第105話 星空の君へ

「わしが城戸殿に関白殿下に渡してもらいたい物と言うのはこれの事だ。つい昨日、やっと手に入れる事ができたのじゃ」


 景勝が言うと、礼次郎は仰天し、


「え? では拝領するわけには参りませぬ。これは関白様に」


 と、返そうとするが、景勝は手を振ってそれを制し、


「構わん。実はもう一本、狙いをつけている名刀がある。そちらの方が鞘も刀身も美麗で関白殿下の好み。殿下にはそちらを差し上げる。この桜霞長光はまさに斬り合う為の剣で、城戸殿のような剣の達人にこそ相応しい。受け取ってくれい」

「は、では、ありがたく頂戴いたします」


 礼次郎は桜霞長光を両手に持ったまま頭を下げた。


「それともう一つ。これを授けよう」


 景勝は、黒い何かを差し出した。

 礼次郎は桜霞長光を脇に置くと、また両手で受け取った。

 それは、羽織であった。

 しかし、ただの羽織ではなく、黒い毛皮の羽織。

 その毛は艶やかな漆黒で、手触りは絹の如き滑らかさ。

 これまでに見た事の無い種類の美しい毛皮であった。


「これは、わしもよく知らぬが、唐に棲むクロテン? とか言う貴重な動物の毛皮で作ったそうだ。関白様より直々に頂いたのだ」


 景勝の言葉に礼次郎は再び驚き、


「そんな凄い物、これこそもっと受け取るわけには参りません」

「いいや、いいのだ。折角頂いたが、わしには少々きつくてな。見たところ城戸殿にはちょうど良いであろう」

「そうですか……ではこれもありがたく頂戴いたします」


 礼次郎は尚も恐縮したが、受け取ったその顔には嬉しさも垣間見れた。

 名刀"桜霞長光"と、黒貂の毛皮の羽織。どちらも一級の宝物と言っていいであろう。


「礼次郎殿、折角だからちょっと羽織ってみては如何か」


 横から兼続が言った。


「そうだな。合うかどうか見てみたい」


 景勝も同意すると、


「では」


 礼次郎は少し緊張しながら羽織った。

 

「おお、よく似合ってるねえ」


 龍之丞が目を瞠った。

 艶やかな黒の毛皮の羽織は、礼次郎によく似合っていた。


「うむ。思った通り。寸法もちょうどよいようだな」


 景勝も満足そうに頷いた。


「ありがとうございます」


 礼次郎は少し照れた笑みを見せると、一礼をしてまた元の末席に戻って行った。



 そして論功行賞が終わり、日は完全に没し、辺りは薄墨の夜となった。


 新発田軍は東島城よりおよそ三里の北東、能勢川と阿賀野川の向こうにある槙根砦に退いたが、未だ千五百程の兵を有しており、付近に陣を敷いて反攻の構えを取っている事が明らかになった。

 それに対する上杉軍は戦の継続を決め、東島城のある要害山麓に天幕や即席の小屋を建てて野営をする事となった。


 将兵らには、今日の勝利を祝して酒と肴が振舞われた。

 しかし戦は継続と決まった為、酒は一人二合とまで定められた。

 だが、それでも心身を極限の緊張に晒して戦った兵達には十分な癒しであった。


 上杉景勝は、直江兼続や藤田信吉らに東島城に入るよう勧められたが、兵らと寝食を共にしたいと頑なに拒み、この要害山麓の陣中で共に酒食を取っていた。


「皆、楽しんでおるか?」


 景勝は、兼続に聞いた。


「はい、三日ぶりの酒、久々にくつろいでいるようでございます」

「ならばよい」


 景勝は寡黙な口元を緩ませると、ぐいっと杯の酒を飲み干した。

 それへ、龍之丞が酌をした。


 この幕の中には景勝、兼続、龍之丞の三人だけであった。


 兼続が、龍之丞に酌をしながら言った。


「しかし龍、見事であった。新発田軍は我々の奇襲を読み、白根の森を出て能勢川沿いの野で待ち伏せていた。お前があの軍議の後に俺達に密かに言った通りであった。何故そこまでわかった?」


 龍之丞は杯の中の酒を見つめながら、


「いや、読んでいたわけじゃねえんだ、俺も新発田も。あの軍議で決めた、俺達が要害山を迂回し、白根の森に潜む新発田軍を逆に奇襲すると言う作戦が、新発田に筒抜けになるって事がわかってたんだ」


