第4話 家康の陰謀

 城戸より少し離れた山の中腹に、徳川軍は陣を設営していた。

 家康本人が率いているからか、今にも戦ができそうな武装姿でそこそこの人数の兵がいる。


 木剣の音が響いている。


 野営地の中、兵士たちに囲まれて二人の男が木剣を交え火花を散らしていた。


 総髪を結わずに垂らした背の高い赤い着物の男が袈裟がけに木剣を振り下ろす。

 と、鉢巻きをしたこれまた背の高い男がさっと飛び退いてよける。

 同時に鉢巻きの男が高速の剣を横に振るが、赤い着物の男が下からすくい上げて振り払った。


 二人がぱっと離れた。


「さすが徳川家中一の剣の使い手と言われるだけありますな、倉本殿」


 木剣と言えども打ち込まれれば危険である。だが、赤い着物の男が楽しげに笑う。


 倉本と呼ばれた鉢巻きの男は、


「お主こそ……仁井田殿こそまだ本気ではあるまい。音に聞く突きの技を見せられい」


 こちらは表情を変えずに言う。


「では遠慮なく」


 と、言うや電光石火、仁井田と呼ばれた男は土煙を上げて踏み込み、木剣を稲妻の如く突き出した。その背の高さからは信じられない速さで、周りの兵たちにはよく見えなかった。


 だが流石の倉本、冷静な表情で瞬時に避けた。


 仁井田はそのまま剣を横に薙ぎ払おうとしたが、倉本はそれを読んで腰を折ってかわす。


 仁井田はがら空きとなった下半身を攻撃されると読み、すぐに後ろに飛び退いた。正解だった、倉本が下段に振った剣は虚空を斬った。


「すげえ」

「よく見えないぜ」

「これ、街中でやったら銭取れる手合せだぜ」


 周りで見ていた兵たちが感嘆の声を上げる。


 倉本と仁井田がまた間合いを取って睨み合った。そのまま両者共に動かなかった。いや、動けなかったのである。互いに実力が伯仲している達人であるが故に。


 たちまちに見ている方が痛いほどの剣気が立ち込める。息をすれば刺されてしまいそうな、そんな空気であった。


 そこへ、


「倉本様!」


 数人の兵が駆け込んで来た。


「なんだ、今いいところなんだ、邪魔すんなよ!」

 見ていた兵たちが文句を言うと、


「構わん、何だ?」


 倉本が構えを崩さずに反応した。


「今朝方我が陣をのぞいていた曲者のことですが」


 倉本が一瞬考え込み、


「仁井田殿、ひとまず止めよう」


 と剣を降ろした。


「いいだろう、誰か水を持って来てくれ」


 仁井田も構えを解く。


 姿振る舞いから見るに倉本は三十代前半、仁井田は二十代後半と言ったところであろうか。

 倉本は、底冷えのするような冷たい眼光を持つ歴戦の武者と言った風の男で、仁井田は垂らした総髪、切れ長の目が印象的な荒々しい雰囲気を纏う剣客然とした男であった。


 倉本は額の汗を拭いながら言った。


「噂に聞く突きの達人仁井田統十郎の剣、誠に見事なものであった」


「何、そんなにもったいぶって披露するようなものではござらん。それよりも俺の突きをさばくとは倉本殿も流石の腕前、関東一と謳われるだけはある」


 仁井田統十郎はふっと笑うと、倉本はその顔をじっと見て、


「仁井田殿、お主が我が家中に来てすでに半年余り。しかし未だに以前どこで何をしていたなど過去の事を語ろうとはせん。仁井田と言う剣の達人が都の方にいるとは風の噂に聞いていたが」


「語るような過去でもなきゆえ」


「まあそれはいい、家中にはとやかく言う者もおるが、その武技で殿のお役に立ってくれれば何も問題ないとわしは思っている」

「はっはっはっ、きっとお役に立ちましょう」

「だが、一つ聞かせてもらいたい、その剣の技はどこで身に着けた?」


 倉本の冷たい目が光る。


「そんなものはどうでもよいのでは」

「いや、純粋に武に生きる者として興味がある」


 すると、仁井田統十郎は木剣を上段から一振りし、


「何……ガキの頃に師匠について多少学んだりはしたが……あとは自己流です」

「誠か?」

「ああ、大体ね。自分で野山を駆け、剣を振るい、各地の達人と手合せしているうちに自然と身に付きました」

「ほぉ。本当だとしたらまさに天才としか言えんな」

「はっはっはっ、そんな大したものでもござらん」


 統十郎の豪快な笑い声が響いた。


 倉本はおもむろに背後を振り返り、報告に来た兵たちに向かって、


「で、曲者はどうした? 捕らえたか?」

「いえ、申し訳ございませぬ、残念ながら急流に飛び込んで逃げられてしまいました」


 倉本が凍りつくような視線をじろりと向けた。


「ど、どうやら着物を脱いで川に飛び込んだようで、これが落ちていました」


 兵はその目つきに恐れを抱きながら、震える手で礼次郎たちの小袖を差し出した。

 倉本は受け取ると、無言で注意深く見つめた。

 三つ葉竜胆の家紋が目につく。


「ご苦労、下がるがよい」


 と言うと、倉本は小袖を持ってどこかへ向かった。


 陣に帰った徳川家康は床几に座り、何か物思いに耽っていた。

 時折爪を噛んでいる。


「殿」


 陣幕を払い、倉本が入って来た。


「おお、虎之進か」

「どうでしたか?」

「うむ、城戸め、やはり頑固よ。十万石と言う条件を出しても首を縦に振らぬ」

「私が見るに、恐らく城戸は百万石出してもうんとは言わないでしょう」

「わしもそう見ておる」

「では浜松に帰りますか?」

「いや……」


 家康は立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた。


「少し考えがあるのだが……今一つ足らん」


 再び爪を噛み始めた。


「足らん?」

「うむ。で、どうした?」

「はい、今朝見張りの者が、何者かが我が陣を偵察しておるのを発見し、追いかけたのですが取り逃がしてしまいました」


 家康が横目で倉本虎之進を見やり、


「取り逃がした報告なんぞいらん。捕らえてから報告せよ」

「それが、これをご覧ください」


 倉本虎之進が小袖を差し出した。


 家康は興味なさげに一瞥したが、何かに気付いてはっと目を見開いた。


「これは!」


 家康は小袖を手に取り、凝視した。


 そしてにやりと笑った。


「虎之進、これを持って来た者たちに褒美を取らせよ」

「はっ」


「はっはっはっ、これで天哮丸はわしの物となったぞ!」


 家康の高笑いが空に響いた。

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