第104話 桜霞長光

 城戸礼次郎と仁井田統十郎。

 両者は、動かぬまま気で攻め合った。



 ――あれは直刀か? しかし何と重々しく激しい剣気……。



 礼次郎の額が滲んだ。



 一方、統十郎もまた、



 ――動けば気だけで斬られそうな……わずかな間にかなり腕を上げやがった。



 背中に一筋、冷たいものを感じた。


 両者共に、じりじりと摺り足で前に出る。


 血の匂いの混じる熱く乾いた風――


 斬撃の気が満ち、互いの間合いが詰まって行く。


 そして、その間合いが掠り合った時、統十郎が短い気合いを発して踏み込んだ。


 八相からの袈裟切り。

 豪風を上げて振り下ろされる。


 速い。そして長い。


 礼次郎は右脇構えより斬り上げ、受け止めた。

 そして再び刀を右脇に引くと、横真一文字に振り払った。


 高速の剣光。


 しかし、統十郎は難なくそれを受け止める。受け止めるどころか打ち払った。

 剛力である、礼次郎は右腕が押し飛ばされたかたちになった。


 礼次郎はさっと飛び退くと、踏み込んで低めの八相より袈裟に振り下ろした。

 統十郎は下段より斬り上げて受け止める。

 礼次郎、刀を引くと、左脇より刀を走らせた。


 青白い光が虚空に半円を描く。


 しかしその光は何も捕えなかった。

 統十郎は素早く飛び退いて躱していた。


 それを見た礼次郎もまた、数段後ろに飛び退いた。

 

 再び、両者が間合いを取って睨み合った。


 礼次郎は正眼の構え、統十郎は変わらず八相。


 二人は無言のまま静かに睨み合うが、互いに燃えるが如き剣気で攻め合っている。


 しかし、彼ら以外の戦場はすでに変わっていた。

 樫澤を討たれた新発田勢の士気が崩壊し、新発田兵らは次々と討たれ、残った者らは悲鳴を上げて逃げ惑い、もはや軍の態をなしていなかった。


 その様子を、統十郎は視界の隅で捕えていた。

 礼次郎もまた同様である。


「…………」


 統十郎は、おもむろに剣を下した。


 礼次郎もほぼ同時に、静かに構えを解いた。


 そのまま、両者は静かに視線をぶつけ合った。


 やがて、統十郎は礼次郎の目を一睨みすると、身を翻し、混乱に潰走する新発田軍の中へ走り去って行った。


 突然の再会と再戦は、こうして終わった。


 壮之介がふうっと息を吐いた。


「何故止めたのでしょう」


 礼次郎も深く息をつき、


「この中じゃこれ以上はまともに斬り合えない。邪魔の入らぬところで、本気の勝負をしたいのだろう」

「なるほど」

「オレも同じだ」

「ほう」

「今斬り合った時、あの男の剣先から何か不思議な因縁めいたものを感じた。一合一合、打ち合う度にそれは大きくなった。それが何なのかはよくわからない。だが、斬り合ううちに、この男とはもっとまともな場所で一対一の勝負をしたいって思ったよ。こういう気持ちになったのは初めてだ」

