第22話 織田信長の目

 倉本虎之進と数人の兵士に囲まれ、城戸礼次郎は徳川家康の前に引き出された。


「座れっ」


 兵士の一人に立膝で座らされた。


「顔を上げよ!」


 と、もう一人が礼次郎の髪をつかんでその顔を上げさせた。


 場が緊張感で張り詰めていた。


 礼次郎と家康の視線がぶつかった。

 礼次郎が即座に言った。


「城戸はどうなった」


 礼次郎の声は落ち着いていたが、その語気には激しいものが宿っていた。


「すでに城戸と言う地はなくなった」


 家康もまた落ち着いて言った。


「我が父は?」

「自害された」

「・・・!」


 礼次郎の目の色が変わる。


「・・・くそっ・・・」


 礼次郎は俯き、全身を怒りに震わせた。

 彼は俯いたまま言う。


「民は・・・?城戸の住人たちは無事か・・・?」


 すると、礼次郎の背後にいる倉本虎之進が言った。


「城戸の兵たちが民を装って攻撃してくる故、仕方なく全て殺した」

「なに?」


 礼次郎が振り返った。


「殿の指示ではない・・・この倉本虎之進の判断でそう指示したのだ」


 虎之進は底冷えのするような冷たい目の色を変えることなく言う。


「この恥知らずが・・・!」


 礼次郎は再び前を向いて徳川家康を睨んだ。


「何でこんなことをする!そこまでして天哮丸が欲しいか!」


 礼次郎が叫んだ。


「天哮丸の為ではない」


 家康が言う。


「何を見え透いた嘘を」

「昨日の朝、何者かがわしの命を狙って我が軍中に忍び込んだ。城戸の者だ」


 家康は落ち着き払って言う。


「は・・・バカな」


 礼次郎が鼻で笑うと、家康は倉本虎之進に何やら目配せした。

 それを受けた虎之進は、部下に命じて何かを持ってこさせ、礼次郎の目の前に放り投げた。

 

 それを見て礼次郎の動きが固まった。


 礼次郎の紋付の着物であった。


「それは殿のお命を狙った曲者が逃げる途中に残して行った小袖だ」


 虎之進が言った。

 礼次郎の身体が震えた。


「それには城戸家の家紋がついておる。城戸家の家紋がついた小袖を着られるのは当主宗龍か、礼次郎、その方しかあるまい」


 と、家康が言った。


「我らが平和に交渉しに来たのに、我が命を狙うとは卑怯千万。裁くべく下手人であるお主を引き渡すよう要求したが、宗龍は拒否しおった。そこで仕方なく兵を動かしたのだ」


 礼次郎は呆然とその小袖を見つめていた。



 ――オレは何てバカなことを・・・あの浅はかな行動で家を滅ぼしてしまったのか・・・!



「お主が大人しく出てくれば攻撃はしなかったのだ」


 家康がにやりと笑った。

 礼次郎はわなわなと唇を震わせて、


「オレはお前の命など狙っていない・・・確かに忍び込んだのは事実だ・・・しかし好奇心でただ見に行っただけだ・・・!」


「後からならいくらでも言えるわ」


 家康が笑う。


「しかし・・・あの時、オレは使いに行く途中でいなかった・・・父上ならそう言ったはずだ!」


 礼次郎が叫ぶ。

 その目に再び怒りの火が灯り始めていた。


「・・・・・・」


 家康は黙った。


「オレを呼び戻すのを待って話し合えば良かったはずだ!」

「・・・・・・」


 家康の目に動揺の色が走った。


「何故攻めた・・・!」


 礼次郎の瞳が完全に怒りの色に染まっている。


「虎之進!」


 家康は礼次郎の視線を逸らして、


「この城戸礼次郎を拷問にかけよ!天哮丸の場所を吐かせるのだ!」


「はっ」


 礼次郎の身体の震えが止まり、今度は熱くなった。

 全身の血がが逆流しているかのようであった。


「や・・・やはり天哮丸ではないかっ!!!」


 礼次郎が大声で怒鳴った。

 それはまるで獣の叫びのようであった。


 それに対し、


「ふん・・・」


 と、家康はせせら笑って礼次郎を見下ろした。


 瞬間、家康はビクッと身体を震わせて動きを止めた。


 家康の額に冷や汗が流れた。


 全身が戦慄する。


 そこには獰猛な殺気を帯びた猛獣のような、地獄より迫る冷酷な悪鬼のような、そんな礼次郎の凄まじい目つきがあったからであった。



 ――この目は・・・どこかで・・・



 家康はまともにその視線を受け止めきれずに逸らし、額を押さえた。

 

 家康の背中が汗でびっしょり濡れていた。



「連れて行け」


 虎之進が命じ、兵士が礼次郎を立たせると本陣の外に連れて行った。


「では」


 と、虎之進も出て行こうとすると、


「虎之進、待て」


 家康が呼び止めた。


「何でしょうか?」

「城戸礼次郎の拷問だが、吐いたらすぐに斬れ。もし吐かぬようなら・・・二日経っても天哮丸の場所を吐かぬようであれば殺してしまえ」

「しかしそれでは天哮丸の場所がわかりませんぞ」

「天哮丸がこの日の本のどこかに存在する限り、いずれは手に入れることができよう!しかし・・・城戸礼次郎は長く生かしておけばおくほどわしの命は無くなる!」


 家康は狼狽えるような語気であった。

 息が少し上がっていた。


「良いな?二日・・・いや、一日じゃ!丸一日経っても吐かぬようであれば斬れ!」


 家康の指が震えていた。


「一体どうなされましたか?」


 虎之進は怪訝そうな顔をする。

 家康は床几の周りを歩いた。通常こういう時は爪をかむのが家康の癖だが、この時は爪を噛んでいなかった。


「あの目・・・ヤツのあの怒りの頂点を通り越した狂気の目つき・・・あれは一度自分に危害を加えた者は何十年かかろうとどこに逃げようと地の果てまでも追い詰めて殺す・・・そういう類の人間の目だ・・・!」


 家康の顔は完全に色を失っていた。


「殿、落ち着かれませ・・・確かにヤツの目つきは尋常ではなかったですが、それほど恐れるものではありますまい」


 虎之進は冷静に努めて言う。

 家康は虎之進を見やって言った。


「お前は会ったことがないので知らないであろう。あの目つきをした男の恐ろしさを」

「・・・?」


 家康は青ざめた顔で虚空を見つめて言った。


「あれは織田信長の目だ・・・!」

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