「何? どういうことだ?」


「我ら上杉の将、あの軍議の席にいた者の中に、新発田に内通している者がいる。そいつが作戦の内容を新発田に流したんだ」


 景勝が目を光らせて言った。


「家中に調略されている者がいると?」


 龍之丞は答えて、


「ええ。前回までの戦の子細を旦那に聞いたが、どうにも腑に落ちねえ事があった。何かがおかしい。家中に新発田に内通している者があって、向こうにこちらの情報を流している者がいるのではないかと俺は思った」


「確かに、ここ最近の戦ではここぞ、と言う時に必ず外していた」


「そこで俺は、今回の戦でカマをかけてみた。奇襲をしかけようとする側は、自分達が逆に奇襲を受けようとはなかなか思わないもの。また、俺の知る限り、新発田家中にもそこまで考えの及ぶ者はいねえ。だが、もし内通者が俺達の作戦を新発田に知らせたとしたら、新発田は必ず要害山を迂回する俺達を待ち伏せするだろう。そう、俺は計算した。そして見事その通りになった。内通者がいる証拠だ」


「成程な。うむ、お前の次の考えが読めて来たぞ。今日、追撃をしなかったのは内通者を暴く為か?」


「そう、流石旦那だ。雑草はいくら刈り取っても、根を抜かねばいくらでも生えてくる。今日、奴らを殲滅したところで、我らのうちに内通者がいれば、今後の戦は全てうまくいかねえ。だから奴らを生かし、また戦をしかけさせる。そしてその時に、内通者を暴く」


「奴らは仕掛けてくるか?」


「蘆名が再び新発田を支援し始めたって言う情報だがな、ありゃどうも本当らしい。今日、複数の軒猿が裏付けとなる知らせをよこして来た。そして、これから数日のうちに、蘆名が出した兵が逃げた新発田軍と合流する様子。そうなれば、新発田はもう一度戦を仕掛けて来るだろう。その時が勝負だ。内通者を暴くと同時に新発田軍を壊滅させる」

「策はあるのか?」

「奴らが動かないと内通者も動かないだろう。数日、様子を見てみよう」


 龍之丞はそう言うと、すっと立ち上がった。

 そして景勝に向かって、


「御屋形様、少し夜風に当たりとうございます。お許し願えますか?」

「うむ、構わん」

「では御免」


 龍之丞は一礼すると、酒甕の中の酒を柄杓ですくって自分の竹筒に入れ、天幕を出て行った。

 その顔は、どことなく浮かぬ色があった。


 北国越後の秋は寒い。冬の匂いが混じる乾いた空気が肌に沁みる。

 あちこちの幕、小屋より、酒を酌み交わす賑やかな談笑の声が漏れ聞こえて来る。

 龍之丞は、足下の枯草を踏みしめ、歩いた。

 天を見上げる。

 越後の高い夜空は、冷たく澄んでおり、月が星々を従えて玲瓏と輝いている。


「つまんねえ」


 龍之丞は夜空に向かって呟いた。



 ――越後の一郡二郡を争う戦……もっとでかい戦をしてみたいもんだ……。



 龍之丞の瞳に、やるせない色が浮いた。



(御屋形様は素晴らしいお方だ。だが、御屋形様では天下は取れねえ。そもそも、すでに豊臣秀吉に臣従を決めちまった)



 龍之丞は、竹筒を口に運んだ。

 酒気が五臓を満たして行く。

 しかし、彼の心は満たされない。



(不識庵様、何故あの時、手取川の戦の後に兵を引かれた。あの勢いであればそのまま京に攻め入り、織田信長を討てただろう。そして不識庵様が天下を治められたはずだ)



 龍之丞の心の底に、小さな棘が刺さっているが如くに残っている想い。

 そのいつまでも抜けぬ棘の痛みに、龍之丞は酒の酔いを感じられなかった。



 ――そして、何故行ってしまわれた……俺の行き場の無い無数の策を残して……。



 礼次郎の天幕の中では、大手柄を立てた礼次郎を中心に、主従四人が賑やかに酒を酌み交わしていた。

 かと思いきや、礼次郎は少ししょんぼりとしていた。

 その原因は、壮之介の説教であった。


「確かに大手柄ではありますが、礼次様は無茶をしすぎます。上田城や七天山などでの戦いでは仕方ありませんでしたが、兵を率いて戦う合戦においては、大将は軽々しく前線に出るものではござらん。ましてや三国演戯ではあるまいし、敵将と一騎打ちなどもっての外。万が一の事があってはどうなされまするか。城戸家再興、天哮丸奪還はなりませんぞ」


