第4話 監視塔(ウォッチタワー)
壁一面を50インチはあろうかという薄型液晶ディスプレイの群れが埋め尽くしていた。
壁の反対側は壁面すべてが棚になっているタイプの本棚がある。その本棚の中身はといえば、中世城郭建築の専門書から、ティーンズ向けのファッション誌までが乱雑に突っ込まれている。
中央には白で統一されたデザインの横に長い特注品のデスクと、座り心地のよさそうなメッシュ地の高級オフィスチェアが鎮座していた。国内メーカーの製品で、一脚十数万円はする最上位機種である。
その椅子に座っている部屋の主たる間工学デザインのキーボードと、トラックボールを操りながら、モニターの一つに表示されているテキストエディタに高速で軽快なキータッチで文章を打ち込んでいた。
「もう少し待っていてくれたまえ。編集者があとがきを送れと五月蠅くてな。…さて、終わった。話を聞こうか」
部屋の主は、不敵な笑みで黒のキャミソールに包まれた胸をそらして見せた。
ただし、その姿はどう控えめに見ても小学生にしか見えない。
例外なのは本来の年相応に盛り上がっている胸くらいか。
「君が訪問者か。私の仕事場、
彼女は顔をしかめながら、右の二の腕を左手で掴みながら頭上に掲げてストレッチをはじめた。
「確かに私が菅生明穂だ。17歳、一応高校二年生ということになっている。」
「…失礼しました。名刺をお渡しするのを忘れていました。私は物部耀一郎と申します」
ダークグレーの背広に身を包んだ三十代くらいの男性は慌てた様子で胸ポケットの金属製の名刺入れを取り出す。
「自衛官だな。デスクワーク、情報担当といったところか。」
渡した名刺を受け取る前に言い当てられて、耀一郎は目を見開く。
「そこまで当てられるとは、驚きました」
「ただの推測だよ。君は先ほどから鞄を必ず左手に持ち、右手を握って手のひらを見せていない。利き手を常に自由にしておき、手のひらを見せない自衛官のクセだ。デスクワークといったのは、筋肉のつき方を見てのことだ。」
「あなたは警察官になったほうがよさそうですね」
「やめてくれ、宮仕えなど性に合わない。それに私は今の仕事が気に入っているのだ。」
「小説家ですか」
「より正確を期するならライトノベル作家といったところだな。君にわかりやすく言うならば、中高生向け挿絵付き空想的小説といったところか。他にも仮想戦記にSF、歴史小説に漫画の原作まで、文筆業全般もこなすがね」
「あなたの代表作と経歴は押さえています。さすがに全部読んでいる暇はありませんでしたが…」
「さすがは幹部自衛官、職務に忠実だ。さて、君の用件を聞こう」
「私は首相からの命令で、あなたをお連れするように言われております。その原因はあなたの書かれたこの作品です。」
そう言って耀一郎は一冊の新書サイズの小説を取り出す。空自の戦闘機と何人かの男女が書かれたその小説の著者名は明穂のペンネームである「水嶋
「これか。この作品は売れなかったな…私にとっては過去の悪夢の一つだよ」
「売り上げではなく、問題は内容です。首相がこの小説に関してお聞きしたいことがあると。こちらが正式な文書です」
「確認した。確かに今は平時ではないが、小説一つで首相に呼び出されるとは妙な時代になったものだ、フフッ…」
明穂は不敵に笑う。
表情だけをみていると彼女が高校生ということを忘れそうになる。
―確かに彼女は怪物だ。
耀一郎はここへ来るまでに見た彼女の経歴を思い出していた。
家族構成、父は急成長を続ける総合商社SUGOUコーポレーションの創業者、母は経営コンサルタント。中学生の妹が一人。
15歳の時にブルーカバー文庫の新人賞を獲得し、高校入学と同時に作家デビュー。ここ二年の間に多い時ではひと月に一冊のペースで新作を刊行し、そのほとんどが書店ランキング入りを果たし、アニメ化された作品は二つ。
出版不況、ライトノベルの飽和状態が叫ばれる昨今では珍しくなったタイプの売れっ子作家だった。
その一方で、世間的には彼女は女子高生…なのだが、少子化の昨今では有形文化財というべき女子高校―ミッション系お嬢様学校では、出席している日の方が珍しいという感じらしい。親が学校に莫大な寄付をしているため、学校側としても書類上の出席日数さえ足りていれば文句は言わないのだろう。
「要請は理解した。首相官邸に赴いてやろうじゃないか。首相官邸はさすがに私も取材したことがないからな」
「ありがとうございます。それでは早速。表に車を待たせてあります。どうぞご準備をお願いいたします」
「分かった。私も一応は女性らしいし、妹があれこれうるさいから着替えることにする。玄関で待っていてくれ」
いかにも面倒くさそうにそう言いながら、隣の部屋へつながるドアを開ける。
隣の部屋は一部屋丸ごと衣裳部屋になっているらしく、ちらりと見えるだけでも数多くの衣装がハンガーにかけられている。
「了解しました」
耀一郎は深々と頭を下げると、部屋を出て行った。
入れ違いに監視塔へ入ってきたのは、彼女の通う高校と同じ敷地内に存在する女子中学の制服を着た少女だった。ややウェーブのかかった黒髪はツインテールにまとめられており、爪は几帳面な性格を示すように綺麗に切りそろえられている。
身長は明穂とは対照的に年齢相応にすらりと高いが、胸の盛り上がりは姉と比べてやや寂しい。妹にして生活能力皆無のダメ姉をサポートする、菅生眞理恵が彼女の名前だった。
「姉さま、本当に首相官邸に行くの?そもそも、あのひと本当に自衛官なの。制服着てないし、本物なのかしら」
「彼は本物だよ。問題ない、それに向こうから首相官邸に取材に来いと言っているんだ。こんなチャンスはめったにない。あとは面白そうなら乗ってやるし、面白くなければその時点で帰ってくるまでさ」
「大丈夫かなあ。だいたい、ご飯の用意どころか、着替えさえ満足にできない姉さまが、本当に役に立つのかしら」
「うぐっ…とにかく着替えだ。記者会見でも問題ないくらいのフォーマルな奴で頼む」
「はいはい、まったくわが姉ながら世話が焼けるわ」
心底嬉しそうにそういいながら、眞理恵は姉の着替えを選び始めた。
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