第8話 大竹将道
三菱飛行機が製造した日本陸軍の輸送機、一〇〇式輸送機の優美な機体が調布飛行場に降り立った。
車輪が軋みをあげると同時に機体がバウンドして、機内が振動に襲われる。
「なんとか無事に着陸できたようだな。飛行場の様子がまるで違った時にはどうなることかと思ったが」
「何度乗っても着陸の時のケツがむずがゆくなる感覚には慣れませんぜ。飛行機というのはだから好きになれんのです」
小柴曹長は顔をしかめながら、粗末な木製の座席に座っていたために強張っていた身体をほぐそうと肩を回す。窮屈なシートベルトなど、とうに外している。
「好き嫌いはともかく、これからは飛行機の時代だ。残念だが、慣れてもらうしかないな」
大竹は苦笑しながらも、視線は飛行場のフェンスの向こうに見える東京市の光景を見ていた。
「高層建築物があまりに多い。我々が東京を出た時は、調布にこのような市街地は無かったぞ」
「確かに。上空から見てもまるで別の国に来たように見えましたぜ」
輸送機の窓から見える景色に惹きつけられている二人に話しかけて来たのは、沖縄での飛行機事故で知り合った客室乗務員の女性、広瀬瑞樹だった。
「あの、お話しのところすいません。今回は東京行きに便乗させて頂いて有難うございました」
「構わんさ。どのみち、君には色々と聞きたいこともある。」
瑞樹が東京に戻る二人に便乗を頼んだのは、彼女の母が難易度の高い手術をする日が間近に迫っていたせいである。
元々今回の沖縄行きのフライトのあと、手術に備えて休みを取る予定だったのだが、今回の事故で容易には東京に戻れなくなり、途方に暮れていたのである。
瑞樹に直談判された大竹は、那覇から東京に戻る軍の輸送機に彼女を強引に潜りこませたのである。普段横車を押すようなことをしない大竹にしては珍しいこの行動のおかげで、小柴には散々冷やかされる羽目になったが。
機体が完全に停止すると、兵士が素早く駆け寄って機体前部のハッチを開ける。
すると、飛行場の職員らしき者が駆け寄って一〇〇式輸送機のハッチに牽引式タラップを接続する。
そして、タラップを降りたその先には黒塗りの乗用車とマイクロバスが泊まっていた。両方の車両ともに、運転席以外の窓にスモークがかけられており、中の様子をうかがい知ることができない。
乗用車のボンネットに腰をかけている鼠を連想させるような風体の男は、紙巻煙草をうまそうに吸っていた。
一方、バスの手前では迷彩服姿の兵士らしき男が6人、小銃を抱えて直立不動の姿勢で待機していた。
「わざわざお出迎えですかい。それにしても、あの小銃見たことのない型ですな。それに迷彩柄の制服とは」
「あまり刺激するなよ、曹長。相手の出方にもよるが、今は兎に角情報がほしい」
「了解、中佐殿。」
同乗していた兵士や将校が見慣れない出迎えに戸惑っているなかを、大竹は悠然とタラップを降りていく。そして、乗用車の前で煙草を吸っている男に声をかける。
大竹が降りていったのにつられて、輸送機の中に居た数人の将兵は恐る恐るといった感じで、タラップを降りてきた。
「これはこれは、大竹中佐殿。お待ち申し上げておりました。」
乗用車のボンネットに腰掛けていた男は、吸いかけの煙草の灰を携帯灰皿に落とし込みながら立ち上がり、慇懃無礼に頭を下げる。
「出迎えご苦労、と言いたいところだがまずは貴公の所属と氏名をお伺いしたい。」
「これは失礼。まずは名刺をお渡ししなければなりませんでしたな。」
そう言いながらその男は名刺を差し出してきた。
その名刺には「戦略偵察局局長 猪口兵輔」という肩書と氏名、そして住所と電話番号が書かれていた。
「聞かない機関名だが」
「ま、その辺も含めて色々とご説明申し上げたいことがありますので、どうぞお乗り下さい。都心までちょいとドライブいたしましょう。相手が中年親父で申し訳ありませんがね。」
「それは、この小柴曹長も一緒で構わないのだろうな」
「ええ、もちろん。ああ、そちらはCAのお嬢さんですね。別にタクシーを用意してありますので、ご自宅へ御案内しますよ。他の兵士や将校の方々はバスへどうぞ。少々身柄をお預かりしますが、悪いようにはいたしません。」
物腰は柔らかいが、猪口という男の口元は笑みの形に歪められているのに目はまるで笑っていなかった。この男は、必要とあらばこの場にいる者すべてを射殺するように命令を下しても、表情一つ変えないだろう。大竹はそう確信していた。
猪口の物言いに将校の一人が思わず軍刀に手をかける。
その瞬間、無言で六人の兵士が一糸乱れぬ動作で小銃を、軍刀を抜きかけた将校へ指向する。
「よく訓練されている。ろくに装備もないこちらが勝てる相手じゃありませんわ」
小柴のひそひそ声での感想に、大竹は無言で頷く。
軍刀に手をかけた将校は、腰を抜かしたのか軍刀を杖がわりにようやく立っている有様だった。
「あー、君たちあまり陸軍さんを刺激しないように。すいませんね、こちらも仕事でして。万が一の事態に備えなければなりません」
「さて、それでは皆さん。それぞれの車へお乗りください。」
猪口は笑みを張り付かせた表情のまま、深々と頭を下げてみせた。
大竹と小柴が乗り込んだ乗用車は、調布インターから中央自動車道に入った。
平日の午後という時間帯のせいか、高速を走る車の数は少ない。
