第108話 内通者
上杉軍本陣。
今日は風が強い。
陣幕が烈風にたなびき、バタバタと音を立てている。
その中で、上杉軍は軍議を執り行っていた。
城戸礼次郎の姿もその中にある。
上杉景勝の前、左右二列に渡って居並ぶ宿将らに、景勝の傍らにある直江兼続が言った。
「さて、阿賀野川対岸の新発田の陣には、蘆名の援軍のみならず各所より続々と兵が集まっているようであるが、更に聞き捨てならない知らせが届いた。出羽の最上が新発田を支援し始め、兵を送るかもしれんとのことだ」
この言葉に、諸将の間にどよめきが走り抜けた。
「最上が? それは捨て置けぬ」
色部修理太夫が言えば、
「しかし新発田も節操がない」
本庄越前守繁長が憤る。
兼続は言葉を続けて、
「事実であれば、これは容易ならざる事。これに対応する策を取らねばならんが、今ここにある兵だけでは足りぬであろう。そこで、木場城を守る山吉景長殿と、その旗下の将兵およそ一千五百に援軍に来てもらう事とした」
これに対し、すぐに斉藤下野守景信が異を唱えた。
「山城殿、それはまずいのではないか? 木場城は戦略上の重要地、新潟津を守る城だ。ここを手薄にして新発田に襲われたら何とする」
「確かにそうだ。だが、あの通り新発田は兵を増しており、尚この東島城を攻撃する構えを取っておる。ここの戦で負けるわけにもいかんのだ」
須田満親はそれに同調し、
「うむ。ここの戦に負ければ我ら上杉家の内外への威信にも響く。それに、先日の戦よりずっと、新発田はこの東島城を狙っておる様子。木場城を攻撃する考えは無いであろう」
「その通りだ。だが、斉藤殿の言う事も最もである。木場城を完全に空にするわけにもいかん。そこで、誰かに、こちらに来る山吉殿に代わって木場城を守ってもらいたい」
兼続はそう言って居並ぶ諸将の顔を見回した。
「わしは合戦で手柄を立てたいのう」
「うむ。先日の戦では城戸殿に大手柄を取られた。今度はわしが新発田因幡の首を挙げて見せるつもりでおる」
越後の将士は、上杉謙信以来の戦好きの家風である。
殊に、先日の戦で、客将である城戸礼次郎が樫澤宗蔵の首級を挙げると言う武功を立てた事に刺激され、将達は皆、次こそは自分がと大いに意気を上げていたところである。
諸将は皆、当然戦場に行きたがっており、誰も木場城を守ると言う役目にはつきたがらず、場はざわついた。
しかしその中から、小山長康が進み出た。
「ではわしが参ろう」
龍之丞は小山を見て、
「小山殿、いいのかい? 貴殿は先日の戦で失態をした。汚名挽回したいのではないか?」
「確かにそうであるが、先日の失態の反省と言う意味でもわしが行きたいと思う。それに、合戦で敵の首を挙げるのだけが武功ではない。木場城を守るのも大事な役目」
小山は笑顔を見せた。
すると景勝が口を開き、
「小山、その言や良し。よくぞ申した」
と褒め称え、
「ではお前が行くがよい」
「はっ。ありがたきお言葉」
小山は頭を下げた。
兼続はそれへ、
「では小山殿、すぐに手勢三百を率いて木場城に向かい、山吉殿に代わって木場城に入り、山吉殿にはこちらに来るように伝えてもらいたい」
「承知いたしました」
小山が頷くと、ちょうどそこへ、伝令の兵が駆けこんで来て告げた。
「小山様、ご家臣の藤島三之助殿が火急の用とのこと」
小山は振り返り、
「三之助が? また妹に何ぞあったか?」
心配げな顔になると、再び景勝の方を向き、
「御屋形様。ようございまするか?」
景勝は無言で頷いた。
「では、御免」
小山は立ち上がり、小走りで陣を出て行った。
「よし、ちょうどよい。今日のところはこれまでだ。皆、これまで同様引き続き新発田軍の動向に備えてくれ」
兼続の言葉で軍議は終わり、諸将が続々と陣を出て行った。
翌朝、小山長康は、手勢三百騎を率い、木場城へ向かった。
木場城に到着すると、城将山吉景長に景勝よりの書状を渡し、軍議で決まった内容を伝えた。
景長は景勝の書状を読み終えると、
「よし、あいわかった。ではわしが旗下の兵千五百を率いて参る。小山殿、この城は頼みましたぞ」
「ご安心なされい。この木場城はわしがしかと守る」
小山は笑みを見せた。
「うむ。では早速参ろう」
山吉景長は甲冑を着込むと、行軍の手配をし、兵を集めて木場城を出発した。
それを見送った小山長康は、山吉景長の軍が南方の彼方に見えなくなると、家臣の藤島三之助を呼んだ。
藤島三之助はまだ若い。今年二十歳の若者である。
両親を戦で失くし、孤児となっていたところを小山長康に拾われたが、聡明であった為、小山には家族同然の扱いを受け、引き立てられてその近習となっていた。
「殿、お呼びでございますか」
三之助は小山長康の前に跪いた。
「うむ。計らずもこんなにうまい事になるとはのう」
小山はにんまりと狡猾な笑みを見せた。
「これでわしの大手柄は間違いなしじゃ。三之助、早速"妹"のところへ参れ」
「はっ」
「伝えよ。今夜にでも来てくれれば門を開けると」
「承知致しました」
三之助も笑みを見せた。
小山長康の高笑いが、木場城の広間に響いた。
