第210話 乾坤一擲

 城戸軍と徳川風魔連合軍、互いにじわりじわりと前進し、陣寄せが始まった。

 そして両軍、矢ごろに入ると、


「放てっ!」


 と、弓矢と鉄砲の撃ち合いが始まった。

 両軍の前線から無数の矢が放たれ、銀線が陽光をはじいて中空を埋めた。おぞましいような銃声がとどろき渡り、弾丸が飛び交い、両軍の兵士の胴を貫いた。


 ――ふむ、火力ではやはり奴らの方が上か。


 龍之丞は眉をしかめて軍配を叩いた。

 徳川軍の方が鉄砲を多く揃えていた。そして、鉄砲兵は、徳川軍の中央に多かった。


 龍之丞は、中央の前線を少し後退させた。同時に、合図の貝を吹かせて、右翼の壮之介の部隊を動かした。

 貝の音が響き渡ると、壮之介隊は右に移動を開始した。正面の徳川風魔連合軍の左翼、風魔玄介らの部隊の側面に回り込もうと動いたのである。


「やはりわしの読み通り」


 隙の無い目で戦況を見ていた徳川家康は、にたりと笑った。


 開戦前、徳川の本陣で風魔玄介らを交えて開いた軍議で、家康はこう話していた。


「兵力は我らの方が圧倒的に上。そして平坦へいたん野栗原のぐりはらでは地形を活かして戦うこともできず、罠を仕掛けることもできない。この状況で城戸軍が我らに勝つ方法があるとすれば、何らかの方法で我らの背後に回り込み、奇襲を仕掛けて我らを混乱せしめた上で、前後から挟み撃ちにすることぐらいであろう。城戸軍は、必ずや我らの側面か背後に回り込もうと動くはずである」


 家康が言うと、風魔玄介が頷いた。


「うむ、その通りであろうな」


 玄介は、目を鋭く光らせて家康を見た。


「そう読んだからには、策も考えておられるか?」

「うむ。まあ、策とも呼べるようなものではないがな。奴らの狙いをことごとく潰すだけよ。まずは、小倉山こくらやまやその他の道、我らの背後に出ることが可能な間道などを全てふさぐ。これは、服部半蔵が我らの伊賀衆を率いて行おう」

「ふむ……」

「そして、いざ戦が始まったら、きっと城戸軍は左右から部隊を動かし、我らの側面背後に回り込もうと動くはずである。そうなったら、こちらもすぐに左右の部隊を動かしてそれを粉砕ふんさいした後、逆に城戸軍の背後に回り込み、包囲してしまうのだ」


 家康は、自信たっぷりに言ったのだった。



 家康が読んだ通りに城戸軍が動き始めたのを見て、風魔玄介は薄笑いをした。


「ほう。少々気に食わぬが、流石は徳川家康。言った通りに動いたか」


 そして玄介は、最左翼の部隊を前進させ、壮之介の部隊に当たらせた。

 その上で更に、


「逆に包囲してくれよう」


 と、自隊も含めて残りの部隊を全て動かし、壮之介隊の背後に回り込もうとした。

 だが、壮之介隊の側面を駆け抜けようとした時、その眼前に一隊が現れて立ち塞いだ。

 千蔵の部隊であった。


「かかれっ!」


 千蔵の低い声が響いた。


「千蔵か」


 風魔玄介は忌々いまいましげに舌打ちすると、総攻撃の命令を下した。

 ここに、壮之介と千蔵の部隊合計約一千と風魔幻狼衆軍約二千の大乱戦が始まった。


「一気に蹴散らしてやろう。そして礼次郎の本隊をつく」


 玄介は兵士らを叱咤しった鼓舞した。

 数の上では、玄介らの方が圧倒的に有利である。

 だが、


「今こそ我が手並みのほどを見せてくれよう!」


 壮之介が吼え、


「ご主君の御恩に報いる時は今ぞ」


 千蔵が鋭く叫んで突撃すると、士気の高い城戸軍の勢いが圧倒した。


 特に壮之介のおりから放たれた猛虎の如き豪勇は凄まじく、前線におどり込んで太い朱塗りの槍を使うや、暴風のような一振りで数人が吹き飛び、稲妻のような一突きで喉首と腹が貫かれ、その前に立った者はことごとく絶命した。


