第136話 誕生日

 ゆりは、自然と順五郎の隣に移動して膝をついていた。

 そして、目を閉じて合掌した。


「ゆり様、ありがとうございます」


 順五郎は、前を向いたまま言った。


「ううん……」


 目を開けたゆりは小さく首を振った。


 しばらく、二人は無言のままでいた。

 柔らかいそよ風が、時折ゆりの髪を揺らす。


 ゆりが口を開いた。


「あの、聞いていい? おふじさんってどんな女性だったの?」

「どんな? そうだなあ……」


 順五郎は小首を傾げた後、


「いい女でしたよ。兄貴の俺から見ても」

「いい女?」

「ええ。美人で優しくて……滅多に怒らない穏やかな性格で、それでいていつも男を立てるような……若が惚れたのも無理もねえ」

「………」

「おっと……ああ、すみません」


 順五郎が慌てると、ゆりは首を振って笑った。


「ううん、いいのよ。気にしないで」

「はは……」


 順五郎は顔を掻いた。


「おふじさんも礼次郎のことを?」

「ええ。いつから意識し出したかは知らないですが、俺の見たところ、気付いた時にはすでに二人は思い合ってましたね。でも……あれぐらいの歳の頃ってなかなか素直になれないでしょう? 加えて、城戸家の当主は、外交の為に代々外から正室をもらうってのが暗黙のしきたりとしてあったから……お互い気持ちを言い合えなかったんですよ」