その日の申の刻(午後16時頃)、藤島三之助は、"妹"のところへ着いた。
槙根砦――
三之助は、新発田重家の前に跪いていた。
重家は、三之助の言葉を聞くと、にやりと笑った。
「大儀であった」
「我が殿は、新発田様の合図があればすぐにでも木場城の門を開くと言っております」
「うむ。元々木場城の兵を東島城に向かわせ、その隙に木場城を急襲するつもりであったが、小山殿が木場城に入られたとあれば、我々は無傷で木場城を奪取する事ができる」
「はっ」
「長きに渡る埋伏、ご苦労であった。これがうまく行った暁には破格の待遇でもって小山殿を我が家中に迎えようぞ」
「我が主君もそれを望んでおります」
「うむ。では帰って小山殿に宜しく伝えてくれ」
「はっ」
三之助は一礼し、再び槙根砦を去って行った。
重家はうまく行ったものだと満面の笑みを浮かべていたが、傍らの仁井田統十郎は冷静に言った。
「大丈夫か? うまく行き過ぎてるような気がするが」
重家は豪快に笑い、
「はっはっはっ、お主ともあろう者が珍しく心配するのか。小山長康は早くから莫大な見返りを持って調略し、ずっと我らに協力してくれている。何も心配はいらん」
「であればいいがな。ただ、能勢川沿いの戦いでは我らの策を読み、裏の裏をかいて来た。上杉方には余程の知恵者がいるのではないか? 油断は禁物だ」
すると重家は一瞬真顔になって統十郎の顔を見て、再び視線を前に戻し、
「そう言えば宇佐美龍之丞が最近蟄居が解けたと聞いた。能勢川の戦は奴の立てた作戦かもしれんな」
「宇佐美?」
「上杉謙信公の軍法指南役であった宇佐美駿河守定満、それの末子だ。親父に似て戦上手だ。あの謙信公に戦の天才と認められ、手取川の戦にもわずか十六歳にして一軍を率いて参加しておる」
「ほう」
「だが、所詮宇佐美は戦争屋よ。謀略策略には疎い。小山が調略されている事には気付いていまい。心配は無用じゃ。はっはっはっ」
重家は再び豪快な笑い声を響かせた。
それよりおよそ半刻の後、槙根砦を出た藤島三之助は、木場城へ戻るべく薄暗くなった空の下を馬で走っていた。
阿賀野川を渡り、能勢川にかかる橋を渡った時だった。
不意に左右の茂みに何かが光ったかと思うと、そこから槍の穂先がヒュッと飛んで来た。
「あっ!」
三之助が驚いて声を上げた時、すでに馬の脇腹に刃が突き刺さっていた。
馬は悲鳴を上げて横に倒れ、馬上にあった三之助も地面に投げ出された。
「何奴!」
三之助は急いで起き上がり、刀に手をかけたが、その時にはすでに遅し。多数の槍先が彼に突きつけられており、抜刀する事すらできなかった。
五、六人の上杉兵が彼を囲んでいた。
三之助の顔が絶望に引きつった。
酉の刻(18時頃)、木場城――
思わぬ事の成り行きに喜んでいた小山長康は、上機嫌で酒を飲んでいた。
木場城を無傷で奪取し、新潟津を再び新発田方の物とする事ができれば、この上ない武勲である。
小山は、新発田家中でどれ程の地位と領土を与えられるかと、楽しい夢想に耽っていた。
「秀吉如きに屈した景勝、所詮謙信公の跡を継げる器ではない。それよりも、小勢ながら堂々と景勝に反旗を翻した新発田の方が頼むに足るわい」
小山は、手酌で飲みながら独りごちていた。
そこへ、取り次ぎの者がやって来て、新発田重家が木場城前に到着したとの知らせを報告した。
「おう、早かったのう」
小山は杯を置き、立ち上がった。
外に出て、物見櫓に登り、城門の向こうを見た。
辺りはすでに夜闇に包まれており、よく見えなかったが、城門前に一軍がいる。
そして軍中にたなびいている旗は間違いなく新発田軍の物であった。
先頭には将らしき騎乗の男がいる。それへ、小山は大声をかけた。
「新発田因幡殿か?」
騎乗の将は見上げて、
「さよう! 新発田因幡守である! 約定通り、門を開けていただきたい!」
小山はじっと目を凝らして見つめた。
夜であった為、顔まではよく見えなかったが、甲冑や兜等は、戦場で遠目に見た事のある新発田重家のものに違いなかった。
「うむ、確かに新発田軍じゃ。因幡殿自らが率いて来たのかのう。ならば出迎えねばならんな」
小山は、櫓を降り、機嫌良く門の前まで向かった。
そして兵達に門を開けさせた。
重く開いた門の向こうに、一軍団が姿を現した。
その先頭にいる新発田重家に、小山は笑顔で声をかけた。
「因幡殿、よくぞ参られた」
しかし、新発田重家は、それに答えずに無言のまま馬を進めて来た。
小山は不審に思い、
「因幡殿、どうなされた?」
と、その顔を見つめたが、そこで初めて気付いて愕然とした。
「あっ、お主は……!」
重家と思っていたその男は、重家ではなかった。
男は、面頬を外し、投げ捨てて言った。
「小山殿。何故新発田重家と知って城門を開けられたのか?」
男はにやにや笑った。
「お主は……う、う、う……」
驚きと恐れに言葉が出なかった。
その男は、宇佐美龍之丞だったのである。
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