第156話 二人の真円流

 約三間の間合いを挟んで睨み合う両者。

 じりじりと摺り足で間合いを詰めた後、礼次郎が先に風を巻いて飛び出した。


 踏み込んだ左脚を軸にして身体を回転させ、脇構えから水平に右薙ぎ。

 高速の一閃。だが空を斬った。それどころか、


 ――消えた?


 玄介の姿がない。


 ――何?


 礼次郎は、自分の右側に玄介がいることに気付いた。

 しかし礼次郎が目をみはったのも束の間、玄介の疾風の突きが眼前に迫る。


 咄嗟に身を捻って紙一重で躱すや、後方へ素早く飛び退いた。

 それを追って、更に踏み込んだ玄介の右薙ぎ。

 礼次郎は桜霞長光を左斜め上に走らせる。玄介の剣が跳ね上がった。

 礼次郎は更に後方へ飛び退く。

 二人は再び間合いを取って睨み合う形となった。


「流石に槙根まきね砦を一人で壊滅させただけある。やるじゃねえか」


 玄介はにやりと笑った。

 だが礼次郎はそれには答えない。

 今の数合の打ち合いで、彼は心中、ある疑念を抱いていた。


 ――こいつの太刀さばきは……まさか……。



 礼次郎の背筋を不快な冷たい汗が流れ落ちて行った。


 そこへ、玄介が声も発さずにいきなり飛び込んで来た。

 その姿が大きく迫ったと同時、やや水平気味の袈裟懸け一閃。

 礼次郎は斬り上げて防ぐと、そこから激しい打ち合いとなった。


 二合、三合、と剣花を散らして斬り結んで行く。

 だが、礼次郎の方が押されていた。左肩が万全でないせいなのか、それとも玄介の技量の方が明らかに上であるのか。

 とにかく、玄介は時折にやにやと笑いながら、終始涼しい顔で礼次郎の隙を見つけて鋭く斬り込んで行くのであった。


 そして、ついに玄介の剣が礼次郎の左肘をかすった。

 その箇所が赤く染まり、礼次郎の体勢がわずかに崩れる。

 にやりとした玄介が上段から剣を振り下ろした。

 礼次郎はその剣の下にあわや真っ二つにされるか――と思われた瞬間であった。


 礼次郎の眼前に突風が吹き、稲妻の如き剣光が左から右へと駆け抜けて行った。

 同時に、玄介は剣を引いて三間ほど後方に飛び退いていた。


 ちっ、と舌打ちして玄介は礼次郎の左側を睨んだ。

 そこには、仁井田統十郎が立っていた。

 今しがた礼次郎の眼前を横切って行った光は、統十郎が放った突きであった。


「仁井田……すまん、恩に着る」


 礼次郎が言うと、統十郎は剣を八相に構えて言った。


「痛み止めが効いているとは言え、てめえの左肩は完全に動くわけじゃねえんだ。一人で真正面から打ち合うな。そういうのを猪突ちょとつと言うんだ」

「ああ、すまん。つい……」

「挟撃するぞ」

「おう」


 礼次郎は正眼に構え、玄介の右側へと回り込むように動いて行った。

 統十郎は同じく左側へ。

 これで風魔玄介は前後を礼次郎と統十郎に挟まれた形となる。

 だが玄介は薄笑いのまま悠然と前後を見回し、


「いいぜ。二人まとめてかかってきな」


 玄介は左手を上げて手招きする仕草をした。


「舐めるなよ」


 目を見開いた統十郎が気合いを発して踏み込んだ。

 同時に礼次郎も飛び出した。


 統十郎の右肩口から斜め下に剣光が走った。京界隈で"夜叉の爪"と恐れられた必殺の突きである。

 礼次郎は鮮烈な右薙ぎを一閃。


 だが、二人の剣先は空を斬った。


 ――またか!


 玄介の姿がそこになかった。


「後ろだ!」


 統十郎が叫んだ。同時に礼次郎も気配を察知して振り返った。

 そこには、すでに玄介の剣が袈裟の軌道で迫って来ていた。


 礼次郎は飛び退きながら玄介の剣を跳ね飛ばした。

 その左脇をすり抜け、駆けて来た統十郎の撃燕兼光が玄介目がけて伸びる。

 だが玄介はあっさりとそれを躱して飛び退いた。


「流石に二人かがりだと違うな。簡単には行かないね、手強いよ」


 そう言う風魔玄介のひとみから、ただならぬ気が感じられた。


 ――怯むな。気で押されたら負けだ。


 礼次郎が踏み込んだ。

 八相から袈裟へ。

 玄介はそれを受け止めたが、礼次郎は更に右薙ぎ――そして返しの左薙ぎ。

 高速の剣光の往復。


 玄介の顔色が、一瞬だけ変わった。

 礼次郎の斬撃をかろうじて受け止め、数歩飛び退いたが、その体勢がわずかによろめいた。


 ――崩れた!


 礼次郎が目を剥いた。

 隙を逃さず、踏み込んだ。


 だが、礼次郎の瞳は、よろめいたはずの玄介の口元がわずかににやりとしたのをとらえた。

 はっと何かに気付いた。


 同時に、


「行くな、礼次郎!」


 と、統十郎の怒号が飛んだ。


 その時、風魔玄介は、剣を身体の後ろに隠すように左下段に構えていた。


 礼次郎の顔が青ざめた


 ――まさかさかさ天落としか?


