第21話 道全の驚き

 礼次郎は身体の傷の痛みをこらえ、素早く刀を抜いた。


 その抜刀の様を見て道全は驚いた。

 先程まではまだ少年の面差しを残しているようでもあった礼次郎が、途端に一人前の武士の剣気を纏ったからである。


 しかし驚いている場合ではない。

 道全は声を荒げた。


「何をしておる!双方ともやめい!」


 すると徳川軍の兵士の一人が怒鳴った。


「黙れ坊主!我々は徳川軍だ。こやつは罪人だ!我らが殿のお命を狙ったのだ!」


 道全が驚いて礼次郎を見た。


「何・・・?徳川を・・・?」


 礼次郎は言葉を返す。


「何をふざけたことを!罪人はてめえらの方じゃねえか!」

「黙れ!そこに直れ!捕らえてくれる!」


 兵士がそう言うと、


「待てっ!ここでは邪魔になる、外に出ろ!」


 礼次郎が言うが、


「知ったことか!」


 兵士たちが襲いかかって来た


「くそっ、道全殿、すまぬ!」


 礼次郎が応戦した。


 極力庵の中を乱さぬよう、最小限の動きで一人目を斬り伏せた。

 続いて返す刀で二人目の脚を払った。

 相手の攻撃と同時の早業であった。


 道全はその剣の技に驚愕した。


 怯んだ三人目は戸の外に後退した。


「よし、それでいい」


 礼次郎はそう呟くと追って外に出た。


「うっ・・・?」


 礼次郎は愕然とした。


 そこには五十人をゆうに超えるのではないかと思われるほどの多数の徳川軍兵士がいたからだ。


 中央には鉢巻きをした倉本虎之進がいた。


 虎之進は、出て来た礼次郎を見ると隣の者に聞いた。


「ヤツか?」

「はい、あの時見ました、間違いありません」

「よし、捕らえろ!決して殺すでないぞ!」

「はっ」


 数十人の徳川軍が声を上げて一斉に襲いかかって来た。


「くそっ」


 礼次郎は悔しげに呟くと応戦するべく下段に構えた。


相手は多勢、とてもかなわぬと思われたが、どれも礼次郎に致命傷を与えぬように攻撃して来る為に、それほど圧倒的不利と言うわけでもなかった。


礼次郎は舞うように動き回り、一人、また一人と斬り倒して行った。


 しかしやはり数の前には叶わず、次第に追い込まれて行った。


 道全はどうしていいかわからずその状況を見ていた。


 この若者がとても徳川家康の命を狙うようには見えない、しかし事実徳川の兵士たちはそう言ってこの若者を捕らえようとしている。

 若者に加勢するべきかどうか。

 加勢しても果たしてこの人数相手に立ち回れるのか。

 そう考えを巡らせているうち、声が飛んだ。


「弓矢を使え!脚を狙え!」


 虎之進の指示だった。


 たちまち数本の矢が飛んで礼次郎の脛に刺さった。


「うっ!」


 礼次郎はたまらず膝から崩れ落ちた。


「それっ、今だ!」


 徳川軍兵士たちが四方より集まり、礼次郎はあっと言う間に縛り上げられてしまった。


「よし、いいぞ、殿もお喜びになるだろう、連れて行け」


 そう言うと虎之進が不気味に笑った。


「ち・・・畜生・・・」


 礼次郎は唇を噛んで悔しがった。

 天哮丸の守護と城戸家再興を心に決意したばかりだと言うのにあっさりと捕まってしまった。


「無念だ・・・」


 そう言った礼次郎に対し、虎之進は、


「ふっ・・・さあ殿の前で全て吐いてもらうぞ」


 と嘲るような笑みで言った。

 礼次郎はギロッと虎之進を睨みつけた。


「ふははは、睨んでも無駄だ、よし、行くぞ」


 そう虎之進が命令すると、兵士たちは礼次郎の前後左右を囲んで歩き出した。


 礼次郎は、


「ちょっと待ってくれ」


 と、言うと道全の方を振り返り、


「道全殿、せっかく世話になったのにすまなかった」


 と言い、そして


「折角助けていただいたこの命だが、また失うことになってしまうかもしれん」


礼次郎はふっと寂しそうに微笑んだ。


「お主、まさか本当に・・・?」


 道全が言うと、


「道全殿、信じてもらいたい、オレは徳川家康の命など狙ってない。むしろこいつらが何もしていないオレ達を攻めて来たんだ」


「何・・・?」


「道全殿、城戸に行っても無駄です。城戸はこいつらに滅茶苦茶にされた・・・オレはその城戸から逃げて来たんだ」


 道全は酷く驚き、


「何だと・・・?」

「本当です」


