第207話 風魔砦の死闘

 思った通り、砦は武装した風魔衆の忍びたちが物々しい雰囲気で警備しているが、数は少なく防備は手薄と見えた。

 喜多は、約四十人の配下を二手に分け、一方を正門から攻めかからせて囮とし、自身は残りの者を連れて砦の背後に回り、そこから中に侵入した。


「こちらからもじゃ、敵襲!」


 土塁から中に飛び降りると、そこは材木小屋や武器蔵、兵士らが寝起きする小屋などが立ち並ぶ区域であったが、その辺りを見回っていた数人の風魔者が気付いて喚き、喜多たちの方へ殺到して来た。

 喜多は頭巾の中に手をやり、棒手裏剣を三本取り出して素早く放った。棒手裏剣は薄闇の中に黒い光を描きながら飛び、二人の敵の肩と喉を貫いた。同時に、すでに駆け出していた喜多の配下の忍びたちが残りの敵に襲い掛かる。


 敵の方が少数である。数ある忍び集団の中でも、特に戦闘に特化している風魔衆だけあって強敵揃いであったが、数で多い喜多たちが勝った。程なくして敵を全て斬り伏せた。


 鐘と太鼓の音がけたたましく鳴り響いた。


「敵襲! 曲者が忍び込んだぞ!」


 遠くの方で鋭く騒ぐ声が聞こえた。


「こっちだ」


 喜多は配下の忍びたちを連れて、千蔵が監禁されている牢がある土蔵の方へ走った。

 途中、十数人の敵に出会ったが、全て斬り倒して進み、途中あちこちに火を放ちながら、喜多たちはついに土蔵へ辿り着いた。

 配下の一人に、吉平きちへいと言う錠破りの達人がいる。破れない場合はまた次の手を考えてあるが、喜多はまず吉平きちへいに錠を見せてみた。


「これなら行けます」


 吉平はにやりと笑って開器(錠を破る為の忍者の道具)を取り出すと、すぐに難なく錠を外した。


「よくやった」


 喜多は喜んで褒めると、配下の者たちを残して外で見張らせ、吉平と二人で重い鉄の戸を開けて中に入った。

 土蔵は武器蔵らしく、槍や甲冑、弓矢などが四隅に積まれている。その一番奥に、地下に通じる階段があった。そこを下りて行くと、すぐに板格子が見えた。


「千蔵! 生きておるか?」


 喜多は板格子の奥の闇へ叫んだ。

 すると、闇が動いた。


「お……」


 千蔵は横たわっていた。喜多の声を聞き、起き上がろうとしたが、すでにその程度の体力も残っていないのか、身体が上がらなかった。


「動かなくてもいい」


 喜多は、吉平に板格子の錠を開けさせ、中に飛び込んだ。そして闇の底に沈んでいる千蔵の身体を抱き起した。


 その瞬間、喜多はぞっとした。元々細身であったが、それでもがっしりとした筋肉に覆われていたはずの千蔵の身体が、別人のように痩せている。骨と皮、とまでは行かないが、まるで棒のようである。そして、冷たかった。


 喜多は、すぐに飢渇丸を取り出して千蔵の口に入れてやり、瓢箪の中の水もゆっくりと少しずつ飲ませた。水は、急に飲んで腹を壊さないよう、白縄山に入る前に沸かしてあった。今は、ちょうど良い温度になっている。


「行けるか?」


 水を飲み終えた千蔵に喜多が訊くと、千蔵はゆっくりと無言で頷いた。薄闇に目が光った。体力は尽きかけているが、気力は残っているようである。


「あっしがやりましょう」


 吉平が千蔵の身体を抱きかかえた。


 梯子を上って行くと、外から喚き声と金属がぶつかり合う音が聞こえた。どうやら他に残っていた風魔衆の連中が駆けつけて来て、土蔵の外で戦闘になったらしい。

 喜多は急いで外に飛び出した。


 敵は十五人程であった。対してこちらは二十人程で、ほぼ互角と言って良かった。

 喜多は、吉平に千蔵を守っているように言いつけると、抜刀して剣光乱裏の渦に飛び込んだ。

 風魔忍者は流石に手練れ揃いである。刀捌きに鋭い業が乗っている。だが、喜多の連れている忍びたちも、吾妻忍び衆から選りすぐった精鋭たちである。数で勝っているので、徐々に喜多たちの刃が風魔忍者たちを押し始めた。


 ――千蔵を救い出せたなら、もうここに用は無い。こやつらを全て斬り伏せたらすぐに脱出だ。


 喜多はそう考えていた。

 だがその時、突如として薄闇が突風と化して吹き荒れた。かと思うと、その瞬間に数人の悲鳴が上がった。


 はっとして喜多が見やれば、四人の配下の者が倒れていた。ある者は腹から血を流しており、ある者はすでに首を飛ばされていた。どれも一撃である。


 凄まじい殺気を感じ、喜多の全身が総毛立った。刹那、殺気その物が頭上より襲って来た。喜多は咄嗟に刀を振り上げてそれを受け止めると、大きく後方に跳躍した。受け止めた腕が痺れた。信じられない怪力である。


