第6話 中将の帰還

―昭和17年(平成32年)7月26日11時15分 豊後水道

「敵機直上!急降下!」

 零式艦上戦闘機が発進準備をしている甲板上に、風切り音を響かせながら爆弾が降下してくる。

 帝国海軍が誇る空母機動部隊、第五航空戦隊に所属する航空母艦「飛龍」。

 その戦闘艦橋から、米海軍の空母艦載機であるSBD『ドーントレス』爆撃機が、急降下を終えて機体を引き起こしているのが見えた。

 時限信管が作動したのか、衝撃波とともに人間を挽肉に変える爆弾の破片がまき散らされる。

「各部署、被害状況知らせ!」

「敵艦載機数六、十字方向!突っ込んでくる!」

 双眼鏡を振り向けようとしたその瞬間、爆弾の炸裂する音が響き、山口多聞は身体を艦橋の床にたたきつけられて意識を失った…。


 先日のミッドウェー海戦において日本の空母機動部隊は大きな損害を受けていた。

 正規空母『赤城』と『加賀』、軽空母『龍驤』が撃沈されたのがその象徴である。

 第二航空戦隊『蒼龍』、『飛龍』も飛行甲板や艦橋の一部を損傷し、それぞれ中破、小破と判定された。

 無傷だった空母は、損傷を押して無理やり作戦参加したために搭載航空機が不足気味で、積極的な戦闘を控えていた『瑞鶴』くらいのものだった。

 被害の最たるものは、炎上する『赤城』から退艦して軽巡洋艦長良に移乗する途中だった南雲中将以下の司令部要員が、襲来した敵爆撃機の投下した爆弾によって戦死したことであった。

 生き残って内地へ帰還した多聞は満身創痍の機動部隊の再建のため、軍令部や連合艦隊司令部を説得すべく奔走した。

 戦死した南雲長官にかわり第一航空艦隊司令に就任すると、残存している航空母艦を集中運用するべく第一艦隊に集中させた。

 連合艦隊の参謀たちの中では、一度の海戦で大きな損傷を受ける航空母艦ではなく、艦載機部隊を陸上基地に降ろす。その上で、米軍とのニューギニアやソロモン方面での航空撃滅戦を挑むべきである、という考えが浸透し始めていたからだ。

 その空気を跳ね除けて、空母機動部隊を再建するのは並大抵の努力ではなかった。

 珊瑚海海戦で損傷して修理に三ヶ月はかかるとされていた『翔鶴』を、「とにかく飛行甲板だけ直せ。あとはすべて後回しにしてよい」と厳命し、一ヶ月の突貫工事で修復させた。

 それによりようやく『飛龍』、『蒼龍』、『瑞鶴』との空母四隻体制をなんとか整えると、早速洋上訓練として土佐清水沖の太平洋上へと進出したのが2週間前。  

 ちなみに出港するまでに終わりきらなかった修理を完遂するため工員が乗艦している空母もあり、洋上で修理が行われた。

 そんな前代未聞の訓練航海では発着艦訓練や模擬空戦、ミッドウェー海戦の戦訓を活かした防空戦闘訓練など、戦時下とは思えない濃密な訓練が行われた。

 まさに『人殺し多聞丸』の名前どおりの、死者が出ないのが不思議なくらいの猛訓練であった。

 なお、軍令部や連合艦隊司令部は「敵潜水艦の餌食になるだけだ」、「燃料の無駄遣い」などと、この訓練航海に大反対するものも多かった。

 しかし、大本営発表で敗北を大勝利と糊塗し、生還した多聞を『敵機動部隊殲滅の功績』で降格どころか中将へと昇格させたことが大きかった。最終的には、熱意と理屈で説得を図る多聞に押し切られたのである。

 そして、予定通りの訓練航海を終えた空母『飛龍』を旗艦とする第一艦隊は呉へと帰還する途上であった。

「長官、偵察機が帰還しました。やはり、呉の市街地は我々が出港した時と相当に異なっているようです。」

 参謀の一人が、書類綴りをめくりながら報告する。

 航空母艦「飛龍」の狭い戦闘艦橋には、母港入港直前にしては緊張した雰囲気が漂っていた。とはいっても、戦闘突入前のピリピリとした雰囲気とは少し違う。

あえて、言葉にするならば「困惑」とう表現がもっとも近いだろう。

 先日のミッドウェー海戦で受けた損傷の名残なのか、艦橋の壁には弾痕や爆弾の破片の名残らしきものが残っていた。本来なら修理、塗装されるはずだが、この艦隊を率いる男の「戦闘に支障のある損傷のみ修理せよ」との一言で却下された。

「やはりそうか。今は戦時だというのに豊後水道からこのかた、民間船舶が多過ぎる。おまけに、こちらを見た民間人が写真を撮りまくっているときた」

 長官と呼ばれた仏顔の人物は、参謀の報告に顔をわずかにしかめてみせた。

 山口多聞。日本海軍のなかでも傑出した指揮官として知られている人物である。先日のミッドウェー海戦では航空母艦「飛龍」、「蒼龍」を擁する第二航空戦隊の司令をつとめていた。

 「赤城」、「加賀」が撃沈されるなか、決死の覚悟で反撃を命じアメリカ海軍に一矢を報いた人物である。

 多門は報告をよそに双眼鏡を構え、戦闘艦橋の狭い硝子窓から洋上へ視界を向ける。

 ピントを合わせる手間もさほどかからず、双眼鏡の視界に呑気に漁に勤しんでいる漁船の姿が見えた。運転席で煙草をくゆらせている初老の漁師が、こちらを見てあんぐりと口をあけて驚いているさままで見て取ることができた。

「偵察機のパイロットの報告では、遥かに速度の速い噴進ジェット戦闘機に接触したとのことです。

「噴進戦闘機だと?あれはまだ研究段階のシロモノだろう。」

「はぁ、しかし偵察員は確かに見たと言っております。市街地の写真もありますが、ご覧になりますか。」

 頷いて見せた多聞は数枚の航空写真を受け取った。

 そこに写っていたのは高層建築物が埋め尽くしている市街地の様子だった。

 出港する前の呉もそれなりの大都市ではあったが、高層建築と呼べる建物はこれほど多くは無かったはずだ。

「何が起こっているのかは分からないが、兎に角呉に上陸してみれば分かることだ。柱島まであと十数分で到達しよう」

 その一言を聞くと、参謀は書類綴に写真を戻して敬礼してみせた。

 そこへ駆け込んできたのは、まだ着任から日の浅そうな少尉であった。

「見張り員より報告。前方より連絡艇らしきもの接近中。発光信号で『乗艦ノ許可ヲ求ム、コチラカイジョウジエイタイ』と通信がありました。なお、艦尾には旭日旗がありましたが、我が海軍で使用している艇とは型が異なるようです。」

「どうやら向こうから説明しに来てくれたようだぞ、この事態を」

 多聞の口元には明らかに事態を楽しんでいるような笑みが浮かんでいた。

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