第109話 陣中見舞い

「新発田因幡が来たと知って城門を開けさせ、このように出迎える。お前が新発田に内通していた証拠だ」


 龍之丞は冷笑して言った。


「小山殿、まさか貴殿が内通していたとはな」


 龍之丞の背後から、直江兼続が姿を現した。


 小山が顔面蒼白となった。

 脂汗が流れ、身体が震えていた。


「縛り上げよ!」


 龍之丞が大声で命令すると、たちまち背後の兵が雪崩れ込んで来て、小山長康を縛り上げた。

 しかし小山は縛られながらも、もがき、


「直江殿、違うのだ。これはわしの勘違いで!」


 と、悪足掻きをしたが、龍之丞は鼻で笑った。


「何が勘違いだ。"妹"のところへ行っていたこいつが全て吐いたわ」


 顔や身体が殴られてあちこち腫れ上がり、衣服もボロボロとなった男を連れて来させた。

 それは藤島三之助であった。三之助は投げつけられるように小山の横に座らされた。


「三之助……」

「殿、も、申し訳ござりませぬ」


 三之助が腫らした目から涙を流した。

 龍之丞は馬を進め、小山を見下ろして言った。


「何が"妹"だ。俺は知ってるぜ。お前に妹はいねえだろうが。 "妹"への使い、と言って、新発田重家のところに行かせてこちらの情報を流していたんだろ?」

「う、う……」


 小山は生気を失った顔で、ひたすら冷たい汗を流していた。

 龍之丞は馬から降り、ゆっくりと小山に近づいた。


「先日の能勢川の戦。川向うで待ち構え、逃げる新発田への銃撃が一巡で終わったのは、火薬を水に濡らしてしまったからじゃないんだろう? 新発田軍を逃がす為、わざと一回しか銃撃しなかったんだ。違うか?」

「う……」


 小山は歯の根が合わず、ガチガチと震えていた。


「俺は最初からお前の挙動が怪しいと思い、新発田に内通しているんじゃないかと睨んでいた。だから、あの戦でお前をわざと川向うに置いたんだ。お前の内通の事実を確認する為にな。お前が新発田に通じているんなら、能勢川を渡って逃げる新発田に対する銃撃は甘くなるはずだ。そして案の定、お前はわずか一回で銃撃を終わらせた。下手な嘘をついてな」