 前方を見た。乱戦の中央に、鬼のような形相をした巨漢が立っていた。喜多は一瞬でそれが何者なのかを悟った。


 ――ここに来る以上、出くわすことは覚悟していたが、できれば会いたくはなかった。これが風魔小太郎か。


 喜多は、かつて感じたことのない戦慄に身体を縛り付けられたのを感じた。一瞬で、背中が冷や汗にぐっしょりと濡れた。


 吊り上った目が放つ赤い光。猛獣の牙のような歯。鋼のような筋肉に全身が覆われ、そこから凶暴で禍々しい殺気がほとばしっている。

 悪鬼と言うのはまさにこう言う男のことなのであろう。その凄まじい暴気の圧力に、喜多の配下の忍びたちも遠巻きに距離を取ったまま動けないでいた。


「やはり千蔵の仲間の城戸の連中か」


 小太郎は薄笑いを浮かべて言った。


われの孫を取り返しに来たと言うことか」


 小太郎は薄笑いのまま悠然と周囲を見回した。


「この場所を突き止めたことは褒めてやるが、ここがどこだかわかってやって来たのか? ここは地獄よりも恐ろしき地獄、閻魔すら恐れる風魔の砦ぞ」


 雷鳴の如き声が、低く轟いた。そして、小太郎がにやりとおぞましく笑った。瞬間、小太郎は黒い風となった。悲鳴が上がり、血が舞った。喜多の配下の者数人が、一撃で頭を割られ、胴ごと腹を斬り裂かれ、腕を斬り飛ばされた。


「皆、逃げろ!」


 喜多は素早く叫んだ。だが、


「逃がすわけがなかろう」


 小太郎の身体が躍り、逃げようとする者の背を次々と襲って行った。また、小太郎の出現で残りの風魔衆の者どもが勢いを盛り返し、喜多の配下らに襲いかかった。


「吉平。千蔵を連れて向こうへ行け! ここは私が食い止める」


 喜多が吉平に向かって叫んだ。吉平もまた、小太郎の魔王の如き恐ろしさに震えていたが、その言葉で我に返ると、千蔵を抱えて走り出した。


「千蔵は渡さん。小賢しい女狐めぎつねが。思い知るが良い」


 小太郎は振り返って鬼の形相で睨むや、大きく跳躍した。

 巨大な猛獣が飛びかかって来るようであった。


 喜多は素早く横に飛んで避けるや、棒手裏剣を鋭く放った。だが、小太郎はまるで蚊や蠅を叩き落とすかのように、それをあっさりと手で叩き落とした。同時に再び小太郎が飛んだ。上段から喜多に凄まじい一撃を振り下ろした。喜多は避けることができず、刀を振り上げて受け止めた。だが、凄まじい力に、身体が押され、よろめいた。

 

 走る吉平に抱えられながら、それを見ていた千蔵は、


「お、下して……くれ」


 と、吉平の腕を掴んだ。


「駄目です。早く逃げなければ!」


 吉平は青い顔で言ったが、千蔵は自ら身体をよじって吉平の腕から滑り落ちた。だが支える力がなく、地面に転がった。


「千蔵様!」


 吉平は慌てて抱き起こそうとしたが、千蔵は手でそれを振り払った。そして立ち上がって歩こうとしたが、立ち上がれるだけの体力が無かった。千蔵は、腕で這って前に進んだ。


 その時、態勢を崩した喜多に、小太郎が再び大刀を振り下ろしていた。


 ――喜多どの……助けなければ……。


 千蔵は震えながら、乾ききった唇を噛んだ。

 だが、その瞬間、小太郎の背後で一群の人間たちの喚声が響いた。


 小太郎は大刀を振り下ろす手をぴたりと止めると、横に飛んだ。

 小太郎の背後に迫り、刀で斬りつけようとしていた人間がいたのだ。


 その人間を見て、千蔵の細い目が見開いた。

 喜多も驚いた。


 千蔵の唇がわなわなと震えた。

 その人間こそ、礼次郎であった。黒貂の羽織を上に羽織っているが、甲冑姿で、桜霞長光を握っていた。その礼次郎の背後には、彼自身が連れて来た五十人の兵士たちだけでなく、喜多が正門から攻めかからせていた配下の忍びの者たちもいた。礼次郎は、彼らに合流し、共に正門を破って突入して来たのであった。