 壮之介は滔々と説いた。

 七天山より帰って来て以後、壮之介は何かある度に礼次郎に説教めいた事を言うことが多くなった。

 それらは武家の当主としての日常の心構えやら、大将は戦場でどうあるべきか、等々。

 壮之介にしてみれば礼次郎を思っての進言諫言であるのだが、まだ若い礼次郎には少々小煩く感じられる。


「わかったよ、反省してる」


 礼次郎は言うが、その顔は少しうんざりしている。


「まあ壮之介、そこら辺にしといてやってくれよ。結果的には若は武功第一なんだからいいじゃねえか」


 順五郎が苦笑しながら助け舟を出したが、彼もまた、


「でも確かに昔から若は無茶をしすぎだ。せっかちだしな。いつもそれで何か問題が起きてるじゃねえか。その癖直した方がいい」

「お前まで」


 礼次郎は悲痛な顔となる。


「その通りでござる。我々はこの先、合戦が増えるでしょう。しかし、礼次様がすぐに自ら斬り合う癖を直さぬのであれば、いくつ命があっても足りませんぞ」

「わかったよ……しかし壮之介、お前も昔は戦場で自ら前線に立って、一人で百人を討ち取ったんじゃなかったっけ?」


 礼次郎が鋭く問うと、


「う、それは……」


 壮之介が言葉に詰まった。

 礼次郎は勝ち誇ったような顔をして、


「ほら見ろ、オレの事を言えた事か!」

「いや、あの時はわしの軍は追い詰められておったのです。それで仕方なく……」

「言い訳するなよ」


 礼次郎はにやにや笑った。


 すると、今日の勝利と酒で気分が良くなっているのか、珍しく千蔵が横から口を出した。


「まあまあ、ご主君も壮之介殿もその辺で。今日ご主君が大手柄を立てためでたい日。細かい事はまた後日にいたしましょう」

「む、そうだな」


 壮之介がきまり悪さから解放されてほっとして頷くと、順五郎が明るい声を上げた。


「よし、じゃあ飲もうぜ。俺達にはちょっと量が少なすぎるけど、酒は酒だ」


 そして、礼次郎主従は酒を酌み交わし、他愛の無い雑談歓談に興じた。

 陣中にある為、ろくな酒肴は無い。梅干し、味噌、漬物、そんな程度である。

 しかし、今日の戦の快勝と、礼次郎の大手柄が何よりの肴であった。


 しばらくした後、礼次郎は小便をすると言って、一人外に出た。

 用を足した後、しばし酔い覚ましのつもりで星空の下を歩いた。


 ふと、礼次郎は、胸元の観音菩薩像が夜風に揺れたのに気付いて脚を止めた。

 像を右手で持ち上げた。



 ――これが効いたかな。礼を言わないと。



 礼次郎は微笑んだ。


 しかし、すぐに、ずっと彼の心に引っかかっていた事を思い出した。



 ――そう言えばふじの櫛はどこで落としたんだろうか? 今頃は誰かに拾われて使われてるかな……。



 礼次郎は、まさかゆりがその櫛を持って来ているとは夢にも思わない。



 ――あれが唯一の形見なんだがな。



 礼次郎は、足下に踏む雑草を見た。

 そよ風に静かに揺れている。

 顔を上げた。

 静かで澄んだ美しい星空。



 ――ふじ・・・



 星空に、今はいない幼馴染の顔を描いた。

 慈愛に満ちた優しい笑顔。


 あの時の自分の言葉を思い出した。



 ――一人の男として何か成し遂げたら……その時は……その時は嫁を娶る――



 礼次郎は寂しそうに微笑んだ。

 そして呟いた。


「今のオレなら胸を張ってお前を娶れるかな」


 さっと吹いた夜風が礼次郎の前髪を掻き上げた。


「あれから色々な事があったぞ」


 礼次郎は、彼の運命を狂わせたあの日から今までの事を回想した。

 沢山の出会いと邂逅、そして命のやり取りをした斬り合いの数々。

 本当に色々な事があった。


 礼次郎は、夜空に描いた藤に向かって呟く。

 


(ふじ、何故いない……お前に話したい事がこんなにも沢山あると言うのに……あの雙六の時に約束しただろ。ずっと一緒にいるって)



 そして耳の奥で、あの遠い日の藤の言葉が、まるでつい先程の事のように響いた。



 ――約束よ? 礼次……ずっと一緒にいてね……。



 礼次郎の頬を、一筋の光が流れ落ちた。



 ふと、枯草を踏む音と人の気配を感じた。

 その方を振り向くと、そこには一人の男がゆっくりと歩いていた。

 その男も礼次郎に気付いた。そして声をかけてきた。


「おお、礼次郎殿」


 それは、夜風に当たると言って出て来た龍之丞であった。


「これは宇佐美殿」


 礼次郎が応えると、龍之丞は微笑しながら礼次郎の方へ歩いて来た。

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