第11話 特殊戦略調査班

昭和17年(平成32年)8月2日14時25分 埼玉県秩父市某所


 秩父市郊外にある製薬会社の研究機関。

 広大な敷地をもつその研究機関は会社の業績悪化からしばらく遊休施設となっていたが、今は政府が敷地全体を借り上げて使用している。


「私が言うのもなんだが、首相閣下も相当の物好きだな」


 彼女は通っている女子高校の制服に身を包んでいた。

 

 それは古風な紺色のセーラー服であり、企業の会議室風の部屋にはまるで似つかわしくなかった。


 菅生明穂、それが彼女の名前だった。

 出版社が現役女子高生ライトノベル作家として売り出したことで有名な、オリコンチャートの常連として名を知られている。


「桐生首相の意向です。官だけではなく民間の知恵を結集し、この国難を乗り切ると」


 桐生首相は自衛隊という官僚組織に所属していた経験から、官僚組織というものが基本的に前例を踏襲する組織である事を知っていた。


 日本が第二次世界大戦のただなかにあるという異常事態に適応するには、従来の思考に囚われない民間のアイデアを取り込む必要がある。


 そうした首相の強いリーダーシップで生まれた研究組織、いや公費が出るシンクタンクと言っても良い。

 それが特殊戦略調査班であった。


「ふむ、そのために女子高生まで動員とは、まるで学徒出陣だな」


 そう言いながら明穂は会議室のテーブルに積まれたここ数日の新聞や週刊誌、経済誌などのうちから、今日の新聞を取り出す。一面には一様に「首相、憲法9条改正を発議」という見出しが躍っている。

「しかし、あれだけ拒否されていたこのたびの招集に応じていただけたのはなぜですか?」

「ライトノベル月刊誌が一つ休刊して連載作品が宙に浮き、おまけに他社で発行しているシリーズ作品も一つ打ち切りが決まった。元々活字離れによる出版不況と人口減少、おまけにレーベル乱立で過当競争の業界だ。今回の記者会見が最後の引き金という訳だ。かと言って今更模範的生徒となってきっちり高校に通うつもりもない」


「もうそこまで影響が出ているのですか……」


 耀一郎が読む本と言えば歴史小説が主で、それとてさほど熱心な読者という訳でもない。書店を訪れるのも月に一度あるかないかだ。


 今度書店を訪れる暇が出来たときに、歴史小説の棚が残っていればいいがと思った。


「ライトノベルを読んで空想の世界に浸れるのも平和があってこそということだな。私の商売を邪魔する戦争を手早く片付けるとするか」

 

 常に根拠の不明な自信にあふれ、余裕綽綽という態度を崩さない明穂の言葉を聞くと、不思議とすべてがうまくいきそうな錯覚にとらわれるから不思議だった。


 その時、会議室の扉が開き、一組の男女が入ってきた。


 一人は人のよさそうな笑みを浮かべた小柄な中年男性だった。グレーの薄手のジャケットを羽織り、その下は低廉な価格を売りにするアパレル・チェーン店のワゴンセールで買ってきたようなTシャツにスラックスといったラフな出で立ちだった。


 もう一人の女性は三十代半ばくらいに見える大柄な女性だった。体型はモデルを思わせる優美なものなのだが、着ている服は土木建築会社のようなニッカボッカ風の作業ズボンに、根性と大書されたTシャツの短い袖をまくり上げている。


 むき出しになっている腕は一見細腕に見えるが、よく見てみるとスポーツ選手のような無駄のない筋肉がついている。


 長い黒髪は無造作にヘアゴムでまとめられており、整った容姿の顔にはほとんど化粧っ気がない。その割には明穂の肌と比べても負けないほどの肌艶があるのが不思議である。


「ようこそおいでくださいました。私、特殊戦略調査班研究補佐の物部耀一郎と申します。こちらは作家の菅生明穂さんです。どうぞ、おかけください。」


 耀一郎が促すと、二人は対称的な態度で会議室の椅子に腰かけた。


 中年男性はにこやかな笑みを崩さずにジャケットを脱いで椅子の背にかけたあと、事務用の安いだけが取り柄の椅子に腰を下ろす。

 

 いっぽう、作業服姿の女性は椅子に腰をかけたあと、不機嫌そうな顔で組んだ両足を机の上に投げ出しながら、腕を組んで威嚇するような目を耀一郎に向けた。


 なお、腕を組んだがためにいささか自己主張の激しい盛り上がりを見せる胸が強調されてしまう。耀一郎はセクハラと取られてはかなわないと慌てて顔をそらしたが、かえって不信感をもたれたらしい。


「あん?何見てんだよ」


「いえ、すいません…」


 ギロリと睨まれて、耀一郎はついすくみ上がってしまう。

 トラブルを避けようとして、かえって墓穴を掘ってしまった耀一郎は心中で嘆息する。


「帝洋大学海洋エネルギー研究所所長、赤城顕です。よろしくお願いしますよ」


 中年男性はにこやかな笑顔を崩さず、どんな人にも好感を抱かせる口調で挨拶した。


「あたしは榛沢佑子。國満商会つー会社で一応油田開発の責任者をしている。ったく、せっかくの休日にゆっくりバイクをいじろうとしていたところで呼び出しやがって。人のたまさかの休日をなんだと思ってやがる」


 榛沢佑子と名乗った女性は事務椅子のシリンダーの音を響かせつつ、いかにも面倒くさそうな顔で自己紹介した。


「本日はお集まり頂き有難うございます。それでは今日の出席者全員が集まったところで、あらためてこの国家安全保障会議直属の特殊戦略調査会の趣旨説明をさせていただきます。この調査会の目的はこのタイムスリップ、いえ先日の閣議で時震、TimeQuakeTQと呼ぶことに決定したわけですが…この現象に対応するべく、民間の知恵を借りるという趣旨です。


 なにしろサイエンス・フィクションさながらの未曾有の事態ですから、官僚や政治家だけではなく、また従来の諮問会議のような専門家による会議でもなく、実務にあたっている現場の知恵をお借りしたいということです」


「趣旨はわかりました。具体的にはどのようなことを」


「赤城教授、議題は日本をこの昭和17年の世界でどう生き残らせるかということ全般です。といってもテーマとしては広すぎるでしょうから、赤城教授と榛沢さんのご専門であるエネルギー問題を軸にしていただいて構いません。今回は特に専門家同士の狭い会議ではなく、とにかくアイデアを出していくことが目的なのです」


「なるほど、それでこのエネルギー専門家二人に、専門家でもなんでもない作家の私を入れたわけか」


「異なる視点から話し合うことで気づく事もあるかと。結論を出さずに、どんどんアイデアを出していきましょう。」


 耀一郎の呼びかけに赤城教授はにこやかに頷き、榛沢は不機嫌そうに鼻を鳴らし、明穂は不敵な笑みを浮かべて腕を組んだ。

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