第172話 高中原の戦い

 砂塵を巻き上げながら馬蹄の響きを大地に轟かせ、全国に勇名を馳せた越後騎兵が、美濃島咲による騎馬術で突風の如く迫ると、未だ応戦準備の整っていない鉢形はちがた衆は動揺し、隊列が乱れた。

 美濃島隊はあっと言う間に鉢形勢に肉薄、前線に躍り込んだ。

 先頭を切る美濃島咲は馬上から太刀を縦横に振るい、その切先に敵兵を貫いて行く。配下の騎兵たちもまた、直江兼続が選りすぐってよこした精鋭揃い。鋭い槍さばき、太刀さばきで次々に未だ動揺残る敵兵を屠って行った。


「狼狽えるな! 敵は小勢じゃ、落ち着いて戦えば負ける相手ではない!」


 藤田氏邦うじくには美濃島隊が少数なのをすぐに見抜き、馬を乗り回しながら兵士らを叱咤した。その甲斐あって、兵士らは徐々に落ち着きを取り戻し始めた。

 すると、美濃島咲は流石であった。すぐに退却を命じた。


「退け、退けっ!」


 普段は出さぬような大声を上げ、兵らをまとめて素早く退いて行った。

 敵勢が動揺を静め、勢いを増さぬうちに手際良く風のように退いて行く様は、実に鮮やかな指揮ぶりであった。


「追えっ、せいぜい百人と言ったところだ!」


 藤田氏邦は号令し、自ら先頭に立ち、歩兵を置いて騎兵四百だけを連れて追いかけた。

 しかし、美濃島隊の速さにはなかなか追いつくことができない。


「ちょっとからかってやろうかしら」


 咲は悪戯いたずら心を起こした。

 速度を緩め、隊の後方まで下がると、半弓を手に取り、馬上で身を捻った。

 そして、追いかけて来る藤田勢に矢を射かけた。

 咲の手から弓弦が響く度に、射抜かれて倒れて行く鉢形勢の前線。それを見て、氏邦は怒った。


「おのれ、小賢しい真似を! 追えっ!」


 ますます猛り、美濃島隊を追って行く。


 やがて、美濃島隊は広い野原に出た。高中原たかなかはらである。

 樹木のほとんど無い枯れたような原野の中央には、城戸礼次郎と宇佐美龍之丞が率いる騎兵百人が待ち構えている。

 礼次郎は、美濃島隊が退いて来て、その後に鉢形勢が追って来ているのを見ると、


「咲はうまくやったな。よし、俺達も行くぞ!」


 と命令を下し、やって来る美濃島隊の左側を大きく回るように駆け、鉢形勢の側面に出た。

 そして、百の騎兵を横に展開しながら、鉢形勢の側面に突撃した。

 礼次郎自ら先頭に立ち、太刀を引き抜き突っ込んで行く。

 美濃島隊を全力で一直線に追いかけていた鉢形勢は、突然のことに対応が遅れた。いや、対応できたとしても、疾駆する騎兵の方向と言うのは簡単には変えられないので、結局は礼次郎隊の突撃を食らっていただろう。

 とにかく、鉢形勢は礼次郎らの騎馬突撃をまともに側面に食らってしまった。騎兵四百の隊列はたちまちに乱れ、倒れ始める。城戸隊の馬が突っ込み、馬上の兵士らが繰り出す手槍、太刀の切っ先が鉢形勢の兵士らの脇を抉り、突き刺し、斬り裂き、跳ね飛ばす。 倒れる馬が巻き上げる砂塵の中、刃光の煌めきと共に鮮血が噴き上がる。


 そこへ更に、退いて行った美濃島隊が取って返して来て、鉢形勢の正面に再び突撃した。

 鉢形勢の黒備え騎兵四百の隊列は完全に崩れた。


「落ち着け! それでも敵は我らより少数じゃ! 後続の歩兵が来るまで踏ん張れ!」


 藤田氏邦は声をからして落ち着かせようとしたが、一度崩れた戦列はそう簡単に戻るものではない。鉢形勢の騎兵四百は、まともに応戦できずに突き崩されるばかりであった。

 しかしそこへ、高中原の南より追いかけて来た鉢形勢の後続の歩兵八百がようやく姿を現した。

 それをいち早く視界の隅に見つけた龍之丞は、すぐに礼次郎に進言した。


「礼次郎殿、敵の後続の兵が追いついて来ました。退きましょう!」


 礼次郎は頷き、大声で命令した。


「退けっ! 林道の奥まで退けっ!」


 礼次郎と龍之丞は兵をまとめ、乱戦の中から退いた。美濃島咲も手勢をまとめてそれに続く。

 越後上杉騎兵の練度の高さは尋常のものではなかった。皆、号令を聞き止めるや手際よく乱戦から離れ、礼次郎と龍之丞、咲に続いて全速で駆ける。そして一気に林道の奥まで駆けて行った。