「す、すまぬ。ゆ、許してくれ」

「遅いわ!」


 龍之丞は吐き捨てると、自身の刀を抜いた。

 小山長康と藤島三之助の顔が恐怖に歪んだ。


「覚悟しな」


 龍之丞の癖のあるざんばら髪が揺れた。

 青白い剣光が小山長康の身体を走り抜ける。

 血柱と共に、小山長康の首が飛んだ。


「ひっ……」


 呆気なく転がり落ちた主君の首を見て、三之助は震えながら目に涙を浮かべた。

 龍之丞は冷静に三之助に視線を移した。


 三之助は、身体を小刻みに震わせていた。

 その三之助の首筋に、龍之丞は刀の切っ先をぴたりと当てた。


「お前は斬らん」

「……?」


 龍之丞の意外な言葉であるが、三之助は恐怖と混乱で言葉を失っていた。


「藤島とやら、これから起こる事をよく見ておけ」


 龍之丞は冷たく三之助を見下ろした。



 それよりおよそ半刻の後。

 まだ何も知らない本物の新発田重家が、一軍を率いて木場城の前まで辿り着いた。

 重家は上機嫌であった。

 城門の前まで来ると、


「新発田因幡守重家である! 小山殿、約定通り、門を開けていただきたい!」


 中へ向かって大声をかけた。

 しかし、城の中から答える声は無かった。

 それどころか、ひっそりと静まり返っている。

 城のあちこちに篝火は炊かれているものの、人馬の音がしない。


「妙じゃのう」


 重家は、傍らの義弟、五十公野道如斎に言った。

 今回は仁井田統十郎は同行していない。槙根砦を守っている。


「全く。それどころか人の気配もしませんな」


 道如斎は首を傾げた。


「我らを迎える為に、上杉方の兵をどこかにやったのかもしれんな」


 重家は言った。

 だが、その時すでに、四方の闇に潜んでいたその兵達によって、重家らは囲まれていたのであった。


「おーい!聞こえぬか!新発田因幡である!……」


 再び重家が大声を上げた時、重家は空気中に微かに混じる硝煙の匂いを感じ取った。


「む、まずい。伏せよ!」


 重家は絶叫して馬から飛び降りて伏せた。

 道如斎も慌ててそれに倣う。


 その時であった。

 ドド、ドドンと、銃声が一斉に轟いた。

 四方からの一斉射撃。

 背後の新発田兵が次々と悲鳴を上げて倒れて行った。


 龍之丞が四方の夜闇に伏せていた兵達が、一斉に銃撃を開始したのであった。


 銃声は二巡、三巡と続けて響いた。

 その度に逃げ惑う新発田兵達が倒れて行く。


「くっ、小山はどうしたのだ? それとも罠であったのか」


 地に伏せる重家は悔しげに歯噛みをした。


「とりあえずここは退かねばなりますまい」


 道如斎も顔を青くして言う。


「うむ」


 重家が答えた時、銃声が止んだ。

 しかし間髪入れず、


「かかれっ!」


 空に号令が響いた。

 上杉の鉄砲隊が退き、その後ろの手槍隊が鬨の声を上げて襲い掛かって来た。


 重家は立ち上がり、


「逃げよ!退けっ!何としてでも退路を切り開くのだ!」


 自身も抜刀して叫んだ。


 だが、新発田軍は大混乱に陥っている。

 四方より包囲攻撃を受け、次々と血の雨に倒れて行った。


「退けっ、退けええっ!」


 重家は目を血走らせ、声を枯らして叫んだ。

 そして、自ら一方の上杉軍に飛び込み、血路を切り開くべく太刀を振るった。



 木場城の二の丸。

 縛り上げられ、座らされた小山長康の家臣藤島三之助が、血の気の引いた顔で震えていた。

 それを無言で見下ろす宇佐美龍之丞と直江兼続。


 そこへ、色部修理大夫長実がやって来て、二人に告げた。


「大方討ち取りましてございます。その数約八百。しかし……」

「新発田重家を取り逃がしたか?」


 兼続が即座に聞いた。


「申し訳ござらん。新発田因幡の豪勇尋常ならず、囲みの一方を突破され、義弟の五十公野道如斎と伴の者およそ二十騎と共に逃げられました」

「そうか、仕方あるまい。大儀であった」


 兼続がその労をねぎらうと、色部修理大夫は兼続の右斜め後ろに移動し、複雑そうな顔で縛られている藤島三之助を見つめた。


 兼続は三之助に視線を注いだまま、


「龍、何故この者を生かす?」

「こいつは生かしておけば役に立つ」


 龍之丞は三之助を見下ろしたまま答えた。


「ははあ。お前、また何か考えたか」

「ああ。だが、小山長康の裏切りと、始末した事については、新発田に知られないようにしなくちゃならねえ。将達だけの秘密としよう」


 龍之丞が振り返って言うと、兼続はうむ、と頷いた。


「明日、全軍で槙根砦の新発田軍に総攻撃をかける。そして槙根砦はおろか、新発田城まで攻め寄せ、一気に新発田を攻め滅ぼす」

「おお」

「その時、こいつは役に立つだろう」


 龍之丞はにやっと笑うと、三之助に向き直り、


「おい、お前にも家族がいるだろう? 家族を殺されたくなければ俺の言う事に従え。まずは、逃げた新発田因幡に小山の名で手紙を出せ。今宵は気付かれて失敗したが、次は必ず手引きをすると。小山がまだ生きて新発田に通じていると思わせるのだ」

「…………」


 三之助は言葉が出なかった。ただ、未だ恐怖の残る顔で、龍之丞の顔を見つめた。



 こうして内通者小山長康を討った龍之丞と兼続は、小山の代わりに色部修理大夫に木場城と後処理を任せ、夜のうちに密かに東島城の陣に戻った。

 そして翌日早暁、まだ朝の霧に煙る頃、極秘に礼次郎も含む諸将が集められ、小山の内通と、すでに始末した事を告げた。

 その事実は、将達の間に衝撃を走らせた。


「小山がまさかのう」

「いや、しかし今思い出してみれば、最近あいつはどこか不審な事があった」


 皆、それぞれに思う事を口にした。

 やがて、自然と静かになると、兼続が言った。


「だが、この事は新発田には知られてはならん。小山がまだ生きて新発田に通じているように見せかけ、今後の作戦行動に利用するのだ。よって、この事が決して外に漏れぬよう、諸将にはこの事を配下の誰にも話さぬよう、くれぐれも頼む」


 おう、と各将が応える。


「では、槙根砦総攻撃は午後とする。それまでは皆、十分に身体を休め、鋭気を養ってもらいたい」


 兼続の言葉で、各将はそれぞれ自分の幕へ戻って行った。

 龍之丞と兼続は残り、景勝の下、槙根砦攻略とその後の新発田城攻略の作戦立案に入った。


 礼次郎は、まだ朝露に光る草を踏んで歩きながら、自分の陣小屋へ向かった。

 早朝である。秋とは言え、北国越後。吐く息がすでに微かに白かった。

 だが、景勝より賜った黒貂の毛皮の羽織は、かなり高い防寒性を持っており、礼次郎の身を凍えさせる事はなかった。


 と、そこへ、ちょうど外へ散歩に出ていた順五郎が彼を見つけて、駆け寄って来た。


「若、突然の召集は何だった?」

「ああ……」


 先程告げられた事実は、順五郎相手でも言う事ができない。


「いや、午後、槙根砦を総攻撃する事が決定した。その事についてだ」


 礼次郎は適当に誤魔化して言った。だが、これもまた事実である。


「へえ、そうか。じゃあ頑張らねえとな。また手柄を立てれば兵を貸してくれるかも」

「ああ、頼むぞ」


 その時、遠くの方で小さな歓声が上がった。

 二人がその方向を見ると、いくつもの幕営の向こう、街道を小荷駄隊が進んで来ていた。


「酒と菓子だ」

「果物もあるぞ!」


 将兵らがその周りで歓喜の声を上げていた。


「菓子?」

「何だろうな? 行ってみるか」


 二人は、連れ立ってその小荷駄隊の方へ向かった。

 その隊は、何台もの荷車に、沢山の酒や菓子、果物等を積んでいた。


「へえ、差し入れか」


 礼次郎も顔を明るくしたが、その隊の先頭にいる騎乗の何名かのうちの一人を見て、あっと声を上げた。


「ゆりじゃないか」


 その馬上には、野袴に小袖、羽織と言った男のような服装をした武田百合がいた。

 後ろには喜多も同様の格好でいる。

 ゆりは礼次郎に気付くと顔を輝かせ、


「あら礼次郎」

「何でここに? これはどうしたんだ?」

「叔母様の代わりに陣中見舞いの差し入れよ」

「代わりに?」

「ちょっと待ってて。これ届けて手配してもらうから。後でね」

「あ? ああ……」


 戸惑う礼次郎に、ゆりは笑顔で手を振ると、そのまま隊と共に奥へと進んで行った。

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