第89話 死闘七天山

 礼次郎は右手に刀、左手に脇差と言った二刀の構えとなると、その構えをだらりと下げ、身体の力を軽く抜いた。

 眼前の敵約三十人を見回した。


(右手一本で持つ刀は重い。無天乱れ龍、オレにやれるか? でもこれをやるしかない……!)


 緊張か、それとも心の皮を剥き過ぎたせいか、心臓の鼓動が速くなって行く。


 耳の奥、鼓膜を小さな針で刺されているかのように痛みを感じた。


 にやついた風魔玄介の命令が響いた。


「やれ!!」


 号令と同時、間髪入れずに幻狼衆兵士たちが飢狼と化して襲い掛かって来た。


「千蔵、二手に分散させるぞ!」

「承知!」


 礼次郎は二刀の構えをだらりと下げたまま地を蹴った。

 そして向かって来る敵の群れの右側へ回った。千蔵は左側へ回る。その両者を追って幻狼衆が二手に散った。


 礼次郎は土塁の壁近くまで走ると反転し、追って来る敵の群れの中へ腰を低くして突入して行った。

 そして敵とぶつかる直前、下げた刀に砂が着くぐらいまで体勢を低くすると、身を左に捻って右手の刀を振り上げた。


 風と砂を吹いて、城戸家の名刀が宙に光を斬り上げる。


 一人目の敵の脚を斬った。――続いて左手の脇差が左後方に飛び、そこにいた敵の腹を斬った。そしてその勢いのままに身体を一回転させると、右手の刀が再び半円の刃光を斜め上に走らせ、眼前の二人の腹と胸を掠めた。

 右から槍の穂先がシュッと飛んで来る。身体をよじらせて避けたが、わずかに脇腹を掠って血が流れた。だが動きに影響するほどではない。礼次郎はぐっと堪え、右の刀を矢の如く突いて吹き飛ばした。


 心の皮を剥き、常人には入り込めぬ精神領域に至っていた礼次郎は、次に誰がどう動き、どこに刃が飛んで来るかなどがわかっていた。

 その間隙を縫って礼次郎は飛び回り、刃を縦横に走らせる。


 教えを受けたことのない、見よう見まねの技なので、時折敵の攻撃をよけきれずに身体を掠め、ヒヤリとすることもある。


 だが、

 

 ――行ける! これなら何とかやれる!


 何とか形になっている。

 礼次郎は少し自信を持った。そして自信を持った礼次郎はますます動きを大胆にし、そして加速させて行った。


 その様を見ていた風魔玄介、


「何だあれは?」


 不快そうな表情になった。


「二刀でもってあの動き……見たことが無い」


 玄介は礼次郎の動きを凝視する。


 取り囲む幻狼衆兵士たちの中を飛燕の如く飛び回り、その両手から高速の剣光が乱れ飛ぶ。そして刃が無軌道な煌めきを描く度、幻狼衆兵士たちが傷を負い、血飛沫を上げて一人また一人と倒れて行くのだった。


 天無き宙に龍が乱れる。真円流秘技、無天乱れ龍――


 そして一方の千蔵も、隠し持っていた小型の焙烙玉や手裏剣などを駆使し、次々と敵を打ち倒して行っていた。


「高梨村の時の足軽たちとはわけが違うぞ? 我らの正規兵だ。どうなってやがる?」


 玄介は苛立ちを隠さない。


 見る見るうちに礼次郎と千蔵の前に幻狼衆兵士たちの屍が積み上がって行く。


 そしてふわりと飛んだ礼次郎が、刀を空より振り下ろして着地した時、龍の乱れが止んだ。

 礼次郎の眼前、最後の一人が悲鳴と共に倒れた。


 だが、同時に礼次郎もまたガクッと膝をついた。


「はあっはあっ……が……はっ……!」


 息が激しく乱れ、着物のあちこちから血が漏れ出ていた。


 最初はやれると思った無天乱れ龍だが、やはり初めて使う技であった為、また相手も鍛錬を積んだ幻狼衆の強者であったので、途中何度か敵の攻撃を避けきれずに切っ先を掠ってしまったのだった。また、礼次郎の身体は、まだ無天乱れ龍と言う息もつかせぬ連続攻撃の技には到底耐えられるものではなかったのだ。


 そしてまた、心の皮を剥き過ぎたせいか、耳に入るわずかな音でさえも耐え難い程に大きく響く。脳髄の奥が割れるように痛む。

 礼次郎はたまらず左手の脇差を取り落とし、左手を地についた。右手の刀を地面に刺し、身体を支えるのがやっとであった。


 だがそれもわずかの間のことであった。


 彼の身をただならぬ異変が襲った。


 礼次郎の胸にまるで何かに追い立てられるかのような焦燥感が込み上げ、激しい動悸が心臓を縛るように締め付け始めた。

 見る見るうちにその瞳に狂乱の色が見え始める。

 そしてよろめきながら髪を掻きむしると、


「あ、ああ・・・あああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 礼次郎はまるで魔物に憑りつかれたかのような絶叫を上げ、地に倒れ込んだ。


