第157話 御旗楯無

 肩に強烈な痛みが走り、思わず上体がぐらついた。そこへ、着地した玄介が振り返りざまに剣を右に振った。

 だが統十郎は流石であった。痛みに顔を歪めながらも、同様に振り返りざまに剣を右上へ走らせ、玄介の剣を跳ね上げたのである。


「仁井田、しばらく休んでろ」


 礼次郎が玄介に斬りかかった。


「来るか」


 玄介が薄笑いで受け止める。

 二人の激しい打ち合いとなった。


 礼次郎も真円流精心術で感覚を研ぎ澄ませ、玄介の一手、二手先を読み始めた為、空振りすることは少なくなり、玄介の姿を見失うこともなくなった。

 だが、玄介も精心術を使っているのである。

 互いに心の内と先の動きを読み合って動いている。

 その為に、延々と刃がぶつかり合うのみで、相手の身体を掠りもしそうになかった。


「俺もお前も真円流を使っているならば、条件は五分だ」


 両者が弾かれたように分かれた時、玄介が薄笑いで言った。


「そうかもな」

「互いに先の動きを読み合っている……ならば勝負を決するのは基本的な技量の差と言うことになる」

「何が言いたい?」

「お前はその若さでかなりの腕を持っている。だが、残念ながら持って生まれた天稟てんぴんの差だけは埋められん。しかも俺は真円流だけではない。陰流、新当流、中条流なども学んだ上、世間には知られていない、風魔流剣術と体術をガキの頃より叩き込まれている。お前で俺に勝てるかな」


 玄介はそう言い終えるや、地を蹴って一瞬で間合いを詰めた。

 再び激しい斬り合いとなった。

 そして、これが玄介の言う基本的な技量の差なのか、徐々に礼次郎が押されて行った。

 隙を見ては鋭く斬り込んで来る玄介の太刀筋をさばききれなくなって行った。


 ――あの野郎……。


 仁井田統十郎は憤怒の形相で玄介を睨んでいた。

 彼は片膝をつき、右手で左肩の傷口を押さえている。

 血は未だ止まっていない。右手指の隙間から垂れて行く。ずきずきと痛みが走る。


 だが、


(痛みには慣れた。何てことはねえ。こんな傷ぐらい、過去にも経験したことがある)


 統十郎は、己の血に濡れた手で撃燕兼光げきえんかねみつを握り、立ち上がった。

 そして足元の草を蹴った。


 礼次郎を押している玄介の左側から斬りつけた。

 だが玄介は振り返り、


「二人がかりだろうが無駄なことよ!」


 嘲笑いながら、丸太を叩きつけるような統十郎の凄まじい斬撃を打ち払った。


 統十郎は息をつかせず二の太刀を突いて行くが、玄介は涼しい顔でそれを躱す。

 統十郎が加わったことで余裕ができた礼次郎も、勢いを盛り返して斬りかかる。


 二人対一人の斬り合いとなった。

 今は礼次郎も真円流の精心術と技を使っている。

 そして、統十郎も肩に傷を負ったとは言え、天下に名の聞こえた達人である。


 だが、風魔玄介はそんな二人を同時に相手にしながら一歩も引く様子が無い。

 互角に戦うばかりか、どこか余裕すらあるのであった。


(この男はこれほど強かったのか)


 打ち合いで熱くなっているはずの礼次郎の身体に、冷たい汗が滴った。


(少し想定外だったぜ)


 統十郎も厳しい顔つきとなった。

 打ち合いながら、ちらりと左手の方に目を動かした。


 そこでは、壮之介や右近ら、また浅田源太郎ら雲峰忍び衆が、幻狼衆の男どもを相手に乱戦を繰り広げている。

 だが、元々の数は幻狼衆の方が上回っていたはずであったが、壮之介たちの奮戦は凄まじく、いつの間にかほぼ同数となっていた。


(わずかに押しているか……だがそれでも全員打ち倒すまでにはまだまだ時間がかかるだろうし、それまでに何か起これば逆に崩れて一気に全滅してしまう恐れもある。まだまだわからん)


 統十郎は唇を噛む。




 一方、菜々――

 彼女は少し離れた木の上にあって、息を飲みながら礼次郎と統十郎、玄介の戦いを見守っていた。

 だがそのうち、彼女は段々と居ても立ってもいられないようなもどかしい気持ちになっていた。


(礼次郎様たちや源太郎様たち、皆が必死に戦っているのに……私一人だけここで見ているだけでいいの?)


