第9話 フランクリン・ルーズベルト

昭和17年(平成32年)7月30日20時30分(現地時間)ワシントンD.C


宵闇に包まれたホワイトハウス、大統領執務室。

柔らかな間接照明がぼんやりと照らすその部屋の、現在の主たるフランクリン・ルーズベルトの機嫌は芳しいものではなかった。

その一つの原因は遅い夕食を早々に切り上げる羽目になったからであり、その原因が喜ぶことの出来ないニュースであるからだった。

合衆国陸海軍最高司令官付参謀長という長ったらしい名前の肩書きを持つウィリアム・リーヒは、いささか居心地の悪い思いをしながら、大統領が報告書に目を通し終わるのを待っていた。

「中華民国に降りられたのは16機中、たったの1機。爆撃の成果はいくつかのトウキョウのビルディングを破壊したとされるものの具体的には不明、と」

 読んでいた報告書を机の上に放り投げ、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「傍受した日本のラジオ放送によると、民間人7名死亡、23人負傷という公式発表がなされております。被害規模もそこから推測出来るかと。無論、報道管制で被害の少ない虚偽の発表をしている可能性もありますが」

「そのラジオ放送は同時に民間人に対する機銃掃射があったと主張しているが、これは事実かね?」

「我々が把握している情報にはありませんが、戦場の混乱でそのようなことがあったこと自体は否定できる材料がありません」

「まあいい。それよりも、気になるのは交信記録に出てくる敵の新兵器だ。防空戦闘機が使用したという敵を自動的に追尾するロケット兵器、本当にそのような新兵器を日本が使用したというのか?戦闘機そのものも、B―25はおろか、我が国の戦闘機よりもはるかに速度が早い、とある」

「わかりません。我がアメリカでも実戦投入されていないそのような新兵器を、日本が保有しているとは考えられません。戦場での混乱による誤認かと。」

「ふむ、戦場の霧というやつか」

戦場の霧とは『戦争論』で有名なカール・フォン・クラウゼヴィッツによって定義された概念である。

 無線通信機器によって前線と後方でリアルタイムに情報交換が可能となった現代でも、後方にいる司令官と前線で戦う将兵では見える景色が異なる。

 銃弾に晒されている人間が興奮して見た光景と、それを『情報』として冷静に分析、処理する側では、同じ『戦場』を見ても分析結果が異なるということだ。

 本来はその齟齬から生じる不確定要素を言うのであり、厳密に言えばルーズベルトの用法は誤りだが、リーヒはそんなことをいちいち指摘はしなかった。

 ルーズベルトは黙り込み、車椅子を自分で操作すると窓のそばへ自力で移動させる。

 庭師によって丁寧に管理されている庭園が、点在する電灯でぼんやりと浮かび上がっている。

 しかし、ルーズベルトはそのような庭には目もくれず、虚空の闇を睨んでいた。

 「ビル、この空襲作戦を聞かされたとき、私は馬鹿げた計画だと一度握りつぶした。あまりにばくちに過ぎると思えただからだ。だが、あのミッドウェーの海戦の戦果があまりに中途半端で期待外れだったことから、この計画にゴーサインを出した。そうだったな」

「はい、大統領閣下。ミッドウェーの戦いは、確かに勝利ではありましたが、我々が期待したほどではありませんでした」

 リーヒはかつて読んだ海戦に関するレポートを思い出しながら、苦い顔を浮かべる。

 この海戦においてアメリカ海軍は、入念な準備を行っていた。

 日本海軍のD暗号を解読した結果をもとに、ハワイ攻略の足がかりとしてミッドウェー攻略のため機動部隊を出撃させることを掴んだ米海軍は、必勝を期した待ち伏せ作戦を展開していた。

 しかし、日本海軍の空母『加賀』が発艦させた新型の二式艦上偵察機によって、米機動部隊の位置が露見。日本海軍の空母のうち2隻を沈めたものの、アメリカ側も1隻の空母を喪失した。たしかに戦果で見れば勝利だが、まだ日本に対して、艦艇数で数的劣勢にあるアメリカにとって手放しで喜べるものではない。 

「その状況で、ドーリットルの提案は魅力的に映った。貴重な空母を危険に曝すが、ハワイを奇襲攻撃でやられた報復に、同じ奇襲攻撃で日本本土を叩く。実に開拓者の国アメリカらしい冒険的精神フロンティア・スピリッツあふれる、アメリカ国民が喜ぶストーリーだ。ジャップの慌てふためく顔が見られないのが残念だとも思った」

 リーヒは大統領の車いすにかけている両手が震えているのを見て取り、そして見ないふりをした。

 大統領と軍人という間柄の前に、ルーズベルトとリーヒは古い友人であったからだ。

「だが結果はこれだ。やはり、ばくちはばくちでしかなかったな」

「しかし、大統領。幸いこの作戦に投入した空母『ホーネット』と『エンタープライズ』は無傷です。確かに陸軍の重爆撃機15機とそのパイロットが失われたのは痛手ですが、回復できない損害というわけではありません。」

「わかっている。我が国の生産力をもってすれば回復は可能だ。だが、今この時点で国民を熱狂させるストーリーが必要なのだ。そうでなければ反戦団体や共和党の連中が勢いづく。アメリカに今必要なのは勝利のみ。正式な会議の前に君を呼んだのも、そのストーリーを考えるためだ」

結局はそこか、というセリフを飲み込んでリーヒは命令に忠実な軍人の仮面をかぶりなおした。

友人の頼みとはいえ、こんな任務をするくらいならまだ軍艦で指揮を執っていたほうが性に合う。

とはいえ、最高司令官の命令は果たさねばならない。

「損害などの都合の悪いことは伏せ、戦果をおおげさに誇張してみせるしかないでしょう。敵国首都をはじめとした各地に損害を与えたことは事実なのです。」

「それでこそわが友だ。やはりそれしかないな。我が海軍と陸軍航空隊の有志たちは勇躍、ジャップの本土を空襲。『大損害』を与えた。損害が皆無とはいかなかったが、その犠牲は身を挺して自由を守った合衆国の英雄として永遠に称えられるだろう、とね。今は虚栄の勝利でもよい、いずれ本土の工場で生産されている新兵器群が投入されれば偽りの勝利は、真の勝利にすり替わる。それまで、日本には浮かれさせておけばいい」

 ルーズベルトは再び机に移動すると、報告書を再度手に取りながら言った。

「最後に勝つのは、わがアメリカだよ」

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