「そう……」


 ゆりは、小さな胸がちくりと痛んだ。

 城戸家の当主は代々外から正室をもらう。礼次郎の父、宗龍は、礼次郎にゆりを正室として迎えさせようとしていた。

 ならば、礼次郎とふじの仲を邪魔していたのは自分と言うことになる。


「そして、城戸が攻められたあの晩、やっと二人は自分たちの気持ちを確かめ合った。だけどその時には、すでにふじの身体には矢が刺さっていて……」


 順五郎は溜息をついた。


「まあ、仕方ない。もう過去のことです。俺達が徳川家康を倒せばいいことです。それでふじ……だけじゃない。他の皆の魂も少しは救われる」


 順五郎はそう言って立ち上がった。


「当たり前のことですけど、できればふじには生きていて欲しかった。兄としては、若と一緒になるところを見たかった。正直な気持ちです」

「………」


 ゆりは、無言で目を伏せて頷いた。

 しかし、その言葉を聞く耳が痛く感じた。


「でも……ふじには申し訳ないけど……ゆり様に出会った今は思うんですよ」

「………」

「若には、ふじよりゆり様の方が合ってる、って」


 ゆりは、思わず順五郎を見上げた。

 順五郎は微笑していた。


「どうして?」

「どうしてかなあ……何となくですよ。こんな小さいガキの頃から若を見て来た俺だからこそわかるんです。若にはゆり様が合ってます」

「………」

「だから……ゆり様、若のこと宜しく頼みます」


 順五郎は、大きな身体を縮めるようにして頭を下げた。

 ゆりは慌てて立ち上がった。


「そんな……頭上げて」

「いえいえ。お願いするんですから」


 順五郎はそう言って笑うと、


「では俺は行きますね」


 と、そこから歩き去って行った。


 残されたゆり、順五郎が大手門をくぐって館の中に入って行くのを見送ると、再び木に向き直った。


 すると、風が吹いた――


 ――あれ? 暖かい。


 季節は晩秋である。

 近頃は、風が吹けば冷たいものを感じることが多かったのだが、今吹いて行った風は、何故か暖かいものを乗せていた。


 ――不思議。


 ゆりは、頭上で風に擦れる葉を見つめた。

 そして、しばらくそこに佇んで物思いに耽っていた。




 桜の木から離れ、館の敷地内に入った順五郎。

 井戸の前で俯いているおみつを見かけた。


「ようおみつ、どうした? そんなところで?」


 何か考え込んでいる様子のおみつが気になり、順五郎は声をかけて寄って行った。

 おみつは我に返って振り返ると、


「あ、順五郎様。別に何でも……」


 と答えて、桶に水を汲み始めた。


「珍しいな、何か元気ないじゃないか」

「いえ、ちょっと……」

「何だ? 何か困ったことでもあったか?」


 更に聞くと、おみつは手を止めて、再び俯いてぽつりと言った。


「若殿、ずるい」

「ずるい? 何だそりゃ」

「あんな可愛らしい人連れて帰って来て……しかも許嫁なんて……」


 おみつは浮かない表情である。


「ああ……」


 順五郎は、以前茂吉が言っていた言葉を思い出した。



 ――おみつは、ふじがいた手前遠慮はしてましたが、密かに若殿を慕ってましたからのう。



「しかもよくお似合い……」


 おみつは泣き出しそうな顔である。

 順五郎は一瞬困ったような表情になったが、すぐに笑って、


「おみつ、若の何がいいんだ?」

「何がって……」


 おみつは口ごもる。


「あんな顔してせっかちで短気で真面目で頑固。おまけにうざったいぐらいに髪の毛多い。そんなにいい男でもねえだろ」


 順五郎が言うと、おみつは口元を手で押えて笑った。


「ご主君ですよ、そんな風に言うなんて酷い」

「主君だろうが同じ男だ」

「そうですけど」

「おみつ、お前まだ十五だろう? しかもこの城戸から一度も出たことないだろう?」

「はい」

「他の国に行ってみろ。若よりずっと爽やかで背が高い男前が沢山いるぜ? この前行った越後なんか、そりゃあもう絵物語に出て来るような男前だらけだ」

「そうなんですか?」


 おみつは、興味深そうな目を順五郎に向けた。


「ああ。いつか若に許しをもらって連れて行ってやるよ。そうしたらあんな面倒臭い若のことなんてどうでもよくなるぞ?」

「面倒臭いって……」


 おみつは苦笑した。


「まあ、とにかくそう言うことだ。あまり気にするな」


 順五郎はそう言って大きな声で笑った。

 だが、何がそう言うことなのかよくわからない。そして本人は真面目に慰めているようなのだが大した慰めにもなっていない。

 それがおかしくて、おみつは声を出して笑った。


「はい、わかりました」

「おう、じゃあな」


 そう言って手を振って歩き去って行く順五郎。

 おみつはおかしそうにその背を見つめていた。



 そして、辺りが薄暗くなり始めた頃、城戸の館が賑やかになり始めた。

 館中に灯りが灯され、もう夜の帷が降りると言うのに、昼のように明るい。


 そろそろ宴が始まるのである。


 大広間には、明るく弾む声が響いている。

 すでに、ほとんどの人間が集まり、それぞれの席についていた。


 茂吉に準備ができたと呼ばれ、礼次郎も大広間に入って来た。


「おお……」


 一歩入り、礼次郎は思わず目を見開いた。

 城戸家では、以前も館内で度々宴が催されたことはあったが、今ここにいるのは、以前とはまるで違う顔ぶれである。

 左右に順五郎、壮之介、龍之丞、千蔵、咲、ゆり、喜多、そして師匠の葛西清雲斎も座っている。

 礼次郎はそれを見ると、改めて新しい城戸家が始まると言うことを強く意識した。


「若殿じゃ」

「こうして見るとわずかな間に見違えるように逞しくなられた」


 声を上げたのは、城戸の領民達。

 この宴には、わずかに生き残ったおみつら女中や、館仕えの男たち、そして城戸の町の領民達も参加していた。

 今夜は無礼講とし、皆も参加させよ、と礼次郎が指示したのである。


 そして礼次郎は座の中央を進んで行き、前方上座に座った。

 皆が頭を下げた。


「皆、楽にしてくれ」


 礼次郎はまずそう言うと、


「茂吉、おみつ、皆の者、まずは俺が不在の間、ご苦労だった。よくここを守ってくれた。そして、順五郎、壮之介たち、よくこんな俺の為について来てくれた。ここで改めて、皆に礼を言いたいと思う」


 そう言って、礼次郎は頭を下げた。

 皆、礼次郎を見つめてその言葉に聞き入っていた。


「そして、今一度確認しておこう。これから俺達がなすべき事は二つだ。幻狼衆と風魔玄介を倒し、天哮丸を取り返すこと。そして、我ら城戸の仇、徳川家康を討つことだ。その為には、ますます皆の力が必要になる。どうか、これからもこの不肖礼次郎に力を貸して欲しい」


 礼次郎は、大広間を見回して言った。


「当然でござる。礼次郎様が宿願を果たすその日まで、我ら粉骨砕身励みまする」


 答えたのは壮之介。

 それに呼応し、他の皆が口々に気勢を上げた。


 礼次郎は微笑すると、


「さて、ここにささやかだが酒肴を用意した。今夜は無礼講とする。皆で大いに楽しもう」


 と言って、乾杯の音頭を取った。


 ――ふん……生意気に大人になりやがって。


 清雲斎は、にやにやと笑いながら礼次郎を見た。


 そして酒宴が始まった。

 この館では久しぶりの宴である。しかも、礼次郎が新たな頼もしい仲間たちを連れて帰って来たとあって、宴は明るく目出度い雰囲気で始まった。

 皆、自然と杯が進んだ。順五郎、壮之介、龍之丞、咲などは酒豪であることから特に杯の重ねが速く、それにつられて他の者たちもどんどん杯が進む。

 和やかに始まった宴席は、すぐに賑やかとなった。


 礼次郎も久々に楽しいらしく、ずっと笑顔で挨拶に来た者たちと酒を酌み交わしている。


 ゆりは、箸で膳上の焼き魚の身をほぐしながら、その様子を見つめていた。


 ――そう、礼次郎は今の城戸家当主なのよね……。


 礼次郎のところには、館の者や領民の男女が次々と挨拶に来ていた。


「ゆり様、礼次郎様のところへは行かないのですか?」


 喜多が横から聞いた。


「ううん……そうね……」


 ゆりが再びちらっと見ると、礼次郎の前には、ちょうど挨拶に来る人間の順番が途切れたところであった。


 だが、茂吉が瓶子を持って礼次郎の前に座った。


「若殿、今日は若殿がお生まれになった日ですな、おめでとうございまする」


 茂吉が大きな声で言った。


 ――え? 今日?


