第3話 沖縄
昭和17年7月24日 14時40分 沖縄県読谷村
V型2気筒エンジンの軽快な駆動音を聞きながら、大竹将道は九七式
舗装などされてないでこぼこ道だが、ハーレー・ダビッドソン社のライセンス生産バイク「
参謀肩章に少佐の階級章を付けた日本陸軍の制服を見て、路上をすれ違った農夫は厄介ごとを避けたいとでも思ったのか、大げさに道から飛びのく。
―やれやれ、さすがに見慣れない陸軍の制服は刺激が強いか。
「やはり、このあたりは飛行場の設置に適しているな。那覇にも飛行場はあるが、航空基地はいくつあってもいい。物資や兵員の航空輸送だけでなく、民間の輸送にも活用できるだろう。」
運転席の同年代と思われる下士官が、そんな大竹に懐疑的な顔をして見せる。
「少佐殿、こんな辺鄙なところに飛行場を作るような予算が出るのですかねぇ。今戦線は遠くニューギニアまで広がっているんですぜ」
「まあ今は、な。だが、この沖縄は日本のいわば要石。米軍はいずれ必ずここを狙ってくる。『備えよ、常に』という奴さ」
「少佐殿には私には見えないものが見えているんでしょうな…自分にはさっぱりわかりませんが」
気の短い将校なら怒鳴りつけるような物言いに大竹は怒るそぶりすら見せない。
この小柴英二という、人を喰ったような曹長を大竹は気に入っていた。
大竹が陸軍参謀本部第三課に勤務するようになってからの付き合いだが、階級というものにまるで恐れを見せない。星の数より飯の数とはよく言ったものだが、この男のそれはいささか度が過ぎているところがある。
それでいて、どこか憎めないところがあるのは、この男の奇妙な人徳というものか。
「曹長、そこの小高い丘になっているところで停めてくれ。周囲を撮影しておきたい。」
「了解。日が暮れるまでにこの偵察行を済ませてしまいましょう。」
軍曹はアクセルレバーを握りこみ、速度を上げる。
数分でたどりついた小高い丘からは、高い建物など一つもない沖縄の農村を一望することができた。
カメラを取り出そうとして写真機入れに手を伸ばそうとしたとき、聞いたことのない大きな音が聞こえた。カメラではなく、軍用双眼鏡を構える。
音源を探すのは案外手間取らなかった。
双眼鏡の視野に、見たことのない大型航空機をとらえる。
「大型航空機を発見、十字の方向だ。見たことのない型だが、まさかこんなところに米軍の爆撃機ということもなかろう。」
「確認しました。あれでありますね。高度がずいぶん低く見えますが、着陸でもするつもりですかね」
「あの高度で脚が出ていないというのはまずい。大事になるぞ。曹長、十字の方向に急いでくれ。農家には悪いが、緊急事態だ。多少農作物を荒らしてもかまわん」
「了解。少佐殿、ちょいとばかり荒っぽくなりますぜ」
野犬を思わせる歯をむき出しにして、小柴は哂った。
羽田を10時30分に出発した全日旅機467便は、信じられない量のトラブルに見舞われていた。沖縄到着まであと30分もしないところで、機体のシステムがいきなりダウンした。
467便は最新鋭旅客機のB787が使用されているのだが、高度にコンピューター化がすすめられた結果、そのシステムがダウンするとどうしようもないところがあった。
機内の空調系が動かなくなったのをはじめ、細かな不具合をあげるときりがない。
おまけに、着陸するはずの那覇空港が見つからない。いや、正確には「飛行場らしきもの」は見つかったのだが、滑走路は787が降りるには少しばかり短すぎるものだった。さらに管制設備らしきものもろくに見当たらない。そればかりか、プロペラ機らしき軍用機が離発着しており、下手に割り込んで着陸しようとするものなら事故を引き起こしてしまいかねなかった。
結局那覇空港もどきに降りることを諦め、ほかに降りられる場所を探すという選択をとらざるを得なかった。しかし、元々燃料に余裕があるわけではなく、刻一刻とタイムリミットが近づいていく。
「お客様、落ち着いてください。機長が全員無事に皆様を下しますので」
客室乗務員の広瀬瑞樹は、化粧とプロ意識でも誤魔化しきれない疲労の浮かんだ顔で、詰め寄ろうとする乗客に応対していた。
「そんなことを言って、もう着陸予定時刻はとっくのとうに過ぎているじゃないか。大事な商談があるのに、あんたが責任とれるんだろうな!」
「ですから、落ち着いて…」
詰め寄るサラリーマンに対して
「お客様、お席についてシートベルトをお締めください。これより当機は着陸態勢に入ります」
