第14話 負け方の研究

「この戦争において、アメリカの工業力は圧倒的です」


 赤城教授は大型液晶画面に円グラフや棒グラフを入れた資料を表示させる。


「工業生産力はといっても定義は色々あるが、航空機の生産量一つとってみても、枢軸国の日独伊を合わせた生産量を軽く上回っています。もちろん、この場合の日本とは昭和17年の日本のことですが、これを平成日本に変えてみても、アメリカの優位は揺らがないでしょう」


 赤城教授はそう言ってため息をつく。


「自分で説明しておいてなんですが、嫌になる現実ですねえ」


「そんなのやってみなきゃわからねぇじゃねーか。こっちにはミサイルとか新しい武器がいっぱいあるんだろ。いっそのこと、アメリカの首都に撃ち込めば」


 佑子の反論に、画面の向こうの明穂は呆れた顔をする。

 この後に学校の課題が控えているため、自宅からビデオ会議アプリで参加している。


「交渉相手をつぶしてどうする。交渉のテーブルにつけなければ、困るのはこちらだぞ。それに今の平和ボケした国民がそんな攻撃に同意するとは思えん」


そう言いながら、明穂は画面の向こうであきれ顔をしている。


「個人同士の喧嘩なら先手必勝でしょうが、国同士の喧嘩ともなると、事後の交渉を計算にいれておかないといけませんからね」


 赤城教授はやんわり佑子をたしなめるような口調で言った。


「まあ、待て。だが我々が有利なのはこの昭和17年の世界に対して80年の技術的優位があるということだ。そのうえ、我々はこれからの歴史の展開を知っている。これは連合国に対して我々が生かさねばならない武器と言える」


「なるほど、テストの答案を予め暗記しているようなもんか。おいおい、結構ズルいだろ、これは」


「まあな。だが、この昭和17年の世界は必ずしも我々の知っている歴史と同じ歴史を歩んでいるわけではない。例えば先日の東京空襲。本来の歴史ではミッドウェー海戦の前、昭和17年4月18日に行われたはずだった。しかし…」


「我々の暦で言う平成32年7月22日、こちらの昭和17年でも同じ7月22日ですね」

 赤城教授の指摘に、明穂は頷く。

「この三ヶ月のズレが何を意味するのか。先日、この昭和17年世界でのミッドウェー海戦で興味深い事象が判明した。」

「ミッドウェー海戦ってアレだろ、日本が四隻の空母を沈められたとかいう。その後ずっと負け続きになるターニングポイントになった戦いだよな。高校の時に日本史の教科書で読んだきりだけどな」

「そうだ。しかしこの昭和17年世界では撃沈された空母は「赤城」と「加賀」の二隻だけ。「蒼龍」と「飛龍」は損傷したものの、日本へ帰還している。また、本来アリューシャン方面の作戦へ参加しているはずの軽空母「龍驤」が撃沈されている。またそもそも、ミッドウェー海戦が行われたのは元の歴史では6月5日だが、この世界では29日に行われている」

「…えーと、どういうことになるんだ?頭がこんがらがってきたぞ」

 佑子は頭をかきむしりながら、顔をしかめる。

「ホワイトボードで整理しよう。史実の流れはこうだ」

1,真珠湾攻撃への報復として、日本本土へドーリットル空襲

 2,ドーリットル空襲により、日本本土への空襲を阻止すべくミッドウェー攻略作戦

3,ミッドウェー海戦で日本敗北

「これが史実の流れだが、この世界では」

1,(何らかの理由で)ミッドウェー攻略作戦

2、ミッドウェー海戦が起きるが、日本側は決定的に敗北せず。

3,(アメリカ国民の戦意向上のため)ドーリットル空襲

「なお、この括弧内は私の推測だ」

そう言うと、明穂はマーカーにフタをして、ホワイトボードに戻す。

「つまり、順番や結果こそ違うが、特定の歴史的出来事は起きているになる。これを私は歴史の復元性によるものと考えている。」

「つまり、このまま行くと日本は歴史通り負けてアメリカに占領されることになるってことかよ。御免だぜ、日本中焼け野原になるのは。」

「それは私も同じだよ。だったら、連合国に負けるという結果こそ同じでも、日本本土はまったく被害を受けないという結果にすればいい。まあ、まだ机上の空論だがね」

「あ、だったらあれはどうなる。タイムパラダイスとかいうやつ」

「タイムパラドックス、ですね。有名なのは親殺しのパラドックスですか。過去へタイムトラベルを行って、自分の親を殺したら自分という存在が生まれなくなるという矛盾が生じるということでしたか」

 赤城教授はそう言ってから、「これは流石に専門外ですのでいい加減な知識です」と苦笑いした。

「教授、だいたいその理解で間違いない。例えば、アメリカの原子爆弾開発を阻止するために、主導者であるオッペンハイマー博士を暗殺したとする。結果はおおまかに2つ考えられる。一つは先ほど述べた歴史の復元性によって、オッペンハイマー博士以外の人物が博士の役割を代わりに行い、史実通り原子爆弾は完成するパターン。もう一つは、暗殺の結果アメリカの原子爆弾開発計画は大幅に遅延するか、あるいは頓挫するパターン。」

