第88話 玄介の野望

 その頃、順五郎、壮之介、美濃島咲の三人は、七天山に近い例の雑木帯に息を殺して潜み、いつ何時合図が上がるかわからぬ七天山を注視していた。

 壮之介は大木の幹に寄りかかって座り、じっと七天山上空を見つめる。

 咲はその近くに胡坐をかき、黙々と自身の刀の手入れをしたり、短弓の弦の張りなどを確認していた。

 一人順五郎だけは、落ち着かぬ様子で辺りを行ったり来たりしながら七天山を見つめていた。


 その時、七天山の上空でパーンと何かが打ち上がり、火花が四方に空に飛び散った。


「おい、あれ……千蔵の合図じゃねえか?」


 順五郎が顔色変えて指差した。


「多分そうだねえ」


 咲が気怠そうに短弓を腰にしまって立ち上がった。

 壮之介は無言のまま立ち上がって七天山を睨み、


「礼次様が危ない、行こう」


 と錬鉄の錫杖を手に取った。


 七天山に通じる橋の入り口、そこを守る警護兵らは、隙の無い視線を周囲に配っていた。

 そこへ、橋の奥の大手門を守る兵の一人が走って来て、


「おい、何だか蒼天曲輪の方で騒ぎだ。またどこぞのねずみが忍び込んだらしい。門を固く閉じて守れと組頭から命令だ。そっちも頼んだぜ」


 と告げると、言われた者達は振り返り、


「ねずみってどうやって? 俺たちはこうして見張ってるのに」

「それがどうもさっきの商人どもらしいぜ」

「え? あいつらは今夜の宴の食材を持って来たんだろ? まさか」

「そのまさかだ。商人どもになりすましたらしい。だから、今日はこれから来る小田原からの使者以外、怪しい者は誰一人として通すなとの命令だ」


 と言った時、その警護兵らの後ろにすっと現れた二人の大きな人影。


「その怪しい者ってのは俺たちのような者のことか?」


 そう言ったのは順五郎。


「何だ貴様らは!?」


 警護兵らが驚いて振り返ると、旅僧姿ながら筋骨隆々たる軍司壮之介が、


「そのねずみの部下だ。泥棒猫から助ける為に参った。悪いが通してもらうぞ!」


 と大音声で言うと、重筋の錫杖を一振りした。

 轟音を起こして叩きつけられた錫杖の一撃、しかし警護兵らは流石に手練れ、持っていた槍で咄嗟に受け止めたが、その剛力は受け止めきれずに身体が後ろに押された。


「敵襲だ! 知らせろ!」


 警護兵の一人が叫びながら橋の奥へと走った。


「おのれっ!」


 残った警護兵らは反撃に転じようと槍を振り上げたが、そこへ壮之介の右後ろにいた咲が短弓を手に取り放った稲妻の一矢。ビュッと空を切って一人の手元に突き刺さり、その者が思わず槍を取り落とすと、そこへ順五郎の槍が鋭く襲い掛かった。


「どけい!」


 壮之介は一人の兵に向かって錫杖をやや上方から落とすように突き出すと、まるで丸太で突かれたかの如くに後方に吹っ飛んだ。

 順五郎は槍を左右に振り、二人ばかりを橋の下に叩き落とす。

 そして全てを打ち倒し、すぐに門の前まで辿り着くと、門の前を守っていた兵らも同様に全て打ち倒した。

 後はこの大きく頑丈な門を突破するだけである。

 だが、すでに三人の襲撃の知らせを受けた内部の兵士達が、門の左右上方の山肌の木々の間に、そして門の向こうの櫓の上にすっと姿を現すと、こちらへ向かって一斉に矢を放って来た。