 千蔵は、壮之介のように派手で爆発的な武勇ではないが、静かに敵の眼前に迫ったかと思うと鋭い一太刀で急所を突いて仕留める。そこには不気味な恐ろしさがあり、敵兵を震え上がらせていた。


 そんな二人の戦いぶりに励まされて、兵士らも皆、目覚ましいほどの働きを見せる。


 元々、風魔幻狼衆軍は、玄介自身ができるだけ兵力を温存しておきたいと考えているように、兵士らも皆、どうせ負けるはずはないのだから、徳川軍に戦わせておいて自分らは適当にやっておけばよいと言うような空気が広がっており、士気はそれほど高くなかった。そこへ、壮之介と千蔵の圧倒的な豪勇と城戸兵らの猛攻である。

 両者の交戦は、むしろ幻狼衆軍の方が押され気味であった。


「これは流石にまずいか」


 玄介は判断が甘かったことを悟るや、自ら天哮丸を握って前線に斬り込んだ。



 ――よし。


 龍之丞は、壮之介と千蔵らの戦いぶりを見て安心すると、再び軍配を振った。


 貝の音が響き渡ると、今度は左翼の順五郎隊が左へと動き、真田信繁隊も動いた。

 すると、先程と同様に徳川軍の右翼部隊がそれを包囲しようと動いた。そしてこちらも同じような展開になり、乱戦が繰り広げられた。


 徳川軍は、風魔軍らに比べれば士気も高く、兵士らの動きは鋭かった。

 だが、屈強な大男である順五郎がその獣性を剥き出しにして前線で暴れ回ると、徳川兵らは蟻の群れのようであった。


「今度こそ父上やふじの仇を取ってやる」


 並々ならぬ気合いの入った順五郎は戦鬼と化した。豪槍ごうそうを横に振ると徳川兵らは吹っ飛び、上段から落雷の如く振り下ろすやかぶとが割れて脳天が砕かれた。

 悪鬼の如き暴勇に、震え上がって逃げ出す者もいるほどであった。


 そして真田信繁。

 彼自身は個人的武勇は見られるものがないのだが、彼は一つ素晴らしい物を備えていた。天賦の才としか言えぬような図抜けた用兵能力である。

 信繁は、巧みに兵士らを動かし、波状的に徳川軍の側面、後方へと攻撃を仕掛けていた。

 こうして、順五郎と真田信繁の目覚ましい働きによって、ここでも大きな兵力差がありながら、城戸軍は徳川軍に対して互角の戦いを演じていたのであった。



「なかなか突き崩せませんな。城戸軍め、しぶとい」


 本多正信が吐息をついてうめいた。


「…………」


 家康は、無言で前方の戦場を見回しながら、爪を噛んでいた。


「あの動き……城戸軍の兵士ども、よく訓練されていて精強の上、士気も並々ならぬものがありますな」

「うむ……」


 家康は、指を口から離した。


「率いている将もじゃ。右の軍司壮之介と左の大鳥順五郎。あの二人の稀に見る豪勇が、また兵士らに勢いを与えておる。万千代まんちよや虎之進ではかなわぬかも知れん。平八郎を呼べば良かったかのう」


 家康は舌打ちした。だがすぐにふふっと笑うと、


「だが、勢いもそれほど続くまい。兵力は我らの方が上。更に中央から兵をいて向かわせれば良いことよ。左右それぞれに百五十ずつを向かわせよう。また、崩せてはおらぬが、これで城戸軍の左右両翼は拘束したことになる。ここで万千代の騎馬の一隊を更に回り込ませて城戸軍の背後を突き、包囲すればよいのだ」

「しかし、それでは我らの中央が手薄になってしまいますぞ」


 正信が眉をしかめたが、家康は笑い飛ばした。


「何、それでも中央はまだ二千人はおる。見れば城戸の中央は一千程度。しかも火力に大きな差がある。ここで城戸軍の中央が突っ込んで来ても破られることはあるまい。心配は無用じゃ」