「かかれっ!」


 礼次郎は、皆に残りの風魔の者どもに総攻撃することを命じた後、


「大丈夫か?」


 と、喜多に声をかけたが、すぐに遠くにいる千蔵にも気付いた。


「おお、千蔵! 良かった、無事だったか!」


 礼次郎は泣きそうな声を上げた。


 ――ご主君……来てくださったのか……たかが一人の草の者であるこんな俺の為に……。


 千蔵は俯いた。主君礼次郎の姿を見た瞬間、身体の奥底より熱いものが込み上げて来て、思わず泣いてしまった。だが、渇き切った身体は、目から涙が出なかった。


「殿!」


 喜多が青い顔で叫びながら立ち上がった。


 礼次郎は、その声と迫り来る殺気に右を振り向いた。風魔小太郎の大刀が殺到して来ていた。

 礼次郎は飛び下がりながら剣を真横に振った。青白い剣花が飛び散った。礼次郎は小太郎の斬撃を防いだが、その凄まじい怪力に大きく身体が押された。驚きながらもすぐに態勢を整えて数段飛び退き、剣を正眼に構えた。


「殿? ほう、まさか城戸礼次郎か?」


 小太郎は、礼次郎の方へ向かって歩きながら、にやにやと笑った。


「いずれ城戸家の人間が釣れるだろうとは思っておったが、まさか城戸礼次郎本人が来るとはのう。これは良いわ。ここで貴様の首を取れば、大殿も徳川家康も大喜びよ」

「…………」


 礼次郎は、少しずつ後ろへ下がった。自ら下がっているのではない。小太郎の圧力に、自然と足が後ろへ下がっているのだ。

 額に冷たい汗が吹いた。先程の喜多たちと同様に、礼次郎も風魔小太郎の恐ろしいまでの圧倒的な力を感じていた。睨まれているだけで手足を押さえつけれてしまうような、化け物じみた殺気と圧力。


 ――これが風魔小太郎か。こんな人間がこの世にいるのか。もしかするとお師匠様よりも上……。


 そう思った時、礼次郎の背中に何かがぶつかった。材木小屋の壁であった。いつの間にか、そこまで押されていた。

 その瞬間、小太郎が風を巻いて殺到して来た。 


 ――こちらから行くしかない!


 礼次郎は思い切って前に飛び出した。

 重い金属音が鋭く音を立てた。二人は交錯して前後に分かれ、また向き直った。


 ――何と言う力だ。


 剣を正眼に構え直した礼次郎の全身に、ぞくりと恐怖が這い寄った。受け止めた腕は、まるで岩を叩きつけられたかのような重い痛みに痺れ、頑強を誇るはずの桜霞長光の刀身には刃こぼれが生じていた。


 そして、はっと見れば、小太郎の姿が消えている。


 ――後ろか!


 礼次郎は身体を回転させながら刀を振った。背後に、小太郎が刀を振り下ろしていた。再び剣花が青白く飛び散る。


「殿、助太刀いたします」


 喜多が叫びながら、忍び刀を振り上げて小太郎の背後を襲った。だが、小太郎はあっさりとそれを打ち払う。


 礼次郎と喜多、小太郎の二対一の斬り合いとなった。。

 しかし、礼次郎と喜多は、持てる秘術を全て尽くして斬りかかって行くものの、小太郎は終始余裕の笑みでそれらをさばき、それどころか二人を押しまくっている。


 いつの間にか、礼次郎と喜多は全身びっしょりと汗をかいており、呼吸も乱れがちになった。

 そして二十数合目、喜多は隙をつかれて小太郎に蹴り飛ばされ、礼次郎は小太郎の速業を受け止め損ね、左上腕部をわずかに斬られてよろめいた。


 小太郎の兇相に残忍な笑みが浮かぶ。剛刀が高々と振り上げられ、礼次郎目掛けて太い刃光が落ちた。

 だがその瞬間、黒い影が横から飛んで来て、礼次郎の身体が刃の下から突き飛ばされた。


「む?」


 小太郎は、肉を切る寸前でぴたりと斬撃を止めた。その刃の下に、千蔵の顔があった。

 だが、わずかに掠ったらしい。千蔵の額から血が一筋滴った。


「貴様……まだそれだけの力を残しておったか」


 小太郎は驚きを隠せない顔で剛刀を上げ、孫を見下ろした。


「千蔵、どいてろ!」


 礼次郎は叫んで駆け寄ろうとしたが、千蔵は手を突き出してそれを制する仕草をした。

 そして千蔵は、痩せこけた青白い顔を震わせながら、小太郎に言った。


「じ、爺様……」


 か細い声であった。だが、震わせながら必死に絞り出している。


「く……わわります……風魔党に……はい、はいり……入りまする……」


 と、千蔵は言った。

 その顔を、小太郎は表情を動かさずに見つめた。

 だが、仰天したのは礼次郎と喜多である。


「千蔵、何を言っている!」


 礼次郎は叫びながら駆け寄って来た。

 その礼次郎へ向かって、小太郎は振り向きもせずに刀の切っ先を鋭く向けた。礼次郎は足を止め、剣を正眼に構えた。


「爺様……それがし……ふ、風魔党に……入り、爺様の跡を継ぎまする……そ、それ故……我が主君……城戸礼次郎様……そして、そこにいる……仲間の者どもの……命は…お助けください」

「…………」

「お……お願いでござり……ます」


 千蔵は、か細い息で、必死に声を絞り出して言った。

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