「ちっ……! あんたたち、門を頼んだよ!」


 咲が舌打ちして、再び短弓を取って応戦の矢を次々に放って行った。

 順五郎と壮之介は、槍と錫杖を振るい、襲い来る矢を撃ち落としながら、何とか門をこじ開けようと、かかっている錠に武器を叩きつけたり、門に体当たりしたりしたが、


「駄目だ、どうやっても開かねえ!」


 順五郎が苛ついて門を蹴った。

 その時、一瞬の不注意であった。ヒュッと飛んで来た矢が左肩に刺さった。


「うっ!」


 順五郎が思わず槍を落としかけた。


「大丈夫か!」


 壮之介が色を変えて声をかける。


「大したことはねえ!」


 順五郎は気力を途切らすことなく槍を振るい続けたが、左右上空から幻狼衆が放つ矢はますます激しさを増して行く。

 二人の後ろから咲が叫んだ。


「私の矢もそろそろ尽きる! このままでは駄目だ、一旦退こう!」

「だけどよ! 若が中で……」

「いや、美濃島殿の言う通りだ、このままではわしらもやられる!」


 壮之介が冷静に言うと、


「くそっ! 仕方ねえ!」


 順五郎は悔しさに歯を表情を歪ませながら、門の前から少しずつ後ずさった。

 そして追って飛んで来る矢を打ち落としながら、三人は橋を元来た方へと走って行った。




 幻狼衆とは北条家お抱えの忍者集団、風魔衆、そして玄介はその頭領の風魔小太郎。


 そう喝破した礼次郎に対し、玄介はその通りだが少し違う、と答えた。


「違う?」

「正確に言えば俺は次の風魔小太郎になる男。今の五代目風魔小太郎の息子だ」

「何だと?」


「そして俺たちは風魔衆の中の一集団にすぎん。即ち風魔幻狼衆だ。」

「一集団?」

「北条家の領土は広がりすぎたのでな、風魔衆も担当する地域ごとにいくつかの部隊を作ったのさ。そして関東の要衝であり激戦地であるこの上州向けに、特に若手の精鋭たちを集め、六代目風魔小太郎となるこの俺を頭領にしてここ七天山に作られたのが我々風魔幻狼衆だ」


「そういうことか……」

「だがまあ、俺は北条の奴らの為に働くのがバカバカしくなり、ほとんど言うことは聞かずに勝手にやっているがな。近々はっきりと独立するつもりだ」


 玄介はにやりと笑った。


「北条に謀反するってのか? 正気か?」

「ああ、正気だ。こうして天哮丸も手に入れたからな。俺たち忍びを使い捨てにする、奴ら北条家の為にこれ以上働く義理はねえ。天哮丸の力で天下をいただくよ」

「ふざけたことを……お前のような奴に城戸家が守って来た天哮丸を渡してたまるか!」


 礼次郎が怒りの目を剥いたが、ふと何かに気付いた。


「待て、天哮丸を奪って来いと命じられたのか? 北条氏政に? お前は確か昨日もそんなことを言ってたな。だが北条家と徳川家は同盟関係にある。同盟者の徳川家康が天哮丸を狙っていることを知りながら自分も天哮丸を奪おうとしたのか? そんなことが家康にばれればただではすまないだろう」


 と言うと、玄介はふふっ、と笑って、


「北条と徳川は最近、豊臣秀吉への対応を巡って関係が悪化している。だから、形勢逆転を計って、天下を取る力があると言う天哮丸を、家康よりも先に密かに俺たちに盗み出して来いと命じたのさ。ばれずに先に手に入れてしまえばこっちのものだ。しかも天哮丸の力で先に天下を取ってしまえばいくらでも黙らせられるのだからな」


 玄介はくっくっくっ……と笑い出し、


「だが奴らもつくづく馬鹿なもんだぜ。命じた俺に奪われるとはな! しかもこんな天然の要害まで任せてよ! これこそ天が俺に与えた好機! 俺はこの七天山を根拠地とし、蘇らせた天哮丸の力をもって天下を狙う。俺たちの為の国を作る!」


 玄介は地獄の悪鬼のような高笑いを響かせた。


 礼次郎は眦を吊り上げ玄介を睨むと、


「そうは行くか! 天哮丸は返してもらう!」


 すっと刀を抜いた。

 千蔵も続いて刃を煌めかせた。

 それを見た風魔玄介は、高笑いこそ止めたものの、いつもの薄ら笑いでにやつきながら、


「ほう、やる気か? 今度はさっきとは数が全然違うぞ?」


 と言った背後、およそ三十人の幻狼衆の兵士たちがそれぞれ刀槍を構え、獲物を狙う獣の如くこちらを見ていた。


「まあ、この蒼天曲輪の入り口は閉じたので、貴様らは逃げたくても逃げられんがな」


 玄介は続けて言った。

 礼次郎らがちらっとと右方を見ると、入り口の鉄門が固く閉じられていた。

 千蔵がぼそっと言った。


「先程、空に打ち上げた火花で順五殿たちが気付いたはずです。駆け付けて来るまで何とか持ちこたえましょう」


 礼次郎は横目で千蔵を見て、


「しかしあの大手門を突破できるのかよ」

「やってくれると信じましょう」


 その言葉に礼次郎は苦笑いをすると、



 ――しかし三十人か。どう戦うか……。



 全身に汗が滲んだ。


 礼次郎は、風魔玄介の命令を待ちながらじりじりと間合いを詰めて来る兵士らを見回した。

 元々が忍びであるが故か、豪勇の士と言った風情の者はいない。だがどの顔も、一見して普通の兵士ではないことがわかる。武技に長じた選りすぐりの者たちである。



 ――幻狼衆の正規兵か。



 その時、一昨日、師匠の葛西清雲斎が倉本虎之進率いる徳川伊賀衆相手に見せた攻撃が瞼に思い浮かんだ。



 ――ちゃんと教えてもらっていないが、一か八か、見よう見まねでやってみるか?



 礼次郎は刀を右手に持ち、左手で脇差を抜いた。



 ――お師匠様の秘技、無天乱れ龍……!

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