 すでに踏み込んでいた礼次郎であったが、渾身の力を右脚に込め、仰け反るように後方へ飛んだ。

 直後、鼻先わずか数寸ほどを、風魔玄介の剣の切っ先が地から天へと昇って行った。


 礼次郎は更に数歩下がった。


「逆さ天落とし……やはりお前のその剣は……」


 礼次郎はうめくように言った。


「てめえも気付いてたか」


 統十郎も苦々しげに言いながら、玄介の右側に回り込むように動いて行った。

 礼次郎は唾を飲み込んで言った。


「お前まさか……真円流か?」


 風魔玄介はにやりと笑った後、下を向いてふっふっ……と笑った。


「やっと気付いたのかよ」


 礼次郎は、半ば呆然と玄介の顔を見つめた。


「真円流が他にも……」

「他にいないとでも思ったか? この広い日ノ本だ。俺が知ってるだけでもあと五人はいるぜ」

「…………」

「まあ、もっとも俺は完全な真円流の剣士とは言えないけどな」

「何?」

「修行したのはガキの頃のたった半年足らずだ。真円流のきもである精心術せいしんじゅつを習得し、いくつかの剣法を覚えたらもうやめちまった。真円流はやけに疲れるんでな。あとはもっぱら風魔剣術と、俺独自の研鑽によるものだ」


 それを聞いて、先程から呆然と立ち尽くしていた千蔵は、七天山に潜入したあの日に感じたことに納得が行った。


 ――強い。この剣……どこかご主君に似ている。しかしご主君のものとはまた違う。


 あの日、風魔玄介と打ち合って、千蔵はそう感じていた。

 その予感は正しかったことになる。


 同時に、千蔵はあの日の礼次郎の行動を思い起こしていた。


 精心術の使い過ぎにより狂気の淵に落ちながらも、礼次郎は玄介に立ち向かおうとしていた。

 その際、礼次郎は震える声で叫んだ。


「しゅ、主君と呼ぶなら……た、戦わせろ! 千蔵……家臣を置いて逃げて何が主君だ!」


 そして先程礼次郎が言った言葉が耳の奥を走る。


「やめろ。千蔵が誰の甥で誰の孫であろうと、千蔵は千蔵だ。俺の大切な家臣であり仲間だ」


 千蔵の細い目に強い輝きが戻った。




「やれやれ。まさかてめえも真円流とはな。厄介なもんだ」


 統十郎は溜息をついたが、その目は冷笑していた。そして礼次郎に向かって、


「だが礼次郎、惑うことはねえぞ。お前も真円流を使えばそれで五分じゃねえか?」


 と言い、自ら動いた。

 玄介の右側から兼光の直刀がはしる。

 玄介はを跳躍して躱すと、そのまま礼次郎に向かって飛び降りながら袈裟に斬り下ろした。

 礼次郎は斬り上げで跳ね飛ばし、返す刀で袈裟懸けに振る。


 そして千蔵も動いた。

 疾風の如く駆け、横合いから玄介に斬りつけた。

 玄介は跳躍して千蔵の頭上を飛び越えると、


「てめえ、やはり叔父である俺に協力する気はないのか?」


 着地して鋭く睨んだ。

 しかし千蔵は冷静な顔で言った。


「お前が叔父だろうが、俺が誰の孫であろうが関係の無い事だ。俺の主君はただ一人であり、お前は我が主君の敵だ」


 その時、二人の幻狼衆の男が駆け付けて来た。


「お頭!」

「お頭を守れ!」


 男たちは切先を並べて一斉に斬りかかって来た。


 礼次郎は舌打ちし、


「千蔵、こいつらを頼む。玄介は俺がやる」


 と正眼に構えた。


「承知仕った」


 千蔵は力強く答えると、男二人に向かって行った。


 一方、統十郎が動いた。


「この盗人野郎をやるのは俺だ」


 統十郎は大上段から撃燕兼光を唸らせた。

 ふん、と嘲笑して打ち払う玄介。

 両者はそのまま激しく打ち合った。

 だが、やはり統十郎の剣が空を斬る場面が目立つ。玄介が変幻自在な動きで翻弄しているように見えた。


 礼次郎はその打ち合いを見ながら、精神集中を始めた。


(そうだ、惑うな……こちらも真円流を使えばいいだけだ)


 周囲の音がにわかに大きくなる。

 全身の毛が逆立つような感覚と、血液が冷え、再び沸騰するような感覚が走る。

 礼次郎の眼の色が激変した。


 彼の足下の草が揺れた。

 櫻霞長光が、統十郎と斬り合っていた玄介の右側から水平に光を放つ。


「ふん」


 玄介は後方に跳躍して躱した。

 礼次郎はそれを読んでおり、空振りした剣をそのまま上に振り上げるた。


 だが玄介もまたそれを読んでいる。何と後方に飛びながら叩きつけるように剣を振り下ろし、礼次郎の一閃を打ち払った。

 玄介が飛び降りたところへ、右側に走り込んでいた統十郎の”夜叉の爪”。――だが空を突き裂いた。玄介は左へ大きく飛んでいた。


 統十郎は追って袈裟斬りを放ったが、玄介はそれもたやすく躱した。

 だが、それは計算のうちであった。

 統十郎は、袈裟斬りを振り下ろしたそこから、上に突きを放つつもりであった。即ち、彼の必殺の突き、”月くだき”


 しかし――


 ――何だと?


 統十郎は我が目を疑った。


 まさに下段から突き上げようとしたその剣の峰を、玄介が踏み落としたのである。


「貴様っ!」


 統十郎は玄介を跳ね飛ばそうと、剣を振り上げた。


 だが、その勢いに乗って玄介の身体が宙に飛ぶ。


 統十郎は再び目を瞠った。

 礼次郎も驚愕した。


 宙に舞った玄介は、そのまま統十郎の頭上を飛び越えた。

 そして何と、統十郎の頭上で一回転しながら剣を振った。


「うっ……!」


 統十郎は咄嗟に避けたが、初めて見るあまりに変則的な動きの為に身体が反応しきれず、左肩を浅く斬られてしまった。

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