 一方、それを見た藤田氏邦。歩兵八百が追い付いて来たので、共に隊列を組んで林道の入り口まで追いかけて行ったが、その林道の前で何かに気づいて進軍を止めた。


「あのように取っては返し、取っては返す戦いぶり。まるで誘き寄せているようじゃ。そして今、あのように狭い林道の奥へと逃げ込んで行った。恐らく、あの林道の奥に伏兵か、あるいは何かの罠があるのじゃろう」


 氏邦は、先日の幻狼衆との戦いで、狭い道などでの伏兵や奇襲を警戒するようになり、とても敏感になっていた。

 井森由直も頷いた。


「某もそう思いまする。ここは追って行かぬ方がよろしいかと」

「うむ。よし、ではあの林道の奥を探らせよう。そして一旦この高中原たかなかはらの中ほどに陣を構える」


 藤田勢は高中原の中央に退き返した。

 だが、その先方に、少数の部隊が姿を現した。

 千蔵が率いる弓隊三十人であった。


「背後に回り込まれましたな」


 井森由直は驚いたが、氏邦は笑い飛ばした。


「あれしきの人数が背後に回り込んだところで何ができる。一揉みに揉み潰してくれん」

「お待ちを。あれに何か罠があったら何となさいますか」

「この見通しの良い野原で奇襲はできんじゃろう。もしまた退いて行っても追わなければいいだけのこと」


 そう言って、氏邦は再び進撃命令をかけた。今度は騎兵、歩兵、同時に連携しながらの突撃であった。


「来たぞ。抜かるな」


 千蔵は、配下の兵士たちに火矢を準備させた。

 そして、殺到して来る藤田勢が高中原の中ほどを過ぎて来た時、一斉に射撃させた。


「火矢を使おうと、たったそれだけでは無駄なことよ」


 氏邦は嘲笑し、打ち落とすように命令した。

 だが、兵士らの足元に火矢が落ちて刺さった瞬間、地面が轟音を立てて爆発した。吹き上がる爆風。それに吹き飛ばされる最前線の兵士達。


「何じゃ?」


 氏邦の顔色が一変する。

 だが、その間にも次の爆発が起こった。一回では終わらなかった。足元に火矢が刺さる度、連鎖的に爆発が起きた。そして火は瞬く間に舞い上がりながら左右に燃え広がった。


「これは……油をまいておったか! しかしあの爆発は何事だ」


 氏邦は青ざめた顔で狼狽える。

 赤い熱風が吹き荒れ、火の粉が舞い散り、辺り一面が火の海となった。


 それを見て、千蔵は冷笑した。


「ゆり様の火薬の技術は、今や俺などは足元にも及ばんな。これはご主君もゆり様には頭が上がらなくなるだろう」


 珍しく、千蔵が一人冗談を呟いた。

 龍之丞は、ゆりに頼んで特製の爆薬を十数個用意してもらい、それを前日の夜のうちに高中原の中央一帯に埋め、更に今朝方、広範囲に渡って大量の油をまいておいたのであった。


 すでに藤田勢は混乱していた。

 前線の兵士らは爆発に吹き飛ばれ、炎に包まれ、被害を受けなかった後続の兵士らも悲鳴を上げて右往左往している。

 そこへ、西の山に潜んでいた順五郎、壮之介らの隊が駆け下り、突出して来た。

 二隊は雄叫びを上げ、順五郎、壮之介の二人を先頭に、猛然と藤田勢の側面に襲いかかった。


 順五郎と壮之介、二人の豪勇は凄まじい。互いに競うように槍を振り回し、煌く穂先に鮮血を散らして行く。

 更に、林道の奥より城戸礼次郎、美濃島咲の両騎馬隊が引き返して来て、鉢形勢の背後に狂風となって突撃した。

 藤田勢はますます大混乱に陥った。城戸勢の兵士らに一方的に斬り伏せられ、突き倒され、それはまるで虐殺と言っていいほどであった。


「そこにいるのは敵将と見た」


 乱戦の中に、壮之介が井森由直を見つけた。


「我は城戸頼龍の家臣、道全。いざ、勝負せい」

「何? 坊主の癖に生意気な。我が名は井森由直。かかって来い生臭坊主、勝負じゃ」


 由直は槍をしごいて向き直った。

 だが、勝負は一合と打ち合わぬうちについた。二人が交錯した瞬間、壮之介の槍は銀の稲妻と化して井森由直の喉首を貫いていた。


「井森由直、討ち取った!」


 壮之介の大音声が響き渡った。

 それを聞くと、藤田勢は完全に戦意を喪失してしまった。


 南は火の海、西は順五郎、壮之介の隊、北からは礼次郎、咲の部隊に攻撃されている。だが、東側には城戸勢はいない。藤田勢の兵士らは、東側に向かって崩れるように逃げ始めた。