ぴしゃりと有無を言わせない口調で言い切った別の客室乗務員に、瑞樹はほっとした顔をする。
「気の抜けた顔をしない。大変なのはこれからよ。」
「島崎さん、ありがとうございました。これからって?」
「…あなたも自分の座席に戻ってシートベルトを着用しなさい」
先輩である島崎の凛とした顔に現れているただならぬ緊張感に瑞樹は黙り込み、おとなしく座席に戻った。
巨大な機体は地面を削り取るようにして進み、サトウキビ畑をいくつもなぎ倒してようやく止まった。結局車輪を引き出すことができなかったようで、胴体着陸をせざるを得なかったようだ。
幸い周辺に大きな障害物はなかったが、水平線の先には沖縄の海が見えてきている。
「大きいな、これは。爆撃機に改造すればアメリカ本土まで爆撃できそうなぐらいだ。」
間近で見ると、その大きさに息を飲まざるを得なかった。大竹が見たことのある陸軍の新型爆撃機、100式重爆撃機「
小柴曹長がバイクを寄せると同時に、機体のハッチのいくつかが開き、ゴムのような素材の滑り台がおろされる。
「荷物はすべて機内に置いたまま避難してください!シューターが傷ついてしまいますので、荷物は置いたままで!」
機体のハッチからは次々と乗客が滑りおりて出てくる。
乗客のほぼ全員が洋装で、しかも国民服を着ている者が一人もいない。それどころか、街中で国防婦人会の奥様方が目くじらを立てそうな派手な髪型の者、明らかに外国人と思しきものまで戦時下とは思えない姿のものばかりだ。
「少佐殿、こいつら…」
「スパイだとしたら、大げさな仕掛けの上に間抜け過ぎる。それに我々は警察でも憲兵でもないよ、曹長」
小柴の視線に、大竹は右手を挙げて遮るような手ぶりで静止する。
「それに今は緊急時だ。いつエンジンが爆発するか知れたものではない。曹長、悪いが村の駐在の所に急行して、事故のことを報告。村長に救護への協力を要請してくれ。今のところは怪我人がいないようだが、万が一のこともある」
「しかし、少佐殿をここに一人で残しておくわけには」
「これは命令だよ、曹長。悪いが急いでくれたまえ」
「了解しました。駐在所に急行します」
小柴曹長が地平線の向こうに消えていくころには、航空機からの脱出作業も終わったようだった。
機長と思しき白色の制服を着た男が大声を張り上げる。
「すぐに機体から離れてください!機体が爆発する恐れがあります。急いで!」
その声に、その場でへたり込んでいた乗客たちはよろよろと移動を開始する。
とはいっても、胴体着陸の衝撃と脱出できた安堵で腰が抜けたのか、大竹の目の前で老婆が動こうとしない。
「おばあさん、すぐに移動しないと」
「そうは言ったって。腰が、腰が抜けちまって言うことを聞かないんだよ!」
大竹は孫娘らしき少女に引っ張られている老婆の肩を叩く。
「ばあさん、自分が背負ってやろう」
「すまないねぇ、あんた軍人さんかい。あたしの旦那の若いころにそっくりの男前だねぇ」
「それだけ軽口をたたければ、腰以外は大丈夫そうだな。とにかくここから移動するぞ、お嬢ちゃん」
老婆を背負った大竹に、少女はしっかりとうなずいて見せる。
乗客が移動を開始してから十数分後、機体のエンジン部分で爆発が起こった。機体すべてを吹き飛ばすような威力はなく、エンジンと主翼部分の一部が吹き飛んだ程度だった。燃料タンクの中の燃料が少なかったことが幸いしたのだろう。とはいえ、一部で火災も発生しているため避難して正解だったと言える。
「お客様の避難にご協力いただき、ありがとうございます」
紺色の制服を着た女性が、大竹に向かって頭を下げてくる。
小柄な身体ではあるが、意志の強さを感じさせる光を双眸に宿している。年のころは二十台半ばあたりだろうか。
「たいしたことをしたわけじゃない。それにこれも仕事のうちのようなものだ。」
「それで、あの…その服はコスプレなのですか?」
「これは陸軍の軍服だが…そのコスプレとは何だ?」
「いや、何でもないです、はい」
「…?まあいい、君の名前と所属を聞かせてくれ。私は帝国陸軍少佐、大竹将道だ」
「全日旅
瑞樹と名乗った女性はそう言うと、小走りに去っていった。
「さて、これだけの人数をどうしたものか。さすがにこの村に収容できる人数では無さそうだしな」
ざっと見て三百名はいるであろう乗客を眺めながら、大竹は思案顔になる。
-まあ、これも乗りかかった船だ。どこか落ち着ける場所が見つかるまでは世話をしてやるさ。
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