エンジン音がほとんどしないのに、大竹が肩越しに覗き込むと120キロを超える速度が出ていた。なお、2年前の制限速度改正によって中央高速道路は制限速度が120キロに改正されている。
「どうです、つまらない車でしょう。鼓膜を刺激するエンジン音や
片手でハンドルを操作しつつ、煙草を灰皿にねじ込みながら猪口はとぼけた口調で言った。
「私にとって自動車はただの移動手段だ。この車はほとんど音もせず、運転性能や居住性も格段に良い。それだけで十分だよ」
「あれま。まあ、私のつまらない感傷ですから、お気になさらず。さて、私は戦略偵察局という機関の長をしております。仕事としてはロシアや中国、北朝鮮、その他諸々の国々への諜報工作を少々。」
剣呑な内容の話をさも世間話のように話しながら、ペットボトルのお茶を一口喉へ流し込む
「さて、この風景を見ていくらかは理解されておられるようですが、今の東京は貴方が知っている東京ではありません。80年後の東京です。」
「80年後の東京、だと?」
「ならば問いますが小柴曹長、あなたが見た東京市…我々の時代では東京『都』ですが…は、このような自動車専用高速道路や発達した市街地がありましたか?」
「…いや、調布飛行場の周辺は田畑や森林が広がっていたはずだ。こんな高速道路も初めて見る」
小柴曹長は眉に皺を寄せながら、渋々といった感じで認める。
「我々平成の32年の日本の人間にとっても理解し難いことですが、この昭和17年の世界に80年後の沖縄を除く日本列島が転移してきた。我々の情報分析ではそうなっています。まずは、これを見て下さい」
大竹は、助手席越しに猪口からタブレットPCを受け取った。
「それは、携帯型電子計算機とでも言いましょうか。貴方にとって80年後の技術で作られたものです。その画面に触れて見て下さい」
大竹の指が触れると、タブレットPCが起動して動画を自動再生し始める。
「こんな軽くて薄い板に映写機を仕込むとは。こんな物、アメリカやドイツにだって無いシロモノですぜ。総天然色な上に、きちんと音まで出ている」
小柴にしては珍しく、いささか興奮した面持ちで大竹が持っているタブレットPCをのぞきこむ。
その様子が珍しい玩具を目にした子どもの反応に見えて、大竹は思わず苦笑する。
「その動画はあなた方の昭和17年から平成32年までの80年近くの歴史をまとめたものです。あなた方には衝撃的な内容もありますから、どうか落ち着いて心して見て下さいよ」
猪口の警告はけして大げさなものでは無かった。
昭和17年のミッドウェー海戦での大敗北から始まり、ソロモンの戦い、ガダルカナル島撤退戦、特攻作戦、原爆投下と日本の敗戦。そして焼け跡からの復興と東京五輪、高度経済成長。
大竹は洪水のような「未来」の情報に圧倒され、押しつぶされるような衝撃を受けた。
その一方で、大竹の冷静な部分はこの「未来」が自らの持つ情報からの推測で、このまま日本がこの戦争を続ければ「いずれあり得る未来」だとも感じていた。
「日本が敗ける…こんなものが日本の未来だと?」
小柴曹長は親の敵でも見るかのような目で、猪口を見た。
その射抜くような視線を平然と受け流し、火の点いていない煙草でダッシュボードを叩く。
「大竹さん、あなたならこの映像が絵空事でないことがわかるはずだ。明治三十八年生まれ、熊本県出身。中学校を卒業後、陸軍予科士官学校へ進学。アメリカ駐在武官を経て陸軍参謀本部に勤務。そして、二年前にアメリカ駐在経験を買われて秋丸機関で極秘の対英米戦研究をしていた貴方なら、ね」
「確かに、私は秋丸機関の研究を補佐する任に当たっていた。その中で得られた結論は、『対英米戦を行った場合二年間は備蓄戦力で抗戦が可能。ただし、それ以降我が方の経済戦力は耐え難い。』といったものだった。つまり、対英米戦は負け戦だ、とね。しかし、この研究結果は極秘とされて封印された。その軍機がどこで漏れた?」
「本来はすべて焼却処分されるはずでしたがね、ある人が資料を保存していたのですよ。戦後、その資料が発掘され、今ならその気になれば誰もが見られます。文書名は『英米合作経済抗戦力調査』」
「呆れるほかないな…そこまで調べられているとは…どうやら、そのH・G・ウェルズの空想科学小説じみた話を真剣に検討せざるを得ないな」
「少佐殿、この動画を信じるのですか」
小柴曹長は怒るべきか、嘆くべきか判断しかねるといった表情で、絞りだすように言った。
「頭から信じているわけではない。今見ている景色やこの昭和17年のどこの国でも製造していない電子計算機が私の妄想でないのなら、突飛だろうと一つの仮説として検討する価値はある」
「まあ、少佐殿がそうおっしゃるなら、私は命令に従うまで。考えるのは止めにします。ややこしくて頭が痛くなる」
小柴曹長は頭をかきむしりながら、うんざりという顔をしてみせた。
大竹は無言のまま、朝日と銘柄が書かれた煙草の箱から煙草を一本取り出す。
「それで貴方たちは何が知りたいのだ?」
「無論、貴方がこの昭和17年の世界に放り込まれた平成32年の日本にとって、敵なのか味方なのかということですよ。そのために、貴方をある所にご招待いたします」
猪口はこともなげに言うと、オイルライターを肩越しに放ってよこした。
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