「剣士の本能ですかな」

「いや、それだけじゃない。何だろうな? しかし、何となくだが……恐らくここ数日のうちに、もう一度あいつと刃を交える事になるだろう。そんな気がする」


 それこそが礼次郎の持つ剣士の本能と直感であった。

 礼次郎は、血と脂のついた刀身を見つめた。



 そして、完全に崩壊した新発田勢は逃げ場が無くなり、仕方なく能勢川に殺到した。

 川であるが故、唯一上杉勢の兵が展開していない場所である。


 新発田重家もその中にいた。


「この辺りは浅瀬じゃ! ここなら容易に渡れる!」


 重家は、生き残ってついて来る兵をまとめ、能勢川の浅瀬部分を水煙を上げて走った。


 しかし、その後を続く、義弟五十公野道如斎が不安な声を漏らした。


「川があるが故に兵を展開していない。それは正しい。ですが、上杉勢も能勢川に浅瀬があるのは知っているはず」


 それを聞いた重家は顔色が変わった。


「そうじゃ! 我らの策を読んでいたならば必ずここにも何かあるはず。うっ?」


 重家は、僅かな硝煙の匂いを感じ取った。


「いかん、伏せよっ!」


 重家は絶叫して身を水中に伏せた。


 同時に、耳をつんざく銃声が轟いた。


 重家の叫びが聞こえなかったのか間に合わなかったのか、後ろに続く兵達が次々と銃弾に倒れて行く。

 川を渡る時は脚を水に取られてその動きが鈍る。

 鉄砲の格好の的であった。


「やはり伏兵か」


 重家は川の向こう岸を睨んだ。

 その右手側、すすきの生い茂る中に、上杉軍小山長康の鉄砲隊が潜んでいたのだった。


 不揃いの銃声が宙を切り裂き、後続の新発田兵を水中に沈めて行く。


「敵ながら見事」


 重家は悔しさに唇を噛んだ。


 しかし、銃声は一巡した後、二巡目が続かなかった。

 小山の鉄砲隊に何かあったのであろうか。息を殺して水面に伏せていたが、やはり次の銃声が響かない。


「何かあったか?」


 重家が訝しんでいると、道如斎が急かして、


「川岸です。もしかすると早合が水に濡れてしまったとかかもしれません。上杉は後ろからも迫って来ております。今のうちに!」

「うむ、そうだな」


 重家は、後から追いついて来る残りの兵と共に、川を渡り逃走した。



 戦は、上杉軍の勝利となった。

 新発田方の将、樫澤宗蔵らの猛攻もあって、上杉方も五百近い死傷者を出したが、それに対して新発田方は約半数の千五百近い犠牲者を出しており、まず上杉軍の勝利と言って良かった。

 最後の詰め、新発田方が能勢川を渡る時のとどめの銃撃がもっと続いていれば、新発田方を完全に壊滅させる事ができたであろう。しかし、小山隊の銃撃は結局その後が続かず、新発田軍の半数を逃す事となってしまった。


「申し訳ござらん、まさか銃弾、火薬等を水に濡らしてしまうとは。詫びのできぬ失態、処罰はいかようにも受ける所存でござる」


 夕暮れ時、論功行賞の席で小山長康は上杉景勝の前でうなだれた。


 景勝は、無言のままじっと小山を見つめていた。

 何かを見透かすような目つきであった。


「小山殿、貴殿のこの失態が無ければ、我々は新発田勢を徹底的に叩けたのみならず、新発田因幡の首をも取れたかもしれん」


 兼続が叱責した。


「誠に申し訳ござらん」


 小山は平伏し、何度も地に頭をつけ、


「この上は腹を切ってお詫びいたします」


 悲壮な覚悟を見せたが、


「やめよ!」


 景勝の一喝で場は収まった。

 そして景勝は続けて言った。


「わしが上杉家の当主であるうちは、戦以外で大事な家臣を死なせとうない。今失態の責任を取って腹を斬ると言うのならば、後日戦場で死ぬ気で働け。そして倍の武勲を挙げよ。それが真の武士の責めの負い方と言うものである」

「ははっ」


 景勝の言葉の重み、そして秘めたる優しさに、小山長康はただただ平伏すしかなかった。


 今回の作戦を統括した宇佐美龍之丞は、


「その通り。失敗は誰にでもある。小山殿、お気になさらずに。それに、おかげで知れた事もある」


 意味深ににやりと笑った。


「は? 知れた事とは?」


 小山が面を上げると、


「いや、まあそのうちわかる。ははは」


 龍之丞は笑い、


「それにしても此度の戦、武功第一は礼次郎殿でしょうな」


 と、景勝の方を向いて言った。


 末席の礼次郎は驚いて恐縮し、


「そんな……勝ちは全て宇佐美殿の作戦のおかげです」

「いやいや、礼次郎殿が樫澤宗蔵を討ち取らねば私の作戦も危うかった。まず貴殿が武功第一と言っていいでしょう」

「恐れ多い事です」


 礼次郎は本心からそう言ったが、


「いや、異存は無い」


 直江兼続が言うと、


「うむ、樫澤宗蔵を討ったのが新発田全軍の士気が崩壊するきっかけになったのじゃ。であれば武功第一は城戸殿」

「あの樫澤を討つとは誠に見事」


 藤田信吉や色部長真らが口々に褒め称えた。

 上杉の鬼神、本庄繁長も、


「樫澤はわしが討ってやろうと思っておったが、城戸殿にしてやられましたな」


 豪放に笑う。


「うむ、わしもそう思う。今回の一番の手柄は城戸殿じゃ。しかも大手柄。誠によくやってくれた」


 景勝は微笑をたたえて言うと、側の者に、


「あれを持って来い」


 と、指図して何かを持って来させた。

 景勝はそれを受け取ると、礼次郎に前へ出るように促した。


「こちらへ。もっと近う」

「はっ」


 礼次郎は恐縮しながらも景勝の前へ進み出た。


「城戸殿は客将ゆえ、領土や禄を加増すると言う事ができぬ。それ故、これを差し上げたい」


 景勝はそう言って、一振りの刀を差し出した。


 礼次郎は恭しく両手を上げて受け取った。


「これは桜がすみ長光ながみつと言う刀」

「桜霞……」

「天哮丸には及ばぬかもしれんが、今城戸殿が差している正宗より優っているであろう。名こそ桜霞などと優雅なものだが、その切れ味は凶暴と言ってよい。剣士の為の剣、名刀中の名刀じゃ」


 それは礼次郎にもわかった。

 両手で持つ桜霞長光は、その刀身を鞘のうちに包んでいても、暴れ出すが如き気を発していた。

 とても桜霞などと言う貴族的号が似合う物ではない。

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