 ゆりは、思わず手を止めて驚いた。

 彼女だけではない。壮之介や咲たち、他の者たちも一様に驚いて場がざわめいた。


「そう言えば今日は十一月一日か。確かに若の誕生日だ」


 順五郎が手を叩いた。


「あ? ああ、そうだけど……それがどうしたんだ」


 皆がざわめいてる中、当の礼次郎は少し戸惑っていた。

 この時代、誕生日と言う概念はあっても、それを祝うような習慣は無い。

 数え年で、元日が来れば皆が一斉に一つ歳を取るのである。

 だから、茂吉が急にそんなことを言い出したのが不思議であった。


「いえ、こんな時でございますから、若殿がお生まれになったこの日を祝いたいと思うのです」


 茂吉はにこにこと笑顔で言う。


「大袈裟だな、いいよそんなの」


 礼次郎は苦笑するが、


「いえいえ、大事なことですぞ。そこで、若殿がお生まれになったこの日を祝って、この茂吉がひとさし舞を献上いたします」


 と言って、茂吉はすっと立ち上がった。


 それを聞いた他の者達は歓声を上げた。


「おお、いいぞ茂吉!」

「お手並み拝見」


 すでにほろ酔いになっている順五郎や龍之丞などは楽しそうに手を叩く。


「では……おみつ、お幸」


 茂吉が呼びかけると、女中のおみつとお幸はそれぞれ鼓と笛を取り出して、音曲を奏で始めた。

 どうやら、以前より準備していたらしい。


 そして、音楽に乗せて茂吉が舞い出した。

 楽しげで明るい音と舞であった。

 皆が手を叩いて囃し立てる。

 そのうち、


「よし、俺もやるか」

「では俺も越後の舞を披露しよう」


 と、順五郎と龍之丞も愉快そうに立ち上がり、一緒に舞い始めた。


「あんたたち、下手ねえ。舞ってのはこうやるのよ」


 咲までも立ち上がり、思わず見惚れるような妖艶な舞を披露すると、皆が歓声を上げた。

 そして、更に他の者達も次々と加わり、たちまち賑やかな舞となった。


 礼次郎は、愉快そうに笑いながらそれを見ていた。

 この間、彼は、他の煩わしいことを全て忘れていた。

 ふと、同じように笑いながらそれを見ているゆりの横顔が目についた。


「………」


 礼次郎は一時ゆりを見つめると、立ち上がってその前まで移動した。


「あ、礼次郎」


 ゆりは顔を輝かせた。


「飲む?」


 礼次郎は瓶子をゆりの前で傾けた。

 だがゆりはそれを逆に手に取ると、


「まずはご当主様から」


 冗談っぽく言って瓶子を差し出した。


「その言い方はやめてくれ」


 礼次郎は笑って杯を上げると、ゆりがそこに酒を注いだ。


「もう酔ってるんじゃない?」

「少しね。俺はとてもあいつらのようには飲めないよ。でもまだ大丈夫」


 礼次郎は杯を口に運ぶと、今度は瓶子をゆりの前に出した。

 杯を出して受けるゆりは、頬がほんのりと赤かった。


 ――何だ……?


 礼次郎は、突然胸が浮くような感覚を覚えた。


「どうしたの?」


 ゆりが礼次郎の顔を覗き込むように見た。

 ほろ酔いのせいか、その瞳が少し濡れているように見えた。


「あ、いや……」


 礼次郎はまたも直視できず、思わず視線を逸らした。


 だが、



 ――また目を合わせてくれない……。



 ゆりは不満そうに礼次郎の顔を見つめる。


 礼次郎はゆっくりと視線を戻した。

 しかしゆりは少し表情を曇らせ、目を伏せていた。



 ――あれ? 急にまた……どうしたんだろう?



 礼次郎の胸がざわついた。



 ――何か言わなきゃ……。



 しかし、どう言うわけか、礼次郎はまるで言葉を忘れたかのように何も出てこなかった。


 それはゆりも同じであった。



 ――礼次郎、何も話さなくなっちゃった。どうしたんだろう?



 ちらっと礼次郎を見たが、彼はどこか気まずそうに目を泳がせている。



 ――何か話を……でも何を言えばいいのかな?



 ゆりもまた、言葉を失ったように口が動かなかった。


 すると――


「若、何してるんだよ。折角若の為に皆踊ってるのによ」

「そうですぞ、さあ、共に舞いましょう」


 完全に盛り上がっている順五郎と龍之丞が来て、礼次郎の腕を掴んだ。


「そうよ、あんたの誕生日を祝ってるんだからさ」


 更に咲もやって来て、


「おい、ちょっと……」


 と言うのも虚しく、礼次郎は舞の輪の中に引きずられてしまった。



 ――もう……!



 ゆりは下を向いて唇を尖らせた。

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