 そして、家康は更に左右に百五十人ずつを向かわせ、また、井伊直政の五百の騎馬隊を切り離し、右側から回り込んで城戸軍本隊の背後を突かせるべく急行させた。


 それを見た礼次郎が目を剥いて叫んだ。


「咲、出番だ!」


 龍之丞の軍配が振られた。

 再び貝が吹き鳴らされ、隠れていた美濃島咲の騎馬隊が突出して来た。


 精鋭の美濃島騎馬隊三百人は、大地に|馬蹄ばてを響かせて戦場に現れると、大きく迂回しながらこちらへ駆けて来る井伊直政隊を目指して疾駆した。


 赤備えの美濃島騎馬隊は、先日直江兼続が引き連れて来た上杉家の騎兵を、かつての武田家の騎馬軍団の一翼を担った美濃島衆の頭領、美濃島咲が調練している。その練度は並みのものではない。

 美濃島隊は、敵の井伊直政隊を遥かに凌駕りょうがする速度で野栗原の緑野りょくやを疾走し、あっと言う間に井伊直政隊の眼前に迫り、井伊直政本人を驚愕させた。


「うん? 赤備えか?」


 前方に見る見る大きく迫る井伊隊の軍装を見て、美濃島咲は片眉を上げた。井伊隊は、美濃島隊と同様に、全兵を赤い甲冑で統一していたのである。

 咲はそれがはっきりと赤備えだとわかると、カッとまなじりを吊り上げて叫んだ。


「我が目の前で赤備えとは烏滸おこがましいわ!」


 咲は半弓はんきゅうを取り出すと、疾駆しながら矢を次々と放って井伊隊の先頭の敵兵を射落とした。そして間近まで肉薄するや、次は鬼走りの太刀をぎらりと引き抜いて、


「突撃!」


 と、自ら先頭に立って井伊隊の中に突撃した。

 

 美濃島隊三百と、井伊隊五百が、正面から激突した。


 人馬がぶつかり合い、悲痛ないななきを上げながら十数の騎馬が横転した。砂塵が舞い上がり、血が雨の如く降り注ぐ。槍と刀が噛み合う鋭い金属音が天を突き、狂奔きょうほんしたような人馬の怒声と喚声が渦を巻いた。


「見せてやろう、本物の赤備えの恐ろしさを!」


 美濃島咲は夜叉と化し、鬼走り一文字を手に縦横に斬り回った。



「ふむ。美濃島騎馬隊を隠しておったか。やりおるわ」


 家康は感心したように言った。しかし、表情はまだ余裕である。


「だが、いくら兵が精強で勢いがあろうとも、策もなく正面から戦っているだけじゃ。いずれ数で勝る我らが押し始めるであろう」


 家康は不敵な笑みで言った。

 その通りであった。

 壮之介と順五郎の豪勇に鼓舞され、千蔵と真田信繁の指揮によって互角の戦いをしていた城戸軍の左右両翼であったが、徐々に疲れが見え始め、旗色が悪くなり始めていた。


「もうすぐにでも崩れよう。そうなれば、あとは中央と礼次郎の本隊一千だけじゃ。機を見て中央を動かし、一気に押し寄せて捻り潰してくれる」


 家康は悠然と笑みを見せた。

 城戸軍と徳川軍の中央は、まだ弓矢鉄砲の撃ち合いをしており、白兵戦に及んでいなかった。



 その頃、城戸軍の左右両翼に疲労が出始めたのを見た龍之丞は、礼次郎に進言していた。


「最初に飛ばし過ぎたようですな。右翼、左翼、共に疲れが出始めて来ております。少し早いですが、そろそろ動くべき時かも知れませぬ」

「もういいのか?」


 礼次郎は、かぶと目庇まびさしの下から鋭い目で龍之丞を見た。


「ええ。徳川軍の中央はかなり手薄になりました」

「よし、行くぞ。手筈てはず通りにな。龍之丞、抜かるな」


 礼次郎が目をぎらりと光らせた。


「はっ」


 龍之丞は力強く応えて、軍配を振った。合図の貝の音が野太く響き渡った。

 礼次郎は、旗下の騎馬武者五百人を見回して、


「皆の者、俺に続けっ! 遅れを取るな!」


 と叫ぶや、太刀を引き抜いて馬腹を蹴り、徳川軍の中央に向かって疾駆した。五百人の騎馬武者たちも、一斉にときの声を上げ、礼次郎の後に続いて大地を踏み鳴らし始めた。

 更にその後を、龍之丞が五百の歩兵を引き連れて追いかける。

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