「つまり、前者は歴史改変が不可能。我々がいくらあがこうと、一つの定まった歴史に収束するということですね。もう一つは歴史改変が可能で、歴史は一つの結果に収束せず、変化していくというパターンですね」

「教授、理解が早いな。私個人は後者よりの考え方だ。そもそも、この世界は平成32年の我々が現れる以前に、既に我々の知っている歴史とは異なる歩みを見せている。一種の『平行世界(パラレル・ワールド)』と考えても良いかもしれない」

「多世界解釈、でしたか。映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーで出てきましたねえ。世界はあらゆる選択肢のもとに無限に枝分かれして存在しており、改変された未来は我々平成32年の日本が経験してきた世界に隣接して存在する。ありえたかもしれないが観測はされなかった未来、パラレル・ワールドであるという解釈ですね」

 赤城教授の目がどこか遠い懐かしい出来事を思い出す目になる。

一方、平成生まれと昭和末期生まれは置いてけぼりである。

「すまん、さっぱりわからん。日本語で話してくれ。それで、平成32年から来た日本人は結局どうすればいいんだよ」

「それは私にも分からない。なにしろ歴史改変の結果は、歴史が大幅に書き換えられてようやく気付くということになるだろうからな。日本にとって望ましい未来がやってくるように信じて行動するしかない、だろうな」

「逆に言えば、歴史を変えてしまうことを恐れていても何もはじまらないということですよ。」

「結論はそこかよ!結局なんにも分かってないってことだな。…なんか話が脱線していないか。それで負ける、負けないとかいう話はどうなった。」

「ああ、そういえば話はそこからだったな。さて、佑子。アメリカと言えばどんな国であるか、イメージを言ってくれ」

「いきなりそこで年上を下の名前で呼び捨てかよっ!…あー、言えばいいんだろ。アメリカっては何かとオレ様が正義な国だよな。あと、年がら年中世界各地で戦争ばっかりしているイメージだな」

「ふむ…的確な答えだ。」

「馬鹿にしているだろ、お前。これでも新聞記事は日頃から目を通しているんだぜ。まあ、ネット上で、だけどな」

「…アメリカにとって正義という概念は重要だ。元々が原住民を虐殺して奪った土地に建国した国だからな。後ろ暗い所を自覚しているからこそ、正義という概念に拘る。だからこそお節介にも世界各地で戦争ばかりしている困った国だが、英国のような二枚舌を使うことをよしとしない良い一面をも形作っている。日本が本来戦ってはいけない相手であり、またこの世界においても同盟国に選ぶべき国家とも言える。」

「気が早いな。今戦争をしている相手に、同盟の話かよ」

 佑子は呆れたが、赤城教授は同意の頷きを返す。

「確かに気が早い。まずはこの戦争を終わらせる必要がある。では佑子、どうやってこの戦争を終らせる?」

「…いや、そりゃ相手をボッコボコにしてこりゃかなわねーと思わせるしかないだろ」

 そう言って右腕を振り上げるようにして、拳を突き出す。

「だが、それは並大抵のことではないし、戦争のことはプロに任せておけばいい。問題は、我々は何と戦えばいいか、ということだ」

「敵って、そりゃアメリカ軍だろ。ああ、そういやそれにイギリス軍やソ連軍も敵だっけ」

「いや、真に戦うべきはアメリカやイギリスの国民世論だ。民主主義の国だからな、アメリカもイギリスも。特にアメリカ国民は昭和17年時点でこそ真珠湾攻撃を『卑怯な騙し討ち』と煽り立てられて日本との戦争を支持する国民が多いが、元々ルーズベルト大統領はアジアやヨーロッパの戦争に兵士を送らないという公約で当選しているからな。」

「つまり、アメリカとイギリスの世論を日本と停戦すべしという方向へ傾けさせることが出来ればいいという訳ですか。それはかなり困難だと思いますよ。米英だって国民に情報統制を敷いていますし、日本が停戦を望んでいるという不利な情報を国民に知らせないようにする可能性は高い」

「確かにそうでしょうね。だが、やらねばならない。一つの目安となる目的としては二年後の、1944年のアメリカ大統領選挙に史実通りのルーズベルト再選ではなく、より日本との停戦に応じる可能性のある人間を当選させなくてはいけない。ルーズベルト大統領は日本を戦争に追い込んだ張本人だからな。戦争を途中で止めようとは思わないはずだ。」

「選挙結果を書き換えるとしたら、スキャンダルに暗殺あたりですか」

「それを考えるのはさすがに私の仕事ではない。その他の手段を色々と考えてきたのでね。その実現可能性や、もっといいアイデアについてこの場で討議したいのだ」

 とんでもない悪戯を思いついた子どものように、明穂は本来の年齢相応の屈託のない笑顔を浮かべたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る