上陸作戦が行われる旨を、陸軍及び海軍の現地部隊に打電したのだが、アメリカ軍の兵力が大きすぎて撃退には失敗したようだな。」


 甘粕の言葉に、石動は軽い驚きを示す。


「現地部隊に情報を打電…これはまた思い切ったことをしましたねぇ。ちなみに、その打電の暗号化は」


「当時、日本海軍で使われていたD暗号だ。さすがに平文では偽電を疑われる可能性が高い。無論、歴我々の知っている歴史通りなら米軍に解読されているだろう。」


「海軍のD暗号は解読されていたのだったな…それは負け戦になるはずだ。」


 大竹のつぶやきに、櫻井が反応する。


「ドイツのエニグマ暗号機もしっかりと解読されていましたから。それだけ、この当時のアメリカの科学力が世界で飛び抜けていたともいえます。ああ、日本陸軍の使用していた暗号は解読されなかったそうですよ」


「ほう、だがそれは陸軍の暗号の解読が後回しになっていたということなのではないですか」


「さすがにそこまでは、ね。でも、私たちは海軍の暗号が解読されていることを知っている。これは大きなアドバンテージになるわ」


「そういうことだな。同時に、再建された日本海軍機動部隊が輸送船団を伴ってポートモレスビー方面へ向かうというニセ情報も流してある。もっとも、米軍がそれを信じるかどうかは微妙だ。なにしろ、ミッドウェー海戦で大損害を被ってからまだ二ヶ月も経っていないからな」


「ま、それに食いついて米軍が戦力を分散してくれていればいいのですがねえ」


 石動はまるで期待していない顔で肩をすくめる。


「さて、話しを戻そう。我々の作戦はこうだ。現在、日本海軍第八艦隊は第六戦隊と合流した後にガダルカナル沖へ急行する途中だ。その後、夜戦でアメリカ海軍の第62任務部隊が物資の揚陸作業を行っているところへ殴り込みをかける作戦と思われる。


 我々ソロモン任務部隊は夜戦の混乱に乗じてマライタ島南岸周り航路を取ってガダルカナル北部へ回り込み、日本陸軍部隊を救出する。


 救出する際に使用する機材はVJ-22『おおたか』。現地部隊の状況にもよるが、最大で3回の輸送で全兵員を収容可能と思われる。


なお、重火器や軍刀、小銃などの装備品はすべて破棄して、身一つでVJ-22に乗ってもらう。」


「質問がある。よろしいか」


 大竹が挙手して質問すると、甘粕は頷いて先を促す。


「我々陸軍が使用している三八式歩兵銃には菊の御紋がついている。これを破棄することに抵抗を感じる将兵もいるだろう。また、連隊旗などの軍旗も捨てて帰れぬと騒ぐ奴らも出てくる。それはいかがなされるおつもりか」


「残念ながら例外は認められない。すべて破棄してもらう。それに抵抗するなら…櫻井一佐」


「ええ、最後は力づくでも。そのために非致死性兵器ノンリーサル・ウェポン

の類まで搭載してきておりますから。」

 櫻井一佐はこともなげにそう言うと、凄みのある微笑を浮かべる。


「人命を軽視する軍隊は負け、人命を尊重する軍隊は勝つ。これが我々平成の軍人が学んだ歴史の教訓です。将兵を教育するのだってタダじゃありませんからな」


 石動の言葉に、大竹は表情一つ変えずに口を開く。


「どちらにせよ、私にあなた方の決定を覆す力はない。それに将兵を無駄に死なせる愚かさは理解しているつもりだ」


「…話をすすめるぞ。全兵員を収容の後に、可能ならば米軍が揚陸した補給物資を破壊する。揚陸した物資を失えば米軍は一時的にせよ撤退せざるを得ないだろうからな。他の戦線でも撤退する時間をかせぐためだ。」


「兵員収容時、あるいは物資破壊時に米軍と接敵し、離脱不可能の場合は?」


「可能な限り戦闘を回避せよ、その交戦規則は変わらない。ただし、敵の攻撃を受けた場合はその限りにあらず。必要最小限の反撃を許可する」


「そりゃまあ、なんとも綱渡りな」


 石動の遠慮のない嘆きは、作戦に参加する全隊員共通の嘆きであった。


 政府の憲法改正案は未だ国民投票にかけられるところまで行っておらず、今回の作戦には間に合わない。『邦人救出』という名目で三自衛隊統合部隊を出撃させた首相の閣議決定自体、相当の綱渡りであった。


 そもそも昭和17年の日本人を『邦人』と定義する事には相当の議論が巻き起こっていたし、端的にはクロに限りなく近いグレーと言える。

 

 おそらく二年前の憲法改正で緊急事態条項が憲法に加わっていなければ、派遣自体不可能であったろう。後々、憲法違反であると国会で追求される恐れは大いにあった。


 事実、国会議事堂前では連日憲法改正や自衛隊派遣に反対するデモ隊がデモ行進を繰り広げており、対峙する賛成派のデモ隊と小競り合いを繰り広げていた。


 さらに、左派系のテレビや新聞は蜂の巣をつついたような騒ぎで、今にも世界が終わるかのような論調で桐生政権を悪魔の手先、ヒトラーの再来と発狂したかのように書き立てていた。


 その反面、各社の世論調査での桐生政権の支持率は、発足以来ずっと70パーセント代を維持しているのだが。


 そのような政治的狂乱は、日本にとって何よりも貴重な時間を三週間近くも失わせていた。


「だが、今後の昭和日本の陸海軍に対する関係を考えれば、この作戦の意義は大きい。逆に言えば、法の不整備を言い訳に手を拱いて陸軍部隊を見殺しにした場合、後々禍根となる可能性が大いにある。それが首相のお考えということでしょう」

 

 甘粕は櫻井の言葉に応えることはなかったが、沈黙が肯定を示しているように大竹には思えた。


「それでは、今度は作戦の詳細について最終ブリーフィングを行う。各自担当の作戦について報告を」


 甘粕の言葉に続いて、櫻井と石動はそれぞれ、報告を開始する。

 こうなると、大竹の出番は殆ど無かった。


-この救出作戦が歴史をどう変えるのか。あの強大な米軍を出し抜き、敵中に孤立しつつある味方を救うことが出来るのか。


 考えても仕方のないことだと知りつつも、大竹はとりとめのない思考を止めることが出来なかった。

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