第155話 笹川千蔵の真実

 美濃島咲は、斬り合いの時にはほとんど正眼せいがんの構えを取る。攻撃的な八相はっそうの構えを取るのは珍しい。それだけ並々ならぬ気合いが入っている証であった。


 白い肌にうっすらと赤みが差し、吊り気味の両目が爛々と光り闘気を放っている。

 だが玄介はまるで気にしない。小馬鹿にしたように笑って言った。


「大将ってのは軽々しく自ら打ち合わないもんだぜ。お前はそんなこともわからないから家が滅びるんだ」


 咲はカッと目を剥いた。


「ほざくな!」


 踏み出した咲の手から、鬼走り一文字いちもんじが鋭く袈裟けさに走った。

 だが玄介はあっさりと避けた。いや、避けたと言うより、すでにそこにいなかった。

 咲は、はっとして、咄嗟に右に飛んだ。

 玄介がいつの間にか自分の左にいたのである。


「なるほど。噂通りだな。女だてらに何て鋭い太刀筋を持ってやがる。並の武将じゃお前にはかなわないだろう」


 玄介はにやりと笑うと、


「だけどまだまだ俺には勝てねえよ」


 笑うと同時、玄介は足下の草を蹴った。

 一瞬で間合いが詰まる。

 玄介の剣が右から左へと凄まじい速さで水平に光った。


 だが咲も流石である。平然とそれを受け止めた。

 咲はそのまま剣を戻し、右に振った。

 しかし、その高速の剣光は虚空を裂いた。

 玄介は跳躍していた。そして咲の頭上を飛び越えて背後に着地した。


 ――何て身のこなし。


 咲は憎らしげに思いながらも舌を巻いた。


 咲は振り返って突きを放つ。

 だが、またも玄介の姿はそこにいない。いつの間にか咲の右側にいた。


 ――え?


 咲はぎょっとして飛び退いた。

 玄介はにやりと笑い、咲を追うように踏み込みながらの袈裟斬り。

 咲は斬り上げでそれを跳ね飛ばすや、返す刀で流れるように左袈裟に斬り下ろす。


 だが、またしてもそこに玄介の姿は無い。


 咲は頭上を見上げた。


 玄介は、高さ三間はあろうかと言う木の枝の上に飛び乗っていた。


「やるじゃねえか」


 玄介は薄笑いを浮かべると、腰帯から棒手裏剣を取り出して流星の如く放った。


 咲は右に走って躱した。

 それを追って、玄介は次々に棒手裏剣を放って行く。走り続けて躱す咲。


「あんなところに乗られたんじゃ勝負にならないわ」


 咲は走りながら舌打ちした。


 そこへ千蔵の声が響いた。


「美濃島どの、交代だ!」


 千蔵は咲の前に飛び出すや、そのまま跳躍して近くの木の幹を蹴り上がり、太い枝の上に飛び乗った。


「他の連中を頼む」

「仕方ないね。頼んだわよ」


 咲は乱戦の渦へと走った。


「千蔵か。いいぜ、かかって来い」


 玄介は薄く笑うと、再び棒手裏剣を放った。

 千蔵は枝上で巧みに避けながら、自分も棒手裏剣を玄介目がけて放つ。

 枝から枝へと飛び移りながら、二人の手裏剣の撃ち合いが始まった。だが互いに掠りもしないうちに手裏剣が尽きた。


「馬鹿馬鹿しいな。そもそも互いに忍びだ。手裏剣の撃ち合いで勝負がつくわけねえ。手裏剣の無駄遣いだ」


 玄介はそう言って笑うと、地上に飛び降りた。


「そうだな」


 千蔵は抜刀し、枝を蹴った。

 枝上から飛び降りながら玄介に斬りかかる。

 玄介もすでに刀を抜いていた。落下の勢いを乗せた千蔵の凄まじい一撃をたやすく打ち払った。


 そして二人は右に左に目まぐるしく打ち合った。

 しかし、やはり先程の咲と同じように、千蔵の剣が空を斬る場面が目立った。

 玄介はどこか余裕の表情である。

 だが玄介は打ち合いながら、


「驚いたぜ。わずかな間に腕を上げたようだな」


 とにやりと笑う。

 千蔵はぱっと間合いから数歩飛び退くと、剣を正眼に構え直し、


「舐めているのか。貴様はまだまだ余裕であろう」

「ふふ……まあな。でもお前が腕を上げたのは事実だろう?」

「……そうかも知れんが、お前の戦い方に慣れたのが一番大きい。お前の戦い方はすでに大体把握した。ここからはそう簡単にはいかんぞ」

「ほう……そこも母親譲りの記憶力と分析力ってわけか。流石だな」


 玄介は薄笑いを浮かべた。


 ――母親……?


