越後内乱編

第102話 能勢川の戦い

 地響きを鳴らし、雄叫びを上げて突撃してくる新発田勢。

 通常、戦はまず鉄砲、弓矢の撃ち合いから始まり、その次に近接戦闘となるが、それでもまずは戦への恐怖から互いに距離を取って陣寄せをし合うのみでなかなかぶつかり合わぬもの。だが、上杉軍が動揺しているものと思っている新発田勢は、その隙をつかんとして大胆にも突撃して来た。


 対する上杉勢、まずは常道に則って鉄砲隊が銃弾を放った。

 不揃いの轟音と共に新発田勢数十人が倒れたが、新発田勢は士気が高いのか、仲間が倒れたのを目の当たりにしても構わずに突っ込んで来る。

 そして上杉勢、弓隊が前に出、矢の一斉射撃を放った。


 無数の矢が空中を切り裂き、突進して来る新発田勢を襲う。


 だが、それでも尚、新発田の先鋒、樫澤宗蔵、剣持市兵衛、牧田玄蕃らの隊は果敢に突っ込んで来る。


「そんなひょろひょろ矢が効くと思うてか!」


 樫澤らは豪快に笑うと、兵らを盛んに鼓舞し、自らも刀槍を振るいながら上杉軍中央に突っ込んで行った。



「やむをえん。弓隊下がれ!」


 須田満親、斎藤景信らの部隊は、弓隊を下がらせ脇にやり、援護射撃に回らせると、長槍部隊を前に出して迎え撃った。


 そして上杉、新発田の両軍が真正面からぶつかり合い、接近戦が始まった。


 互いに槍を叩き合い、突き合い、足下より巻き上がる砂塵の中でただ眼前の相手の命を奪わん、或いは己の命を守らんと、必死の形相で火花を散らした。


 そして、陣の左翼にある城戸礼次郎の部隊も新発田勢とぶつかり合おうとしていた。

 白馬の上にある礼次郎は、殺到して来る敵勢を見つめると、まず大きく深呼吸して自らの心身を落ち着かせた。

 その後、四方を見回した。

 眼前の敵勢のみならず、冷静に周囲の戦況を把握しようとしたのである。


 その様を見て壮之介は密かに感心した。


(この若さで敵勢を前にしても尚、周囲の状況を把握しようとする落ち着きぶり。これが龍之丞殿が言うような血のなせる業と言うものか)


 かつては壬午の戦でその武勇を轟かした軍司壮之介であるが、初陣の際には興奮と緊張で槍を持つ手が震えたものである。壮之介はその時の事を思い出し、今の礼次郎を見て心から感服した。


(うん? 初陣? そうだ。そう言えば礼次様はこれが初陣なのでは? 初陣でこのように落ち着いているのか?)


 壮之介が重ねて驚いていると、その間にすでに礼次郎の号令が飛んでいた。


「かかれっ!」


 東島城のある要害山と能勢川に挟まれた平野で、上杉軍と新発田軍、両軍の戦闘が展開された。

 大地を揺るがし、空気を汚し、天を震わす、怒号と熱気と血風の入り乱れる接近戦。


 最初は互角と思われた戦闘であったが、新発田勢の先鋒、新発田随一の猛将樫澤宗蔵率いる部隊の勢いは凄まじく、徐々に上杉軍の中央を圧して行った。それに釣られるかのように、両脇の剣持市兵衛、牧田玄蕃らの隊、またその後方の諸隊らも攻勢を増して行った。