「ご主君!」


 千蔵が血相変えて駆け寄って来た。


「ああ……あ、あ……!!」


 地に突っ伏して声にならない呻きを上げる礼次郎を、千蔵は力強く起こしてその身を揺らした。


「ご主君、大丈夫ですか!気を確かに!」


 礼次郎の血走ったその目の色は明らかに常軌を逸していた。

 最悪の予感に、千蔵の背筋がぞっと寒くなった。



 ――これはまさか清雲斎殿が言った通り、狂人になられてしまったのか……!?



 だが千蔵は、必死に礼次郎の身を揺らし、頬を叩いた。


「ご主君、しっかり! 私が見えますか? 千蔵です!」


 しかし礼次郎は頭を抱えて呻いたまま反応しない。


「こんなところで終わっていいのですか? 城戸は……天哮丸はどうなりますか!」


 千蔵が顔を近付けて叫ぶと、城戸と天哮丸と言う言葉に反応し、礼次郎の様子が変わった。


「あ、あ……」


 礼次郎の瞳に色が戻った。


「せ、千蔵……」


 まだ、はぁはぁと息を乱したままだが、髪をかきむしっていた手は落ち、その目は正気の色を取り戻していた。


「そうです、千蔵です。ご主君、気を確かに!」


 礼次郎は未だ血走った眼で千蔵を見ると、


「す、すまない……今オレは……」

「良かった、気を取り戻されたようだ」

「あ、ああ……」


 礼次郎は答えると、何かを振り払うかのように頭を振った。



 ――順五殿たちはやはり門を抜けられないのか?



 千蔵は焦りの顔で、通って来た門の方を見る。


「まだ一つだけ焙烙玉と煙玉が残っています。あの門は私が何とか破壊しますので今のうちにここから脱出しましょう!」


 千蔵が礼次郎の左腕を自分の肩にかけた。


「だ……っしゅつ? あ、あいつと天哮丸を目の前にして? ふざけるなよ……」

「しかしそのお身体では!」

「こ……こで退けるか!」


 礼次郎は乱れた髪の隙間から、鬼の如き眼光で前方を睨んだ。その視線の先は、不敵な笑みを浮かべながらも憤怒の気を発しながら歩いて来る風魔玄介の姿。

 その白い顔に少し色が差している。今にも爆発しそうな激情を寸前で抑えているかに見えた。


「これまでこの城に入り込んだ者は数知れず。だがここまでやったのはお前たちが初めてだ。正直驚いたよ」


 玄介は冷笑し、礼次郎らまで約三間ほどのところまで来ると歩を止め、静かに刀を抜いた。


「褒めてやる。すでに他の曲輪から兵を呼んであるが、貴様らのその腕に敬意を表し、その前にこの俺が直々に殺してやる」


 俄かにこれまでとは種類の違う、ひりつくような殺気が立ち込め始めた。



 その頃、七天山の門を突破することに失敗した順五郎らは、七天山をすぐ近くに見上げる街道まで退いていた。


「くそっ、どうするよ?」


 順五郎は気が気でない。その焦りは壮之介と咲も一緒である。


「あの合図、中で礼次様と千蔵に危機が迫っているのは確実、急がねばならんがあの門は到底壊せそうにない」


 壮之介が顎に拳をつけて考え込む。


「またあの川から行くかい?」


 咲の提案に、


「だけどまたあの矢の嵐だろ」

「いや。今、礼次郎たちが中で戦っている、もしくは逃げようとしているなら、そっちに兵士が割かれ、川への警備は手薄なんじゃないか?」

「なるほど」


 壮之介が頷いた。


「じゃあ行ってみるか? とにかく急がねえと!」


 三人が動こうとした時だった。街道の向こうよりこちらにやって来る一団が視界に入った。

 周りに徒歩の兵士たち数名を従え、中央に文官風の烏帽子姿の男が馬上に揺られている。


「お~、あれが幻狼衆のいる七天山か?」


 馬上の男ののんびりとした問いに、


「はい、そうでございます。関東一の要害とも名高い山でございます」


 部下の兵士が答える。


「ほう、そうか。立派なもんじゃのう」


 男は呑気な顔で七天山を見上げた。


 そのやり取りを見聞きした順五郎と壮之介と咲、互いに顔を見合わせた。

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