 千蔵の眉が微動した。


 その時、乱戦の中から礼次郎が抜け出し、駆け付けて来た。


「千蔵、大丈夫か?」


 千蔵は玄介から視線を外さぬままに答える。


それがしは平気です。ご主君こそ左肩は?」

「浅田殿にもらった痛み止めがかなり効いてる。動きは完璧じゃないが、痛みはほとんど感じない」


 礼次郎は早口に答えると、玄介に鋭い視線を向けて正眼に構えた。


「風魔玄介、ここまでだ。天哮丸は返してもらう」


 玄介は冷笑すると、再び千蔵に言った。


「なあ、千蔵。城戸礼次郎そいつのところはやめて、俺のところに来ないか?」

「何?」


 千蔵は鋭く睨んだ。


「伊賀一とも言われたお前の父親の術と戦闘能力、風魔の中でも図抜けていた母親の記憶力と分析力。憎たらしいほどに両親の良いところを受け継いだ上に、生来の冷静さと義理堅さ。お前は、忍びとして最も理想的で完璧だ。今はまだ若いが故に未熟なところもあるが、お前ならあと十年もすれば日ノ本一の忍びとなるだろう。そんなお前こそ俺の右腕となるに相応しい」

「こんな時に引き抜きとはな。あいにくだが断る」


「破格の待遇で迎えるぞ」

「くどい。たとえ百万石をやると言われようと我が心は変わらぬ」

「そうか……残念だな。完璧な忍びである上に、"おい"でもあるお前が来てくれればこれほど頼もしいことはないのに」

「何っ?」


 千蔵が細い目をみはった。

 礼次郎も思わず動きが固まる。


「今何と言った?」

「お前は俺のおい、と言ったんだ」


 玄介はにやりと笑った。


 ――甥……だと……?


 千蔵は茫然とした。

 だが、すぐに冷静に努めて言った。


戯言ざれごとを。動揺させようと言う策か? その手には乗らん」

「まさか。戯言ざれごとなんかじゃねえさ。風魔つると言う名だったお前の母親は、俺の十歳上の姉だ。だからお前は俺の甥に当たると言うわけだ」

「…………」

「お前ならわかるだろう? 俺が嘘をついているかどうか」


 玄介は例の薄笑いを浮かべた。

 千蔵は真偽を見極めようと、玄介のを凝視した。

 だが、そこには欺瞞ぎまんを感じることができなかった。

 その言葉は真実の響きを持っていた。


「本当なのか……」


 千蔵は目を見開いたまま、絞り出すように言うしかできなかった。

 礼次郎もまた、半ば呆然としながら千蔵と玄介を交互に見つめていた。


「くどい。もちろんだ」


 玄介は薄笑いのままにきっぱりと言い切った。


 千蔵は続けて言った。


「俺がお前の甥? いや……俺の母はお前の姉……と言うことは俺は風魔の……」


 玄介はにやりと笑った。


「そうだ。お前は風魔小太郎の孫と言うことだ! 残忍非道、日ノ本中にその勇名と悪名を同時にとどろかした風魔小太郎の、れっきとした孫なんだよ!」


 声にならない衝撃が千蔵の身体を打ちのめした。

 主君の仇敵が自分の叔父であり、かの風魔小太郎が自分の祖父であると言う。

 千蔵ほどの冷静沈着な男が、手を小刻みに震わせたまま動けないでいた。


「どうだ? わかったなら俺のところへ来ないか? 叔父と甥、同じ風魔一族同士だ。俺の志を手伝ってくれ」


 玄介は笑いながら言う。


「……いや、待て……と言うことは貴様は……実の姉を……」


 千蔵が言いかけた時、我に返った礼次郎がその前に飛び出した。


「やめろ。千蔵が誰の甥で誰の孫であろうと、千蔵は千蔵だ。俺の大切な家臣であり仲間だ」


 礼次郎は剣を脇構えに構えた。


「城戸礼次郎か。ちょうどいい。ここでお前を斬れば千蔵の気も変わるだろう」


 玄介は薄笑いで剣を下段に構えた。

 心なしかその目の色が変わったように見えた。

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