 菜々は胸のうちで自分に問いかけた。


(まだ未熟だけど、私だって源太郎様たちに忍術を教わっているんだから……)


 その時、乱戦の渦の外、かさついた落葉の中に美濃島咲が投げ捨てた半弓が埋もれているのが目に入った。

 きょろきょろと見回すと、反対方向には矢も何本か落ちている。

 菜々は意を決して木から飛び降りると、駆け寄ってその矢と半弓を拾い上げた。

 再び走って別の木に登り、太い枝の上に立った。

 そこから礼次郎と統十郎、玄介が斬り合っているところまでは十二、三間の距離である。



 そして武田百合――


 彼女もまた、遠目に礼次郎の必死の奮戦を見ているうちに、菜々と同じような気持ちになっていた。


 気が付けば携帯している短筒たんづつを取り出し、射撃準備を始めていた。

 だが、側で護衛をしている雲峰忍び衆の男がそれをとがめた。


「鉄砲とは言え、この戦いに加わるのは危のうござります。あなた様が鉄砲を持っていることを知り、奴らがあなた様を狙って来たらどうなさる。お止めになった方がよろしい」


 しかし、ゆりは迷いなくこう言った。


「私の最も大切な人が、今まさに大望を遂げられるか否かの戦いをしているのです。そして皆もそれを助けるべく死力を尽くして戦っているのです。女だからと言って、ただ見ているだけでいられますか。私は武田勝頼の娘であり、武田信玄の孫なのです。女子おなごとは言え、ここで何もしないのは甲斐源氏武田の名を汚すことになります」


 そして射撃準備を終えたゆりは、短筒を握りしめて力強く呟いた。


御旗みはた楯無たてなしもご照覧あれ」


 甲斐武田家で、出陣前に唱えると言う言葉である。




 枝の上の菜々は、玄介に狙いを定め、緊張しながら弦を引き絞った。きりきりと音を立て、弓が満月の如き輪を描く。


 だが、その標的の玄介が、菜々の方は見もせずに、大声で言った。


「小娘、無駄なことはやめておけ! お前の腕で俺に当てられると思うか? それに斬り合いの最中に矢を放てばこいつら二人に当たる確率の方が高いのだぞ!」


 その通りである。菜々は弦を引いたまま固まってしまった。


 玄介はふん、と嘲笑すると、一変して急に真剣な表情となった。

 そして、


「邪魔も入って来たし面倒だ。もう一気に終わらせるか」


 と、低い声で言うや、雰囲気を更に一変させた。

 太刀筋がまた一段と鋭く、かつ激しさを増した。


 その勢いで、礼次郎が右すねを浅く斬られた。

 小さく鮮血が噴き、礼次郎の膝が折れた。


 玄介が続けて上段に振りかぶった。膝が折れた礼次郎の反応は遅れている。

 絶体絶命の危機――だが、そこへ統十郎の撃燕兼光が横合いから直線の閃光を放つ。

 玄介はそのまま後方に大きく宙返りして躱した。


「まあ、達人二人が相手だ。流石の俺でもそうやすやすと仕留めることはできないよな」


 玄介は笑うと、


「だが、今から十合以内に、お前たちのうちどちらかを仕留める」


 と言い、地を蹴って低く飛んだ。

 

 相変わらずの玄介の鋭い立ち回りである。

 しかし、礼次郎はそこにわずかに違和感を感じた。


 ――何だ? 今少し遅れてなかったか?


 礼次郎は右脛に傷を負ったので、細かい脚の動きができなくなった。

 痛みを堪えながら剣を走らせる。

 その間、礼次郎は玄介を観察した。


 玄介の動きが先程までと違って来ているように感じた。

 太刀筋は変わらずに鋭い。明らかに礼次郎や統十郎を凌いでいる。


 だが、礼次郎には、玄介のこちらの攻撃に対する反応がわずかに遅くなっているように感じた。


 ――疲れか? いや、違う……もしや……?


 元々白い玄介の顔が、斬り合いの最中だと言うのにより一層白く見える。

 そして、わずかに、呼吸が荒くなっているように感じられる。

 礼次郎の直感がある疑念を抱いた。

 すぐに統十郎に向かって叫んだ。


「仁井田、こいつを斬ろうとするな!」

「何?」


 統十郎は当然驚く。


「てめえ、こんな時に何を言ってやがる!」


 撃燕兼光を振りながら怒鳴った。


「いいから聞け。斬ろうとしないでいい。こいつの攻撃を防いでできるだけ時間を稼ぐんだ!」

「何? ……そうか」


 統十郎は、礼次郎が玄介の疲れを待つつもりなのだと思った。

 納得して、礼次郎の言う通り防戦に回り始めた。


「俺の疲れを待つつもりか? それなら無駄なことだ。忍びを舐めるなよ? 俺の体力は貴様らよりも遥かに上だ。俺の疲労を待つ前に貴様らの方が動けなくなるぞ」


 玄介はにやりとすると、その動きを加速させた。

 防御に徹し始めたはずの礼次郎と統十郎を一方的に押しまくる。


 ――こいつ……何て野郎だ。悔しいがまるで底が知れねえ。


 あまりの凄さに、流石の統十郎も必死な顔となった。

 元々防御に徹するつもりではあったが、そうするまでもなく自然と防戦一方にさせられて行った。

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