第103話 秘剣"影牙"

 礼次郎は槍を片手に乱戦の中を駆けた。

 そして、一際激しい刃のぶつかり合う音と悲鳴の発する方を見つけると、そちらへ向かって走った。

 その死闘の渦の中心で、樫澤宗蔵は、殺戮の恍惚に酔い、時折狂気めいた笑い声を上げながら槍先から血の雨を降らしていた。


「そこにいるのは敵将、樫澤宗蔵と見た!」


 礼次郎は叫んだ。


「何奴?」


 樫澤は、槍を持つ手を止め、礼次郎を見やった。

 礼次郎は煌びやかな甲冑を纏っている。一目で将だとわかる。だが、その初々しい若い顔は、樫澤の知っている上杉軍の将の中にはいない。


「上杉の若衆か?何者だ?」


 樫澤が殺気鋭く睨んだ。


「城戸礼次郎頼龍」

「城戸礼次郎? 知らんな。だが、今の俺の前に立つからには覚悟ができているんだろうな?」


 樫澤が残忍な笑みを見せた。


「無論だ。その首、オレが貰った」


 礼次郎が言うと、樫澤は更ににいっと笑い、


「ほう、いい度胸だ。お前ら、手を出すんじゃねえぞ!」


 と、周囲の新発田兵達に言うや、同時に六尺の槍を暴風の如く突いた。


 目の良い礼次郎、即座に反応し、落ち着いて槍で振り払った。

 しかし流石は上杉軍の前線を一人でかき乱すだけある、かなりの剛力である。

 振り払った腕に鈍い痛みと痺れが走った。


 樫澤は、槍を上方から振り下ろした。

 礼次郎は両手で槍を掴んで上に上げて受け止める。

 樫澤は素早く引き、再び槍を突く。

 そうして両者は数合打ち合ったのだが、礼次郎は防ぐので精一杯で、なかなか攻め込む事ができない。

 そもそも礼次郎は一通りの槍の心得こそあるものの、順五郎と違い、元々槍が得意と言うわけではない。戦場では将も槍を持って戦うのが主である為、槍を持っているだけである。


「あっ」


 そして、ついに礼次郎の槍は樫澤の放つ豪槍の一振りによって、跳ね飛ばされてしまった。

 その勢いで、礼次郎も後方によろめいて左手を地につけた。


 ――しまった……これ程強いとは。流石に無茶だったか?


 礼次郎は立ち上がりながら冷汗をかいた。

 そこで改めて樫澤を見た。

 威圧するかのような"暴"の気が、その全身から発せられていた。


 礼次郎は珍しく、思わずぞくっと恐怖を感じた。


 樫澤はにやりと笑い、


「城戸とやら、いくつだ?」


 と尋ねた。わざと、そのように余裕を見せて楽しんでいるのである。


「十七」

「ほう、若いな。その新しい甲冑を見ると、初陣であろう。運の無い奴だ、初陣が最後の陣になろうとはな。だが貴様の戦いぶり、なかなか立派であったぞ」


 首から掛けている、ゆりから渡された観音菩薩の木像が揺れた。


 ――恐れるな……落ち着け……このような危機、これまでにも何度も切り抜けて来たはずだ。


「きっと功を挙げようとして意気揚々とこの戦に臨んだのであろうが、さぞかし無念であろうな」

「まだ決まったわけじゃない」


 礼次郎は左腰に手をやると、素早く抜刀した。


「む……」


 樫澤の顔から笑みが消えた。

 礼次郎が刀を構えた途端、表情も雰囲気も一変したからである。


「ほう、成程。剣の方は多少できるようだな」


 幾多の戦場を戦って来た樫澤宗蔵である、すぐに礼次郎の腕を見抜いた。


「だがどうかな?」


 樫澤が槍を突いた。


 しかし、その穂先は礼次郎の剣に当たる事も無く、虚しく空を切り裂いたのみであった。

 礼次郎は咄嗟に躱していた。


「ほう、やるではないか」


 樫澤はまだ笑う余裕がある。

 再び槍を落雷の如く振り下ろした。

 礼次郎は全力で刀を振り上げて受け止めた。

 そのようにして、礼次郎は次々と樫澤の攻撃を防いで行った。



 ――ああ、そうか。



 礼次郎は心中呟いた。



 そして樫澤の顔から完全に笑気が消えた。


「簡単な事だった。オレは最初から刀でやれば良かったわけだ。こっちの方が小回りが利く」


 今度は礼次郎がにやりと笑った。


「ふっ、どうかな? 刀ではそのように防ぐ事は容易でも、槍の間合いには容易には入れまい」


 樫澤宗蔵もまた余裕を見せた。

 だが、その息が乱れているのを礼次郎は見逃さなかった。


(いかに豪傑と言えどもあのように重い槍を振り続ければ必ず疲れは出る。そして中々仕留めきれない焦り……そこに隙はできるはずだ)


 礼次郎は、樫澤の攻撃を際どい寸隙で捌きながら機を伺っていた。



 ――その隙に、あの時お師匠様に教えてもらった奥義で勝つ!



 そして、樫澤の槍の軌道にわずかなぶれが出始めたのを、礼次郎は感じ取った。


 むんっ! と言う気合いの叫びと共に、樫澤が渾身の力を込めて槍を突き出した。



 ――ここだ!