「待てっ、逃げるな! まだ数の上では我らの方が上じゃ、踏ん張れば勝てる!」


 氏邦は怒声を張り上げて引き止めようとしたが、一旦士気が崩壊してしまうともうどうしようもない。氏邦自身も歯噛みして悔しがりながら、東へ向かって逃走した。


「お前の言う通り、まだ数では上なのに、空いている東へ逃げて行ったな」


 礼次郎が少々驚きながら言うと、龍之丞は笑った。


「”囲師には必ず闕き、窮寇には追ることなかれ”と言います。人間は、逃げ道が完全に無くなり、追い詰められると、思わぬ凄まじい力を発揮することがございます。特に、まだ相手の方が兵数が多いのですから、四方を完全に塞いでしまうと、名将藤田氏邦のこと、 兵の士気を巧みに鼓舞し、兵力を集中して一点突破を図り、逆に我らが炎の際まで追い詰められていたかも知れません。ですが、一方を開いておけば、恐怖にかられた人間の心理として、必ずそこへ逃れようとするものです」


 そして龍之丞は、にやりとして言った。


「だけど、それで終わりじゃないぜ、鉢形衆」


 その東へ逃げる鉢形勢、目の前に増田川の流れが出現した。


「しまった、川か。もはやここまでか。……いや待て。こうなった以上は背水の陣で戦えばもしかすると逆転できるかもしれん」


 氏邦はそう考えたが、増田川の水は浅く、歩いて行けるほどであった。ここにも龍之丞の巧妙な計算がある。川が渡れなければ、鉢形勢の兵士らは背水の陣で死にもの狂いで戦うであろう。だが、眼前の川の水嵩は容易に歩いて渡れるほどに浅い。兵士らは自然と次々に増田川に飛び込み、水煙を上げて渡って行った。しかしこれが、龍之丞の最後の一手の布石であることを、兵士らは誰一人として気付かなかった。


「む、渡れるか」


 背後からは城戸軍が追撃して来ている。逃げられるならば逃げる方がよいか。氏邦もそう考え、馬腹を蹴って川へ走った。


 だが、増田川の上流――


「軍勢の音……よし、今だ、切って落とせ」


 耳を澄ませていた喜多が、兵士らに命じて堰を切った。

 一晩に渡って溜められていた川水が、一気に下流へ向けて暴発した。


 増田川を走っていた藤田勢の耳に、地響きのような激しい音が聞こえた。

 かと思ったのも束の間、渡河中の藤田勢を悲劇が襲った。

 濁った激流が津波の如く押し寄せて来て、竦んでいる彼らを飲み込んでしまったのである。

 彼らの悲鳴は、狂奔するが如き飛沫の音の中に流されて行ってしまった。

 馬なのですでに渡り終えていた藤田氏邦は、振り返って呆然自失となった。


「何たることじゃ……」


 激戦ですでに疲労している全身が震えた。

 更に視線を川の先に移すと、激流に押し流されはしなかったが、川向うに取り残された兵士らが、追撃して来た城戸勢によって一方的に殲滅されていた。


 天正十四年十二月二十八日、この日は藤田氏邦にとって、四年後の北条家滅亡の日の次に忘れられぬ悪夢の一日となった。


 対して、城戸勢にとっては輝かしく華々しい初勝利の日となった。

 藤田勢がほぼ全滅したのに対し、城戸勢の犠牲者は三十人にも届かない。


「やったな、龍之丞。お前の作戦、見事だった。完璧な勝利だ」


 礼次郎は満足そうに傍らの龍之丞を見やると、龍之丞は軍配で扇ぎながら微笑した。


「いえ、この戦果は私の予想以上です。これは全て、礼次郎殿始め、皆様方の類まれなる武勇によるところ、そして兵士ら一人一人の素晴らしい働きのおかげです。私の作戦など、その手助けをしたに過ぎません」


 龍之丞は、劇的な勝利と生き残ったことを喜び合う、泥土と返り血に塗れた兵士らの顔を一人一人見回しながら答えた。

 その表情には、確かに彼が言った通り、わずかの驕り高ぶりも見えなかった。


 礼次郎は、兵士らに勝鬨を上げさせた。

 その勝利を祝う歓喜の斉唱が、冬の澄み渡った蒼天に響き続けた。



 それより少し前。

 奇しくもこの戦場の付近に、伊川瑤子がいた。

 彼女は、手足を縛られ、口には猿轡を咬まされた上で、駕籠の中に押し込められていた。

 その駕籠を、あの追剥村の村長と村民の男四人が運んでいる。

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