「はっはっはっ! 流石は樫澤よ。見よ、押しまくっておるぞ」


 新発田因幡守重家は、傍らの義弟にして重臣である、五十公野道如斎信宗を振り返って高笑いを上げた。


「やはり上杉勢は策を見破られて動揺しておるようですな」


 道如斎も同調して満足げに笑った。



 上杉軍の中央後方にある宇佐美龍之丞は、軍配を左手に叩きながら前線を見つめていた。

 その目に映る彼我の戦況、そして次々に駆け付けて来る伝令らの報告は、共に一つの事を告げる。


 ――敵の猛将樫澤宗蔵らによる攻勢で、上杉軍はやや旗色が悪い――


 だが、龍之丞の顔色は依然冷静であった。

 時折、軍配を左手に叩いた。

 己の頭脳と会話しているのである。


 軍配の表裏には、一字ずつが染め抜かれていた。

 上杉謙信以来、上杉軍の軍旗ともなっている"毘"と、突撃の際に振られる軍旗、"懸かれ乱れ龍"の"龍"の一字である。

 龍之丞は、少し物憂げな面差しでその軍配を繰り返し引っくり返していたが、ぴたっとその手を止めると、"毘”の一字の面を前に突出し、後方へ振った。


「中央、少しずつ下がれ」


 その指示を受けて、上杉軍の前線中央の諸隊は、押されるが如く徐々に後方に退き始めた。


 それを見て、樫澤宗蔵は哄笑した。


「見よ、敵は我らの勢いに押されておる、この機を逃すな、かかれっ!」



 その時、新発田勢の左翼には仁井田統十郎が槍を振るっていた。


 ――城戸礼次郎、この戦にいるのか? いるとすればどこだ?


 統十郎は、戦いながら礼次郎の姿を探していた。

 彼は、この戦に礼次郎が加わっている事を知らない。

 だが、礼次郎に似た直感で、何となく予感していた。この戦に礼次郎がいる事を。

 そして、この戦で出会う事はなくとも、数日中には斬り合う事になるであろう事を。


 しかし礼次郎は上杉の左翼におり、統十郎も新発田の左翼にいる。

 つまり、正反対の方向にいるので、まず出会う事は無い。


 ――いないのか? それともここではないのか? それにしても……。


 統十郎は槍を突く眼前の上杉勢を見て気になっていた。


(白根の森に潜む我らを奇襲しようとやって来る奴らを更に待ち伏せし、奴らの裏の裏をかいたわけだが……上杉軍は大して動揺しているように見えん。それにあの中央、押しているようだが上杉軍の押され方は若干不自然に見える)