 礼次郎の身体も前方に飛んだ。


 樫澤の放った直線の槍光と礼次郎の身体が交錯した。


 飛び出した礼次郎の身体はその槍に貫かれたか――


 しかし逆に、樫澤の腹から血柱が吹いた。


 礼次郎の剣が樫澤の腹を突き刺していたのである。

 彼は、樫澤の槍先を見切り、寸隙でよけざまに樫澤の懐に飛び込んで突きを繰り出したのである。


 血飛沫が礼次郎の顔から真新しい甲冑までを染めた。


 樫沢が苦悶の呻き声を漏らした。

 そしてその身体が折れた。


 しかし樫澤は、それでも尚震えながら血走った目で礼次郎の顔を睨んだ。


「見事……よくぞ……このわしを……」


 礼次郎は、更に力を込めて刀を押した。


 樫澤は悲鳴を上げた。


「若造……最後に……き、聞かせろ……何だ今の……動きは……」


 樫澤宗蔵は叫びにもならぬ苦痛に顔を歪めながらも、武人の魂は最後まで燃えているのか、礼次郎の技を問うた。


「真円流秘剣"影牙"」


 礼次郎は呟くように答えた。


 真円流秘剣、"影牙"、それは先日、城戸の郷での師匠葛西清雲斎の夜稽古で、清雲斎より伝授された技であった。


「ふ……か、影牙か……初めて聞いた……世は……広いのう」


 樫澤宗蔵は顔を震わせながら笑みを浮かべた。


「樫澤殿、すまん」


 礼次郎は刀を引き抜くと、上段から振り下ろした。


 二度、三度。


 光が煌めき、血が虚空に舞った。


 その時ちょうど、礼次郎を心配した壮之介が、順五郎と千蔵に指揮を任せて駆け付けて来た。

 壮之介は、礼次郎の足下、血の海に崩れている壮年の武士を見ると、


「もしやそれは樫澤宗蔵?」

「そうだ」


 礼次郎が落ち着いた顔で答えると、


「お見事……」


 壮之介は思わず息を呑んだが、


「お、そうだ! 敵将樫澤宗蔵、城戸礼次郎が討ち取ったっ!」


 礼次郎に代わって大声で叫んだ。

 周囲に、上杉勢の驚嘆と歓喜の声と、新発田勢の悲痛な叫びが混じり合って響いた。



 その時、仁井田統十郎も槍を捨て、愛刀の撃燕兼光で奮戦していた。

 周囲を上杉軍に囲まれてしまった死地にあって、彼の剣客としての本能は自然と槍を捨てて剣を取っていた。

 そして彼の撃燕兼光が閃くところ、上杉兵は次々と血飛沫を噴いて道が開かれて行くのであった。



 ――樫澤宗蔵と俺がいれば、必ず突破することができよう。もうひと踏ん張りだ。



 しかし、ふと、歓喜と悲嘆の混じったどよめきを遠くで聞いた。


「樫澤様が討ち取られた! もう駄目だ!」


 ――何? 樫澤程の男が? 一体誰に?


「樫澤様が敵将城戸礼次郎に討ち取られた! 逃げろ!」


 統十郎は耳を疑った。


「な、何? 城戸礼次郎?」


 驚いた統十郎、自然とその方向へ走っていた。



 その場所に、その男は立っていた。


 樫澤を討ち取られて士気が崩壊した新発田勢を、逆に興奮とも言えるほどに士気を盛り返した上杉勢が追い散らす。

 そんな中、その男、甲冑姿の城戸礼次郎が、壮之介がかき切った樫澤宗蔵の首を受け取っていた。


 少し離れたところで脚を止めた統十郎は、憎いような嬉しいような、不思議な感情の入り混じる思いで礼次郎の姿を見つめた。


(そうか。城戸礼次郎、やはりいたのか。――そしてあの樫澤宗蔵を……剣で……)


 統十郎は笑みを浮かべた。



 ――やはりお前は本物の剣士だった。しかも数段腕を上げて。



 呼吸を整えていた礼次郎は、尋常ではない剣気を感じ取った。


 その方に視線をやると、一人の長身の男が立っていた。

 男は礼次郎と目が合うと、おもむろに兜を脱ぎ捨てた。

 長い総髪が風に靡き、顔が明らかとなった。


「お前は……仁井田統十郎……」


 礼次郎は驚愕に目を見張った。


「何? あれが仁井田統十郎?」


 壮之介も驚いて見やる。


「何故ここに?」


 礼次郎は、統十郎が新発田軍に身を寄せている事を知らない。


「久しいな」


 統十郎は呟くと、礼次郎の顔を真っ直ぐに見つめた。


「…………」


 二人は、しばし無言のまま互いの顔を見つめ合った。


 未だ狂乱続く戦場である。

 吐き気を催すかのような血と臓物の匂い。

 熱のある風と、それに混じる刃の音、怒号、悲鳴。


 やがて、どちらからともなく両者は刀を構えた。


「…………」


 礼次郎は右脇構え。


 統十郎は直刀撃燕兼光を八相に。

 互いの間合い、約三間。


 壮之介もまた、槍を構えた。

 だが、礼次郎が静かに強く言った。


「壮之介!」


 手を出さないでくれ、と言っているのである。


「しかし……」


 壮之介は戸惑ったが、


「…………」


 無言で統十郎を見つめる礼次郎の姿を見て、構えを解いた。

 そして、この両者の斬り合いに他の者が入り込んで来ぬよう、乱戦の周囲に目を光らせた。

 しかし、この配慮は無用であった。


  彼ら二人の周囲だけが、まるで違う空間かのように空気が違い、不思議と他の者も入り込んで来なかった。

 

 地獄のような戦場にあってもひりつくような互いの剣気が静かにぶつかり合った。

 二人は、互いの目を正視し合ったまま動かない。


 凄まじい緊張感。壮之介程の戦慣れした豪の者が動けずに息を呑んだ。

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