 すると道全は礼次郎の刀を思い出し、はっと気がついて、


「まさかお主は・・・」


 と言いかけたがそこから言葉が出なかった。


 礼次郎はしばし無言になると口を開き、


「オレの名は城戸礼次郎、城戸家嫡男」


「な、なにっ⁉︎城戸礼次郎だと?」


道全は目を丸くした。大げさに思えるぐらいの驚きの表情を見せた。


「おい、何をいつまで喋ってる、行くぞ」


倉本虎之進が苛立って言うと、礼次郎の傍の兵士が礼次郎を小突いた。


「では道全殿」


と、礼次郎は言うと、周りの兵士たちが礼次郎を囲みながら引っ張って行った。


道全は呆然としながらその後ろ姿を見送っていた。

今ここでどうするべきか、それがわからずに彼らの姿が見えるまで立ち尽くした。


「何と言うことだ・・・あ、あの若者が城戸家嫡男の城戸礼次郎だと・・・」


道全は拳を握り呻いた。


「ううむ・・・不覚・・・」


すると、今徳川軍が礼次郎を連れて行ったのとは別の方から、何者かが走って来た。

髪は乱れ、衣服も汚れているが必死の形相で走って来る。


「おーい!」


体格の良い若者であった。

彼は道全の前まで走って来ると、膝に手をつき、息を整えてから言った。


「あんた・・・ここの庵の主か?」

「そうだが」


そう言うと、若者はぱっと表情を明るくして、


「そうか!さっきあっちの村で、今朝、この近くの川岸で若い男が倒れてて、庵の坊主が介抱して連れて行ったって聞いたんだがあんたか?」


「うむ、それはわしだろう」


と、道全は言ったがその顔は曇っている。


「その若い男は髪が多くて背がこれぐらいのではないか?」

「うむ、その通り」

「そ、そうか!じゃあ中にいるか?」


と、若者は無遠慮に中に入ろうとするが、


「今はもうおらん」


道全の言葉に振り返る。


「何?どうしてだ?」

「ついさっき連れて行かれたのだ」

「何だと?誰にだ?まさか・・・」

「徳川軍の兵士達だ」

「何っ⁉︎・・・な、何でみすみす連れて行かさせた⁉︎」


若者は血相を変える。


「わしも全く事情がわからなかったのだ」


道全は唇を噛む。


「何てことだ・・・!どっちに行った?あれは俺の主君なんだ!」


 若者がそう言うと、道全は驚き、


「まさかお主・・・大鳥順五郎殿か?」


すると今度は順五郎が驚いた。


「え?何で俺の名前を知ってるんだ⁉︎」




 城戸より少し離れた山中の徳川軍野営地。


 昼時、あちこちから炊煙が上り、兵士たちのくつろいだ笑い声が聞こえて来ていた。


 これまでは握り飯、餅、兵糧丸、即席の味噌汁などの保存食、携行食を中心にした陣中食を取って来たが、城戸での戦が終わったので陣中では飯を煮炊きすることが許されたのだ。


 兵士たちには滅多に口にすることのできない白米が支給された。


 おかずは簡素な漬物、具沢山の味噌汁ぐらいであったが、戦働きで心身共に疲れていた兵士たちには白米が食べられるだけでもこの上ない贅沢であった。



「白米が食べられて兵士達も喜んでおります」


 家康の本陣、家康の側近の一人が言った。


「うむ・・・昨日の戦で皆疲れているであろう、存分に食べさせ、士気を高めさせるのだ」


 家康も膳を前に箸を動かしながら言う。

 側近はちらっと家康の膳を見て、


「しかし殿・・・こう言う時ぐらいは殿も米を食べられては・・・?」


 家康の膳は、兵士達と同様、漬物、具沢山の味噌汁で、唯一焼いた川魚が添えられている点だけが総大将らしいが、それでもかなり質素である。

 しかも兵士達が精白された米を食べているのに、家康本人は麦飯であった。


「これがわしの健康の秘訣じゃ。麦飯をよくかんで食べる。幼少の頃よりこうしているせいか、わしはほとんど病にかかったことはない」


 家康はそう言って美味そうに麦飯を頬張る。


 と、そこへ、慌ただしく伝令の兵が入って来た。


「殿!」


 兵が跪くと、側近が、


「殿は食事中であるぞ、後にせい!」


 と叱った。


 しかし家康は手で制し、


「構わん、申せ」


 箸を置いた。

 兵は頭を下げ、


「倉本虎之進様が城戸礼次郎を捕らえて参りました!」


「何じゃと!」


 家康が立ち上がった。

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