 統十郎は確実に何かを感じ取っていた。


 そしてそれは正しかった。



 勢いに乗り、攻め立てる樫澤宗蔵。

 だが、彼の側近の一人が寄って来て心配げに言った。


「少し深入りしすぎでは?」


 それに対し、宗蔵は笑い飛ばし、


「何を言うか、奴らの策を見破り、今はこのように押しておる、この機を逃すべきではない!」

「しかし、あのように上杉勢の左翼がいつの間にか脇にまで回り込んでおります。一見敵陣深く斬り込んでおりますが、包み込まれているようにも思えまする」


 側近が指差したその方向、確かに城戸礼次郎隊を含む上杉勢の左翼が、新発田勢の脇を包み込むように展開していた。

 彼は続けて、


「ありえないとは思いますが、もし敵に伏兵があり、後方から襲われでもしたら……左は能勢川、我らは逃げるところが無くなります」


 宗蔵は顔色を変えた。


「確かに。いかん、これ以上は進むな!」


 だが、時はすでに遅かった。



 上杉軍後方、龍之丞が顔色も変えず、軍配の"龍"の面を表にして前方に振った。


「やれ」


 そして、新発田軍の後方に、大地を揺らす砂塵と共に一軍が姿を現した。



「何事だ?」


 新発田重家は驚愕に振り返った。


 そこに、我が目を疑う光景があった。


 一個の騎馬軍団が烈風と共に此方へ突撃して来るのである。

 その頭上に翻っている軍旗は、"毘"の一字。


「まさか……」


 重家は絶句した。


 それは、いつの間にか上杉軍から姿を消していた"鬼神"本庄繁長率いる騎馬隊であった。



「何故我らの背後に上杉の軍が現れる! 我らがここに待ち伏せするのを更に読んでおったと言うのか? いかん、方陣じゃ! 後方に備えよ!」


 重家が絶叫した。



「うわっはっはっ! 因幡め、今日こそその首取ってくれるぞ!」


 本庄繁長は高笑いを上げて馬を駆った。

 そして彼の騎馬隊が猛獣の群れの如く新発田軍の後方を襲った。


 新発田軍後方はたちまち混乱に包まれた。

 獰猛な騎馬突撃を受けて、次々と兵が倒れて行った。



 そして更に、龍之丞の軍配が振られた。


 徐々に退いていた中央前線が、再び攻勢に転じた。


「宇佐美め、こういうことであったか!」


 色部、斉藤、須田ら中央前線の諸隊が猛然と反撃の槍を返した。


 後方を本庄繁長に襲われた動揺はたちまち新発田軍前線にも波及し、その上、上杉勢前線の部隊が反撃に転じた事で、前線の樫澤らの隊が徐々に崩れ始めた。



 新発田軍の後方で沸き起こる悲鳴を遠耳に聞きながら、龍之丞は冷笑した。


「貴様らが我らの策を知り、ここで待ち伏せするであろう事はわかっていた。だから密かに本庄殿の騎馬隊を要害山の西から迂回させ、貴様らの背後を突かせたのだ。裏の裏の更に裏をかく……だが、貴様らの考えを読んでいたわけではないぞ。俺がそのように仕向けたのだ」


 そして彼は冷徹な目つきとなり、呟いた。


「そして一つわかった事実がある。確実に我らの情報は貴様らに筒抜けになっている」



 背後を突かれ、前後から挟撃された形となり、右からも攻撃されている上に左は能勢川、まさに包囲され逃げ場の無くなった新発田勢。

 新発田重家の声を枯らす必死の鼓舞も虚しく、このまま壊滅するかと思われた。


 だが、どう言うわけかなかなか崩壊せずに堪えていた。


 それどころか逆に、攻勢に転じた上杉勢前線中央を、再び新発田勢の先鋒樫澤らが押し始めていたのである。


「狼狽えるな! 後方は殿、五十公野様らが必死に支えておる! 我らはこのまま真っ直ぐ敵陣を突破すればよい! 今は包囲され死地にあるが、このまま中央を突破すれば逆に我らが奴らを分断する事になるのだ! 怯むなっ、かかれっ!」


 樫澤宗蔵は目を血走らせ、声を枯らして激を飛ばし、崩れそうになる士気を煽り、必死の攻撃を仕掛けていた。

 彼自身も上杉勢の中央に飛び込み、縦横無尽に槍を振るった。

 彼が一度槍を振るえば血飛沫が舞い、数人の上杉兵が一度に倒れ、あるいは叩き飛ばされる。

 それに勇気づけられ、樫澤旗下の兵達はもちろんのこと、左右の剣持、牧田らの隊も死にもの狂いの猛反撃を見せ始めた。


 そして、ついに樫澤の勝ち誇った怒号が大乱戦の中に響いた。


「敵将、垣内飛騨守討ち取ったっ!!」




 それを聞いた龍之丞は、流石に顔色を変えた。


 ――こう言う事もあろうかと中央を縦に厚くしたのだが、それでも突破されかねん。樫澤宗蔵の豪勇、思った以上。まずいな。


 龍之丞は、軍配を左手に何度も叩いた。


 戦況は再びわからなくなった。



 左翼にあり自隊の指揮を取っていた礼次郎、勝利は目前と思われたが、容易に崩れぬ新発田勢に疑問を感じていた。


「包囲しているってのに一体どうしたんだ? しかも中央の様子がおかしい」


 すると、旗下の兵の一人がやって来て礼次郎に告げた。


「新発田勢の猛将、樫澤宗蔵率いる隊の必死の反撃が凄まじく押されている様子。また樫澤自身も槍を振るい、その豪勇尋常ではなく、お味方の垣内殿が討ち取られた由にございます!」


「何? その樫澤一人にいいようにやられてるわけか」

「はっ」


 礼次郎は、出陣前の直江兼続の言葉を思い出した。



 ――この戦で礼次郎殿が良い働きをすれば兵を借しやすい雰囲気になる――



 その時、声はすでに壮之介を呼んでいた。


「壮之介! ここの指揮を任せる!」


 と言うと、馬から下りて駆け出した。


「礼次様、どちらへ?」

「手柄首を取りにだ!」

「手柄首? はっ? まさか? 指揮官が何を。行けませんぞ!」


 壮之介が驚いて止めようとしたが、その時には礼次郎の姿はすでに乱戦の中に消えて行った。

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